Siete ジパングにて
新月を迎えるとチコの金色は薄くなる。海上に浮かんだ黄金の棺よりも。
「マドレ。それを開けないで」
チコが怯えるってことは、龍が主食の鬼は誇張でないかもな。
「天文学の金額になるだろ。ここで中身をだす必要ない」
私は隣で固唾をのむエイジへ声かける。
「ああ。ロシアに頼る必要もない。アフリカで町ひとつ買い取り要塞にしたうえで賄賂を八方へ届けたら、あとはのんびり過ごせる」
エイジの手に鯨骸扇が現れる。
「俺らを囲む連中から逃げきれたらの話だ。やはり睦に頼るしかない」
「そいつと契約するのか? だったら俺と結べ」
デモニオが耳もとでまた騒ぐ。……戻ってきてくれたサンドからの報告だと、私らを遠巻きにする異形は、硬そうなキーウイと首がふたつある蛇。全身に無数の目を持つ鬼。それと女の顔をした蜘蛛。こいつは真忌ぐらいおぞましい視覚だった。
いずれもでかくて空に浮かぶ。当然式神だろうが、東洋の魔道士の姿は見当たらないそうだ。
「アンヘラ決断してやれ。駒は多いに越したことなく、デモニオ・アドラドも睦も魔女がいる限り、俺らを裏切らないだろう」
エイジの目には金塊しか映ってない。たしかに私らより悪しき魔物が何をしようが――夏梓群に成敗されようが知ったことではない。
「そうだがな……」
ヒューゴだった猫は、戻ってきた役立たずの配下とともに魔女の足止めをしている。白猫の感と新月のハカならば持ちこたえられる。ドイメだった娘に魔道具を持たせたら反撃も可能かしれない。……魔女のターゲットであるルビーは私達と共闘するだろうか。どこにいる? すでに魔女に捕らえられたか?
手加減しながら私達を手玉にとった夏梓群が来る前に。
エイジと新月の真忌が蜘蛛と戦い、私とチコが双頭蛇を倒す。……デモニオには百目鬼。睦にはキーウイ。棺を奪われることを考えねば、ぜいたくな陣営だな。
だが敵はまだいる。ルビーの術で人をやめるほど強化された(実際に人をやめたが)影添の巫女がいる。人であった記憶がいずれの者にも残るほどの圧倒的存在……。異形になったこいつが魔女に次ぐ強敵だ。
魔女は越せないだろう。本気になれば龍をも飲み込む螺旋。ハカ達の陽動の甲斐なく現れたら、選択肢は逃げるか死だけ。
ブラジルから例の姉妹もやってきた。邪魔ばかりしやがって。
知恵ある魄こそ厄介。こいつに私らがまとわりつかれる原因は。
「おい。王思玲を解放したのか?」
デモニオへ尋ねる。
「フフフ、するはずない。まさか楊偉天がサンドもドイメも手放すとは思わなかったが、俺達に圧倒的アドバンテージだ。人質の有効活用は任せろ」
こんな奴を箱からだせるものか。
魔女に侍るはペガサスと松本……。なおも敵のが強い。ならば味方が欲しい。黄金に目が眩むエイジより、猫になったヒューゴより頼れる仲間が。
「私は単純明快に進めたい。囲んだ連中を私とチコで順番に始末する。エイジと真忌は棺を守っていればいい」
新月の真忌はかなり使えそうだ――?
