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Cuatro 異境

0.5ーtune



 俺達の情報は予想以上に漏れていた。昼間はマークされるだろうが、警察も自衛隊も接触してくるはずない。

 裏である影添大社も、ご多聞に漏れず人手不足のようだ。それでいて海外の魔道士や魔導師が大挙するのを嫌がるから、都心に近寄らぬ限り案外野放図にやれるかもしれない。

 クライアントが死んだのを幸いとしよう。松本だけでも始末すれば、前金分の仕事を果たした名目ができる。そしたらとっとと北の国へ向かう。俺達にはチコがいるのだから、食客として迎えられる。毒と放射能に気をつけてウォッカを薄めて飲もう。


 ヒューゴもっと笑え。薄めた酒しか飲めない俺達が分散を避けようと……、どん詰まりへ逃げようが恥ずかしくない。お前がちっこいペニスを勃たせるルビーは放置して、魔女お気に入りの稚児チコを倒すのに全力を注ぐべきだ。


 魔女の復讐? 案ずるな。サンクトペテルブルクに籠もらせてもらえれば、夏梓群でも手をだせない。影添の内宮に忍びこむほどの愚か者で、かつ生存を果たせる者でない限り。

 そんなのはミレニアムの魔女でも不可能だ。


 ***


 エイジに言われようと、私はルビーに関わる。理由はあの娘こそ見境ない魔女だから。どこに引きこもろうがいつの日か必ず現れる。

 だが、まだ私を恐れてくれている。ならば味方にしろ。無理ならば終わらせろ。そのために二チームに別れ、私は早朝から冷房がきつい電車に乗った。人の作りし温度。ドイメは耐えるどころか快適そうだ。異形を見つけられず鹿しか食べられなかったチコは不満をこぼす。




お母さん(マドレ)、おなかがすいた」

「ん? そうだな」


 仮眠しているうちに景色は町へ変わった。降りても湿度と人いきれ。清潔すぎて落ちつかないプラットフォーム。性に合わない国だ。開店前のペットショップに寄り道して再び電車に乗る。


「マドレは、この鉄の蛇も倒せるの?」

 機嫌が戻ったチコが聞く。


「チコでもハカでも容易だ。だがするな」

 私は肩へ告げる。やさしい言葉で甘やかせない。

「ルビーは逃げてないだろな」


「わからない。でも、すやすや寝ていると思う。僕も眠い」


 他にあてはない。ならばチコの感に従うだけ。見つけられなくても叱らない。自信が足りなかったことに気づかせるだけ。


「大蔵司京は魔女です。私が本性を晒したとしても倒せなかったでしょう」

 無視され続けるドイメが消え入りそうな声で伝える。

「丸茂史乃はこの地の神の加護を受けています。それだけの存在。……私が本性を見せれば勝てます」


「どうだろうな。お前が化した姿だが、真忌マキとどちらが不気味だと思う?」

「それはマキに失礼です」

「どちらが気色悪いと思う?」

「……きっと私の本性に嫌悪を覚えるでしょう」


 プライド高い女人の姿の魔物のくせ媚びやがる。こいつは粛清を恐れている。私の護りを消されるのを恐れている。


「残念だが僅差で真忌のがおぞましい。冥界での松本はどうだった?」

「え? 怯えを見せませんでした。おそらく何度も訪れたのでは」

「ほお」


 口笛を吹いてしまう。

 奴にとって冥界は異境でないのか。チューオーラインという電車で、衆目にさらされる私こそ異邦人だ。日本人には大柄のラティーナと小柄な白人娘の組み合わせが珍しいようだ。ドイメは誘う妖気を漂わせないので、私のが目立つ。空腹ではなくなったチコは肩でうたた寝している。


