表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/57

三十九 こんとはく

 ふるびた書から文字が消え、また文字が浮かびあがる。



老師だと? すかさず儂に媚びるのか、ひひひ



 クエスチョンマークどころかキショい笑い方まで記されるのか。さすが死者の書。

 ……閉じて南京へ送り返すべきか。水牢に捨てるべきか。


「思玲はどこだ?」これを聞くべきだろ。


「知らぬ」


 死者の書すげえ。「」がついて第三者にも分かりやすくなった。だけど俺しかいない。ドロシーは浴室へ行ってないだろな。


「ほかの死者の言葉を知りたい」

「儂が統べて語っておる。ひひひ」

「思玲の手がかりを教えてくれ」

「ひひひ」


 ……切り口を変えよう。


「あなたがサンドとドイメを捕らえたのだよな」

「儂が? どうかな、ひひひ」

「笑いまでしたためないでくれ」

「それは儂でなく書を咎めろ。ひひひ」


 死者の書が劣化した。こんなのに誰も魅入られそうもない。


「ドロシーとチェンジす」「やめておけ。松本以外は取り込まれるぞ」


 死者の書のくせにとてつもなき速さで即答しやがって……。

 もしかして死者の書は新バージョンになり、言葉巧みに俺を取り込もうとしている? 心臓が動かぬ俺こそ仲間入りがたやすいかも。 


「ちょっと待て」

 俺は戸を開ける。やはりドロシーといるのが安全――って、いないではないか! マジで脇汗を流しにいきやがった。


「ひひひ、松本は儂と話しておるのじゃな」

「きゃああああ」


 背後から声かけられて思いきり悲鳴をあげてしまった。……楊偉天が浮かんでいる。


「時間切れになるぞ」

 楊偉天が霞んでいく。「儂を終わらせろ、ひひひ……」


 影添大社内にも出現できる魄のくせ、死者の書経由でまどろこしく聞けというのかよ。……ハーブが戻ってくるからかも。知恵ある魄も太刀打ちできない護衛ではある。しかも新月……。

 獣人を十人中十人が満月系と答えるように、ペガサスはどう見ても新月系だよな。あの馬もじきの祭りに参加するのか。俺は今夜は何があろうとドロシーから離れられない。


 それでも楊偉天がマジで恐れるのはハーブでなく、いつシャワーを終えて現れるかもしれぬドロシーだろう。あの紅色リボンのマーキングに榊冬華の魄も――それもけだもの系の魄が満月の夜に――ぐるぐる巻きにされて夜空をのたうち回っていた。

 つまり楊偉天はドロシーの面前に現れるなり投げキスされて確保されて、ほどよく弱まらされてから尋問されるか封じられる可能性が極めて高い。

 なので死者の書経由で語りたいのか。俺でもそうするかも。


 俺は隣室へ戻り、ドロシーの布団の上で胡坐をかく。あらためて書を開く。


「思玲の居場所を教えてください」

 ちょっとだけ低姿勢にしてみたりして。


「ひひひ」また笑い声が紙に浮かぶ。「儂が欲したかもな」


「問答はしたくない」もうじきに新月の夜だろ。時間はない。


「儂を殺した松本哲人よ。なぜ貴様に協力する必要がある」


 散々助けてくれたくせ、いまさらそれを記すのか。


「ここで貴様を惑わしてもいい」

 乱筆な日本語が続く。

「だが天馬がいる。あの馬は生者への讒言を見抜く」

「貴様は死者だったな。こっちへ来ぬか、ひひひ」

「王思玲も裏切り者。苦しむことこそがふさわしい」

「なにより梁勲の孫。あの娘は儂を救わなかった。貴様の味方となった」


 浮かんでは消える恨みつらみを読みながら違和を感じる。これこそが惑わしだ。


「おまえは楊老師でない。……デモニオ・アドラドか?」

 あの悪魔なら念となり書に入りこめるかもしれない。


「痴れ者め。そう願うならそう思えばいい、ひひひ」


「だったら聞くことを変えてやる」

 むかつきを抑えてなおも尋ねる。「なぜ俺を助けた?」


 だけど書には何も浮かばない。


「なぜ答えない?」

 あらためて聞く。しばらくしてようやく浮かんだ。


「儂は貴様を助けてないからじゃ」

「俺とルビーを救ってくれただろ。伊東のホテルでも。伊東の山中でも」

「これこそがくだらぬ問答。……ひひひ、生者をやめた松本よ、受けた仕打ちは手始めだ。貴様が救われることはない」


 乱れた文字から怒りを感じる。憎しみも感じる。そりゃ俺があなたを殺したのだものな。それを直接には伝えられず文章ならばって意外にシャイだな。神出鬼没の魄なら寝床でささやいてうなさせることもできるのに…………。

