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三十 生きろ

 暗黒のなかを悪しき気配に押されて落ちていく。抱きかかえたルビーから震えを感じる。歯まで鳴っている。


「攻撃してこない敵を怖がるな」

「で、でも……はい。哲人さんを頼ります」


 それだけで震えが弱まるんだ……。それぞれを守りたいと心で願い、俺の手で天宮の護符が輝きだす。冥界を青紫で鮮やかに照らしだす。


「屍だと本性を見せラレない」

 カピバラの蝋人形が隣にいた。「それデモ我が主、灯さぬよウに」


「念だけの存在……」

 俺達の真上では、楊偉天が杖を手に昏い上空をにらんでいた。

「ひひひ、松本は相手をしているな。梟と蝙蝠同様に実体は閉ざされている。だがはるかに手強そうじゃ」


 図書館地下から散々ささやかれたな……。誰もが押されている。落下している。

 紅単色に匹敵しそうで及ばない青と紫。それでも楊偉天の更に上も照らす。2メートル以上ある大型ネコ科動物が羽根を広げていた。


「松本哲人よ。魔女の伴侶をやめるのか?」


 どこの言語だ。魔物の体は黄銅色毛並みに黒い班模様。人に近い体躯。両手足もひろげている。……くちばしをもつ豹と鷲のハイブリッドな魔物。


「松本哲人答えろ。未曽有の存在である魔女と袂を分かつならば、お前も俺と契約を結べる。生き延びれる」


「やめて……」

 ルビーが更に俺にしがみつく。「生け贄を求めている。こいつは私と同じ……」


「夏潤よ卑下するな」

 楊偉天が杖を掲げる。そして下ろす。上空へと朱色の雨が逆走する。

 また掲げて下ろす。実体化した大蛇が魔物を襲う。

 いずれもが魔物を素通りする。

「やはり実体でなければ攻撃できぬか。だが逆も言えるな、ひひひ」


「どうかな」

 念だけである魔物が両手を向ける。突風が起こり、俺達はさらに加速して底へ落ちてゆく。

「これも貴様と同じで小手調べだ」


「くそったれ、巻きこまれた。手形が役に立たない」

 下からエイジの日本語がした。


「刀輪田永嗣は俺の活躍の証人だ。地上へ戻れる」

 魔物が黄色いくちばしを向ける。「ただし俺達に関わらねば、その護符(手形のことだろう)の力及ばぬ奥へ落ちるだけ。ゆえに選べ。魄を殺すか、ネクロマンサーを囚えるか、松本の持つ珠を奪うかどれかひとつを選べ。残りは奥底へ沈める」


「……お前はメキシコの?」

 エイジが俺達をはさんで聞く。「アンヘラは契約したのか?」


「違ウ」

 キャンドルが俺達にだけ聞こえる小声で言う。

「従っテハいない。封じたモノを開けぬように」


「刀輪田よ。儂を選べ」

 楊偉天が言う。「ジャガーに儂を殺させろ」


 中南米だからジャガーか……。楊偉天がおのれを指名した。

 俺はこんな状況下でも、こいつらと同じく脳みそを稼働できる。この老人は犠牲になろうとはしている。だが、ただで負けるはずない。選択肢のなかで、俺やルビーよりはるかに抗える可能性がある。だけど負けたなら。


