三十六 尸
0.9-tune
ふふ、頼りになる先輩ですね
「そうかな……」
夢から覚めたまま布団の中でまどろむ。ドロシーを後ろから抱きながらも、ルビーを思ってしまう。
だって、なんで一人だけでアンヘラ一味狩りに向かわせたのだろう。いくら人材不足だからと言っても……。
枕もとで充電中のドロシーのスマホが鳴りだした。『日本・折坂』の表示。……彼女は爆睡している。胸触っても起きないかな。腕をおなかからずらすだけ。
「もしもし、松本です」そんなことせず代わりに電話へでる。
『死人の松本か。本来ならば社に居られぬ存在だ。表で南極大燕が騒いでいる。開けてやれ』
一年ぶりの邂逅もなく電話を切られる。
俺が布団から脱けでてもドロシーは起きない。やっぱりちょっとだけ触ろうかな。ドイメがこっちを見てなければ。
「ふふ、魔女はお疲れね」
褪せぬ紅色リボンに絡まれたままで心の声を飛ばしてくる。マーキングの術のはずが拘束具になっているけど、泳がせる必要ない敵にはそっちのが利便だ。
「でもハカを捕らえた。サンドもいない。もうアンヘラは終わりだよ」
「どうかしら? もう一人の魔女ではアンヘラ様に勝てない。あの杖があろうとね」
魔女……。誰?
あの杖……陰辜諸の杖……なんとかの杖……頭が痛くなる。
この頭痛は、記憶の改ざんの破綻を隠すためのだ。俺は幾度も味わっている。
経験こそ力。周囲や自分が人と異形を行ったり来たりだった俺は悟る。つまり仲間に魔女レベルの存在がいて、おそらくルビーとともにいて、そいつは陰辜諸の杖を操れて、そして奪われたか率先して人をやめた。……たしかにいたような。杖を持つ……素行不良の……
猫耳の巫女。
「大蔵司京のことだな」
即座に思いだしてしまった。「彼女は異形になったよ。アンヘラでも勝てない」
俺はアンヘラもエイジも憶えている。なのでこいつらは人のままだ。……大蔵司は異形になると杖を扱えなくなるよな。ならばずっと猫耳か。
そんなことより、拘束されていようと忌むべき力を持つドイメを置き去りに九郎のもとへ行けない。またスマホが鳴った。また折坂さん。
『不夜会のナンバー2も到着した。鍵を開けてやれ』
「ここにドイメがいます。俺は動けない」
『知ってのうえで教えてやった。判断は任せるが、大燕と魏を待たせようと、ご休息なされるドロシー様の目を覚まさせるな』
「疲れたドロシーを起こすはずない。だったら執務室長に出迎えを――」
また電話を切られた……。はやくドロシーは目を覚まさないかな。
「人をやめたままで魔道士と会うのか? 尋常な精神の持ち主ならば、松本を成敗する」
ドイメが俺へと笑うけど、魔道士魔導師陰陽士に尋常な人を見かけたことないから平気だ。
「それより怖いのはルビー。松本は好き放題に操られる、ふふふ」
……尋常でない人達だから恐ろしいことも多かったな。
「ドイメは王思玲を知っているか?」
「もちろん」
話題をそらした俺へ即答する。「だけど解放せねばそれ以上は教えない」
「あの婆さんが来たらお前は終わりだ」
「どうだろね。アンヘラ様よりは弱い」
「当たり前だろ」
俺のブラフに簡単に引っかかったドイメは、少女である思玲を知らない。スマホの画面を確認すれば、寝てる間に午後三時。物の怪の祭りが始まってしまう。
またもスマホが鳴った。
『魏は待てずに立ち去った。ペンギンもだ』
折坂さんが教えてくれる。『代わりにブラジルの姉妹が現れた。ドアを無理やり開けようとして罠を発動させて、どちらも公園に転がっている。人目につくので、はやく処分しろ。この件は有無を言わせない』
「ここに連れてきます……俺が入るときトラップは大丈夫ですよね」
『ドロシー様を怒らせたくないからな』
俺はドロシーのスマホをポケットに入れて立ちあがる。紅色リボンでミイラ状態のドイメへと。
「俺は一瞬だけいなくなる。逃げようとしたら水牢だからな」
