道
初投稿です。
私自身は道狂いの変態ではありません。
人間関係とか、恋愛だとか、そう言ったものは人が探求する姿さえ見ることがあれど、私からしてみれば、殊更時間と体力を浪費してまで追求するための情熱を持つことすらばからしいものであった。そういったものを考える暇があれば、まだ見ぬ「道」を追い求めていたいと願う。私はそのような風変わりな人間であった。
この世は至るところに数多の「道」が存在する。そしてそれら一つ一つは決して他との関わり合いを望まない孤高の存在であるかと感じることもあれど、時には互いが手をとりあい、矮小なる二つの水泡同士が併さり厳かな自然の息吹をあげる様に、新たなる一つの「道」として同化し変容するものさえ在る。そういった定まらない「道」の在り方一つ一つが私の心を突き動かし、そしてまだ見ぬ「道」のカタチを追い求めている。
ふと見ると、私の辿る「道」の両側にて、数多の桜の樹が爛漫と咲き誇り、それが幾重にも積み重なっているように見えた。私は自分の好む素朴な「道」本来の姿が遮られてしまう様に感じられて遺憾の念に包まれるとともに、自らの麗しさを道ゆく人々に訴えんと整然としている桜の樹々に対して、軽蔑のような情が私の心に沸々と湧き上がるのを感じた。並の人間が見ればその桜樹の姿がきっと非常に美しく悦ばしいことの様に感じられるだろうが。
僅かなる親しき学友と共に東京へと旅行に出かけた時もそうであった。私がこれまで見てきたものとは一線を画すほどの賑わう東京の「道」とその特色に感銘を受け「道」をただ辿り続けることで旅を終わらせんとしたため、学友はそうはさせまいと私の手首を引っ掴んで荒々しく東京中の観光名所へと私を連れ回したものであった。無論私はそう言ったところには全くといっていいほどに目を惹かれず、一途に東京の「道」を堪能していたいものであったが、移動も電車やタクシーを用いたものが大半であったため、私にとってその旅は酷く退屈なものに感じられた。後日、そのことを学友に話したが、価値観の違いからであろうか、彼もつまらない旅であったことを吐露し、その後彼と連絡を取ることはなくなった。これもまた勿体無い話であると聞いた凡人は思うのだろうが、ものの全ての価値観が「道」に帰属してしまっている私にとっては、もはやどうでもよいことであった。
私は両側に生える桜の樹一本一本を切り倒してやろうかと考えたが、そのような蛮行を実践できるほどの勇気がある筈もなく。重い足取りで桜の生える「道」を進んでゆく。どう言えばいいのだろうか、「道」を辿ってゆくときは当たり前のことだが、その先が何処に繋がっているかなど、知る由がない。そうした不確実性と、そして「道」を辿り続けた先にみえるものがまた別の「道」などであったりすれば、「道」と「道」との関わりを見られてきっと僥倖なものに感じるだろう。そうした不確実性を追い求めながら「道」を辿ることもまた、私なりの「道」というものの楽しみ方の一つなのである。
大学を卒業してからは「道」だけを追い求め日本各地を行脚してきた私は、その様な不確実性に対面することが幾度となく存在していた。その度にどことなく湧き上がる情熱が私を支配し、この「道」を走り抜けて行く先に何があるかを確かめなければならないといった使命を感じては黙々とその「道」を歩いて行くことがほとんどであった。だが今私が歩いている「道」に対しては、そう言った興奮などが湧き上がることはない。どうしてであろうか。私は今、人生でこれ以上ないほどまでの疑心暗鬼に陥った。私がこれまで生きてきた中で、「道」に対する情熱を失ったことなど一度もなかった。道というのは一つ一つが異なる様子で、異なる長さで、異なる場所へと繋がっていたからだ。きっと、この道も私を未踏の地へと導いてくれる筈だろう。ところが、この道を目の前にした時の私の心の中に浮かぶものは、空虚な諦観の感情のみであった。
とぼとぼ歩きながら理由を知ろうと頭蓋の中で思考を巡らすのみであった私の目に吸い込まれるように留まったのは、先ほど疎ましく感じた桜の樹々であった。足を止めた私は確信した。全てはこれら桜の樹々の所為なのだと、この桜の樹々がこの道を俗らしく飾り立ててしまったがために、これまで不変であった私の「道」への渇望を奪い去ってしまったのだと。そう思い込んでいると、それまでがらんどうであった私の心に憎しみの炎が、静かであれど着実に増大してゆくのを感じた。そうした憎しみの炎はやがて私の体全体を包み込んでしまうまでの膨大なものとなり、こうして桜の樹を目の前にしてただ佇んでいるだけでも、この樹々がまるで親の仇であるような気さえしてきて、辛抱たまらなくなる。こうして今にも溢れ出さんとする憎しみの情を必死に留めようと掌を握り潰し、耐えていると、私の手の中に切れ味の鋭いチェインソウが握られているように感じる。だがもはやそれが幻想のものであると悟る余地すら存在しなかった私は、腕の半ばあたりに過剰とも言えるような力を込め、ただただ力任せに一本の桜の樹へとその幻想を振りかざした。
当然のことながら何を切断することもなく私の膝下へと落ち着いた幻想は、ほろほろと形を崩しながら霧散した。そうなると共に今まで感じていた桜の木に対する過剰なまでの憎悪が嘘のように消えて無くなり、今一度あの「道」に対する過度な情熱が、私の心に舞い戻ってきたような気がした。これは喜ばしいことであることのように感じられた私は、「道」に対する情熱が本物であることを証明するかのように両側に桜の生える道の方を振り返る。するとどうだろう、その「道」は私がこれまでに辿ってきたいかなる「道」よりも、より一層、「道」としての魅力が増して存在しているように見えた。そうか、桜のような植物と共存しているのもまた「道」としてのあり方の一つなのであり、それを構成する部品に無価値なものなど存在し得ないということを私は理解した。
これは驚くべき発見であると考えた私は、これを早く何者かに伝えねばという使命感に包まれる。この素晴らしき桜並木の道を辿っていこう。そして辿るうちに誰か人に出会うようなことがあれば、この驚くべき発見を伝えよう。ましてやこの発見をもとにして小説を書いてみるのも良いかもしれない。この道の先には何があるのか私は知る由を持たないが、ここまで風光明媚に至るものがそこまでの道筋として現れているのだから、それはそれは筆舌し難いほど素晴らしい景色が広がっているに違いない。そう思うと、どうして心踊らずにいられようか。
男はぶつぶつと独り言を呟くと、軽やかな足取りで両側に桜の樹の生える道を駆け出していった。
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