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三十二 暗黒の魔なる白き女王

「思玲は?」なによりそれを聞く。


「やばっ置いてきた。連れてくるから女子達を守っていて」

 大蔵司がターンした。


「待てよ」


 俺は追いかけようとするけど、ルビーを抱えたうえにタールみたいな闇に包まれている。泳げるはずない。……大蔵司はとてつもなき身体能力を持ってはいるが、それだけでここを自在に移動できるはずない。

 闇のどん詰まりで頼るべき人を見誤っていたのか。


「大蔵司待て! 俺も一緒に行く」

「わかった。松本に従う」


 即答で戻ってきてくれた。……実体化したデモニオ・アドラドの攻撃に注意しろ。だがな貴様のターゲットが梓群ならば、天宮の護符は輝き続ける。

 エイジはどうなった? 知ったことでない。ドイメはもう消えたかな。ざまみやがれ。思玲と楊偉天、抱き続けるルビー、それだけを考えろ。


「え?」また大蔵司が素っ頓狂な声をあげた。「松本とドロシーは寝ていない? ヴァージンのまま?」


 闇のなかで立ちどまりやがった。……もしかしてデモニオ・アドラドの心理攻撃を受けている最中か。心弱い大蔵司なら狙われて当然だが、俺は冥界に来てからそんなの思い浮かべて……『まだ一度もしてないのに死ねない』みたいなことを、魂を裂かれかけたとき心で思ったか。

 というかドロシーが処女なだけで動揺するな。


「ささやくな……え? え?」

 大蔵司がまたも驚愕した。

「松本とドロシーと丸茂とルビーの四角関係? ……死人がでるよ。そんなのに関わりたくない。ていうかルビーって誰?」


 エイジが三人の名を列挙したな。これは心理攻撃ではない。ただのゴシップだ。それだけでも効果てきめんではないか。


「敵はそばにいるだろ。杖で追い払って、こっちへ来い!」

「わかったよ。松本に従うさ」


 俺の度重なる怒りにうんざりげになりだした大蔵司京が、さっきまで楊偉天が持っていた杖を掲げる。

 そして下ろす。その先から人の目に見える巨大しめ縄が現れる。うねうねと闇を進んでいく……。


「くわっ」姿見せぬデモニオ・アドラドが悲鳴をあげた。


「私すげえ」大蔵司はおのれが手にする楊聡民の杖を見ている。


 俺はうねうねと敵を襲うしめ縄を見て、『やっぱこいつ冥界だとやべえ』と思う。ついでにきもい存在も思いだす。


「土彦を呼べ! どこかにいるはずだ」

「はいはい。土彦カモン!」


 叫びながらクロール泳ぎを再開する。タールの闇で美しい泳法。数十メートルの距離感をあっという間に渡りきり合流を果たす。

 俺は安堵を覚え、青い灯りが弱まっていく。


「その子は?」


 そりゃ聞いてくるよな。教えたくないけど。


「ルビー・夏潤・クーパー。アメリカの魔導師。見た目はほぼアジアだけど白人と韓国人のハーフ」

「ドロシークラスだ。すげえかわいくね、じゅる」


 グラビアだけならそのクラスにカウントされる大蔵司が露骨に舌なめずりした。気を失ったままのルビーが身震いする。


「この子は私にゆずって。松本は処女ドロシーだけにしな。そんな体位でできるのはネット小説だけだろと思っていた。どうせ丸茂は三角から逃げる」


 冥界奥底でする会話でないだろ。そもそも賞金首である屍術士の存在を知らないのか? 大蔵司ならあり得るな。


「ドロシーにその言葉をかけると真っ赤になって術を当てられると思う」

 警告だけはしておく。「はやく思玲のもとへ行こう」


「わかった。ついてきて」

 修羅場では俺に素直な大蔵司がクロールしだす。俺は闇で身動きできない。


「(頼むから)俺達も連れていけ。土彦を何度も呼べ」

「なんか最近の松本は頼りない。……土彦は裏切ったから来るかな。二人も背負って泳げないよ」


 たしかに……。早くしないと何かが起きる。


「杖で闇をかき消せ」

「わかった。そしたらドイメちゃんを捕まえる。あと、ルビーちゃんが怪我してるなら私がさすってあげる」


 大蔵司が杖を掲げる。そしておろす。何も起きない。俺達は奥底に沈んだまま。


「残念。ではルビーちゃんの治療を優先するか」


「変な場所を触るなよ。この人は……」

 ネクロマンサーと言いかけてやめる。その存在が影添大社の前宮司を殺したことは伝わっているかも。


「でも怪我してないね。疲労は私には治せない」

 言いながらルビーの胸を揉みやがった!