「ふふ、楽しそうな場所みたいね。それよりおなかがすいた。スナック菓子とソーダを買ってきて。使い魔の頃から好きだった」
俺は天宮の護符を握り、返事せぬまま非常階段へ向かう。凄腕の魔導師がトラップへ無様にひっかかるはずなく、折坂さんの誇張だろう。
ブラジルからの彼女達は魔導団が金で契約した。絆が薄かろうと、史乃以来にようやく裏表ない仲間――でなくて傭兵が現れた。
*
影添大社本社ビル隣の公園には、人だかりができていた。救急車の音が近づいてくる。
「すみません、通してください」
「え?」
「な……」
俺の声にみんなが振り向いた。
「きゃあ」
「わああ」
俺を見るなり逃げていく……。これが魔人か。いや尸か。以前よりましになってはない。実質人の目に見える異形ならば街中を歩けない。
台輔の寝床だった砂場の柵を破壊して、露出度劇高の服を着た褐色肌の女性二人があおむけに倒れていた。どちらも胸が上下しているので生きてはいるが、野次馬に撮影されてアップされたかもの魔道士系をはじめて見た。
「大丈夫ですか」
人の声をかけても微動だにしない。
「起きてください!」
「ひい! ララ、敵よ」
「ひええ、カミラ姉さん助けて!」
忌むべき声をかけたら、二人とも跳ね起きた。
「味方です。俺はこの国の松本哲人で、魔道士ではない」
ただの生きた学生だった。
ブラジル姉妹だろう二人が俺を見た。どちらも三十代かな。外国の人は老けて見えるからわからない(失礼)。
「……お姉さん、この魔人は私達を三十代と心に浮かべたわ」
「へ?」
ララという人の手に黄色い洋風の扇が現れた。黒髪のボリューミーなロングストレート。背丈は俺くらい。緑色のタンクトップの巨乳。
「それはゆるせない……。忌むべき力を宿わせた朽ちぬ骸め。ルビーの用心棒か?」
「はい?」
カミラという人の手に緑色の洋風扇が現れた。茶色がかった髪のボリューミーなパーマヘア。背丈は俺以上。黄色のタンクトップの巨乳。
「お姉さん、尸なんてカッコいい生意気な魔人を成敗しましょう」
「ええ。ララいくわよ、バモス!」
「はい、バモス!」
二人がそれぞれの扇を重ね合わせた。俺へとグリーンアンドイエローのスパイラルが向かってくる。
この距離で避けられるかよ。でも二人がかりなのに小さい。それはドロシーの螺旋に見慣れたから。思玲クラスはある。ならば凶悪。
天宮の護符は青く光らない。この人達はドロシーの敵でないから、攻撃を妨げられない。
「えい!」
ルビーの叫びが地面から聞こえた。真ん前で螺旋がラベンダー色に弾かれる。
「きゃあ」
「ひい」
ブラジル姉妹が空高く吹っ飛んだ。彼女らがいた地面から、土彦がデカい顔をだす。砂場の柵も弾き飛ばされる。
「松本、私のこと憶えている?」
その頭上に、AIが描くような裾が短いピンク色の着物を着たものが立っていた。
袖もなく脇がむき出しの謎衣装……。髪までピンクだけど猫耳ではない。怪しい恰好をした人でもない。人の目に見える異形だ。
「大蔵司だね。忘れてはない」
「よかった。私はアンヘラをボコったのに、ドロシーの下着入れのせいで死にかけた」
「……うん」
「なので異形になって危機回避したけど、人に戻ったら即死するかな」
「うん」
「というか杖を操れなくなったから、変な格好の異形のまま。松本も亀にできない」
「うんうん」
「化け物でビルに入ったら折坂さんに殺されるよね。どうしよう」
「うんうん、ごくっ」
「アンヘラは冥界へ逃げた。追ったけど、あそこだとちょっと龍が危険」
「うん、はーはー」
「松本も異形? ちがうな。……うまそう。吸いたい」
「はーはー……え? え?」
魔物の言葉にうなずくだけだった俺は我に返る。
……魅入られてしまった。大蔵司は異形と化してサキュバスになった……なおも太ももに目が向かってしまう。なぜか分かる。おそらく下着をはいて……。
「哲人さんは骸ですね」
悪寒が走った。その隣にスティックを持ったルビーがいた。
