十年越しのファーストキスは、爆発の危険を秘めている。
『我が一族、冷静であれ。
何事にも動じぬ心を持つべし』
それがバーストーン公爵家の家訓である。
赤く静かに立ち昇るオーラは、強く落ち着いた男の勲章。
誰もがオーラ纏うこの世界でも、バーストーン公爵家嫡男アルベルト――麗しの騎士アルベルトの悠然としたオーラは、特別見事なものだった。
……はずだったのに。
「……待ってくれ。エレイン」
「え?」
「君は……その」
「な、なんでしょう、アルベルト様」
夕日が射す、バーストーン公爵家の中庭。
柔らかい橙色が、アルベルトとエレインを照らしている。
あと少しで唇が触れ合うであろう一歩手前で、アルベルトは彼女との口付けに『待った』をかけた。
「あの、私に……なにか問題でも?」
「いや、今日も君は世界一可愛い」
「あ、ありがとうございます」
「……もう一度、試してしてみても?」
アルベルトがギラギラとした目で見つめると、エレインはピンク色のオーラを震わせ、控えめに頷いた。
実はこの二人。たった今、初めての口付けに挑んだばかりであった。
アルベルト・バーストーン公爵令息と、エレイン・ノヴァライト侯爵令嬢。
二人は婚約者同士である。それは幼い頃、アルベルトが天使のようなエレインへ恋をして、バーストーン公爵家から一方的に申し込んだ婚約だった。
アルベルトによる長年の片思いが彼女を絆し、口付けのチャンスを貰えたのは、つい先程のこと。
八歳で婚約し、十八歳で初めてのキス。長かった……根気よく彼女に想いを伝え続けた自分を褒めてやりたい。
赤い顔をして俯くエレインのあごを、アルベルトの長い指がクイと上げる。するとエレインの恥ずかしげに潤んだ瞳が、アルベルトを映し出した。
(うん。宇宙一可愛らしい)
完璧なまでに可愛らしい。
出会って十年も経つというのに、キスしようとするだけでこの初々しさ、この恥じらい。わずかに震える彼女の唇からは、初めての口付けを待つ緊張がうかがえる。
その表情はウットリとしていて、都合良くもどこか期待しているように見えた。
(嫌がられてはいない……多分)
彼女の蕩けた顔と、花のような芳しいオーラが、アルベルトの背中を押して。
もう一秒も堪えることが出来ず、アルベルトは再びエレインの唇へ吸い寄せられた。
近付く唇。触れ合う熱い吐息――しかし。
「ん……」
(やはり……!)
キスをしようとするたびに、彼女の口から声が漏れる。
なんとも艶かしい、声混じりの息遣いが。
「んん……」
そのゾクゾクするような甘い吐息は、アルベルトの理性に会心の一撃を与えた。彼の背に揺らめくオーラは、赤くぶわりと膨れ上がり、動揺を雄弁に物語る。
きっと彼女は無意識なのだろう。こんなにも魅惑的な声を漏らしているだなんて、気付いていないに違いない。
「……待った」
「アルベルト様?」
「エレイン、君、気づいてる?」
「何でしょう?」
再び中断されたキスにエレインは首を傾げると、少し傷付いた顔をした。その表情に、思わず胸がチクリと痛む。
アルベルトだって、愛しのエレインになら今すぐにでも吸い付きたいくらいなのだが、やはり続けることは不可能だ。もしこのまま彼女の吐息を受けていたら、オーラが暴発してしまうだろう。そうなってしまえば、この中庭は大惨事である。
「その……声が、漏れているんだ」
「声?」
「ああ。……非常に甘い声が」
「えっ! 嘘!」
エレインは顔を真っ赤にして固まった。なんという可愛らしさ。やはり無自覚であったようだ。
「も、申し訳ありません……!」
「いや、君が謝ることじゃない! 可愛らしい! 最高だ! 叶うなら一生聞いていたいくらいだ」
「……では、どうして止めるのです?」
「このままでは、俺の理性が持ちそうにない」
「理性?」
