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二十六 三宅有事

「くそ……」

 歯噛みしてしまう。やはり居たのか。ずっと俺を見ていたのか。


 ルビーも通路に顔を乗りだし振り向く。その形相が険しくなる。


Spiritual(魂の) vessel()か。なぜ私の結界内に?」

「こいつは楊偉天。台湾魔道士団の長だった。いまは(罰として)知恵ある魄」

「尋常な存在でないのは見ればわかります。――貴様は何故ここにいる?」

「ルビーやめろよ。……俺についてきた」


 俺とルビーとパイロット。それと楊偉天である魄を乗せたプロペラ機は、低空飛行のまま旋回を始める。


「臥龍窟をまとったままで着陸したら大惨事だぞ? だが蠍の魔物は解除の瞬間を待っている。機内で瓶詰めとなるしかないか。ひひひ……」

 狭い機内で浮かぶ楊偉天が悪びれることなく笑う。

「そして幼体の金龍にとどめを刺される。しかも乗っている女魔導師こそ強者」


 だったらどうしろと言うんだよ。すでに瓶詰めだ。


「答えろ。なぜ私の結界の中にいられる!」

 ルビーが尊厳を踏みにじられたような勢いで怒鳴る。


「魄だからだろ」

 俺が答える。魂の乗り物は神出鬼没だ。


「魄だろうと悪魔だろうと、この結界を犯せるはずない」

 ルビーが俺に顔を向ける。目を逸らし「……護符で築いた致死の結界。人がマリオネットしかいないから、サンドを倒すため用いた」


「えっ」この状況下でさえ寒気がした。「俺は生きている」


 そんな結界があってもおかしくないけど、単に倒しただけでは復活される……それが狙いでないよね。


「この結界は、私が好意を持たぬものにはどす黒く見える」

「ひひひ、たしかに忌みじく黒い」

「黙れ……。天宮の力によるのだから、敵は誰もこの中で存在できない。アンヘラとチコなら耐えるだろうけど。……それなのに魄がいる。なぜ?」


 自分で答えを告げたじゃないか。つまり楊偉天はそいつらに匹敵する。……俺もルビーに憎まれたら致死かな。だって結界内なのにお天狗さんが発動しない。黒髪の大蔵司のものと同じだ。

 それでも、とてつもないドロシーなら太刀打ちできるだろう。かすかな安堵と……両者の対峙……想像したくないのにあり得そうな未来。


 んなことより、また直角を定規なしで描けるほど揺れた。忌むべき連中がいようがいまいが、いろいろ加味して着陸は危険だ。傀儡は三宅島空港に連絡してないだろう。滑走路で人が作業しているかも。だけど結界を消したら、ハカにチョッキンされる。


「着陸を中止させよう」龍との空中戦が待っているとしても。「ルビーは結界を厚塗りして」


「この娘では役不足」

 楊偉天が口をはさんだ。

「松本よ。儂の姿がさらされたのも導きじゃ。この娘とともに儂に運ばれて脱出しろ」


 なに言いやがる。貴様が俺を――


「生意気な器め。私の名はルビー・夏潤ハユン・クーパー。合衆国随一のディフェンダー」

 ルビーがベルトをはずして立ちあがりやがった。

「着陸を強行する。力不足かどうか、この致死の護りを見てから判断しろ」


 よろけながらも天宮の護符を掲げれば、もはやラベンダーという色分類を抜けだして機内がショッキングパープル。それどころでないのに、まぶしいし落ち着かない。


「ひひひ、儂ははるかに強い光を知っている」

 楊偉天は動じもしない。「松本は儂より更に知っていた」


 その手に楊聡民の杖が現れる。掲げておろせば、


「えっ」ルビーが絶句した。


 楊偉天がショッキングパープルを消しやがった!