「やめろよ。俺とルビーが沈んだままになる」

 でも……そこに思玲と大蔵司がいるよな。


「ははは」

 エイジの笑い声が響く。

「つまり松本の珠を奪えば、ルビーも楊偉天も松本も奥底ってことだな」


「そういうことになる」ジャガーの魔物が答える。


「お前の名は?」またエイジが聞く。


「古い名は滅びた。新たな名はなくデモニオ・アドラドと呼ばれるだけ。契約をむすぶためここにいる。龍が潜む珠を奪うでいいか?」


「はは、……崇められた邪神さんよ、俺はそんなものに興味ない」

 やはりエイジはすごい。対等に話しかけられる。

「レイモンドのかたきだ。楊偉天を終わらせろ。その魂も残っているなら消し去れ」


「ひひひ、それこそが儂の望み。地の底で苦しみ続けているだろう儂の心そのものを終わらせてやれ。そうでなければ完遂と言えぬ」


 照らす光が弱まってきた。俺だけの青色になる。


「……ルビー?」


 また彼女は気を失っていた。冥界初体験だし、いろいろ精神的に限界だろうな。

 俺は強く抱きなおす。この人を守る意識さえあれば、天宮の護符は青く輝きつづける。


「俺が力を示すのに魂を消す必要ない。魄だけでいい」

 羽根のはえたジャガーの魔物が牙を見せる。「だが、ほかのに替えないか?」


 なんて雑魚い発言だ。一気に格付けを落としそうだ。

 なんであれ九尾弧の珠もルビーも奪わせない。となると選択肢はひとつだけ。本人も望んでいるし……。見捨てたら、俺は楊偉天を二度殺すことになる。


「老師。協力してデモニオ・アドラドを倒そう」

「するはずがない!」

「わあ」


 楊偉天の一喝に意識喪失したルビーもびくりとする。


「ひひひ、儂は即座に断ったからな。……松本よ、関わらせることこそが奴の狙い。おのれの身を守るを口実に松本とルビーも襲うことができる」

 楊偉天がまた口もとをゆがませる。

「ひひひ、じゃがな、心閉ざした儂の狙いに誰も気づけぬ。そろそろ現れるだろう」


 現れる? とてつもなきヒントだ。俺も九尾狐の珠で心守られているから、いくらでも脳裏であのきしょい存在を思い浮かべられる。じきに冥府大蚯蚓の土彦がやってくる。……いま現在、思玲と大蔵司は奥底で無防備になっているかも。

 だとしても、とてつもなくとてつもない機会だろ。これは二人を救うための導きだ。


「くそ、もっと光れ」

 真下がぼんやり白銀に輝いた。エイジが司命星剣を掲げていた。


「エイジ。そんなものに頼らず、松本の珠を奪うで納得しろ」

 またデモニオ・アドラドが雑魚発言をした。


「くだらねえ。だったら俺とともに三人まとめて始末しろ。アンヘラには口裏合わせてやる。……俺と契約するか? お前は封じられたままだろ。開けてやれるかもしれない」


「ひひひ、儂に従うもありだな。儂こそが貴様の封を解ける」


 部外者みたいになった俺と比べて、なんて人気者の魔物だ。妖術士達に推されまくっている……。なぜアンヘラは契約しない?


「残念だがな」

 デモニオ・アドラドが薄く笑みをこぼす。

「鍵はアンヘラと松本しか持っていない――ん?」


 うわ、青く照らされている……。やはり巨大で細長くてニュロニュロした黒いものが底からやってきた。……それよりも俺が持つ鍵。手もとにあるのはふたつの護符と珠とドロシーのリュックサック……。ヒントをもっと寄こせ。