「アンヘラよ、やはり来たか。罠に罠を重ねられたのに気づかずな」
私に殺される五分前の司祭長の下種い笑みを、サンドがわざわざ視覚で伝えた。……重ねられた罠? 知ったことか。
「サンドはこの爺さんの行く末を忘れたか? 敵の策など力押しで壊す」
「ですが、我が主はおそらく東洋の陣に囚われています」
宙でとぐろを巻くサンドがしわがれ声をだす。「そして我が主が式神四体の撃破を目論むのを、奴らの主は待っています」
新月のガラガラヘビは声を発せられる。知恵も深まっているとしか思えない。
「四体の主はどこにいる?」
「私でも見つけられません」
「ではどうすればいい」
「真忌に餌となってもらい、月無き夜の異形ではない怪鳥か双頭蛇を襲わせます。さすれば主が姿を現すでしょう。アンヘラ様とエルケ・フィナル・ヴェラノはそいつこそを倒す」
こうも知恵ある飛び蛇を、知恵ある魄が手放すものなのか。
楊偉天はドイメを連れ戻したうえで、サンドと王思玲の交換を望んだ。デモニオは王思玲を掌中にしたまま。それを非難しないが……なにかが匂う。
「蛇の言い分だと、俺一人で黄金の棺を守るのか?」
エイジが笑う。「とても無理だ。だが捨てられるはずない。やはり睦に登場してもらう」
エイジは司命星剣を現さない。輝かせなければ持ち腐れなのに、私に譲ろうとしない。人になったドイメでも扱えられないだろうが……。
白猫ヒューゴの体内にヒューゴお気に入りの杖かあるかもな。癖が強すぎな魔道具だが術の発動は早く鋭い。使い魔だったドイメなら扱えるか……むしろ猫が咥えても。
「金をあきらめればいいだけ」
サンドが感情なき目でエイジを見つめる。
「異形の分際で説教はやめろ」
私だってゴールドが欲しい。「デモニオはエイジに付き合ってやれ。棺を守りきったら、今夜が終われば箱を開けてやる」
「……今夜でなくて? 開けぬまま終わるぞ」
デモニオの念が聞いてくる。
「お前を信じてないからだ」
朝を迎えられようと開放するはずない。お前の仕打ちと同じことをしてやるだけだ。
だが……信じられぬのがもう一匹……。
「信じてほしいなら王思玲を解放しろ」
サンドは楊偉天に操られている。半分だけマリオネット。もしくは中身はすべて楊偉天。その疑いを払拭できない。
「俺を解放するのが先だ」
デモニオも新月だと強気だな。私の立ち位置をはっきりさせてくれた。
「くだらぬ問答はやめだ。好きにしろ」
魄に狙われるのはデモニオだろう。巻き添えはごめんだ。
「では行ってくる」
「どちらへ?」
「サンドの策に乗ってやる。だが餌は私とチコだ。まとめて倒すのも私とチコだ」
つまり当初のシンプルな作戦。
「チコはまだ幼い。果たして勝てるでしょうか」
「問答はやめた。チコ大きくなれ」
「うん。うずうずしてきた」
新月を待ち望んでいたものがもう一体いた。やがて金色の龍は月なき闇を照らし、月満ちた夜を闇にする。
「サンドはソウサ姉妹を暗殺しろ。今夜のお前なら容易だろ」
またサンドが姿を現す。
「連中は魔女と合流しました」
「それでも新月のガラガラヘビならたやすいだろ」
サンドが感情を見せぬまま首肯して消える……。
「アンヘラ」
「わかっている」
エイジめ声にするな。サンドを乗っ取った魄に感づかれるだろ。あの姉妹は新月をかき消し、満月を破茶滅茶にする。それを本物のサンドが知らぬわけない。
「マドレは何がわかったの?」
「チコは知らなくていい。殺戮を始めるぞ」
「手加減しないんだね。エイジ様は棺桶を開けちゃ駄目だよ。そこにいるのはカゲソエのミコより怖い」
なぜ私達は龍を喰らう鬼などを復活させようとした。チコを強くするため? なぜ逃亡を選ばなかった?
デモニオやサンドが言ったように(エイジはムキになって否定したが)、東洋の陣に囚われたのかもしれない。そうだとしても我々の陣営は新月にこそ映える。それでも仲間が欲しい。魔物でなく人であるものが。
「チコは冥界で異形をたっぷり食べたから強い。恐れを見せるな」
「マドレわかった」
私の肩から飛び立ったチコが体を膨らませる。私はその頭へ飛び降りる。
重ねられたトラップへ敢えて飛び込む。意外に敵はびっくりしてくれるかもな。なんであれ、冥界でひと皮剥けた――男の体になり始めた坊やのデビュー戦だ。
いずれ弱い私のチコでなくなる。それが嫌ならば、私が金色の龍より強いことを見せつければいい。
むき出しで向かおうと、敵の陣は狭まらない。
一体一体が龍に倒されぬ自信があるのか。個別に撃破されるのを厭わないのか。ドアを正面からノックされて動揺しているのか。
こいつらのボス(中国らしい)が日本の海に沈んだ金塊を狙いなら、エイジは今夜で終わりだな。東洋の連中は冥界を行き来するクレージーだ。
巨鳥が果物みたいになったぞ。ふざけた姿だが、そこそこ以上に強い――。