 乗り物の魄。器の魄。それに乗るのは。入っているのは。


「お前は楊偉天の魂だな? 魄ではない」

 ようやく気づけた。あっちは乗り物で、こっちが本物だ。だけど地の底で罰せられているはず。


「気づくのに時間がかかったのは梁勲の孫への依存のため。おかげで儂は抜けだせた、ひひひ」

 文字が血の色になる。「霊としてだろうと。だが今宵は新月。おのれが生者に戻れるか試してみよう」


 俺は死者の書を手放したい。なのに投げ捨てられない。取り込まれている。畳めない。


「復讐のためか」声をしぼりだす。


「それもある。ひひひ、だが龍のため」


 まだ妄執してやがる。……人を異形に変え、嗜虐にふけり、おのれを若返らせようとした魂は、死して地の底に送られた。その乗り物でありエネルギーであった魄も罰を受け、知恵を持たされ永遠にさ迷うものとなった。


「お前の魄には乗れないぞ。すでに満員だ」

 それだけでない。「きっとお前を嫌悪する」


 魄である楊偉天に、儂を殺せと頼まれた。請け負ったと言えるかもしれない。

 そして俺は実行できる。書に取り込まれ死んだこいつは妄念だけの邪だ。何度でも倒してやる。


「ひひひ、松本から儂への憎悪が伝わるぞ。もっと寄こせ。染めてくれ」


 狂った妖術士は更におぞましい存在として復活しようとしている。書から抜けだそうとしている。……俺の唯一の武器は天宮の護符。だけどポケットは青く輝かない。


「梓群!」

 やっぱ俺には倒せない。だけどドロシーならきっと容易い。


「ひひ、すがるのは怯えから。もっと震えろ。それも寄こせ」

「ひっ」


 怨霊のごとき楊偉天の顔が書に浮かんだ。青白く。


「死人の松本よ、儂と似た者よ」

 文字は赤。


「梓群!」

 俺は書を持ったままシャワールームへ向かう。邪気が半端ない。こんなものを放ってはいけない。

「ハーブ! 楊老師!」


 ペガサスにすがれ。こいつの魄にさえすがれ。どちらもこいつよりは俺を選ぶ。


「ひひひ、手始めに梁勲の孫に憑いてみせよう。儂ならばできる」


 俺は浴室のドアの前で立ち止まる。シャワーの音が聞こえる。


「無理だ。俺と一緒の梓群は強い」

「あの娘が何人殺したか知っているか? 因果が消えることはない」


 俺のポケットが青く光りだす。ドロシーを守るためだけでない。俺はドロシーを穢すことさえゆるせない。

 滅茶苦茶かわいくて美人で俺べったりで喧嘩してもすぐ仲直りしてくれる人に因果だと? その言葉を赦せるものか。


「楊偉天、消滅させてやる」

 俺は天宮の護符を握る。「もう地獄へも行けない。感謝しろよ」


「ひひひ、松本の憤怒じゃな。あのときは龍の娘を守るため向けられたが、相手を変えたか」

 書に浮かぶ楊偉天の顔が薄らいでいく。

「選択を誤ったな。貴様も梁勲の孫の因果を抱えることになる。すでに始まっている。さらばだ、ひひひ……」

 その邪悪な笑みが凍りつく。

「な、なぜ抜けだせぬ?」


「私がいるからだ。どんなに怨念が深かろうと私の結界を破れぬ」

 ハーブの声がした。「だがいずれ新たな新月の幽鬼となる。……魔人である哲人様、ドロシー様が嫌悪する存在に躊躇は不要です」


 余計なひと言をつけやがって。


「もちろんだよ」

 死者の書に張りつく老人の顔の眉間に護符を当てる。

「最後に教えてやる。夏奈にはわるいけど、あの新月の夜すでに俺はドロシーオンリーだった。いまは、因果があったとしても代わりに全部背負いこみたいほど大好きだ」

 護符に力を込める。


「ぎゃあああ……」


 楊偉天が悲鳴を残し消える。護符が死者の書を貫通してしまった。


「なんかうるさい。ハーブが戻ったの?」

 ドロシーがドアを開ける。

「きゃあ」

 悲鳴をのこしてドアを閉める。


「あの霊を消滅させるとは、うらやましい力です」

 振り返れば、狭い通路でハーブが羽根を畳んでいた。

「ドロシー様をいくらでも守れる。さすがは魔人。ふふ」


 *


 一年ぶりに見てしまった。二十歳近くになってから曲線描いて立派に成長したな。豊胸手術ではないだろうけど……。

 それが理由であるはずないけど、シャンプーまでしたことをもはや責めない。とにかく仲直りを維持。さもないと俺はハーブといることさえ危険だし、怨霊に狙われかけたドロシーだって危うい。

 しかもアンヘラはドロシーの幼女時代の出来事を知っている。ドロシーの心の弱さに感づいたなら、惑わしをかけてくるだろう。

 しかし形も奇跡的だったな。どんどん完璧。


「老師の魂が……」

 ドライヤーをかけるドロシーの顔が青ざめだした。

「やっぱり怖い書だった。私が開けなくてよかった」


 ドライヤーを持つ手がかすかに震えた。そこまで怯える代物か?