 ちがうだろ。かまうな、惑わしだ。


「ひひひ、冥界の掃除人が来たぞ。すなわち狩りの時間じゃ」

 楊偉天が杖を掲げる。

「蚯蚓よ、ここならば貴様ならば、実体なき魔物だろうと始末できる」


「哲人サマ激しい戦いが始まりマス」

 キャンドルが言う。「ソロソロ私に指図ヲください」


 ネズミの存在感が薄いと思ったらそういう理由か。独断しない俺達の式神ちがった使い魔。


「俺とルビーを地上に戻せる?」

「無理デス」

「だったらデモニオ・アドラドと戦え」

「即座に殺されマス」


 独断しなくても反論しまくりではないか。


「タダシ、吸血鬼ノ末裔ナラ倒せます。命じてくだサイ」


 ドイメのこと? 追ってきたのか。あれこそ雑魚だったけど、護符は穢れきっている。ルビーはなおも卒倒。かわいい気絶顔。


「返り討ちにしろ。俺とルビーを守れ!」

了解です(ティーク・ヘ)。食い殺したる!」


 キャンドルが俺達から離れる。「ガブガブガブ!」と闇を噛みまくる。


「もう。松本が雑魚になったのに、あらたな護り……」

 ドイメの声が遠ざかる。


「深追いはシマせん」

 キャンドルはすぐに傍らへ戻ってくる。


「正解だよ。……ここを脱しないとな」

 俺達はまだ闇の奥へ落とされ続けている。


「キット機会はありマス。なので私ヲ灯さぬヨウニ」


「……輪廻を拒ます敵か。邪魔なネズミだ」

 デモニオ・アドラドの声色が変わった。

「溜めた力を温存したかったが仕方ない。刀輪田永嗣の選択に沿い、楊偉天の魄を消そう。だが魂は除外だ。それをも消してほしいなら正式な契約が必要だ」


 冥界の闇が血の色に変わった――。


「ひひひ、強き人の心なければ魄を倒すのは難しいぞ」

 楊偉天が姿を消す。

「蚯蚓よ、相手してやれ」


「我が主、ウマクない。刀輪田がドイメと合流シタ」

 カピバラの蝋人形が教えてくれたけど。


「なぜドイメの名を知っている? お前は心を読んで」

「ドイメの心ヲデス――始マッタ!」


 すべてを押しこむ風圧に負けず、大蚯蚓が俺達の横を浮上した。デモニオ・アドラドへ暴走電車みたいに突撃する。でもすり抜けた。


「不死身のワームの相手も厄介。だが俺に関わったな」

 鷲と豹のハイブリッドが姿を消す。


 冥界の主である土彦。それでもドロシーは屈服させたらしい。ミミズに頼りきれるほどの強さはないかも。それを言うなら蝋人形のカピバラも。


「そっちバカリ見ルナ!」

 キャンドルが俺の背にタックルした。


「くっ」すごい衝撃。呼吸がとまりそう。


「ウッ」キャンドルも悲鳴を漏らす。俺達に向かった黒い閃光を受けとめる。


「エイジめ、俺とルビーを殺す意味があるのか?」

 俺は怒鳴る。なぜ戦い続ける必要がある。


 エイジからの返事はない。あいつは基本ステルス。護符が暗闇を青く照らすだけ。

 俺はルビーをもっと強く抱く。見覚えあるドロシーの服を着た人。


「ウン。俺には効果ナシ」

 キャンドルが身を振るい、黒いタールを落とす。

「つぎは白銀の輝キカ? クルルルル」


 俺の手で天宮の護符がさらに青く輝く。アグレッシブに守れ。


「ドイメめ!」闇へと紙垂型の木札を突く。


 空振りしたのに、木札を握られた。


「ぜんぜん怖くない」

 目の前でドイメが姿を現す……。5メートルほどある純白のコウモリ。その中央は磔刑されたような成人のドイメ。裸体だけどきれいでない。口はみにくく裂けている。

「いやな目つき。吸うどころか喰ってやる」


 俺は護符を奪われぬよう強く握る。引っ張られて腕ごと折られそう。本性をさらしたハーフ淫魔の顔へ運ばれる。


「……ルビー目を覚ませ」

 天宮の護符にラベンダーを加えろよ。


「我ガ主!」

 キャンドルが突進してきた。


「裂くよ」

 ドイメの指の爪が伸びる。


「裂ケ! 主は避ケロ!!」

 蝋のなかに存在する黒目が俺の背後を見た。


 エイジもいるのだな。ドイメがいるなら白銀は使われない。ならば骨組み扇。もしくは格闘。目のまえに靴底。


「うりゃ」

 ルビーを抱えたままで避ける。そのまま本体を――殴れない。離脱が早い。


「痛っ」

 ドイメの声だけはかわいいままの悲鳴が聞こえた。

「ネズミめ、うーん、心読まれている」


 護符から圧が離れ、俺の手もとに戻ってくるなり。


「おりゃっ」

 上空へ護符を突き立てる。それはシールドと化す。


 黒い閃光。白銀の剣先。すべてを弾きかえす。


「ぐはっ」

 だけど後頭部に衝撃。吹っ飛ばされる。


「クルルッ」

 キャンドルが受け止めてくれた。

「エイジは心閉ざしテイル。姿を消シテの連続攻撃から哲人様ヲ守るは至難」


「弱音を吐くな」お前だけが頼りなのだから。


 また闇を落ちていくだけになる。一瞬の小康状態だろう。

 楊偉天とデモニオ・アドラドの戦いはどうなった? 心を向ける余裕はない。背中にはリュックサック。キャンドルが頭上を守ってくれるなら、前面にだけ注意を向けろ。足もとにも。