「機体を包む結界も消してやった。巻き込む犠牲は最小限かな」

 俺へと笑う。俺の答えを待っている。


 真横に山が見えた。なおも大惨事の匂い。


「パイロットを逃せ! 誰一人死なすな!」

 意識せず叫んでしまう。「そしたら協力するから」


「龍を掌中にする手助けか?」

「ちがう。人へ戻る協力!」


「まずい、死んじゃう」

 ルビーが天宮の護符をかまえる。


「片面だけでいい。空へだけ!」

「はい。えい!」


 振るうと同時に着陸の衝撃。激しくバウンド。縦にも横にもこれでもかと揺れる。火伏せの護符があろうとむち打ち。


「きゃあ」ルビーが天井に頭を当てたあと後方に飛ばされた。


 ベルトをはずすなよ。頭よさげは見せかけで本当は……。窓の外はまだ揺れている。アンヘラは攻撃を続行するだろうか。

 今度は上空からの衝撃。ハカだ。そしてこれは最終警告だ。つぎは巨体化したチコのブレスが来る。


「一番暑い盛りゆえ表に島民はいなかった。操縦士は安全な場所に無傷のまま運んでやった。だがそれ以上は儂では無理だ」

 姿を見せぬ楊偉天の声が真横でした。距離感近すぎ。

「西洋の幼き龍は真上だ。急いで夏潤と合流しろ」


 ルビーは最後部座席へ不格好に乗ったまま動かない。めくれているが、防御部門全米第一位がこれぐらいで死なぬだろう。


「通称はルビーだ。まずは彼女を逃がせ」

「……つまり、おのれは死ぬ。魔女の狩りの対象になるくらいなら、ここで死んでもいいと、松本は心の奥で思っている」

「全然ちがう。梓群に振られようがルビーは助ける」


 俺は外道で腐っていようが、守ってくれた人を守る。自力でなかろうと。邪悪にすがろうと。

 そして俺は自力で生き延びる……。手を伸ばせば届く距離にいる。


「サンドめ!」


 俺はベルトをはずす。くそ、ガラガラヘビは尾を振りながら姿を現し、窓を悠々とすり抜け外へ消える。俺の思惑に気づいているうえコケにされた……。振動がおさまった。プロペラ機はオーバーランして止まったようだ。煙も炎も発生していない。

 振り向けばルビーは消えていた。


「ルビー?」


 返事がないなら姿隠しではない。俺の頼みに従う楊偉天が不気味。俺も脱出しないと。もうそろ巨大化したチコの吐息が


どしん


 プロペラ機の低い屋根が落ちてきた。金色に溶けていく……。


はやく逃げろ


「わかっている」

 お天狗さんに言われるまでもない。潰れても燃えてもないうちに


どしん


 割れた窓から飛び降りるなり、背後がなくなった。……JAよりはデカい飛行場附属施設は存在している。ピンポイントで飛行機だけを狙ったなら至近からの攻撃――見上げれば高い空で金色の鱗が輝いた。ちっぽけな俺を見おろしている。

 フロレ・エスタスより貪より小さい。風軍よりは大きいけど翼竜の殲ぐらいかな……。体のスケールに比べて大きな目。大きな脚。きっとチコはずっとずっと大きくなる。

 ハカも上空へ避難していた。そいつらの背に乗る連中は地面から見えないけど。

 チコが地上に向けて口を広げる。

 というか俺めがけて。


 くすんだ金色。枯葉色の光が密度濃く放たれた。

 ドラゴンパワーだ。

 でもな、俺が手にするお天狗さんの木札は黒色の龍に勝った。人の姿になった悪しき龍、貪に……。

 でもね、この金色の光には勝てそうもない。燃えたぎる季節さえ終わらせる光。


「梓群ごめん」


 俺はリュックを盾に掲げる。金色の中に俺だけが存在する。でも負けている。くすんだ金色の圧を感じる……。歴戦の背荷物が消滅しちゃう。

 だけど俺は知っている。魔道士のカバンは術の塊。追いつめられればやけくそに消費される。

 オーバーミレニアムの魔女が強化しまくったリュックサックなら最後っ屁どころか。


びりっ


 外ポケットが裂けてサブのスマホが溶けたと感じる。……愛すべきはドロシー。トラップが発動し、最強のシールドが現れてくれた。頭上で紅色が50センチ四方ほどで金色を押しかえす。

 リュックサックを防災頭巾にどこへ逃げる? 隣は海っぽい。反対側は山。とりあえず滑走路を走る。でも金色の光にアスファルトが泡立ちだした。スニーカーが溶けて足の裏が……。


「もういや」


 泣きたい気分。龍を倒す者は夏梓群。空へかざす迷彩柄のリュックサックは敵を探っている。俺は引きずり込まれただけ。紅色は頭上を守るだけ。お天狗さんは懸命だろうとカバーしきれない。……ルビーは助かったよな。天宮の護符を返してもらわないと……。

