Ocho 朱い翼
「マドレ……、エイジ様が鬼をだしちゃった。でも上にいるお姉さんのがずっと怖い。ずっと強い」
エイジを決断させたのはやはり魔女か。……忌々しい紅色は近い闇を照らしてない。ならば巫女か。それとも魄か。
解き放つと宣言していたのだからエイジを非難できない。それでも早すぎだろ。だが、おかげでしばらくは朱色の星の相手に専念できる。
「チコ聞け。主とともにいる使い魔の戦いは足し算で決まる。私とチコを足した力が強ければ、私らの勝ちだ」
「なんとなくわかった」
「そして私とチコは掛け算になる。勝てるものはいない」
「マドレ難しくてわからない」
朱色の星はとどまっている。キーウィはほぼ無傷のまま海中で様子見。逃げた蜘蛛も復活すると覚悟しておこう。
「こちらから仕掛けるぞ」
「でもエイジ様とヒューゴ様がいない。結界がないとマドレは凍って息もできない」
「それでも向かえ!」
高度一万メートルぐらい耐えてみせる。
「わかった」
チコが垂直に近い角度で上昇する。風が刺さる。呼吸がつらい。耐えてみせる。
甲高い鳴き声が上空から聞こえた。これは……衝撃波。
「オラッ」
私は黒く化した大翼の剣を振るう。かき消せ。さもないと、よくて鼓膜が裂ける。悪ければ脳が破裂する。
剣の穢れは消した。徹底的に穢すことで消した。今後この剣は呪われた魔道具と呼ばれるだろう。
「マドレ耳が聞こえない! 鼻と目から血が出た!」
「うろたえるな」
「翼が破けた! 落ちる、落ちちゃうよ!」
「ちっ」
私は黒い南十字星を握る。私の坊やへ更なる加護を。
また鳴き声……。上空で牽制する異形は鳥系か。そいつらは強者になびいて配下にしやすく、それ相応に賢いので使いやすい。が、群れたがる。いい加減な奴が多い。もしくは徹底した個人主義。伝令や偵察に使うなら、私は大燕より飛び蛇派だ。
それでもサンドはブラジル姉妹に腑抜けにされる。助平ジジイ蛇はお気に入りの二人を覗きまくるだけで暗殺しない。正しく言えば、陽のオーラに陰気ジジイは近寄れないらしい。
だが糸で操られた今なら、新月の力の必要もなく、私の使い魔であることを証するため、二人に毒牙を食いこませるだろう。
くく、あの二人を凌ぐセクシーボムがいて、鼻血とともに傀儡が解けぬ限り。正しく言えば、二人以上の陽がいなければ。つまり虐殺した幼少期をもつ陰惨な魔女と正反対の……。
人になったドイメに過去を忘れさせて育てるなんて、私には無理だろうな。
それに、あの娘だって操られているかもしれない。何かをスイッチにマリオネットは発動するのか?
キューン、キューン
「くっ」
「痛い!」
アウトレンジだろうと集中しろ。
鳥の異形の鳴き声が刃物になった。私はひたすら黒い十字架を握る。腕どころか、体中の肉を削ぎ落されていく。髪の毛もだ。鳴き声が頭蓋骨へ鉈のように食い込む。
接近戦前なのに、この朱い鳥は化け物の中でも化け物だ。
「マ、マドレ逃げよう」
チコがあちこちの傷口から黒い血を垂れ流す。
ああ、そうだな
口にするな。代わりに掲げろ。我が黒い翼を。
「オラッ」
邪悪な闇よシールドと化せ。頼む。……化してくれた。
新月よりダークが私とチコを包む。寒さからは守ってくれない。だが波動を弱めてくれた。また生き延びれた。
「チコ、おそらく朱い鳥に乗っているのは魔女だ」
安堵を見せずに告げる。夏梓群ならば従えるのも容易かも……。龍を狩るものの威圧する紅色はしない。朱色だけ。
「マドレ。あの怖い人間はいないよ」
やはりチコが答える。「人はいないかも……やっぱり人が乗っている」
つまり人でなき人が主人? だとしても方針を替えるな。
「チコは鳥とすれ違え。私は飛び降りる」
「マドレはそればかり」
それはだな。私は陰湿な魔女が作った銃を持っているから。人ならば魔女さえも倒せる。
「チコがおばさん鳥を怖がるから仕方ない」
「お姉さんだよ。たぶんすごくきれい。声でわかる」
「ふん」
黒い南十字星の守りを削るこの声がか? 寒い。息苦しい。敵はまだ朱い星のまま。
「チコ、研ぎ澄ましたブレスを吐け」
「避けられるよ」
「防戦だけよりましだ」
「わかった」
チコが息を吸う。そして吐く。金色が一直線に朱い星へ向かう。星は右にちょっと移動して避ける。……ふざけた異形だ。乗る主にしてもそうだが、待ち構えている。よほど余裕らしい。
「チコ引き返すぞ」
「わかった」
逃げるのには素直に従うチコ。……尾を向けたらどんなアクションを起こす?
