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五 すぐ隣にある世界

 忌むべき棒あらため覚醒の杖を握らされた。右手首が痛い。静脈から血が滴り落ちる。


「ニョロ子ありがとう」


 俺は傷口へと杖を当てる。夏奈が握り横根が握った棒。忌むべき世界と関わってしまう10センチほどのスティック。俺の血で染まった覚醒の杖を右手で握りなおす。


「ロホ。そいつ何かやっているぜ」


 まず声が聞こえた。日本語の忌むべき野太い声。

 ついで触感を覚えた。岩のように固い毛むくじゃら……。


「げほげほっ」

 どぎつい体臭にむせてしまう。目にしみるほどで涙がでてしまう。


「……アスル。抱えているから分かる。こいつはこっちへ来た」


 すぐ隣に二本のツノが見えた。3メートル近い体躯。青色腰巻だけの半裸。

 懐かしき鬼。そいつに俺は抱えられていた。

 百戦錬磨の俺は冷静。口調で分かる。こいつらは大学構内で戦った鬼より賢い。ならば生き延びることだけ考えろ。


「龍を倒した魔女を知っているよな」

 慣れたものだ。忌むべき声を飛ばす。


「ひいっ」鬼はいきなり心への声に怯えやがる。


 もっと震えさせろ。


「俺を傷つけるだけで彼女の抹殺対象だ。投げ捨てて逃げろ」


「エ、エイジ様」

 前方を駆ける鬼が叫ぶ。赤色腰巻。

「お、俺は我らが主を呼んでくる。逃がすなよ」


 ロホと呼ばれた鬼が、回転灯が灯ったままの救急車を飛び越え去っていく。

 人はいない。気配もない。こっちに来たから分かる。


「ロホ、逃げるな……」

 俺を肩に抱くアスルと呼ばれた鬼が住宅街の小道で立ち止まる。

「くそ、俺がこいつを終わらせる」


 逃げないのかよ。俺は地面に叩き落とされる。

 だけど痛くない。


「私の加護を受けた対象をですか」

 背後から若い女性の声が聞こえた。ネイティブぽい英語。だけど忌むべき声。

「鬼が島の残党のあなたは、大魔女様の格付けだと星が四つでしたっけ。貴様一人なら私でも倒せます」


「ルビー……。やっぱりお前か」

 アスルが道の向こうを見る。


「ええ。私もあなた達と同じで生き残り。仲間のかたきのため、海を渡ってきました。……消え去れ」


 俺のまえに立つ塔のような鬼へと紫色の光が飛ぶ。避けられぬスピード。毛むくじゃらの胸へ直撃する。


「ぐはっ」鬼が胸を押さえてうずくまる。「……あれ? へへ」


 よろめくだけで倒れもしないではないか。


「……やっぱり私では無理ですか。ならば撤退しましょう」

 声がすぐ横で聞こえた。

「松本さんを生かしておけば大魔女様へのお目通しが叶う。……そんな打算はしません」


 ラフな英語なのに心には丁寧語で伝わるのは何故だろう。などと思った瞬間、俺は淡いラベンダーカラーに包まれる。


「……結界だ」

 懐かしい。しかも清廉。やさしい光に向かいあう人も照らされている。


「私はRuby(ルビー)夏潤ハユンCooper(クーパー)。韓国系ハーフの十七歳です。ルビーと呼んでください」

 黒髪のオリエンタルな人が間近で俺へと微笑む。

「ディフェンスに関しては合衆国ナンバーワンです。あなたがこっちに来られたなら、ご安心ください」


どくんどくん


 鼓動が二度も上滑りしてしまった。

 桜井夏奈、横根瑞希、王思玲、大蔵司京、忍、峻計……。美形に見慣れた俺だけど、それでもトータルでドロシーが頭ひとつ抜けていた。それどころか奇跡的バランスで大人びてきて独走態勢に入ろうとしていた。

 なのにルビーは、背はドロシーよりちょっとあって、胸は明らかにでかくて、髪は伸ばしはじめたドロシーより長くて、口と鼻はドロシーぐらい上品なつくりで、服装は魔道士のくせに肩をだしたアイボリーなワンピースを着ていて、スカート丈は短めで、ポーチを脇に抱えていて、靴はラフなサンダルで、すらりとしたスタイル。

