夜撫でるメノウ
____どうして今この人と一緒に帰ってるんだろ。
居酒屋の明かりで街がぼんやりと照らされた深い夜の中で、駅に向かう途中ふとぼんやり、そんなことを考えていた。
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「聞いてないんですけど」
今日の俺はなんだかついてないらしい。朝は寝坊で1時間目の講義を逃し、さらに昼休憩にはまるごと先生に雑用をやらされ…。
そして今度はこれか。
「いやいや、前に言っただろ。今日は青山大学の女子バトミントンサークルもくるって。」
「ええ、じゃあ俺この飲み会はパスするわ。」
「はあ?今日お前来るから青山の女子が来てくれる約束になってるのに困るよぉ…、なぁ頼む!!」
そう手をすり合わせて頼み込む友達を流石に無碍にはできなかった。そのため結局飲み会には強制的に連行することとなってしまったのだが、やっぱり行かなきゃ良かったと後悔することを今はまだ知る由もなかった。
「分かった。そのかわり今度飯おごって」
時刻は午後11時を回った。
「桂山くんって、やっぱりモテるよね〜」
また、これだ。いい加減このやり取りも飽きてきた。
高校までは部活中心だった俺は大学で垢抜け、異様にモテるようになった。そしたそのとき悟った。マジで人は外見が全てだということを。
「いや、どうかな」
「ええー、絶対モテモテでしょ♡」
彼女の甘ったるい声にうんざりしていつつも、適当に相槌を打っていた俺は、今か今かと帰るタイミングを見計らっていた。もし今誰か帰ろうとしてたら便乗して一緒に帰るんだけどな。
「ねぇ、君はまだ帰らないの?」
ダメ元で聞いてみるも、
「んー、桂山くんが帰るなら一緒にどこか寄りたいなあ〜。」
「いや、そういうんじゃなくて。普通にそろそろ帰りたくてさ。」
そうバッサリ切り捨てた後すぐ、俺は言いすぎたことに気づいた。すると彼女は途端に冷めた口調で
「そう。じゃあ、あの子と一緒に帰ったらいいんじゃない?」
猫撫で声とは打って変わった彼女の本来の地声であろう声音が耳に響く。さすがに塩対応すぎたか?その態度の急変に一瞬血の毛が引いた。気を落ち着かせるためにスゥーっと一呼吸置いて、先ほどから彼女が指さした方をちらりと見ると、そこには明らかにこの場に馴染めてなさそうな女子がいた。たしかにあの子は帰るタイミング伺ってる感じがする。だけどなんだろう、この既視感は。あの子…どこかで見たような。
ジーッと見つめてると彼女もこちらに振り向きパッチリとお互いに目があった。その間およそ2秒ほど。すると途端頭の隅から湧いてきた高校時代の記憶が猛烈にフラッシュバックした。
マジか…。情報を整理するのに5秒はかかった気がする。なんとそこにいたのは高校時代の元カノ、真柴詩織だった。長い黒髪に白い肌というとてもバドサーに入ってるとは思えない容姿。退屈そうな彼女の姿を見ていると、大学に入っても変わらない彼女の雰囲気に安心したような、がっかりしたような不思議な気分になった。髪が長く落ち着いた印象を抱かせる彼女は、誰とも話さずただ人形のように座っていた。ところで、先ほどから俺がチラチラ彼女を見ても、彼女、もとい真柴は俺のことをたいして何も思っていなそうな様子である。いや、もしかして俺だと気づいてないのかもしれない。まあ、いいや。ちょっと気まずいけどこれは数少ない帰れるチャンスだ。
「俺もう帰るね。楽しかった、ありがと。」
「あぁ、うん。じゃあね」
元猫被り女に軽く別れを言い、俺は真柴のいるテーブルの方に向かった。
「あの、俺帰ろうと思うんですけど、どうせならあなたも一緒に帰りませんか。」