「穴を開けてしまった」

 南京の寺院からの賠償請求のが怖い。


「ハーブは直せる?」

「もちろん」


 とてつもなき主従が簡単な会話を交わしてひと安心。


「だけど破れたままにする。だから水牢に捨てよう」


 たしかにあそこは不法投棄にもってこいだけど。


「影添大社に迷惑がかかる。デニーから返却してもらおう」

「だったら穴の空いたまま魏さんへ渡す。哲人さんがよろしくね」


「リュックにしまっておく」

 二段飛ばしの理屈がわからないけど、リュックサックを手にする。

「今夜は俺が持っているよ……忘れていた。俺を失神させて心臓が動くまでAEDを試してみて」


「新月だよ。今夜は魔人でいるべきだ」

 ドロシーが首を横に振る。

「思玲を見つけるまで今のまま戦い続けよう。ついでにアンヘラより上海より先に私達が鬼退治する。あわよくばアンヘラと龍を捕らえる。なんかの拍子で朱雀を奪えたら最高だ、へへへ」


 これ以上なきほどの野心を教えてくれるけど。


「体調は?」

「哲人さんと一緒に寝たから絶好調だ」


 それでも今夜だけは静かに二人だけで籠ろう……。

 忌むべきさだめの魔道士の頂点にその選択肢がないのなら、付き合うしかないよな。この人といるのが、お互いにとって安全だ。……安心安全のお守り。火の用心。


「お天狗さんの木札は?」

 また忘れるところだった。ドロシーはブラがなくても挟めるまでには成長してなかった。つまり埋もれてはなかった。


「まだ穢れている。だから私が持っている」

 胸もとに目を落とす。「だけど護ろうとする力を感じだしてきた。だからもうじきだ」


 回復が遅いけどこんなものか。ドロシーが衰弱していたからか、俺の魂が動いてないからか、理由はいろいろ考えられる。否定しきれないのがルビーの存在……。天宮の護符は露骨にあの人を守った。


「はやく全回復して梓群を守ってください」

 やましい俺はドロシーの胸もとへ二礼二拍一礼する。


「恥ずかしいよ……、私は哲人さんがルビーにたぶらかされたのを不問にする。だから京が言っていたことも忘れてね」

「はいよ。その代わり明朝必ずAEDね。はやく返さないと出向した官僚に何かあったら日本の将来に響くかも」

「朝ごはん食べてからね」


 クズ丸出しの恋人同士がうなずきあう。だけど二人なら無敵。新月の祭りに飛びこめる。死んでいるから戦いを前にしての鼓動の高まりを感じられなくても。


「魄の楊老師が思玲を確保しているかもしれない」

 怨念の魂と接してわかった。あっちのがまだましだ。いや、魏やブラジル姉妹より頼れる存在だ。もしかしたら善に近づいているかも。

「でもドロシーを恐れて近寄れない」


「なんでだろう。逃げられないよう捕らえるだけなのに。連絡しとかないとね」

 ドロシーが手にスマホをだす。パスワードは0503だよな。

「折坂ちゃん、いまから出発する。布団敷いたままだけどごめんね。それとボディソープを全部使っちゃった。ソウサ姉妹が現れたら、私を探して追うように伝えて。さもないと魔道団のお尋ね者になると脅して。……京? 異形になったのは知ってるよね。あれは金色の龍や峻計とおなじく物の怪系とけだもの系のダブルだ。しかも邪悪な匂いを垂れ流していた。夜に問題起こすなら成敗するかも。……OKなんだ、へへ」

 笑いながら電話を終える。

「出発だ。ハーブよろしく」


 ドロシーが室内で靴を履き立ちあがる。膝下の黒いレギンスとイメージカラーである紅のTシャツ。敵を慄かす色をまとい、颯爽と愛馬にまたがる。……俺が前かよ。


「大蔵司を倒すなよ」

 俺もスニーカーを履いてもたもたとハーブによじ登る。「……それとルビーも」


 地雷だろうと、背中へしがみつく人へ約束させないといけない。


「どうかな、へへ……ハーブどうしたの?」

「たった今、新月を迎えましたが」

「だから?」

「では東京湾上空のポイントへ向かいます」


 ハーブが瞬間移動する。……星空だ。月なき夜が出迎えてくれた。それと巨大な赤黒いサソリが。

 乗っているのは少女みたいな魔導師ドイメ。白猫を抱えている。


「ちゅっ、ちゅっ」投げキスを飛ばしてくる。





次章「1.0-tune」

次回「いきなりカーニバル」




6月中までには再開予定です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