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一 夏は何度でも訪れる

0.1-tune



 あれから一年近く過ぎた。俺はまだ高尾手前のアパートに住んでいる。ユニットバスのドアはドロシーに借金して修理した。実家は保険とガス会社からの(無実の)賠償金で新築された。

 本来のままのありふれた学生。生活レベルに変わりない……。

 一連の報酬の隠れ蓑である宝くじがはずれた。五億円どころか三百円も当たらなかった。一部の魔道士との交際が続いているから、受けとる資格がないらしい。

 これぞ魔道士どもの理屈。香港魔道団十四時茶会に復帰した梁勲と、上海不夜会新統領デニーの嫌がらせ。


 そのくせドロシーとの進捗は、いろいろ全て合わせても、到達点を10としたら0.1ぐらい。

 あの二日間はキスしまくったのに、以後は合わせて七回。それ以上のやましい行為は皆無。服の上からも触らせようとしない。二十一歳の俺に。お前も十九になっただろ。

 前世のモラルかよなんて言わないけど、せめて自分の誕生日ぐらい恋人に顔を見せろよ。……彼女はほぼ日本にいない。たまに来ても完全夜型だし。

 昼間は影添大社の客間で寝て、人が寝静まったあとにハーベストムーンの特殊能力――ポイントへの瞬間移動で、俺の部屋にアポ無しで現れる。あっちの世界の近況報告を延々と喋り続ける。あくびを噛むとうつむかれてしまう。


 未来の着地点である10へ向けて、せめて2ぐらいまで進展させたい。具体的には、息子が産まれて家族を持つのが10として、チャペルが8。婚約が7。それはまだ先だけど、そのために町を並んで歩くのが1。心だけでなく体も結ばれるのが2。

 道のりは遠くない。きっかけさえあればと思う。


『現在台灣、 我買了衣服給思玲』


 だけどスマホからのメッセージは、あっさりした繁体字。


 いまは台湾なんだ。思玲に服を買ってあげたよ。似合うけど照れちゃってかわいい。へへ。


 これくらいの文面は欲しい。自撮り画像を送ってと頼んでも返事は。


『害羞』


 恥ずかしいそうだ。俺は恋人とのツーショットもない彼氏だ。


 *


『上海も香港も哲人にお怒りだ。英雄をたぶらかす男にな』

 幼い思玲が海を挟んで念押ししてくれたこともある。『影添大社もこころよく思ってないらしい。京に聞いた』


 王思玲は陳佳蘭とともに台湾の山奥で過ごしている。俺が忌むべき記憶を戻した夜以降会っていない。


「ドロシーの写真を撮って送って」

 彼女は台湾にいる時間が圧倒的に長い。理由は小さくなってしまった思玲がいるのと、人間が誰もいないから。


『私もスマホを買い与えられたらな。……ドロシーは哲人の画像をコレクションしているぞ。寝床でにやにや眺めているのを見かけてしまった。赤面されて口止めされたから本人に言うなよ』


 あり得るとは思う。ドロシーがぼおっと俺を見つめていると何度か感じたことがある。俺は昨夏を経験して、タフでワイルドな男としての魅力があがったとうぬぼれそうだけど。


「俺はそんなに撮影させてない。撮りっこしようと言っておいて、自分の番になったら拒否された」


 カメラに向かいポーズをとるとパパを思いだすらしい。うつむくドロシーを撮影しても意味ない。


『哲人もニョロ蛇をつかえば、いくらでも盗撮できるだろ。着替えも。入浴も』

「この部屋ではシャワーを(狭いから)浴びない。それにハーブがいるからニョロ子も視覚を消される」


 聖なるペガサスであるハーベストムーンだけには、有能すぎる飛び蛇であるニョロ子も手をだせない。主であるドロシーを聖なるオーラで包むらしい。ただの人である俺には、オーラどころか羽根がある白馬も浮かぶ赤い雌蛇も見れない。


 俺は忌むべき世界に戻らない。なので影添大社とも関わらない。と言いたいが、たまに大蔵司京が言付けを持って現れる。なんか中途半端……。横根瑞希もそうだったな。その後遺症と言えるのか、忌むべき記憶が喪失せず苦しんでいたけど……。


『とにかく哲人はこっちに顔をだすな。お前がオヤジになって毛が薄くなりだしたのを、私が遠目で笑うだけだ』


 思玲はドロシーに電話を換わることなく通話を終えてしまう。こんなのばかり。


 *


 川田やドーンと会うなと、メッセンジャーである大蔵司すなわち麻卦執務室長に言われている。従うはずないけど、どっちにしろ彼らの顔を見るのはずいぶん減った。俺とドーンはテニスサークルをやめ、俺は昨夏の遅れを取り戻すため猛勉強。カラスだったドーンはパラグライダーにはまり、獣人だった川田は七実ちゃんにはまっている。


 横根の忌むべき記憶は、俺と入れ違いに完璧消えたらしい。大蔵司が言うには、影添大社を訪ねたのも一度きりだそうだ。俺は横根と以後は会っていない。理由は、記憶を残したままで顔を見せないでねと言われたから。

 なんのかんの彼女は強かった。誰より強い部分もあった。その言動のいくつかにわだかまりは残っている。すべてを忘れてしまった人に何も言えない。ただ遠のくだけ。

 横根からも連絡はない。忌むべき世界に引きずられることなかったらサークル仲間として交友が続いただろうに、お互いに過去の人……。

 いまだ両方の世界にいる俺は彼女に関わってはいけない。でも必ず何年後には、俺とドロシー連名で招待状を送る。そして産まれる息子には、彼女の名前の漢字のどちらかを授ける。それは決定だ。