相手は俺だと気づいてない可能性もある。それに加え、ちょっとの気まずさと不安。チキンな俺が元カノ相手に敬語になるには充分な理由だった。
「別にいいですけど。私も帰りたかったんで。」
そういうと真柴はスッと立ち上がりそそくさと店の外へ出て行ってしまった。
「あっ、待って」
咄嗟に出た右手が虚しくも空をつかみ、真柴はスッと横切って行ってしまう。ほんと相変わらずだな。無愛想というかなんか、飾りっ気のない感じ。はぁ…っと息をつくと、そのとき誰かが俺の肩を掴んだ。
「今出た子をもしかしてお持ち帰りするのか」
真っ赤になった顔でニヤニヤと聞いてきたのはサークル仲間の一人だった。ダメだこいつ。完全に酔ってやがる。
「ちがうって。てかお前飲み過ぎな。」
「大丈夫だってこれくらい。桂山、今日最後までいるって聞いてたけどもしかして帰るのか」
そんな恨めしそうな目で酔っ払いに見つめられても困る。俺が今日最後まで残るとかいったやつほんと誰だよ。いい迷惑だ。
「最後までいるとは言ってないよ、俺は。じゃあまた明日な」
果たして真柴は待ってくれてるだろうか。駆け足で店を出ると、その入り口付近の街灯脇に立っているのを見つけた。先に帰ってくれた方が気は楽なはずなのに、彼女が待ってくれていたことを嬉しく感じる自分がいた。
「待っててくれたんだ。先帰ってると思ってた。」
「だって桂山が一緒に帰ろって言ったんじゃん。さすがに置いていかないよ。」
「あ、俺のことちゃんと認識してたんだ」
俺は真柴の表情の薄さにてっきり騙されていたらしい。
「さすがに覚えてるよ。まあ、高校の時よりチャラそうになってて一瞬ビックリしたけど。」
「もうちょっとマシな言い方あると思いますよ?、真柴さん。ってかさ、この飲み会に真柴がいるなんて思わなかった」
「私も桂山がいるとは思わなかった。でも私はこのサークルに入ってるわけじゃなくて、ただ友達の代理で参加させられただけなの」
「え、これって人数合わせ必要なくないか、合コンでもないんだし。おかしくね。」
…いや、待てよ。俺が半強制的に参加させられたのも、サークル同士の交流という名の、実質合コンのための人数調整だったら納得がいく。今日の出会い系みたいな感じだった飲み会を思い出すと胃がもたれる感覚がした。はたしてあの猫被り女は男をゲットできているかな?
「じゃあ真柴が今日来たのは偶然ってこと?」
「そーゆーこと。」
「なるほどねー、どうりでバドミントンしてそうな顔じゃないと思った。」
テンポよく進んでいく会話の中にいつのまにかあの頃みたいな親しさを錯覚していた。案外、真柴との会話は気まずくなくて、むしろ話しやすかったゆえに、真柴との会話が今日でもう最後かもしれないことが少し寂しかった。街灯に照らされた2人は街は居酒屋の赤い灯りと人々の賑わう声で夜の空気に沈んでいく。駅までの道を2人が同じ歩幅を歩みながら楽しく当時のことを思い出しながら過ぎ去っていく。
話しながら歩いてる中で下を向いた彼女の長いまつ毛が目に入った。真柴ってこんなに目が綺麗だったっけ。だが一方でそんな想いは、あぁ、どうして俺は元カノと一緒に帰っているのだろう__という気持ちにさせた。
そんな中でふと、ずっと胸に抱いていたことが思い浮かぶ。言わないように、考えないように目を背けていた気持ち。いつもは心の奥底に眠っていて気づかないくらいの、それくらいに小さく隠れていた本音。そんなことが口から溢れてしまったのは夜の雰囲気に飲まれてしまったせいかもしれない。
「…真柴は、俺と付き合ったこと後悔してたりする?」
言ってしまった後、俺は怖くなり真柴の顔も見ずに、顔を上げ、夜に浮かぶ星を見つめた。そのときの俺の声はすこし震えていた気がした。
「なんで?後悔とかそんなのないけど。桂山は違うの…?」