「ん……」

 ルビーが意識ないまま声を漏らす。


「それ以上はやめておけ。マジで」

 声を荒げずに伝える。


 こいつは美女そろいの魔道士のなかで一番美人だ。しかも強い。それをいいことに、横根がシャワーしているところに乱入したらしいな。俺にも舌を入れてきやがった。(冥界へ引きずりこめる)こいつでなければ殴っていた。

 夏奈にも色目使った。大蔵司は悪意なく卑怯卑劣をできるから、夏奈が無防備に寝ているとき何かしたかもしれない。

 しかもだ。しかも……俺が藤川に殺されてこの冥界であがいていたとき、こいつは傷心のドロシーを騙して自室に連れこんだ。そんで鼠径部を舐めたかなんかしたらしいよな。その流れもあってドロシーは影添大社に喧嘩を売り殺された。俺と一緒によみがえったにしても。

 思いださぬようにしていたのに、いまの行為で。


「ひい、松本が怒りだした。過去一番に……なんで?」


 落ちつけよ俺。護符を青く輝かすなって。大蔵司は敵でない。敵は真上。


「この野郎!」手応えあり。


「くっ」

 羽根をひろげたデモニオ・アドラドが上へ去っていく。

「怒りの矛先を別へ向ける。この姑息が松本哲人か」


 なんとでも言え……。弱すぎる。そんなはずないだろうけど、マジではったり系の雑魚か?

 奴が力押ししない理由……が漠然と脳みそに漂っている。もしかしたらデモニオ・アドラドは俺でなく、異端の陰陽士である大蔵司京を恐れているとか……。


「ルビーちゃんは十七歳ぐらいだね。透けたネグリジェとか似合いそう」


 こいつを?

 俺ならば大蔵司より俺を恐れる。やってみせる。


「おりゃ!」

 俺はこびりつく闇を護符で裂く。藪に道を開くように前へ足を進められた。そうだよ、復活した魔物が恐れるのは、冥界にいる玄武な俺。ウミガメな俺。ミドリガメな俺。カミツキガメな俺……。

「大蔵司。杖を呼べ。陰辜諸の杖を」


 デモニオ・アドラドが恐れるのは俺でない。やっぱり大蔵司だ。異形を人に、人を異形に亀にも変える、とてつもなく恐ろしい女をだ。

 ここでなら呼べたりして。根拠なくても、大蔵司の存在こそ根拠から乖離している。


「そりゃ欲しいけどさ」

 大蔵司が楊聡民の杖を左手に持ちなおす。右手を突きだす。

「なんとかの杖よカモン!」

 その手に神楽鈴が現れる。

「やっぱ無理ぽい」

 鈴をシャンシャン鳴らす。


「心がこもってない。正式名称で……」

 上空から特大炎が螺旋を描きながら降ってきた。

「結界!」


「は、はい」俺の叫びにルビーが目を覚ました。「えい!」


 俺達は即ラベンダー色に包まれる。天宮の護符にもラベンダーの光が……。

 大蔵司が杖を掲げた。


「空封」そしておろす。「地封」


 楊聡民の杖によるしめ縄の結界がルビーの結界を内から砕いた。


「弱いのは疲れてるからだね。私はやけに元気」

 大蔵司がルビーへにっかり笑う。「でも時間が来るまで身動きとれね。しかも杖経由だから長そう……。もしかして松本は火伏せの護符を持ってない」


 俺へとにやり笑いやがった。


「それより結界を解封できないかな」

 ちょっと下手に尋ねてみる。


「試そうか? 解封」

「きゃあ」


 まだ焔が一面に残るうちに杖を上げ下げするから悲鳴をあげてしまった。しかし何も起こらない。


「やはり強すぎ。無理」


 簡単にあきらめる大蔵司の結界には何度も閉じこめられたから知っている。消えてなくなる頃にちょうどカップラーメンの蓋を開けられる。なんて心に思ったから、デモニオ・アドラドはその時間にあわせて、また炎を放つだろう。