私は振り返る。
「ちっ」朱い星がみるみる巨大化していく。「チコ振り向け! そして虐殺のブレスだ!」
すでにその姿も視認できる距離。巨大な朱色の鳥……伝説のフェニックス? おそらく違う。こいつは攻撃的だ。猛禽だ。
「は、はやい」振り向いたチコがまたブレスを吐く。
拡散された枯葉色を、鳥は易々と突き抜ける。
キュン、キュン、キュン
その鳴き声が黒い守りを削る。削られたそばから再生していく。
たしかに美しい巨大な異形。だがその瞳は奔放――従ってはいない。
「チコ、上だぞ」
「わかってる」
私の坊やが上昇する。
「尻尾を垂らせ」
「わかった」
チコが鳥と交差する。鳥はチコの尾を爪で裂く。
「いたーい!」
「耐えろ。とお!」
私は飛び降りる。敵は強力な結界に守られている。
輝け、黒き大翼 の剣 !
「え?」
結界を突き破れば、間の抜けた声が聞こえた。
「オラッ」
「くっ」
そいつは私の蹴りを転がり避ける。私は朱色の草原みたいな羽毛のなかに着地――銃の存在をすぐに忘れてしまう。撃てばこいつは終わり。
「へえ……、アンヘラすごすぎるわ」
東洋の女魔道士は立ちあがっていた。私を見おろし笑う。眼鏡はいいがスーツ姿だと? その手に扇が現れる。
こいつはこの距離なら銃弾を避けるな。確認はしてある。弾は残り三発。
「トリッキーを狙ってるの? 否定しない。卑劣は美学」
女がまた笑う――。
我が嗅覚。おなじ匂いを感じた。
「くっ」
「あっ」
私も女も転がる。巨大な鳥が錐揉みに回転しだした。戦闘どころでない。羽根にしがみつく。
「私に乗るな。焼くぞ」
その体が熱せられていく。
「オラッ」大翼の剣で鳥の背を突く。
「痛いわね」鳥が言う。「魏。こいつは難敵だ」
「轟炸は怒らなくていい。龍の躾けだけお願い」
魏と呼ばれた女は結界内に浮かんでいた。
「私がアンヘラを躾ける」
「こいつも私や魏ぐらい再生する。とっとと両腕をひきちぎるか、首を落としな」
轟炸と呼ばれた鳥はともかく、魏も傷を治せるのか。それぐらいでなければこの朱い鳥を宥められるはずないだろうが。
「それ以上秘密を明かさないでね。アドヴァンテージを失う」
魏が扇で自分を仰ぐ。「はやく発熱をとめて。それとも溶けたら邪悪な十字架でも再生できないかしら」
胸もとでサザンクロスが喜びだした。……何気に呪いをかけているな。だがそれは黒い十字架の大好物だ。
「魏、チコが教えてくれたぞ。お前は人でない人らしいな」
ク、ク
轟炸が笑い声を漏らす。チコはどこにいる? くすんだ金色はどこにも見えない。結果外への視覚を奪われている?
怯える必要はある。紅い魔女の登場にも気を張らねばならない。だが魔女の敵は私だけでない。
「私は異形ではないわ。もちろん恥ずべき魔人でもない」
魏が扇を私に向ける。「秘密にしてるわけではないから教えてあげるけど、常人には理解困難かな。馬鹿でもわかるよう簡単に、生きた魔道具と自己紹介させてもらうわ」
私は気づく。魏が手にしているのはただの扇だ。
「たしかに間抜けだから意味が分からぬ」
私は魏へ剣を向ける。「だがお前から私らと同じ匂いを感じる。私を倒し金塊を手にしたら、中国へ帰るつもりないだろ」
「馬鹿じゃない? 不夜会のお尋ね者になるぐらいなら、アンヘラと龍を倒した報酬で充分」
そうだろな。こいつは金に興味ない。それくらいは分かる。しかし……。
「うちの頭領は、龍使いのアンヘラに朱雀を従え方を聞くべきかもね。轟炸は乗り物になってくれるだけ。私の四つの駒がエルケ・フィナル・ヴェラノに壊滅されるのを見届けるだけだった」
訥々と喋られようと距離は変わらない。弾は避けられる。
「魏。ちょっと違う」
朱色の巨鳥がくちばしを開く。「あの坊やがあんなに強いと思わなかった。いまも私にいやらしい目を向ける助平な子」
「マドレ、僕はお姉さんをそんな目で見てない! でもこの人と戦いたくないよ」
なんと。チコがおませになってしまった。たしかに美しい羽毛。だが下手に抱きつくとこいつは燃えるぞ。
私は鉄板の上にいる。サザンクロスのおかげで火傷が治るだけだ。何度も何度も。