 タチカワで、私とドイメは改札を抜ける。太陽が空にいる人の時間。しかも大都会のエスタシオン。私がいようと夜の出来事になるはずない。

 官憲は尾行してない。エイジの杞憂はいつものこと。消防車も救急車も私達のあとをついてまわらない。


「エイジからもヒューゴからも連絡がない。どちらも死んだか電波を歪まされたか。ドイメはどう思う?」

「アンヘラ様からおかけにならないのですか?」

「ドイメはどっちだと思う?」

「……サンドも戻ってこない。妖狐を倒した者と遭遇したのなら、最悪もあり得ます」

「私の判断ミスと言いたいのだな?」

「とんでもございません」


 私は立ちどまり、後ろを歩くドイメに顔を向ける。胸の十字架を握る。


「黒かろうが、吸血鬼くずれにクロスの護りは似合わぬ」

 ドイメに授けた加護を消す。

「貴様が囚われて歯車が狂った」


「私だけの責任でしょうか」


 ドイメは強い。窮地になれば、曖昧ながらも笑みをこぼす。私相手に一矢報おうとしている。穢れた剣で消されようと何百年かけても復活する覚悟。

 遊んでやってもいい。だがな、チコが目を覚ました。


「マドレ。ドイメ姉さんが昼御飯?」


 ドイメの笑みが凍りつく。私の次のセリフでこいつの運命は決まる。


「なんでも食いたがるな。ドイメはお前の餌ではない。まだ」


 私は人の目に見えないチコの頭を指で小突く。そんなパフォーマンスも、駅を行き来する日本人は見えない振りを続ける。自発的に夜の出来事にしてくれる。


「食べないと大きくなれない。強くなれない」

「チコは誰よりも強い」

「マドレのが僕より強い。ずっと怖い」


 賢くてかわいいチコ。たしかにお前を倒せるものはこの世に存在する。……お前のために減らしてやろうか。龍を倒す者を。


「強くなるために、夜になったら吐息ブレスの練習をしよう。ターゲットに向けて放ってみろ」

 ドイメを見つめながら肩へ告げる。

「だがな、いまはチコの嫌いなルビーがどこにいるか案内を続けろ」


「すぐ近く。まだ寝ている」

 チコが私の肩から離れる。ちいさい翼でパタパタ飛ぶ。


「龍の勘……。このままのペースならば、アンヘラ様が存命のうちに成獣となりますね」

 ドイメが隣に来る。何もなかったようにまた媚びだす。


「強い異形や強い人をたくさん食べれば、すぐにでかくなる」

 反抗期が待っていようが。


「それならやっぱりドイメ姉さんとハカおじさんを食べたい」


 チコは耳がいい。先導をやめて私らに向かい羽ばたく。かわいい翼。大きな瞳。くすんだ金色の鱗。


「食い殺された異形はどうなるか。ドイメ教えてやれ」


 私は立ちどまらない。必要以上に不審の目を向けられたくない。……誰もが夏梓群に始末されただろうか。魔女の次の標的は私だろうか。それともチコだろうか。

 ドイメが完璧な微笑を浮かばせる。


「チコ。私もハカも食べられたら二度と復活できないんだよ。真忌マキでさえもね」

「マキおばちゃんはまずそう。マドレに食べなさいと叱られても、おなかがすいてなければやだ」


 チコは空腹時以外は寝てばかり。じきに餌をせがみだす……。育ち盛りのドラゴンの食欲を甘く見ていた。いずれロシアのトナカイを根絶やしてしまうかもな。北半球のPapa Noel(サンタクロース)が困ろうと人だけは喰わせない。


「さてと。合流を待つか、私らだけで向かうか。ドイメが決めろ」

「どちらだろうと責任を背負わされるなら、我が主達を待ちます」

「ヒューゴは生きているのか?」

「アンヘラ様が気づけぬことを私に分かるはずない。……でもアンヘラ様から余裕が感じられる。ブラジルの姉妹ぐらい」


 くすりと笑いやがって。

 四六時中頭にサンバが流れる悪運だけが取り柄のハンターどもと一緒にするな。余裕などあるものか。私は常に苛立っている。じきに大和獣人の気配を感じとるかもしれない。魔女が現れるかもしれない。

 うつむく顔。はしゃいでごまかす……。抱いたイメージとちがい臆病者でなければどうなる?