可愛らしく初心なエレインは、アルベルトの言うことが理解できないらしい。ここは彼女の誤解を解くためにも、決してエレインのせいではないと説明をする必要がある。
「いいか。俺はエレインのことを愛しているだろう?」
「は、はい」
「男は、愛する女性と触れ合うと、少なからず身体に変化が起きる」
「変化……」
「そうだ。わかりやすく例えるなら、俺の場合は……爆発してしまいそうになる」
「爆発!?」
物騒な言葉にエレインは顔を青くすると、それまでキスをしようとしていた唇をサッと覆った。彼女が言葉のまま勘違いしているということに気づく余裕もなく、アルベルトは説明を続ける。
「こうして君と口付けしようとしているだけで、俺は爆発するかもしれない」
「で、でも、口付けして男性が爆発するなんて、聞いたことがありませんわ」
「普通ならそのようなことは無いだろう。でも君の可愛らしさは危険過ぎる」
「え」
「このまま口付けを続けてしまえば、俺は……」
「そんな! そんなの嫌です!!」
彼女は珍しくも感情を露わにして、アルベルトの危機を嘆いた。
確かに、キスしただけで婚約者が爆発してしまうなんて、そんなの想像するだけで嫌すぎる。エレインが可哀想だ。
アルベルトは頭を悩ませた。
「ど、どうすればよろしいのですか」
「そうだな……」
オロオロする姿も可愛らしいエレイン。そんな彼女を愛でながら、アルベルトは腕を組んで考える。爆発を免れつつ、愛しのエレインとキスをする方法を。
要は、彼女の甘美な吐息を受けなければ良いのではないだろうか。あの攻撃力が強すぎる故、爆発しそうになるのだから。
「息を止めてみる、というのはどうだろう」
「それだけで大丈夫なのですか?」
「分からない。しかし君の吐息さえなければ、もしかすると……」
「やってみますか」
「やってみよう」
二人はキリリと目を合わせて頷くと、大きく息を吸い込んだ。そして、ピタと息を止め、じわじわと顔を近づける。
(エレイン、息を止めた君も可愛らしい……)
ぎゅっと目をつぶって息を我慢するエレインは、まるで小動物のように愛おしい。
甘い吐息も無く、ガラス玉のように美しい瞳も閉じられている。この隙にチュッとしてしまえば良いのではないか。
(エレイン、今度こそ……)
アルベルトは彼女の肩をがしりと支え、じりじりと距離を無くしてゆく。
あと数センチ、鼻先が触れ合ったところで――
「……ぷはっ……」
我慢に耐えられなくなったエレインが、その可愛らしい唇を開けて息を吐いた。
避けなければならない彼女の吐息と、ちらりと見える彼女の舌が、真正面からアルベルトの理性を襲う。
「うっ…………!!」
「アルベルト様!?」
アルベルトのオーラは、上空に向かって勢いよく燃え盛る。エレインは彼のオーラの激しさに、思わず目を丸くした。
(エレインが、呆れている――)
『キスくらいで、こんなにオーラが乱れるなんて……アルベルト様ったら大したことないのね』
脳内が作りだしたエレインの幻は、情けないアルベルトに冷淡な目を向ける。
(死ぬ…………エレインにこんな顔されてしまったら、俺は死んでしまう)
アルベルトは、己の妄想に危機感を煽られた。彼女に、もうこれ以上幻滅されてはならないと。
制御できないオーラを鎮めるためにも、アルベルトはエレインから距離をとった。
バーストーン公爵家の家訓を唱えろ。冷静になれ。エレインに失望されてはいけないのに――
(駄目だ、このようなことで動揺していては……)
「アルベルト様……」
己の昂りを鎮火することに必死で、アルベルトは気づくことが出来なかった。エレインの、切なげに歪んだその瞳に。
「どうすれば良いのですか……私達、口付け出来ないのですか?」
「エレイン……?」
「そんなの嫌です。せっかく、こうして思いが通じあったのに」
二人の間には、いつの間にか距離が出来ていた。
彼女は悲しげに唇を噛みしめる。
(どういうことだ……?)