「ふふ、龍の初恋相手かしら」
浮かぶ魏は私の状況を気にとめない。それどころか腕を組み笑う。それでも弾は避けられるだろう。
ならば別の弾を試してみるか。
「この子はまだ坊やだ。……魏、どうして攻撃してこない? 待とうが私は焦げない」
「みたいね。でも、あなたが切り札を隠しているから持久戦」
「はは、大正解だ。それならば休戦するか?」
「馬鹿すぎ」
魏がまた笑う。「それなら手を組むほうがまし」
……まさかそちらから弾を撃ち込んでくるとはな。
「魏。何を言ってる?」
「轟炸、冗談よ。惑わしですらない」
「そう聞こえない」
朱雀が正解だ。こいつには……望みがある。くすんだ野心がある。
「東洋のジョークは含みが多くて苦手だ。ずばり言ってくれ」
「そうねえ……。私には頭領になれる自負があった。だけど選ばれなかった。あの程度の男の下にいたくない」
プライドこそ大事。私は今だって持ち続けている。
「私と組んでもボスにはなれないぞ。対等だ」
「轟炸が聞いているわよ。オーブンの熱をあげられるかも」
「腐った人間どもめ、好きにしろ。だが私は従わない。どこかで眠るから二度と起こすな」
朱い鳥がまた羽を揺らす。「私から降りろ。そして皆が怯えるあの紅に狩られろ。……私はあの子を一度見ている。別格が悲しみに押し込まれていた」
「ふふ、轟炸はドロシーを慰めたあと一緒に狩りをするつもり?」
浮かぶ魏が羽毛にしがみつく私へ目配せした。
「あの子はちっとも怖くない。過去をたっぷり知っているから」
確定した。肌色は違おうが、こいつとは女同士パートナーになれる。
私と魏は見つめあう。互いに歪んだ笑みへ変える。
「魏よ聞け。あの子の悲しみに手をだすな」
朱雀が言う。
「魏よ。この鳥は賢いが、まったく主に従ってないな」
私は笑う。
「ええアンヘラ。ミャンマーのときより厳しい躾けが必要」
浮かぶ魏が扇を轟炸の頭へ向ける。「私達二人と龍ならば、この好き勝手な鳥も服従できるかしら」
魏がただの扇を広げる。サーチライトのように光が放たれる。ディープパープル。やはりハードロックなハートだった。
「オラッ」私はまた剣で轟炸を刺す。
「くっ」
轟炸が悲鳴をこらえ、また回転しだす。浮かぶ魏は平気。私は羽根がむしれるほどにしがみつく……。攻撃は効いた。魏とも掛け算になれる。
「魏。結界を消せ」
唐突に現れたパートナーに命じ、もっと頼るべきパートナーにも命じる。
「チコは襲え! 食い殺したいのだろ?」
化け物にとっては性欲も食欲も似たようなものだろ。
結界が消え、凍える風が届く。くすんだ金色の若い龍が見えた。
「マドレ、お姉さんは怖いけどやさしい」
「なおさら食え」冒してみせろ。「今夜雄になれ」
灼熱に何度も焼けながら命ずる。
「わかった。轟炸お姉さんを殺す」
強い子だ。朱雀という化け物を屈服させる可能性が増えた。チコが食い殺す可能性も。
「雕と旋もおいで。方針が変わった」
魏が式神の残存を呼ぶ。そいつらは主に従い続ける。ならばサザンクロスの護りをかけてやろう。
真忌までやってきた。乗るのはエイジ。それと白い頭巾をかぶった……雌鬼。私へ会釈しやがった。
エイジめ。睦にチコを捧げる契約をしたな。そっちは第2ラウンドだ。
「教えておく。今後はエイジをないがしろにするな。金塊は日本の鬼が隠している。念だけでうろつく俺が気に入らないみたいだ」
デモニオがささやく。
「影添の巫女は冥界へ逃げた。そこでハカは巫女から逃げた。……松本にもまた逃げられた。ああ、魄の仕業だ!」
怒鳴り声に変わる。
「俺は俺様のはずなのに何かがおかしい。俺はこの争いから降りたいのに降りられない。なので人質を使うぜ。そして明日の朝、必ず俺様を復活させろ」
匂いがした。デモニオは今夜終わるな。
しかし嗅覚のある連中だらけ。これだけ集えばあとは、朱雀に死を選ばせず完全に屈服させるだけ。龍を懐かせる者ならばできる。
なのに狩る者の匂いがした。
「殺しちゃダメだよ。噠!」
忌々しい掛け声とともに世界が紅に染まる。
次章「1.2ーtune」
次回「くれない」
夏の絶頂に再開予定です