「僕、大きくなろうか?」


 チコが私の感情に気づいてくれた。守ってくれようとしている。その心だけで充分だ。


「ノー。でかくなると気づかれる」


 私は歩をゆるめない。チコが再び導く。黄色い肌の人の流れを縫う。絶えないアナウンスが耳ざわり。ドイメは私についてくる。戦いを避けたものなど無視だ。だけど信号には従わないとならない。

 立ちどまり、チコだけを見つめる。


「ルビーは昨夜の戦いで死人を使わなかった。つまり駒はない」

 ハーフ淫魔は私の沈黙に耐えられないようだ。

「死人は吸血鬼の血を受け継ぐ私だけ」


 魔物め。誇りを持つな。

 信号無視のチコは道の向こうでよそ見ばかり。店先へふらふら。ひとの頭上をふらふら。


「……なので私が先頭で入ります。私の身でルビーの加護を打ち消します」


 ようやく言えたか。今夜チコの吐息の的にならず済めたな。かわいい顔が焼けただれずに済んだ。


「再度クロスの加護を与える」

 私は胸もとの十字架に握る。宝庫に封じられていた忌むべきアムレット。私だから制御できるdoración al d(悪魔崇拝)iabloのCruz del (南十字星)Sur。

「ドイメが灰になろうと即座に地上へ戻るを願う」

 祈りを心の声にして聞かせてやる。


「……黒いサザンクロスと大翼の剣。そしてチコ。あなた様なら魔女に勝てるかもしれません」

「剣の穢れはとれない」


 東洋の魔道士のが強いとされている。その頂点にいる者はどれほどの力だろうか。私が過去に倒した最強の魔物は――五名で取り掛かったとしても私がエースだった――飛竜に騎乗した鬼達。あの合わせて三十体も夏梓群なら容易に消し去るだろうか。親衛隊三人が死んだものを相手に。


 強い敵を知りたい。生きた証にしたい。

 強い敵を避けたい。泥まみれでも生き延びたい。

 心はいつでも相反しあう。


 エイジとヒューゴが魔女に殺されたとして、私は復讐をすべきなのか。まだチコは幼い。母親である私が死ぬわけにはいかない。

 信号の色が変わり東洋人が一斉に歩きだす。チコは向かい岸で待っている。この子のために死ななければいいだけだ。そのためにエルケ・フィナル・ヴェラノこそ戦わせる。


 *


 この国は裏通りも清潔だ。そうでない場所もあるだろうが。


「あの人間はここにいるかな」

 チコが自信なさげに私の肩へ戻る。私は建物を見あげる。


「間違いなくここだ」

 私の感がようやく訴えた。龍の勘に頼ってばかりでも、それが衰えるはずない。戦いの場では私の五感六感はチコを上回る。つまりここは戦場だ。

「激しい戦いが待っている。ドイメは覚悟しておけ」


「ここで? ここは墓地でなくホテルです。生きた人だらけ」

 ドイメが先頭で自動ドアを開ける。

「しかし野宿しないとは、あいかわらず生意気。抜けている」


 その余裕がルビーの怖さだ。レクレーションで私達を狙う。この異郷ではそうもいかぬはずなのに……むず痒い。


「ルビーも傀儡の術を使える。ただで寝泊まりできるからだろ」

 私が続いてドアを抜ける。チコは肩にいる。


 合理的なロビーに人は少なく、フロントも私達に注意をそれほど向けない。ラフな出で立ちのペルー人が珍しくないのだろう――。ソファに座るアジア女性が私を見ていた。ポーチからスマホを取りだす。うつろなマリオネットの眼差し……。


「オラッ!」


 私の一喝に人形と化した人が気を失う。私の姿を見たら発動する操り人形か。そんな高等な術は私に無理だ。人のお人形を奪い、魂魄なき屍を操る者には容易か。


「気づかれた」

 逃がすわけにはいかない。チコだっていつでも見つけられるはずない。

「ドイメはここで待ち伏せろ。私は階段を向かう」


 駆けだしながら告げる。こいつがいてよかった。ドイメなら微笑むだけで事を荒たげずにできる。いざとなれば血を吸えばいい。なによりルビーと向かいあえば、同族嫌悪さながら牙をさらす。本性を中途半端にさらしてしまう。