 その人は俺の隣に腰をおろす。……くっきりした二重まぶたで黒目がちな大きな瞳。すこし日焼けした白い肌。紅潮した頬。荒い呼吸。汗まみれ……。


どくん


 またも鼓動が高まる。ドロシーに匹敵する美女が存在するとは、さすがUSAアンド大韓民国……。


「見つめないでください。まるで私はドイメでないですか」

 ルビーはなおも微笑んでいる。


「……それって誰?」

「よかった。まだ接触してないですね。――淫魔のハーフです。あれが怖いのは控えめなこと。おのれを過小評価だから一生懸命。女である私でも応援したくなるほど。狙われた男は間違いなく堕とされます」

「くそう、どこへ行った? アンヘラ様が戻ってくるからな!」


 鬼の声がごく近くで聞こえた。


「……私の結界はどちらの世界にも触れられません。エイジやヒューゴにも見つけられず、秀でた飛び蛇であるサンドでも発見は至難なのに」

 ルビーが髪から額に垂れた汗をぬぐう。

「なぜかアンヘラだけは見つけるので、迅速に避難すべきです。松本さんはこの結界を持ちあげられますか」


 まとう結界か。……ルビーは疲労している。結界を張るだけでも体力を消耗する。


「触れたら弾かれたりしないよね」

 念のため確認しておく。


「あなたこそ弾くかも」

 ルビーが俺の頬をさする。ぞくりとした。

「ほら。……この結界は姿隠しだけです。重くはありません」


 ならば俺は立ちあがる。守られていると感じる。歩きだそうとして、見えない壁にぶつかる。

 隣で立ちあがったルビーが落胆を顔に浮かべた。


「心強くても忌むべき世界に触れるだけ……困りましたね。私はずっとあなたに加護を飛ばしていたので、正直へばっています」

「加護?」

「弱い跳ね返しの結界を対象にまとわせます。誰にでもな訳でないですが、松本さんと相性があっていました」


 俺が奇跡的に相性がいいのはドロシー。それと……忘れていた。


「飛び蛇を見かけなかった? 赤くてキュートな雌蛇」

 ニョロ子はどこへ行った?


「あなたにそのスティックを渡したのがそいつなのですね。以降も見かけません。サンドぐらい有能ですかね」

「サンドも飛び蛇?」

「アンヘラの使い魔です。賢くて危険なガラガラヘビ」


 ルビーが俺に向き合う。ラベンダーの淡い光に包まれたまま。


「こうなったら仕方ない。松本さんに私の処女を捧げます」

「はい?」

「受け取ってくれますか?」


 頬を赤らめながら真顔で見上げてくる。


「ここで?」思わず聞いてしまう。


 ルビーがきょとんとして、ぷっと吹きだした。かわいい。あらためて俺を見あげる。かわいい。


「お互いにシャワーを浴びてからでお願いします。……これは契約です。あなたに力を授けられると思います」

「……力って?」


「松本さんは質問ばかりですね。こんな窮地にすごい冷静。頼れそう」

 ルビーがまた微笑む。「もちろん忌むべき力をです。この結界を運べて、アスルを倒せる《《かも》》」


「つまり俺も魔道士になれるの」

「違います。異形的な力を手にします」


 ここは冷静に考えろよ。肉体関係は置いといて、忌むべき存在になっていいのか。一年前は散々になっていた。


「わかった。お願いする」


 悩んだの一瞬だ。この子と関係を持とうとドロシーにバレなければいいだけ。違う。口約束だけで済ませばいいだけ。俺は二度と浮気しないドロシーオンリー人間だ。梓群を悲しませることは、ましてや怒らせることなど絶対にしない。


「ふふ、仮契約が結ばれました。あなたを大魔女様から奪ってしまいましたが仕方ありません」

 ルビーがまた微笑む。「私は二股許容です」

「はい?」

「二人の関係が露見しなければいいだけです。それでは正式契約を結びましょう」


 彼女が目を閉じる。俺へと顔を寄せてくる。

 やめろ。逃げろ。不吉で済まない予感が漂う。

 なのに顔を背けられない。ルビーの唇を受け入れてしまう。


「これでこちらの世界に胸まで浸かりましたね」

 ルビーが顔を離す。またも真顔。「急いで逃げましょう」


「……ああ」俺は結界へ手を当てる……動かせる。「どこへ逃げる?」


「私のホテルへ」ルビーがさらりと告げる。「部屋ごと結界に包めば邪魔は入りません」


 何に対する邪魔だろう。とりあえず道にでよう。


「でもアンヘラって奴には見つかる」

「ええ。そしてチコを連れてくる」

「そいつは龍だよな。……やっぱりデカい?」

「そうでもないです。まだ坊やなので。ただしやんちゃで食欲旺盛」


 人は誰も歩いていない。車もこの一帯を避けているみたい。


「俺は何も知らない。教えてほしい」

「もちろんです。影添大社の前宮司が、はぐれ魔導師の一団に仕事を依頼しました。ひとつは影添大社への嫌がらせですが、さきほどの戦いぶりを見る限り、こちらは本気でないようですね」