 紫が押し寄せてきた。……金色のなかのラベンダー色の回廊だ。俺は走る。その先にいる人めがけて。地面も熱くない。


どしん


 またブレスの衝撃。ラベンダー色が押しつぶされる。俺だけはドロシーのリュックサックの下で存在する。

 またラベンダー色が貫いてきた。今度こそしっかりと俺を包む。なのに頭上のリュックサックは拒絶して、金色ごと清楚な紫を紅色で散らす。


「哲人さんが喰われる! はやく飛び降りて!」

 ルビーの絶叫が聞こえた。


「え?」踏みだせば足もとがなくなり、崖を転がり落ちる。


 ……海岸だ。ゴンドウクジラが顔をだし、つぶらで虚ろな瞳で俺を見ていた。


「さきほどの屍のようです。私を追ってきたみたい」

 その背にルビーが飛び降りてきた。「海中に逃げましょう。結界で包めば溺れません」


 酸欠の可能性……どういう理屈か知らないが、結界が炎に長時間包まれても呼吸を続けられた。俺は浅瀬に寄った小型クジラの背によじ登る。……磯の匂いに混ざる死臭。クジラはラベンダー色に包まれるとともに海へ潜る。俺はルビーの腰に手をまわす。


「きゃっ」ルビーがちょっともだえる。「そこは駄目です。もっと下を抱えてください」


 ホテルの寝間着はなくなっていた。俺は透けたネグリジェから見える臀部へ手をまわす。海中だから薄暗い。間接照明みたいな紫色に包まれた二人。


どしん


 海中でもチコのブレスを感じた。海面が蒸発していそうだけど、クジラは金色から逃れるように潜っていく。


「屍は海だと朽ちるのが早い」ルビーが言う。「別の陸地を目指しましょう」


「ああ」と俺はうなずく。プロペラ機と滑走路を破壊してしまった。これ以上三宅島に被害を及ぼすわけにはいかない。とにかくだ、やはり龍は破格すぎる。


「チコも潜って追ってくるかも」

「飼い主がいなければ無理です。アンヘラといえども海中まで来れるはずない」

「ほかの使い魔は?」

「サンドは撒けません。いまも真横にいるかもしれない。でもハカが来ようと、屍を手にした私を倒せない。……連中が執拗すぎる。なぜ?」


 お前が狒狒とか叫んであおっただろ。それだけが理由でないにしても――サンド経由の交渉で漏れた姑息な笑み。アンヘラは金など欲してなかった。奴の目的は変わった。どんな手段を用いようが俺から九尾弧の珠を奪いたい。

 いまだって俺ごとチコに喰わせようとしたかも。青い龍のかけらをチコに入れるために。

 とてつもなく安全なドロシーのリュックサックに入れておくのが正解なのに、ハカがいる。エイジがいる。心を読まれぬためポケットにだしておかないとならない。


「くっ」


 クジラのひれに足の裏がこすれて激痛。溶けてなくなっているかも。泳ぐ屍クジラの背をネグリジェでまたぐ人なら治癒できる。癒しという名の口づけで……。

 我慢しろ。もっと辛い痛みがあっただろ。たとえば西洋の護りをたずさわった茨の蛇にがんじがらめにされたこと。


「魄は?」

 茨を俺に食らわせたのも楊偉天だった。


「さあ。やはり気を失った私を、この屍のもとへ運んだのはあの魄ですか。つまり味方?」

「正直わからない」


 楊偉天の意図は不明なままだ。俺をルビーとアンヘラの修羅場の最中へ運び、俺達の死地を干渉せず眺めていたのだろう。はからずして姿が露見したら、俺の切なる悲鳴に応じてくれたけど……。

 ハカやドイメが相模湾上空で、何かがいると騒いだな。あれは楊偉天だったのか?

 違う気がする。あの老人は承認要求強めだ。自作自演してまでランキング上位に貼りつくほどでないにしても、陰で力になるタイプではない。……奴の狙いのヒントはふたつ。


――この娘では役不足


 楊偉天はルビーを見てそう言った。おこがましい発想だけど、力あるルビーでも俺のパートナーになれない。俺を貶めたり助けたりしつつやらせたいのは、人として生きかえり余生を……。


――龍を掌中にする手助けか?