 俺達は急いで思玲のもとへ行くのだろ……思い浮かべるな。心を読まれるな。自分達の心配をしろ。思玲は関わってないから、デモニオ・アドラドは関与できない……俺は名を叫んだな。関わらせたと魔物は即座に笑ったな。


「哲人さんは私が寝ているときに触りましたか」

 ルビーが胸に手を置き俺を見つめていた。


「俺じゃない」

「……ふふ。そういうことにしておきます」

「おい」

 俺は大蔵司を見つめる。


「はいはい。ごめん私だった。治癒の力があるからだけど、さすってほしいところが他にもあるかな……。くんくん、最中だね。あそこをさすれば下腹部の疼痛も消せるよ。なぜか膜は復活しない」

「い、いえ結構です。……この人は誰?」

「私は影添大社の主任巫女。名は大蔵司京」

「え?」


 またルビーが俺を見つめた。怯えを含む動揺した眼差し。なにも心に浮かべては駄目だぞ。


「大蔵司よ。お前のボスだった男をアメリカで殺したのが、こいつだ」

 やはりデモニオ・アドラドの声が響く。


「そ、それは」ルビーが震えだした。


「はあ? つまり前の宮司は殺された? あのセクハラ親父が、こいつに?」

 なにも知らなかった大蔵司がルビーをにらむ。


「俺とドロシーと影添大社に懸賞金をかけた男だ。しかもドイメに吸われていた」

 俺は大蔵司をにらむ。


「……ドイメちゃんを忘れていた。どの案件も折坂さんの指図を聞く必要があるよな。それまでこいつは確保する。邪魔するなよ」

 大蔵司が煩悩を振り払い真剣な顔になる。

「ぐずぐずしていられない。思玲を連れて地上へ戻ろう」


「折坂って大和獣人? ……やめて、殺される」

 またまたルビーが震えながら俺にしがみつく。あの夜以降ならば、抱擁の回数と時間が明らかにドロシーとを超えた。


「離れろよ。松本は折坂さんより怖い人のカレシだ。名はルビーだっけ?」

「ははい」

「条件によっては、私がルビーちゃんを匿ってあげる」


 またも大蔵司が舌なめずりした……。


「急ぐのだろ!」

 思玲は俺達に関わってなくはない。姑息に拡大解釈されたら人質にされる可能性もある。

「結界を削ろう」


 冥界にいるのを忘れさせる大蔵司はしめ縄の反撃を受けない。時間がかかろうと内側から削る……俺の話を聞いていないではないか。

 どこでももたもたマイウェイの大蔵司の視線の先に消滅間際のドイメがいた。全身がただれて見る影もない。


「炎も喰らったんだ、かわいそう……。ドイメちゃん助けてほしい?」

「そいつはどうでもいい。思玲だろ!」


「あ、あなたはドイメをす、救えるのですか。体だけでなく心もです」

 ルビーが怯えた眼差しのままで聞く。「それならば助けてあげてください」


「すげえ……気に入った。ルビーちゃんも救う。ハーレムだ」

 煩悩戻りし大蔵司が楊聡民の杖と神楽鈴を消す。

「いまならば呼べる。呼んでやる。いでよ、なんとかの杖!」


 天に突きだした両手に……あのおぞましき杖が現れた!

 つ、ついに陰辜諸の杖がカムバックしてしまった。形勢大逆転だとしても。


「お、俺には向けるな」

 いざ出現すると後ずさりしてしまう。


「……すごい邪」ルビーは魅入られている。「だけど欲しい」


「残念だけど、これを使えるのは私だけ。ドロシーでも螺旋にしてようやく」

 大蔵司が杖の先を天に向ける。

「自在に使える私だと、こんなこともできる」


 それだけで、しめ縄の結界が跡形もなく消える。

 同時に焔が降ってきた。


「術の炎なんてアフリカ系マフィアより屁」

 また陰辜諸の杖を向ける。それだけで焔も消える。

「これを持つ私には物理攻撃以外効果なし」

 にっかり笑う。


「ならば爪で裂いてやる!」

 デモニオ・アドラドが羽根をひろげ両手を向けて降りてきた。

「ひっ」


 杖を向けられ旋回して逃げた。雑魚まるだし。しかも。


「中東系マフィアよりのろま。人になれ」

 大蔵司が邪悪に笑う。「あれ? 霊ぽくなっただけか」


「え? ……おそらく念の状態に戻った」

 俺が答える。とてつもない大金星ではないか。


「京さんはここで見えるのですか?」

 ルビーが大蔵司に聞く。なんだか急に親しげ。


「ああ。松本の光がまぶしくて邪魔だけどね」

 大蔵司がドイメに杖を向ける。「お待たせ。倫理的に問題あるから、とりあえずだけど」


「や、やめて……」

 ドイメが逃げる間もなく、術を浴びる――


 ……わあ!