 刀輪田は大蔵司と史乃との闘いを避けた口ぶりだった……。ルビーはずっと見ていたのか。


「ホテルはどこにあるの?」

「立川です。徒歩でも三時間で到着できます」

「……足になる式神はいないの?」

「私の使い魔はハカに殺されました」

「ハカ?」

「ヒューゴの使い魔です。……たしかに知らないことだらけですね。松本さんが知る必要があるのは、アンヘラの一味は前金を受け取り、あなたと夏梓群さんの暗殺を承ったこと」


 刀輪田から聞いてなければ立ち止まっていただろう。……まだ俺だけならば分かる。でもドロシーを倒せるつもりか? ただの人である俺への襲撃に失敗した程度の連中が。


「梓群を守らないとならない」

 それでもそう伝える。


「それなら私の戦いのパートナーにもなってください。守るより攻めるですよ」


 俺のパートナーはただ一人……息が切れてきた。とても三時間も結界をまとって歩けない。


「ふう。警察や消防士が消えた。おかしすぎる」

 町が静かすぎる。不気味すぎる。


「彼らは私が退避させましたが、深夜とはいえ一般車両も通りません。つまり夜の出来事が終わってない」

 ルビーが言う。「それがアンヘラの怖いところです。彼女は死に貴ばれる。忌々しき世界に尊重される。大魔女様でも苦戦するでしょう」


 その言葉に、俺は王思玲を思いだす。ドロシーに勝ることなくても倒せる存在がいるとしたら、彼女かもしれない。いまは力なき少女になって台湾の山中に潜むだけだけど。……魂は削れたままだけど、思春期を迎えるまで猶予があるらしい。

 というか疲れた。まだ最寄駅にさえたどり着けない。……俺は大蔵司や史乃やニョロ子を見捨てかけているではないか。ルビーとホテルに向かうことを、知らぬ間に既定路線にしていた。


「やっぱりここへ残ろう。大蔵司達と合流する」

「先ほどの二人ですか。私達魔導師は陰陽士と関わりません」

「なんで?」

「彼らは異端中の異端なので……。鬼退治だけしておくべきですかね」


 前方から巨大な二人連れがやってきた。もちろんシロクマよりでかい背丈が人であるはずない。ロホとアスルは途方に暮れているように見えた。

 火伏せの護符で鬼を倒した経験はある。でも奴らは星ひとつだった。こいつらは星四つらしい。敵を削るのは賛成だけど。


「俺とルビーで倒せるのか」

「サポートは任せてください」


 つまり俺一人で戦えだと? ただの人間が? 素手で?

 経験しているから言える。二度と異形と戦いたくない。


「無視しよう」

「ただの人に危害が加わる恐れがある以上、私は立ち去れません」

 ルビーが俺を見つめる。魔道士――魔導師の覚悟の眼差し。「それに私には強力な魔道具がある。まだ見せるべきでないけど、いざとなればそれに頼る」


 彼女は一人でも戦うつもりだろう。俺はルビーから(ヴァージンをいただく)契約を授かった。結界さえも(なんとか)引きずった。……素手で堕天使を倒したことがあるだろ。悪魔もだ。あのときも俺は人間だった。


「わかった」ルビーへうなずく。「ここで倒す」


 宣言したあとに思いだす。イクワルやロタマモを倒したのは真昼間だった。いまは真夜中だ。


「さすがは私のカウボーイです」

 ルビーの手にスティックが現れる。「それでは結界を消します」


 ラベンダー色の世界に慣れかけていたのに、それは突然消える。


「アスルめ! ロホめ!」

 ルビーが叫ぶ。「大魔女でなく私を選んだ松本哲人が相手する」


 アスルと呼ばれた青色腰巻の鬼が振りかえる。その手に剣が現れる。

 ロホと呼ばれた赤色腰巻が素早く俺達の背後にまわる。

 なるほど、これが四つ星か。なんて感心するよりなにより。


「俺のパートナーはドロシーのままだ」


 姑息な俺はそんな言葉を吐かない。代わりにルビーの前へ立つ。

 ありふれた街角。だけど違う世界。一年振りの死闘が始まる。





次回「鬼退治」 お盆休み明け再開予定

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