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お盆休みに田舎の祖父の家に行ったら幼馴染が病気になっていた話

 一本道のアスファルトの奥に砂浜が見えた。爺ちゃんの家から数キロほど歩いたので、晴れ渡った空のように清々しい気分になる。

 とはいえ、汗が体中に纏わりつき不快だった。俺は近くに自販機がないか見渡すと、


「見えてきたね」


 浜風で前髪を抑えた工藤明日香は、気だるいはずなのに、嬉々とした表情を見せた。


「そんなに海が見たかったのか?」

「君とね」

「なんでだよ」


 自販機が無かったので、俺は低くて意味もない堤防の上に座る。

 照りつける太陽に燃やされそうだった。


 明日香は、隣にチョコンと座る。


「なんでだと思う?」

「さぁ……俺のことが好きとか」

「好きだったと言うのなら合ってるかも」


 ジョークだったつもりだが、意外な結末を見せた。

 明日香は唇をゆっくりと上に持ち上げると、背伸びをしてから横になる。


「んっ~」


 俺をこんなところまで連れてきたというのに、自由な女だ。


「ショートパンツに短いTシャツ。そんな恰好してたら焼けるぞ」


 無防備にへそまで出しやがる。何のつもりだ。こんなに開放的だったか。


「いいんだよ」

「なんで? 彼氏作るんじゃなかったのかよ」

「だって私、君が帰ってから死ぬんだもん」

「は? 何の冗談だよ」

「冗談なんかじゃない。病気なの」

「笑顔で言われてもな」


 上半身を起こした春香は、爽やかに微笑んだ。

 あまりにも爽やかだったので、何かのドッキリじゃないかと周囲を見渡したほどだ。


 宙に舞うカモメと燦燦と輝く太陽しか見えなかったけれども。


「昔さ」


 いつの間にか砂浜にいた春香は、波にかき消されないような大きな声を出していた。

 結局、いつものように冗談だったらしい。


「この砂浜に家族と一緒に来たよね」

「あ~そんなこともあったか」


 懐かしい。小学生の頃はよくここに訪れていた。


「横の洞窟によく入ったっけ」

「うん。今ではもうやらなくなったね。時が経つのは早いな」


 今日は、随分と感傷的なことを言うな。


「他にも色々なことがあったな。バーベキューしたり花火をしたり」

「そう。あの頃は1日が長かったけれど、今思えば一瞬だったね」


 明日香は、振り返り矢継ぎ早に話した。


「あのさ。もう一度だけあの洞窟に入ってみない?」

「嫌だよ。面倒くさい」

「いいからちょっとだけ! ね」


 明日香は、俺の肩を掴むと強引に押してくる。


「相変わらず強引だなぁ」

「それが強みですから」

「なんのだよ」

「男を落す」

「はぁ……」


 彼氏を作ったこともないのによく言う。LINEでいつも男の話をするが、絶対に告白はしないのだ。

 ○○が告白してきた。○○に触れただけで勘違いしてきた。


 いつもモテる話ばかりする。その意図が俺には分からない。


 言っておくが俺は鈍感ではない。なので中学生のときに、ひょっとして俺のことを好きなのかもと思ったこともある。

 まぁ結論から言えば妄想だったわけだが。


「なんだよぉー」

「恋愛の話をするけど、いつも彼氏は作らないよなーと。ちょ急に止まるな」


 俺は、砂浜に右膝をつく。


「聞いてんのか?」


 明日香は、泣いていた。瞳から流れた涙が頬をつたい砂浜にポタポタと落ちている。


「目に砂が入った!」


 バレバレな嘘だった。嫌な予感がして胸が締め付けられる。


「お前。さっきの話……」

「だから言ったじゃん。私は病気なの」


 彼氏を作らない理由を初めて知った。


「でもお前、昔はあんなに元気だったろ」

「つい最近だもん。なったの」

「え?」


 俺はどんな顔をしていたのだろうか。瞬間に、明日香は俺の右手に触れてきた。

 有無を言わさず、俺を引っ張っていく。


 ザクザクザクとテンポよく砂浜を歩く明日香。

 ギュッと右手を掴む力。ここでその話をするなと言っているようで、俺はただ無言でついていく。


 明日香は、病気だから彼氏を作らないと言っていた。

 なんでそんな嘘をついたんだろうか。


 病気って嘘だよな。そう言いたかった。


 だけれど、握る力がそれは違うよと言っているようで、悲しくなる。


 ただ無で歩いた。


「ついたよ」


 その声で俺はようやく辺りを見渡す決心がついた。


 太陽の光が易々と入ってくる狭い洞窟。中央に立っている明日香は、満面の笑みで俺を見つめていた。


「明日香……」

「そんな悲しい顔しないで。人はいつか死ぬ。早いか遅いかそれだけじゃん?」


 そんなわけがない。俺は明日香が……俺はその言葉を喉の奥に引っ込めた。


「俺は明日香が大事なんだ。友達で幼馴染で、理解者で、それから――」

「分かった分かったって。ありがとうー。それよりいいからこれ見てよ」


 明日香は、地面にある箱を指差した。


「そんなことどうでもいいだろ!」

「いいから」


 無理やり箱を手渡される。

 こんな大事な話をしているときに何を考えているのかと、薄情にも怒りが湧いてきた。


「はやく!!」

「おまえなぁ……」

「怒ってる! 嬉しいなぁー」