 正直言うと、川田とドーンと会うのもきつい自分がいる。何もなかったように接する友に違和感と罪悪感を覚えてしまう。

 桜井とは縁があるのか大学構内で何度か遭遇した。


「たくみ君なら、私の兄と同じ会社に勤めたよ。船橋の寮にいる」

「会ったりするの?」

「そりゃ恋人だし」


 桜井は大人びたまま。馬鹿笑いをしないまま。それを言うならドロシーの満面の笑みも見ていない……。それこそが肉体関係より手前にある二人のステップアップだろ。

 なので桜井夏奈は藤川匠に託す。二度と見ることない奴と競争だ。


 ***


 七月八日の深夜二時にスマホが鳴った。勉強を終えて就寝したところ。


『おなかすいたけど、ご飯ある?』

 ドロシーが事前通達してくれた。ようやく急襲を仕掛けなくなった。


「バースデーケーキを用意してあるよ」


 ワインもある。彼女は未成年だけど一般人の掟は不要だ。というか酔わせたい。やましい狙いはちょっとだけある。


『日本人の英語の発音はかゆくなる。だけどダーリンはさすがだ。いまから行くね』


 君の日本語の発音はあざといほどかわいいね。

 俺は灯りをつけてベッドの上に避難する。十秒後、騎乗スタイルで宙に浮かぶドロシーが現れる。蛍光灯の傘に頭を当てながら、見えない馬から飛びおりる。

 紺色シャツを肘までめくり、真っ白のチノパン。水色スニーカー。こざっぱりしたファッションの、年齢的には大学一年生。有史以来最強の魔道士には見えない。


「日付が変わったけどハッピーバースデー、梓群」

「へへ、どーちぇ」


 ドロシーがはにかみながら靴を脱ぐ。迷彩柄のリュックサックを背からおろす……。三週間ぶりだろうと久しぶりに感じる。かけがえなく感じてしまう。

 彼女は髪を伸ばしだした。つややかな黒髪をストレートにおろしている。メイクはしないけど、特急あずさが通過駅を過ぎる勢いで大人びていく。(盛ってなければ)胸もでかくなったし、何より奇跡的眼差しを俺に向けてくれる。


「部屋では二人きりと約束したよね」

「もちろんだ。ハーブはニョロ子ちゃんを連れて空にいてね。三十分後に迎えにきて」


 見えない馬が見えない蛇を連れていったか知るよしないけど。


「三十分だけ?」

 過去最短は二分だからそれよりマシだが「二人きりのバースデーパーティーだよ。朝までいてよ」

 試験期間に突入間際だとしても。


「哲人さんの未来のため、勉強の邪魔にはならない」

 俺を深夜に起こしたドロシーが冷蔵庫に向かう。

「それに今から四川省へ遠征」


「……魏さんと?」

「またデニーさんと組む。四泊五日のスケジュールって長すぎるよね」


むかっ


「二人だけでないだろな」

「怒らないでよ。私は黄衣隊にオブザーバーとして参加だけど、行ったらまた二人きりかも」

「デニーは梓群を狙っている。断れ」

「だから怒らないで。帰るよ」


 俺はベッドから降りる。顔をそらすドロシーのもとへ向かう。


「帰さない」

 彼女を正面から抱く。


「や、や、やめてよ。照れる。恥ずかしい」

 ドロシーの体温が急上昇した。鼓動の高まりもブラ経由で感じる。戦場では抱きあいまくったのに、かわいすぎる。

「行かないとならない。私がいないと、リバースパンダちゃんが殺されちゃうかも」


 彼女は俺の抱擁をどかそうとするけど、筋力だけは人並み女子だ。


「その子は悪なの?」

 抱いたままで耳もとにささやく。ドロシーがぴくりとする。


「ひゃ、……つい。正式名称は奥赛罗熊猫おせろしぉんまお。本物のジャイアントパンダの白黒模様が反転した、人の目にもパンダの目にも見えない異形。食欲旺盛で笹を食い散らかし、パンダを飢餓に陥れる恐れがある。熊系だけど星は三つにした。はやくケーキを食べたい」


 登録商標を異形に名づけるなよ。……微妙に悪な異形だ。成敗よりもドロシーに躾けられて、香港に連行されるのがふさわしいかも。

 彼女は異形再教育のためアジアを飛びまわっている。並の魔道士なら死闘を繰り広げる敵でも、ドロシーならたやすく屈服できる。ドロシー自身が望んで躾しまくっている。


「分かったよ。気をつけてね」

 俺は抱擁を解く。

「デニーと二人きりで食事するな。呼ばれても部屋に行くな」


「当然だ」

 ドロシーがあらためて冷蔵庫をあさる。

「赤ワインだ。私は毒が効かないからアルコールに酔えないんだ。デニーさんに度数55のマオタイおごってもらったけど、素面のままだった。……安そうなワインだろうと、十九になった夜に恋人とグラスを傾けるなんて素敵だ。だけど太るだけだからぷやう。へへ」


 いつか紫毒の耐性も薄らぎ、テーブルワインにほろ酔うドロシーを見る。二人のステップがまた増えた。





次回「彼女との痴話喧嘩を発展させてはいけない」

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