 反撃したい。武器ならば天宮の護符がある。ならば人の世でなき闇で殺す気で戦いあえ。そのために邪魔なのは、俺の片腕をふさぐ人。


「キャンドルはルビーだけなら逃がせる?」


「可能デス」即答レベルかい。「デモ哲人様が殺されル」


 また黒い閃光。青いシールドが揺れる。


「俺がいれば守レル。イナクなればスグやられまス」


 白銀の斬撃が飛んできた。シールドがたやすく弾く。キャンドルはその光を怖がりもしない。


「アンヘラとチコが来たらキャンドルでも守れない」

「エエ」


 キャンドルは即答したまま言葉を続けない。……今いないのだから現れないかもしれない。ハカは来るかも。決断しろ。


「俺の命令だ。キャンドルはルビーを連れて地上へ逃げろ。そしてずっと守れ。怪我もさせるな」

「カシこまりマシタ」


 ……即答の連続に不安が渦巻きだした。ルビーがいなくなれば護符は青く輝かない。


「その前に俺を楊偉天と合流させろ」

 共闘するしかない。そしてひらめいた。

「いざとなればキャンドルは丸茂史乃を頼れ。あの人ならばルビーを守ってくれる」


 史乃はまだ中国奥地だろうか。なんならそこまで逃げてもいい。


「ソノ人間の存在ヲ俺は知らナイ」

「出会ったらでいい」

「カシコまリマシタ。まずは哲人様ヲ魄のモトへ。クルルーッ!」

「わあ!」


 キャンドルが口から波動を飛ばした。俺は飛ばされて。


「やめろ、やめておけ」


 即座に体が静止する。通力の術。PKの術。……抱えたルビーがいなくなっていた。


「天竺鬼畜大鼠は去った。松本はおろかすぎるぞ。夏潤のためおのれの命を犠牲にした。梓群はあの視覚を見るまでもなく、誰も赦さなくなる」

「ここで俺を守りきれば、あなたを赦してくれる。……土彦は?」


「蚯蚓は魔物の念を儂どもから遠ざけている。ひひひ、勝てることなくても負けることはない。異形同士の果てなき戦いは何年何十年続く? ひひひ……」

 楊偉天は姿見せぬまま。エイジもドイメも。というか真っ暗闇。青い光はやはり消えた。

「だが刀輪田とドイメの組み合わせは難敵。冥界は人の世と時間の流れがちがう。すでに数時間は過ぎただろう。松本を守るだけで時が刻まれていく」


「俺達も地上へ戻ろう」浦島太郎になりたくない。


「ならばデモニオ・アドラドを倒さねばならぬ。関わった者は誰も冥界から抜けだせぬ」

「……ルビーも?」

「インドの悪魔ならば可能かもしれぬ。夏潤の目を覚まさせ、おのれを一瞬だけ灯させるつもりだろう」


 真っ暗闇。エイジとドイメはどこだ。俺こそ明かりを灯したい。まだ生きてはいる。


「灯すって何? 俺は知らない」

「なぜ気づけぬ。再び生を与えることじゃ」


「与えるでなく解凍だろ。そんなことを誰ができる」

 ごく近くでエイジの声がした。「楊偉天に聞きたい。俺もここから抜けだせない。だが、お前が消滅すればサヨナラできるよな」


「ひひひ、そうじゃ。ちなみに関わった淫魔も、もはや抜けだせぬ。念だけの魔物に勝る存在が現れぬ限り」


 それはドロシー。彼女に冥界へ来る手段はない。自分の命を消さぬ限り。


「私は松本を殺さないと、戻ってもアンヘラ様に殺される。我が主では力になれない。……でもエイジ様が説得されたら、生き延びる可能性があります」

「だれが不気味なお前の命乞いに付きあうものか。いまの姿でなかろうと、サキュバスと吸血鬼から産まれた忌みじき存在などにな」

「だったら私と一緒にここで過ごしましょうか。あなた様が年を取り朽ちるまで」

「ならばお前から処分してやる」


 闇が白銀に照らされた。決して強くない輝き。俺が手にする天宮の護符や月神の剣のが……。


「月神の剣よ、この手に来い!」

 叫んでも何も起きない。俺は魔道士ではない。異形でもない。


「仲間割れとは期待通りの取り巻きだ」

 デモニオ・アドラドの声がした。「ようやく蚯蚓を倒せた。つぎは魄の番だ」


 上空からの圧が再び押し寄せてきた。俺達は下へ下へと加速していく。