「ちっ」
闇の中に冷気が漂ってきた。これは鬼の気配。
まずキーウィフルーツを狙ったが、馬鹿でなければ私達を挟撃する。つまりこいつらは馬鹿ではない。
「チコ、反転しろ。あのフルータは固くて酸っぱそうだ。目が百個あるらしい鬼を倒す」
「食べていいの?」
「そいつを見て食欲が湧くのならな」
狩りの意識を持たせねば勝てまい。ここからは弱肉強食だ。
「もっと強くなるため好き嫌いはしないよ。そうじゃないとマドレを守れない」
チコが加速して風が突き刺さる。それを上回る突風が背後から追ってくる。あのキーウィは速いな。
「うわっ」
チコが光学迷彩をまとったままの怪鳥のタックルを受けてうめく。
「見えぬ敵にも気づけ! オラッ!」
私は剣から斬撃を飛ばす。闇に跳ね返される。キーウィは鋼の硬さでもあるか。厄介だ。
「にひひひ……」
巨大な鬼が姿を現した。たしかに毛むくじゃらの体中に目玉だらけ。すべての目が私達を見ている。新月のハードな呪いをたっぷり飛ばしてくる。
「チコ耐えられるか?」
「ちょっと眠くなった」
「はは、ならばこの鬼には勝てる」
私だって耐えられる。この鬼より邪悪なサザンクロスが呪いを吸収してくれる。そしてより黒くなる。
チコは突進する。鬼の百個の目に慄きが生じた。だが逃げない。身を挺した罠か。チコの力を見定めるための捨て駒を命じられたか。
「おじさんはしつこい!」
「ぐえっ」
チコの尻尾が直撃して、キーウィの化け物が姿をさらし悲鳴とともに海面へ落ちていく。
「マドレ気づけた」
「ああ。だがブレスか牙を使うべきだった」
私は目前の気色悪い鬼を見る。巨大と言ってもチコの半分以下。こいつを倒すのにブレスはいらない。
「食い殺せ」
龍喰鬼が復活しようとそいつを食い殺せるほど強くなるため。
「にひひひ……」
だが鬼が消える。お約束の冥界か。
「チコ追うな」
「うん。代わりにあのおじさんを食べる。おばさんもおいしそう」
二股に顔を分けた大蛇が飛んできた。真忌をアイドルに感じる女郎蜘蛛もやってきた。糸を飛ばしてくる。
はるか下から海原への衝突音も届いた。キーウィは律儀に反撃してくるだろう。鬼も隙をついて出没する。
いずれも強い。こいつらを統率する主はどこにいる?
「たらふく食べられるようにチコは腹をすかせろ」
私はこの夜空で一番でかい怪物へ命じる。
「新月の虐殺のブレスだ」
私を乗せたチコが息をおおきく吸う。そして吐く。
私とチコ以外の世界が枯れ葉色に染まる……。いつの間にか強すぎないか?
八方へ闇雲にブレスを飛ばしたチコが口を閉ざす。
「蛇さんはふたつに裂けて溶けちゃった。鬼さんは逃げたまま。鳥おじさんはほんとに硬い。蜘蛛おばさんは弱ってる。食べごろだ」
チコが私を乗せたまま女郎蜘蛛へと向かう。口を大きくひろげる。透けはじめた蜘蛛を噛み砕くことなく、またブレスを吐く。
龍の感。凝縮された吐息が現れたばかりの百目鬼を貫く。
「逃がすな」
「うん」
チコが薄れる鬼の首を噛む。前脚で抱える。胸を爪で切り裂く。
蜘蛛は巻き添えで消滅したか。鬼の断末魔の叫びとその肝を喰らうチコの咀嚼音だけになる。
「チコをほめてやる。いずれも強敵だったはずだ」
それを瞬時に消し去った。厳しく鍛えた甲斐があった。これならば睦を倒せる。その肝も平らげられる。そして金塊の棺に入って南半球へ帰ろう。ヒューゴやハカが夏梓群をかく乱している間に……。
満月の龍さえも狩った魔女にチコが狙われる前に。
もはやこの子は幼獣ではない。人の世をおびやかす正真正銘のドラゴンだ。龍を狩るものを本気にさせる存在だ。
「マドレ、蜘蛛おばさんには逃げられたよ」
「冥界へか?」
「ううん。小さくなって上に飛んでいった。仲間がいるのかな?」
私は日本の空のはるか上を見る。星がひろがるだけ。
「……マドレ。すごく怒っている」
百目鬼を食い終えたチコも宇宙を見上げる。
「勝てないし逃げられない」
龍がおびえる存在は――。
朱色の星が見えた。落下してくる。
圧倒的な赤か……。
だが私は感じられる。あれは龍を狩るものではない。ならば腰を抜かす必要ない。
「飼い主がペットの仕返しに来ただけだ」
龍をなめてかかった罰だ。まさか瞬時に二体も消されるとは思わなかっただろう。
私はサザンクロスを握り、チコへあらためて加護を授け、もうひとつの手にある剣を天にかざす。
「ここからは私も相手してやる」
「わかった。……僕はマドレのペット?」
「私の自慢の息子だ」
私の坊やを守るためにデーモンとなろう。ずっと避けてきたが仕方ない。そもそもチコだけを穢すわけにはいかない。ともに堕ちよう。
「サザンクロスよ、私にもっと力をくれ」
大翼の剣の穢れを黒い南十字星で祓う。剣が黒く光りだす。
次章「1.1-tune」
次回「魔人サンバ」