 よみがえりし狂った妖術士は、そんなことをのたまいやがった。金色の幼い龍を見て心が変わったのかも。龍を手に入れようと……それならば敵だ。

 ピースがもうひとつ俺のポケットの中にあるのにも、気づいているに決まっている。楊偉天の狙いがアンヘラと同じになったのなら、またも龍の争奪戦。

 そのくだらぬ戦いのために俺達は何度も死にかけて、死んだ人も猫もいて、生き延びてもひとつのシーズンと人間関係を台無しにされた。そもそも夏奈の――フロレ・エスタスの嘆きと悲しみを何だと思っていやがる!


「ひっ」俺の前でルビーが震える。「う、海のなかで怒らないで。ただでさえ怖いのに」


 真っ暗な海中。そこを漂う淡いラベンダー色に包まれた二人。


「ルビーに怒っているわけではない」

 いまここで伝えろ。

「助けてくれてありがとう。きっと梓群も感謝してくれる」


「……哲人さんから苦痛を感じます。また私が癒しを与えてもいい」

「あれは体力を減らすよね? だから俺は唯一の恋人から受けとるよ。それまで我慢する」

「大魔女はどこにいるのです? 助けにきてくれない」


 思玲を救うため冥界へ向かったか。俺を探しさ迷っているか。螺旋三発分の体力回復に台湾でつとめているか。


「梓群も戦っている」どれだろうとそういうことだ。


「ならばやはり私から受けるべきです。私は戦士ではない」

「俺の唯一愛する人が戦っているのに他人(・・)とキスできない。感謝だけして俺は耐える。もちろんこれからも協力してハカ(とサンド)を消滅させよう」


 痛みに慣れるなんてないし、虫歯も二日酔いも公平に苦痛だし。ましてや足の裏が燃えて放置は拷問。それでも我慢してみせる。


「何度も言いますが、私はConcubine(二号さん)でいい」

 その手にスティックが現れる。


 二号? そんなニュアンスで伝わったがなんだそりゃ? 二番目の恋人のことかな。 


「狭い車内でなんてロマンスありません」

「へ?」

「でも海中深く、腐りだしたクジラの上で初めての愛を交わすは素敵です」

「へ?」

「酸欠になりかけたら浮上しますし、もうじきあれが始まるので避妊は不要です。エラス、ギフィオ、ノマレ!」

「や、やめ……」


 結界内を血の色にしやがった。……死体のはずのゴンドウクジラが更に元気に泳ぎだした。極力意識せずにいたのに、俺が手をまわすのは、水色のネグリジェ越しの白い下着の上。そんな格好でまたがっているから太ももまで露出。透けた背中にブラ紐はない……。

 いまの俺は海の獣まさにオットセイ。反則技を使いやがって。だとしても俺は耐えてみせる。真ん前にノーブラネグリジェがあろうと。十七歳女子の匂いが漂おうと。

 ルビーが泳ぐ屍クジラの上で体を後ろ向きにする。そんな動作すると丸見え。


「顔が赤い。鼻血もでています」

 彼女はくすりと笑う。

「まずは癒しを授けます」

 唇を重ねてくる。そのままでまたも唱える。

「エラス、ギフィオ、ノマレ」


 俺のなかにダイレクトに術が飛びこんできた。こりゃさすがに我慢無理。サンドもドロシーも関係ねえ。


「ルビー!」俺は押し倒す。


「ふふ、おなじ肌色で、とっても頼りになる先輩……」

 三宅島近海で結界に包まれ腐りはじめたクジラの上で、彼女は微笑みながら目を閉じかけて、真上を凝視する。顔が引きつりだす。

「チコが来た」


 ここぞで現れる邪魔者め。昂る海獣と化した俺が消し去ってやる!