この関係は、アルベルトの一方的な片思いであると思っていたのに。
目の前のエレインは、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めてしまったではないか。
エレイン――この世の至宝、アルベルトの全て。
そんな彼女が、宝石のような涙を流し続けている。
「……エレイン、自惚れでないならば、君も俺とキスをしたいと思ってくれているのだろうか」
「当たり前です。……愛する方と口付けできないなんて、そんなの辛すぎます」
アルベルトは、我が耳を疑った。
エレインから、『愛する方』と言われた気がする。
「愛する方……?」
「はい」
「もしかして、それは俺のことか?」
「は……はい」
「一体、いつから……!?」
聞き流すことなどできなくて。
目を血走らせたアルベルトがしつこく問いただすと、エレインは恥ずかしげに目を逸らし、ぽつりぽつりと打ち明けた。
初めこそ、アルベルトによる一方的な縁談だったのだ。
ノヴァライト侯爵家にしてみれば、バーストーン公爵家からの縁談など断れるはずもない。いわばそこには婚約の義務しか無く、エレインは結婚に対する期待もなにも、手放していたはずなのに。
『エレイン、縁談を受けてくれてありがとう』
『エレイン、君は世界一可愛らしい』
『エレイン、きっと君を幸せにする』
エレイン、エレイン、エレイン……
アルベルトによる膨大な愛の言葉が、彼女の心を動かした。
時が経つにつれ、エレインはアルベルトとの婚約を受け入れられるようになっていった。
彼と話すことが楽しくなって、会う日が待ち遠しくなって……会えない日は彼を想って寂しくて。
いつの間にか、自らを覆うオーラはピンク色。
彼女が恋心に気づいたのは、もう数年も前の話であったのだが。
「ずっと……恥ずかしくて言い出せなかったのです」
「エレイン、これは夢か」
「夢ではありません。私の心にはもう、アルベルト様しかおりません」
そう言ってなりふり構わず縋りつくエレインに、アルベルトは固まった。
「アルベルト様……爆発しては嫌……」
どうする。
こんな可愛らしい愛の告白をされて、耐えられるだろうか。
(いや……無理だろう。無理というものだろう)
キスしなくとも、アルベルトの理性はもう一触即発の状態だ。エレインは気づいているのだろうか。アルベルトの、オーラの変化に。
「……エレイン、すまない。もう、俺は我慢することが出来ない――」
「爆発……してしまう?」
アルベルトはエレインをきつく抱きしめ、もう一度、「すまない」と呟く。
それを合図に、二人は熱い視線を絡ませて。
おそるおそる――決死の覚悟で、初めてのキスをした。
◇◇◇
「アルベルト様ったら……あの後、結局は大爆発起こしちゃったのよね」
「それは言わない約束だろう、エレイン」
「だって、私にとっては大切な思い出なんですもの」
「そうか? ……あんなの、情けなくて君に申し訳ないだけだったが」
純白のウエディングドレスに包まれたエレインは、この上なく幸せそうな笑みを浮かべた。
「私、とっても嬉しかったの。それだけ私のことを好きだって……そういった現れだったのでしょう?」
エレインは、アルベルトだけをまっすぐに見つめる。
それは恥ずかしそうでいて、少し悪戯な瞳。
『我が一族、冷静であれ。
何事にも動じぬ心を持つべし』
それがバーストーン公爵家の家訓である。
けれど、エレインだけには例外だ。
最強に危険なこの笑顔。抗えないに決まっている。
「エレイン……君は世界一可愛らしい」
「アルベルト様ったら、そればっかり」
「本当のことだから仕方がない」
「私は、貴方のことが可愛くて仕方がないわ」
エレインは、小さな手でアルベルトの頬を包み込むと、彼の唇へとキスを落とした。
あれから、何度となく交わした口付け。
けれど、不意打ちは駄目らしい――――
彼女の口付けは、導火線に火をつけるように。
いつだってアルベルトを滾らせる。
「エレイン、愛している……!」
「ア、アルベルト様――――!!」
この良き日、バーストーン公爵領の教会では、真っ赤なオーラが爆発する。
それは愛し合う二人を祝福するように、辺り一帯へと轟いて。
『爆発するほど仲がいい』
領民達は、仲睦まじい夫婦の誕生に、顔をほころばせたのだった。
(終)
最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
5/13誤字報告ありがとうございました(;ᴗ;)
反映いたしました。