「どんな力で生きているのですか? ……かわいくなった」
ルビーが舌なめずりした。
「きゃあ!」俺は影添大社へ逃げかえる。
*
戻ればドイメはいなくなっていた。そんなことより。
「梓群、起きて! 助けて」
俺は布団ですやすや眠るドロシーへ抱きつく。
「やっ、ダメ。監視カメラが……」
ドロシーが寝ぼけながらも目を開ける。
「魏さんと九郎は怒ってどっか行った。ブラジル姉妹が来たけどそこまで強くなさげ。大蔵司が淫魔になった、吸われる。ルビーが心臓が停止した俺をかわいいと言った」
箇条書きに訴える。「ドイメはどうした?」
「逃げられたの? 大蔵司って誰? ……へへ、敵はカユン・クーパーか」
立ちあがり、その両手に破邪の剣が現れる。
「必ず君を守るから心配しなくていい」
とてつもなく心配になってきた。
「あなたがドロシーさんね。東洋ナンバーワンの魔道士」
影添大社屋上まで打ち上げられたはずのララがやってきた。
「私達が南米セリエAの魔導師であるソウザ姉妹。非常階段を降りてきました」
「クライアントである香港魔道団一員のドロシーちゃんに聞いてあげる。いえい」
姉のカミラも、意味なくご機嫌にやってきた。
「魔物どもとお尋ね者のルビーは公園で途方に暮れている。私とララは何をすればいいかな?」
「決まっている。まずはルビーを捕らえてください」
ドロシーが剣を消す。
「それは無理。あの子のが格上」ララが答える。
「ドイメが逃げた。追いかけよう」
ドロシーの背から俺が言う。
「それって誰?」
カミラに聞かれる。人になって忘れたか。
「公園の魔物達って誰?」
ドロシーが俺に聞く。
「大蔵司京と土彦」
「土彦ちゃんしか知らない……。アンヘラ一味は?」
「さあ」
「ドロシーちゃん!」
姉妹の向こうから鳩サイズの風軍が飛んできた。入り口を開け放しかよ。
「異形になった大蔵司はすごく強いから敵になっちゃ駄目だよ。大蔵司がお気に入りのルビーも攻撃しては駄目。アンヘラ達が逃げるほどだからね」
「だからそいつは誰? ……そいつが異形に変わり私は忘れたんだ。つまり仲間の魔道士?」
さすがドロシー。一段とばしで気づく。
「正確には陰陽士。ここの主任巫女だった女性。人の目にさらされた人の姿のままだった」
俺が答える。以前は隙あり美人だったのがエロ美人へ進化したとは付け足さない。しかしこれだけは伝えておかないと。
「俺の精を狙ってるかも」
「やだ。なにそれ?」
ドロシーは赤面したあとに「そいつの顔を見れば思いだすかな……。とりあえず合流するか。公園へ行こう。哲人さんは私の背に隠れていてね」
「マジ?」
ルビーもいるのに。あの杖がなくなろうと不吉の無限連鎖だ。死んだのに生きている俺は、もはやドロシーから離れられない。
「風軍は魏さんと九郎ちゃんを見つけて。そしたらお役御免だ。香港へ帰っていい」
「やった。だったら頑張る」
風軍が飛んでいく。仲間が分散に次ぐ分散。
「風軍がいないと俺達の足が無くなる」
「ハーブがいる。それに風軍だとエルケ・フィナル・ヴェラノと戦うのはムリ。いずれ殺されるか食われる」
「私達はどうしたものかしら」
カミラが聞いてくる。
「中南米の優秀な魔導師は北米か欧州にスカウトされますよね?」
ドロシーが怪訝な顔をする。
「南米を守る魔導師も必要よ。それに私達は金のために戦わない。移籍金に目をくらませない」
カミラが笑う。ホントかよ。
「だけど生活費は必要なので東洋へ遠征してきた」
ララも笑う。こちらはマジっぽい。
「ではドイメを探してください」
「うーん、誰だか忘れてるかな。見れば思いだすかも、はっはー!」
カミラが馬鹿笑いする。
ドロシーがにらんだ。
「だったらアンヘラどもを倒してきて。十四時茶会は全額前払いしているよね」
「まずは公園へ戻りましょう。そしてみんなでアミーゴ!」
ララが意味なく叫ぶ。
次回「確定囚さそり」
続きはGW前を予定してます