 見上げれば、金色のブレスが渦を起こしながら近づいてきた。


「屍。避けろ! そして戦え」

 ルビーが俺を押しのけ叫ぶ。


「追ってきたじゃないか」

 俺は興奮冷めやまぬままに文句をつける。

「うわっ」


 屍クジラが急旋回して、また俺はルビーにのしかかる。


「チコだけを送りこむはずない」

 ルビーがまた俺を押しのける。「……なんだか息苦しくなってきた」


「気のせいだ。俺はもっと長時間閉ざされたこともあるが平気だった」

 酸欠を理由に二人きりの密室から逃げられてたまるか。若い二人が息荒く接して酸素消費が激しかろうがまだまだ余裕。


「通常の結界は微細な通気孔があります。フィルターがあり毒も炎も術も防ぎますが、この結界は完全に遮断しています」

「だったら海上へ逃げて深呼吸しよう」

 そして続きをはじめよう。


「哲人さんは鼻息が強すぎる。いったん解除します。レマノ、オフィギ、スラエ」


 ルビーがスティックを振り、血の色が消える。俺は冷静さを取り戻す。精神性のものだろうけど息を辛く感じだした。


「はやく海上へ行こう」

「そうですね。でも水中だとチコから逃げきれる。哲人さんの息づかいも落ちつきましたし、あと少し耐えましょうか」


 受け身のままで、ころころ考えが変わりやがって……。泡だ。


「ル、ルビー……」

 俺は気づけた。魚雷が近づいてくる。違う。「逃げろ、アンヘラだ!」


 空気タンクを左脇に抱えてレギュレーターをくわえ、自然の摂理に反した速度で潜ってきた。スポーツブラと下着だけ。むき出しの目は開いている。右手には剣。


「ち、ちよっとでも結界を斬られたら死ぬ。助けて哲人さん」

 賢そうな顔して危機管理能力ゼロが明白になったルビーにしがみつかれる。


「とにかく浮上! クジラに命じろ」 

「ははい。屍め急げ。朽ちる前に空を観ろ」


 屍クジラが直角に浮上する。俺はルビーに抱きつかれたまま背びれを抱える――アンヘラと交差した。


スサッ


 屍クジラを包むラベンダー色が水漏れしだした。

 頭上に光は感じない。どれだけ潜りやがったんだ。屍クジラにしろ。アンヘラにしろ……。とどめのように金色の渦が頭上を通過中ではないか。このままだと突っ込む。


「避けろ……間に合わない! 私達終わっちゃう」


 俺達は夏を終わらせるブレスに包まれる。


ミシミシ……ピキ


 アンヘラの開けたひびが広がったようで、海水が流れこむ。ルビーは俺にしがみつくだけ。


「結界を張りなおせ」

「は、はい。えい! ……しまった、逆さに張っちゃった。内からも破壊してしまう」


 パニックは仕方ない。誰もが思玲みたいに修羅場をくぐっているはずないし、ドロシーみたく華麗に即断独断できるわけない。


「はやく解除して。――楊偉天! いるなら助けろ!」


 返事はない。ようやく頭上に陽の光を感じた。でもかなり遠い。結界内は早くも半分近くが海。

 うやうやしく言いなおせ。


「老師、助けてください! 俺達も力になるから」


ひひひ


 笑い声がした。


――儂とて非力。囲まれた状態で二人も運び、龍や蠍から逃げきれぬ。ましてあの女魔導師から


「蠍……ハカが海上で待っているのか? 奴とだけでも相討ちしてやる。魄め、その手助けをしろ」


 勝手に決めるな。それなら俺はサンドを倒したい。それより生き延びたい。もう海水は三分の二。


「ルビーやめろ。……逃げるでなく戦うならどうですか?」


――さすが松本哲人。儂はお前達から離れ、屍術士が駒にできるものを探してみた。記憶どおり伊豆半島で見つけた。そこまでなら、二人を運べる


 だらだら喋るなよ。もう首まで来た。俺達はクジラから体を離す。結界はクジラの体形に合わせて先端が細まる流線形。つまりここからは早い。


「ひい、水が……」

 ネグリジェひろがるルビーが空気ある一画に顔だけだす。

「それは人でないだろうな。馬も嫌。犬も猫も駄目」


「ルビーわがまま言うな。くそ、ごぼっ」

 その横で俺も浮かぶ。空はまだかよ。こんな状況で、待ち受けるハカと戦えない。

「あっぷ、とにかく、助け、ごぼっ」


――忌むべき娘よ案ずるな。その骸も忌まわしきものじゃ。ほれ、龍が口を開けて近づいてきたぞ、ひひひひひ……


「あっぷ、ならば、ひい、私と哲人さんを、連れていけ、ごぼごぼ……」


――松本よ。これが慈善でないことを、ゆめゆめ忘れるな


 あとわずかで海面なのに。


「わ、わかっている、ごぼごぼ……」


 俺達は水中に没すると同時に、凍える痩せた腕に抱えられる。同時に伊豆半島へ運ばれる。





次回「伊東屍蝋」

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