1話
首都圏内に位置するここ諌薙市は、2025年に総務省からIT開発先進都市に指定された。もともとIT技術に特化した企業は多かったが、国が秀出だと認め優遇を受けた関連企業・機関が市外や県外から移転し、21世紀後半には国内随一の先進都市となった。
現在、関連企業・機関は市内だけではなく周辺地域にも拡大し、私、躑躅森未閖が代表を務める「躑躅森ロボディベロップメント」も、市内の研究区画に研究所を構えている。
我が社の技術開発研究所は、諌薙市が先進都市に指定されたあとに二つの企業が合同で設立した。今では、国内のヒューマノイド研究を牽引する立場となっている。博士号を持つ私はそこの所長も務め、開発にも積極的に携わっていて、この度開発したヒューマノイド・コウカも、国内のみならず海外からも注目されている。
「コウカ〜。コウカ見て。ごろ〜ん」
コウカの誕生から三日。私は、合成繊維畳を運び込んで仮設した育児スペースの床を、ゴロゴロ転がっていた。サボって遊んでいる訳じゃない。隣で仰向けになっているコウカに、寝返りをさせる為だ。
コウカを起動させてから暫く観察していたが、手足の動作や人間の顔の認識ができていた。アクチュエータや視覚などの外界センサは、正常に機能している。なので次は、効用関数の“応用問題”を入力して、見よう見まねで出力してもらう。
コウカはずっと、両眼カメラで私の動きを観察しながら、身体を動かしている。
「もう一度見て。ごろ〜ん。ほら。できるよ」
私はもう一度横に回転した。すると、何度も計算を繰り返したコウカは寝返りを打った。
「ねえ、見て!見てた!?コウカが寝返りしたわよ!ごろんてした!」
「博士。みんな仕事に集中してるんですから、少し静かにして下さいよ」
片手にタブレット端末を持ったアルヴィンが通りかかって、コウカよりも私の方が幼い子供だと言うような視線で見下ろした。
「ちょっと!今の瞬間、記録したの!?」
「室内の固定カメラで逐一記録してますよ」
「もう!みんな興味薄くない?コウカが初めて自分で寝返りしたのよ?もっと感動しなさいよ!」
「みんなそれどころじゃないんですよ。無事に覚醒したと思ったら、まだ喋れない時期の設定なのにネットから変な音声拾って流したんですよ?だからみんな、他にバクがないか調べてくれてるんですからね」
「ぷんぷん」という擬音が似合いそうなゆるい怒り方で、アルヴィンは寝そべる私に言った。
全ては順調みたいな言い方をしたけれど、実は二日目にちょっとだけ異常が発生した。
コウカの頭脳は、人間の脳を再現したニューラルネットワークでできている。その一部にヒューマノイドらしい機能として、インターネット接続機能も搭載していた。けれど、頻繁に使えるようにしては自己学習の意味をなさないので、接続は制限していた。その筈だったんだけど、政府に急かされた所為か、私としたことが設定の見落としをしていたようだった。
アルヴィンが言ったように、現在、開発チームのみんなは、他にバクがないかプログラムを一からチェックしてくれている。
「赤ちゃんなんて予測不能な生き物でしょ」
「そうですけど、生まれて二日の赤ちゃんは変な言葉喋らないです。それに、バグを直すなら、一度全部システム落とした方がいいと思うんですけどね」
作業中の一人がアルヴィンに所へ来て、タブレット端末の画面を見せて確認中のプログラムの相談をした。アルヴィンは威厳はないし、普段もゆるいしゃべり方で頼りになるのかわからないように見えるが、これでも研究室の室長で、開発チーム責任者の私の補佐を務める優秀な技術者だ。
「私も言ったんだけど、上から止めるなって言われたからバグはそのままの状態で直せですって。由利からの伝言」
私は起き上がりついでに、溜め息を漏らした。
「いいですよね。政治家たちはAIの言う通りに全部やればいいんですから。開発してるオレたちの苦労なんて知らないんですよ」
「と言うか、自分たちのプライドのことしか考えてないのよ」
「プライド、ですか」
「止めたら、必死になって完成まで漕ぎ着けた意味がないって思ってるのよ」
IT開発後進国だった日本は、常に米国など先進国の後方を走り続けて来た。追い付きたくても追い付けないもどかしさと焦りを、日々に溜め込みながら。
しかしそれを笑うように、世界はやがて“シビリロジー”(人間の助けとなる先進技術の総称)競争の時代へと突入。開発は他国とのマウントの取り合いへと発展し、どの国も躍起になって開発に投資した。そのおかげで、世界中に有能なロボットやヒューマノイドが数多く誕生した。
日本政府は遅れを取らぬよう、国民に何を言われようとも技術向上を目指した。多額の国債など知らんとばかりに費用を注ぎ込み、海外から多くの技術者を招き、彼らの力を借りてようやく同じラインに並べた。だから失敗なんてしたら、国民に言い訳のしようがないのだ。
「ようやく世界中の国を押さえ付けてスリーカウント取るぞってところまで来たから、何としてでも棄権はしたくないのよ」
しかしその直後、世界は昔から危惧されていた事態となった。“技術的特異点期”が到来したのだ。それを境に人間とAIの立場は逆転し始めたのだけれども、その影響が、今日日の開発側の私たちに一周回って降り掛かっているということだ。
「それは何となくわかりますけど……」
「オリンピックでも取れないメダルがほしいのよ。是が非でもね。お偉方は、結局それしか考えてないのよ。ねー、コウカ」
私は、寝返ってうつ伏せのままのコウカを抱き上げようとしたけれど、重量感で諦めた。我ながら人間の赤ん坊と見間違える出来栄えに、12キロあるのを忘れてた。
コウカは顔を横に向け、私を真似するように口をぱくぱくさせる。そのかわいらしさに、私はスキンヘッドの頭を撫でた。
「博士。あまりかわいがると、情が移りますよ」
「コミュニケーションしてるだけよ。実の娘同様に接しようと思って」
「そう言って、独り占めしようとしてます?」
戯れていると、総務省が開発記者会見をしていると部下が教えてくれたので、モニターの一つをテレビ画面に切り替えてもらった。会見のライブ映像には、総務省副大臣、総務省国際戦略局局長と肩を並べて、仏頂面の由利が映っている。
「まるで自分たちが造ったかのように……博士も出るべきでしたよ」
「昔、一度だけテレビに出たことあるけど、その時に私はこういうの向かないって知ったのよ」
「総務省が博士の功績を横取りしちゃいますよ?」
「そしたら裁判でも起こしてやるわよ」
(AIとAIがぶつかり合うだけだろうけど)
そう。私たちが新型ヒューマノイドを開発することになったのは、総務省からの依頼だったのだ。