「ひひ、冥界で蚯蚓を殺せるはずない。だがこいつを過小評価していたか。松本よ賭けてみるか」

 姿見せぬ楊偉天も同じく下へ押されている。


「ドイメ、抜けだす手助けをしろ。ヒューゴを脅してお前を譲りうけてやる。アンヘラも手出ししまい」

 エイジも奥底へと。


「私からは何も言えないけど、ありかな」

 ドイメも落ちていく。「だってあそこは嫌い」


 誰もが冥界の奥底へと落ちていく。


「俺はワームのせいで余裕を失った」

 すべての頂点の位置でデモニオ・アドラドがくちばしを下に向けている。

「なので巻き添えは覚悟しろ」


 そしてくちばしを開く。生血のような炎が放たれる。


「儂より強い松本よ。賭けてみぬか」

 火に照らされた楊偉天が、人の目に見える姿と化す。そして杖を掲げて下ろす。


「“生贄の炎”も消した……。レベルがちがい過ぎる戦い」

 化け物であるドイメがつぶやく。


 俺には楊偉天の求めるギャンブルがわかる。俺が抜けだせる可能性のために、俺が楊偉天の魄を殺す。デモニオ・アドラドの目論見は達成されるが、望んだ形ではない。ひずみが生じる。


「俺は無力だ。何もしない」


 だけど力なくても力を呼べる。その違いが……俺と楊偉天の差だ。思玲のおかげで俺は死者の書に打ち勝ち、俺よりはるかに生きて知恵もあったはずの楊偉天は、誘われるままに孤独へ仲間入りした。


「ひひひ、ならば儂が貴様を殺そう。梁勲の孫のために」


 エイジは司命星剣をやみくもに振るっている。ドイメは姿を消した。デモニオ・アドラドの幻影がまたくちばしを開く。怨嗟こもる血の色の炎が襲ってくる。

 俺は無傷のまま、まだ生きている。


「もう問答はやめよう」

 俺は実体ある楊偉天へ告げる。「俺は生きる。あなたはどうする?」


 俺は劉師傅を思いだす。あの人は、それでも楊偉天を崇めていた。敬っていた。

 配下の張麗豪は怖れていた。思玲は憎悪していた。祭該志は魂だけとなり……憐れんでいた。


 またデモニオ・アドラドが血を吐きかけてくる。


「くっ、本気で俺も倒すつもりか」エイジが剣を掲げる。「だったら成敗してやる!」


 それは今まで以上に煌々と輝く。白銀が血の色をかき消す。


「エイジ様も怖い……」姿見せぬドイメがまたつぶやく。


「松本は生き延びるだと? 儂にどうせよだと?」

 楊偉天が俺を見た。

「貴様を殺せるなら真っ先に殺していた!」

 魄のくせに感情をあらわにする。

「貴様は聡民の作った魔道具で忌むべき世界にいる。息子の理論が正しいのを具現してくれた。……お前が生き続けることが、聡民がいた証になる」


 そんなくだらないジレンマで俺は生き延びたのかよ……。だとしても。

 いま俺は分岐点にいる。この人を二度死なせてはいけない。俺の手で。


「あなたの好きな言葉を俺も使うよ。あなたがここにいるのは導きだ」

 俺はお前の配下でないから、敬いも嫌悪も恐怖もしない。

「俺があなたを生かしてやる」


 ただただ俺がお前を救ってやる。


「甘えん坊の思考の到達点だな。智慧ある魄の狙いは、魔女の松本への依存を消すこと。それの妨げへのジレンマが存在するだけ」


 すぐ背後でデモニオ・アドラドの声がした。こいつ、俺の心を読んで――


「これは罪を重ねた人間への仕打ちなので何にも影響されない。ただの人で冥界へ浸ったことへの罰。罪ある者を赦そうとした罰。何より魔女を惑わせた罰。生き血を求める邪神と呼ばれた俺にさえゆるせぬ所業だ。

屍となって奥底へ沈め。死ね」


 言葉が脳へ直接なだれ込み、俺は胸をでっかいくちばしで貫かれる。何度か体験した即死レベル……ここまでよく頑張ったねと、心臓が止ま


「儂とともに禊いでくれ!」

 楊偉天が俺へと叫ぶ。

「そのために貴様こそなおも生きろ!」





次回「奥底」

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