「な、なんで、ここに人がいる?」

 俺は動揺してしまう。全裸の白人少女が闇のなかでうずくまっていた。気を失っている。


「この人がドイメですか? ……頭が痛い」

 ルビーが眉間を押さえる。


「誰それ?」

「やっぱ松本は雑魚だな。覚えてないならそれでよし」

 大蔵司が杖を闇に向ける。「では思玲のもとへレッツゴー! お、土彦だ」


 キモすぎる巨大ミミズがうねうねやってきた。デモニオ・アドラドが倒したと言っていたが、念だけの状態に戻るなり復活したか。


「二度と裏切るなよ。思玲のもとへ全員乗せていけ……」

 大蔵司の目線が土彦の頭上でとまる。

「こいつもいたのか」


「儂にその杖を向けるな」

 魄である楊偉天がいた。「いまの貴様は邪」


「お前が思玲を連れ去り、私の体を乗っ取り、心も奪っただろ。私の体も私の手で弄んだのか? 私はアンアン言ったか?」


「下劣」楊偉天が断言した。「心弱き真の魔女。梓群と松本がいなければ、覚醒と同時に折坂に処分されていただろうな、ひひひ」


「この杖があれば折坂さんも松本も怖くない。とやっ」

 大蔵司がとてつもないことを口にして、冥界奥底のタールの闇で跳躍した。

「土彦にかからぬように、お前だけ人にしてやる。ここに耐えられねーだろ。すぐに老衰しそうだな」


「ひひひ、その通り」

「わあ」

「きゃあ」


 楊偉天が俺とルビーの目の前に現れた。やめてくれ。杖を向けられたら俺は亀になる。


「松本よ。夏潤よ。デモニオ・アドラドは刀輪田を連れて去った。儂らも地上へ向かうぞ。そこで影添の巫女を説得しろ」


 そして人に戻してもらうのか。さっきまで梓群梓群言っていたくせに、大蔵司が杖を手にするなり、こいつには矜持がないのか。


「その目。松本は儂を」

「わかったよ。大蔵司、まずは思玲だ」


「えらそうに。もう私は松本に従う必要ない」

 杖を向けてくるではないか。「ルビーちゃんにもかかるか。だったらドイメちゃんも連れて思玲を探そう。土彦に乗って。魄は自力で泳げ。ここでなければ人に戻してやらないからな」


「ひひひ、ならば儂はその杖を奪おう」


 楊偉天が不吉を口にして消える。俺達はドイメという女の子(おそらく異形だった)もミミズに乗せて、闇をうねうね進む。


「土彦を人に変えたらイケオジになるかも。ルビーちゃんはゾンビかな、試してみるか、嘘だよ。杖を向けられたくなければ服を脱いでもらおうかな。ジョークだよ」


 大蔵司が陰辜諸の杖を弄びながらにやにやする。ミミズも含めて俺達は萎縮する。ドイメちゃんは目を覚まさない。全裸だからちらちら見ないようにする……十代前半白人少女の裸体か。犯罪だな。


「松本はドイメちゃんをちらちら見るな。私の部屋でミドリガメを飼いたくなる。財布も新調したいな。最近使わないか。スマホを亀甲柄にするか」


 俺は言い返さない。デモニオ・アドラドよりアンヘラよりチコより恐ろしい存在になった魔女に刺激を与えない。切実に思うのは、はやくドロシーと合流したいな。




「おかしいな……」

 大蔵司がつぶやく。闇の底をどんなに探しても思玲は見つからなかった。

「魄か敵が連れ去ったかも。私のせいじゃないからな。松本は怒ったら亀にするぞ」





次回「暁の魔なる紅き女帝」

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