 獣の感。私はそこにあるのを知っていたかのように非常階段のドアを開ける。


「マドレ揺れる」

「我慢しな」


 チコはしがみついている。あらたな使い魔を仕入れていない限り、ルビーに逃げる手立てはないはず。飛べる下僕がいたとして、窓から逃げても私にはチコがいる。

 二階三階と踊り場を駆けあがる。ハンターの勘。ルビーは夜景を見おろしたい。上の階だ。その廊下もそのドアもイメージできる。


「マドレ、死者は怖いだけだよ。食べてもおなかはすいたまま」

「いないから安心しろ」


 死人は厄介だが消費期限がある。術で防腐されようと見た目も匂いもキツくなる。人の目に晒されるので連れ歩けるはずない。それに、この国は野蛮にも何十年も前から遺体を燃やすとエイジから聞いている。骨だけさえも仕入れられない。ルビーに駒はない。

 五階から六階へ。イメージできる。その部屋も。おののくルビーも……。だけど激戦の予感。魔女のトラップ?

 私は獣だ。怯えるのは仕方ない。だが私はハンターだ。おのれを奮いたたせろ。私には夏を終わらせるものがいる。


「狭い場所は嫌い。だって僕は大きくなれない」

「はは、このビルを壊していい」

「人を巻き添えにしていいの?」

「強い敵がいたらな。それまではおとなしくしろ」

「うん。ルビーだって人だから食べない。命令されるまで殺さない」


 私のチコ。躾けの行き届いた私のベベ。十階、十一……このフロアだ。私の手に剣が現れる。


「オラ!」


 金属の扉を割く。非常ベルが鳴りだす。私は駆ける。浮かんだイメージへ忠実になれ。忌むべき娘は、この部屋だ。


「オラ!」

 ドアを蹴り開ければ誰もいない。だがここにいる。

「結界を解除しろ。さもないと中身も一緒に両断する」


 目の前に青ざめた少女が現れる。寝癖が残る黒髪。昼にこそ眠るのは理解できる。だが透けたネグリジェとは何様だ?


「アンヘラ……、なぜ居場所が分かるの?」

 ルビーが手にした黒皮のバックパックを抱きしめる。その目線が私の左肩に移る。麗しい顔に絶望がにじみ出る。


「話し合ってもいい。ここは賑やかになるから場所を変えよう」

 私はルビーの手をつかもうとする。

「降伏の証にあの剣をよこせ」


「誰が貴様らなどに従うものか!」

 ルビーは部屋の奥へ逃げる。


「では手荒に進める」

 私も中へ入る。清潔だが狭すぎる客室。この国の縮小だな。鳴りやまぬベル。ドアは内側に開いたまま。

「顔はゆるしてやる。腕を切り落とす」


 脅しではない。失血死もさせない。


「か、飼い犬だったアンヘラ。野良犬になろうと私の護りを感じないの?」

 ルビーがベッドの上で引きつった笑みをこぼす。

「私には愛するカウボーイができた。ピンチには助けにきてくれる」


 死闘の予感。でもそれは今でない……。はずなのに、ルビーの真隣の時空が歪み、東洋の若者がふらつきながら現れる。泥まみれ。


「オラ!」

「え?」

「……ちっ」


 戦場での舌打ち。咄嗟に放った斬撃は跳ね返された。


「え? え? なんで?」


 松本が時間差で寝乱れたシーツにしゃがみ込む。呆けた目でルビーを見上げる。……弱者。のはずだが。

 獣でありハンターであり追いつめられた獲物である私の感。こいつは強者。我が手に持つ剣が穢れに耐え赤く輝く。


「チチチ、哲人。なにが起きた? ……なんだこりゃ」

 シーツが膨らみ、ペンギンが顔をだす。そのくちばしが紅色からラベンダーに移ろい光りだす。





次回「女子の部屋にアポ無ししたら先客がいた」



11月再開予定です

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