その日の授業は
その日の授業は国語だった。
僕の苦手な科目だ。
おまけに教科書を忘れてしまった。
「それじゃ、授業始めるよ~」
間延びした声で先生が言った。
僕は鞄の中を慌てながらゴソゴソとし続ける。
どれだけ探したって鞄の中から出てくるはずなんてないのに。
「ねえ、何でランドセルの中を探さないの?」
隣の席に居た女子にそう言われて僕はびくりとする。
ランドセルを持ってきていないなんて言えなかった。
だから僕は彼女の声を無視して鞄の中を探し続ける。
鞄の中はティッシュやカメラ、お菓子にお茶の入ったペットボトル……。
何一つ、授業に役に立つものはない。
ノート一つさえも。
「なにそれ携帯電話?」
女子がひそひそ声で尋ねてくる。
授業が始まり先生が背を向けて黒板に文字を書いていた。
「怒られるよ。先生に」
顔が赤くなる。
「うん」
僕はようやく返事をした。
「早くしまっちゃって。うん。そう。隠せた?」
女子に急かされて僕は携帯電話をしまい込むと鞄を机の脇に置いた。
「もっとこっちに寄って。うん、もう少し隣。先生にバレないように……」
刹那。
僕は不思議と、とても懐かしい気持ちに支配された。
昔。
ずっと、昔に同じような経験をした気がする。
「よし。それじゃあ、この箇所を読んでもらおうか。うーん、今日の日付は六日だから……よし、一番右の列の六番目の席の人。教科書を始めから読んでみて」
先生の言葉を聞いて僕は慌てて自分の席を数える。
やっぱり僕だ。
冷汗がどっと流れる。
なんでもっと早く教科書を忘れたと言い出せなかったんだろう。
「ほら。これ」
すると女子が教科書をそっと寄越してくれた。
僕は彼女にこっそりと頭を下げると教科書を手に取って立ち上がった。
「はい。読みます」
教科書に書かれている文章を僕は音読する。
直後。
僕は確信する。
この話を音読した事がある。
間違いない。
もう二十年以上は昔だけど、確かに僕はこの教科書の話を読んだ事がある。
二十年以上は昔。
二十年以上は……。
強烈な違和感を覚えた直後、先生が言った。
「よし。もういいよ。座りなさい」
はっとして僕は座り込む。
そして、何かを思い出そうとした直後。
「教科書返して」
隣の女子の言葉に僕の脳は全て奪われてしまった。
「うん。ありがとう」
こっそりと僕は彼女に感謝すると、彼女は小さく微笑みながら言った。
「今度からちゃんと前の日に準備しておきなよ」
「うん。そうする」
僕らの会話を知る由もない先生は授業を淡々と続けていた。
その光景を見つめながら、僕は明日こそは彼女の言うように前日に準備をしっかりしておこうと心に決めた。
何か。
何かを思い出しそうな気がしたけれど、また後で考えれば良いと思った。
だって、僕にはまだまだ時間がたくさんあるのだから。
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町から少し外れた場所に、数十年も前に廃校となった校舎がある。
この町に住む人は皆、口を揃えて言う。
「あの廃校には行ってはいけない」
何故かと問われれば皆、口を揃えて言う。
「もう何人もあの場所で行方不明になっているんだ」
しかし、そのような事を言われると却って行きたくなる人間も一定数居る。
そんな輩は肝試しと称して廃校に侵入し……その大半が戻って来る。
町の人達の言っていた意味を悟りながら。
「あの場所では授業が行われているんだ」
あの廃校から帰還出来た者の一人が言った。
「とても懐かしい光景だったよ。子供の頃の世界がそのままあったんだ。だから、とても懐かしくて……帰りたくないって思ってしまったんだ」
言葉を切ってその人は震えながら呟いた。
「あそこで行方不明になった人のほとんどは帰れないんじゃなくて……きっと、帰ろうとしないんだと思う」
元号が変わってから少しして廃校は取り壊された。
今ではそこはありふれた住宅街となっている。
行方不明になった人達はまだ見つかっていない。