そんな一方で、彼女の声はすこし怒っているような、そんな感じがした。
「俺も後悔してなんかないよ。」
「じゃあなんで急にそんなこと」
「俺たち付き合ってた頃さ、すごい仲良かったじゃん。いっぱいいろんなとこ行ってさ…」
「うん。」
「でもそのうち、いろいろすれ違って喧嘩ばっかになってきて、最後は気まずいまま別れて…そのまま口も聞かずに高校卒業しちゃった。俺さ、ずっとそのこと後悔してた。真柴とはずっと仲が良いままがよかった。」
「たとえ別れたとしてもってこと?」
「うん。まあ、正直無理だとは思うけど。でも俺が普段謝ることもしなかったし、まずそれが原因だったでしょ。」
「…まあ、それは原因のひとつかもしれないけど。でもお互いに言葉が足りなかったと思う。それに私は別に桂山が思ってるほど今は気まずいとか感じてないし。桂山の気にしすぎよ。」
その途端張り詰めた糸が緩むように、今まで心を縛り付けていた何かが、静かに解けていった気がした。
「…マジか。ずっと悩んでて損した気分。」
「ほんとーにそう。変なとこ真面目なんだから。」
その後は昔のことを振り返ってお互いに懐かしみながら話した。お互い気づかないふりをして、少し遠回りしながら。
真柴視点_
「ねぇ、桂山って今彼女いるの?」
軽い気持ちで言ったものの、なんだかモヤモヤした自分がいた。私はもう桂山のこと、好きでもなんでもないのに。
「いるよ。サークルのみんなには言ってないけど」
「そっか。」
その言葉が何故だか心に重りがズシンとのしかかったように重苦しくさせる。どうして私、今こんな気持ちになってるんだろう。
「まだ付き合って1ヶ月とかなんだけどね。優しいし、料理うまいし、とにかくかわいい。」
「じゃあ、大切にしなきゃダメじゃない。」
そう言った自分の目が何故だか潤っていくのを感じた。瞬きをすれば涙が溢れそうになる。自分でも理解のできない感情を前にして戸惑いながら、とにかく今は必死に彼から見えないように下を向いて、目を逸らした。
「真柴は?彼氏とかいんの」
「…いるよ、一応。」
一瞬の戸惑いの後、咄嗟に口をついて出た言葉に途端激しい後悔の念が湧き上がってくる。私は何を必死になってこんな嘘をついているのか。虚しい嘘を言ってて悲しくなる自分にさらに落ち込む。
「そうなんだ、たしかに真柴って不器用だけど実際は優しいし、すごく気を使ってくれるし、話しやすいから彼氏いるのも分かるわ。」
この男は元カノ相手に何を言い出すのか。彼女持ちのくせにこうやって不意打ちで褒めてくる彼は私にとって昔も今もやはり嫌なやつだ。
「褒めても何もでませんけど?」
「いや、そういうつもりじゃないから。まあ、何かあったら相談してよ。友達として。」
そうやって悪気のない笑顔で言われても、余計に胸が苦しくなるだけだった。そしてこの時、私は残酷な事実を悟ってしまった。
___あぁ、やっぱりそうなんだ。___
この人の優しさは変わらない。でもあの頃と違うのは私に対する認識がもう、ただの友達だということ。たぶんこの先も変わることもないであろうこの称号が、錆びついた空き缶くらいひどく色褪せたものに見えた。だけど、私たちの関係はそれでいい。そのくらいでちょうどいいと思った。未練なんて面倒なもの、私には必要ない。もしかしたらこの説明のつかない感情も昔の感情に振り回されてるせいだと言うのなら、まだ納得できる。あの頃の思い出に溺れないうちに、私はあなたともう会わない方がいいかもしれない。きっとそうだろう。
駅まであと数メートルと言うところで、自分の出来る最大限の、取り繕った笑顔を桂山に向けた。
「友達として、これからもよろしくね」
最後まで読んでくださってありがとうございました。