 何がだよ。俺はそんなことを思いつつ、箱を開ける。


 中に入っていたのは、4万円くらいするペンタブだった。


「お前これ……」

「前から欲しいって言ってたじゃん?」

「でもなんで……」

「だって、私にはもうお金なんて必要ないから!」


 ニコッと笑って、明日香は箱を差し出してくる。俺は手にする事が出来なかった。


「俺なんかのために使うべきじゃないよ」

「またそういうこと言う? 私は君にあげたかったんだよ」


 明日香はそう言うと、背を向けた。


「このペンタブで絵を描いて頑張ってほしいなって。できればだけど、その度に思い出してほしい。なんてね」


 忘れられるはずなんてない。だって俺は……明日香が好きなのだから。


 そう思った瞬間に、瞳から涙が溢れてくる。


 もっと早くに告白していれば、明日香と沢山の時間を過ごせた。

 もっと早くに告白しれいれば、明日香を喜ばせることができた。


 なのに、自分が傷つくのが嫌で告白できなかった。


「泣くなよぉー……私まで、悲しくなって、くるじゃん」


 すすり泣く声が聞こえてくる。僕は自分の情けなさに再度苛立った。


 声が大きくなるほどに、どうしようもないほど罪悪感が大きくなる。


 泣きたいのは明日香のほうなのに……

 悲しい気持ちを心の奥底に抑えて笑顔を作っていた明日香を泣かせてしまった。


 体を丸めるように泣いている明日香の後姿。

 今までの気持ちが溢れかえったかのように、ヒクヒクと声が聞こえてくる。


 ああ、本当に明日香は病気なんだと思った。


 波が洞窟に何度も押し寄せる。さっきまでの清々しい波の音には聞えなかった。

 藻掻くような、抗えないような、残酷な現実を知らしめるその音。


 途端に体から血の気が引いていく。


 ここで選択を誤れば一生後悔する。そんな気がした。


 俺は明日香に好きだと伝えたかった。少しでもいいから恋人になりたかった。


「俺は明日香が好きだったんだ」


 ボソリとそう呟く。


「ずっと昔から。ごめん。今まで伝えられなくて」

「知ってた」


 涙声。明日香は、振り向いた。

 充血した目元を見て、俺は唇を思わず噛みしめた。


「ずっと待ってたんだから」

「ごめん。自分勝手なのは分かってる。いまさら言うなって」

「うん……」


 否定された。それでも、俺は最後の瞬間まで明日香といたかった。

 たとえ振られたとしても、暫くここに残る覚悟だ。


 充血した明日香の瞳を見ると、目を逸らされる。


「きゅ、急になに……?」

「俺は明日香が好きなんだ。だから付き合ってください」

「ごめん。それはできないよ」

「理由を聞かせてくれるか?」

「私は迷惑をかけたくない。初めての彼女が死んだなんて嫌でしょ」

「そんなことない!」


 つい大声を出してしまった。俺は「ごめん」と再び謝る。


 明日香は、そんな俺を見て口角を上げた。


「なんだよもう。そんなに好きなら早くに告白してくれればいいのに」

「それは……」

「ううん。私も悪かったから謝らないで。彼氏作るフリしてた。そうしたら君がヤキモチ焼いてくれるかなって。馬鹿だよね」

「……俺もだよ。この街に戻るたびに告白しようと思っていた」

「そ、そうなんだ」


 明日香は瞳に残った涙を拭うと、恥ずかしそうに顔を逸らした。

 自分が言われると照れるタイプなのは相変わらずだなと微笑ましい気持ちになる。


「嘘を言う必要ないだろ」


 明日香はクスクスと笑い出した。


「最後に分かりあえて良かった。ああ、別に悲しい気分にさせようって意味じゃないからね」

「分かってるよ」

「でも、これだけは受け取って。彼女からのプレゼント」


 黒い箱に入ったペンタブ。明日香の白い腕と、曇りのない笑顔。


 俺は嗚咽が込み上げてくるのを抑えて、微笑んだ。


「ありがとな」

「どういたしまして!」


 俺たちはなんだか照れ臭くなって、お互いに笑った。


 幼馴染から恋人の距離感を確かめるように。


「なんかムズムズする!」

「言葉に出すなよ。風情がないだろ」

「えー。なに風情って」


 再びクスリと笑った明日香は、右手で唇を指差した。

 その意味を咄嗟に理解した俺は、自らの恥ずかしがり屋の性格を捨てて、唇を重ねた。



 ☆


「君といれて良かった」


 10年前、明日香が最後にこの場所で呟いた言葉だった。


 昔と変わらない洞窟。中央には古びた箱が置いてあった。風化したのか少し湿っぽいそれを、俺は持ち上げる。


 途端に、あの日の夏の思い出が走馬灯のように蘇ってきた。

 短いけれど今までで一番楽しかった夏。俺は一生涯忘れない。


 あの時、明日香がいなければ俺は今でもダメな大人だっただろう。


「そうだろう」


 俺は箱をゆっくりと地面に置くと、こちらに駆けてくる音が聞こえてくる。


 ザクザクとテンポよく。


「君! こんなところにいて! 線香つけに行くって言ったじゃん!」

「ちょっとばかり思い出に浸りにな」

「んん?」

「君といれて良かったってことだよ」


 俺がそう言うと、彼女はハッとした表情した後、優しく微笑んだ。


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