7話
午前中の授業を終え、昼休みとなった。桐島さんの姿を追うコウカのカメラを通して、私たちも彼女の様子を見守ったが、優しい子が気を遣って話しかけてくれたり、彼女を理解する場面も見られて、桐島さんは無事にクラス復帰を果たせたようだった。
桐島さんの様子を確認し、今回の自分の役目は終えたと判断したコウカは、教室のベランダで一人で昼休みを過ごしていた。するとそこへ、一人の男子児童が声をかけて来た。
「よく桐島を連れて来られたな」
「西銘遼平、くん」
「やるじゃん。ヒューマノイドのくせに」
「それは、差別発言」
「ヒューマノイドに差別なんて関係ないだろ。人権すらないんだから」
西銘くんは、いつもコウカを貶したり突っかかる物言いをしてくる子だ。クラスのボス的存在のようで、私はこの子の言動に幾度となくムカついて、その度にアルヴィンに制止させられている。
「あなたが、ミヤちゃんを不登校にした」
「オレはなんもしてねぇよ。あいつが勝手に引き籠もっただけじゃん」
「先生の日誌のライブラリー、見せてもらった」
今回の不登校問題の解決にあたり、担任の先生にお願いして日誌を見せてもらった。校内で問題が発生した際に適切な対処ができるよう、各教室にカメラが取り付けられているのだが、その記録を確認したところ、例の発言が西銘くんによるものだったことが書いてあったのだ。しかし、彼に原因の一端があると言うのに、“悪ふざけ”として片付けられていたのだった。
「何であんなこと言ったの?」
「思ったこと言っただけだし。あと、あいつんち、ヒューマノイドのメイドがいるって言うから。だから排除しようと思った」
「排除……どうして?」
西銘くんは一歩近付き、真っ直ぐにコウカを睨み付けた。
「AIが嫌いだから。ヒューマノイドと一緒にいるやつも嫌いだ」
「どうして?」
「こうして同じ場所にいるだけでも反吐が出るんだよ。お前も、他のヒューマノイドも。世界中のAIは、そのうち全部排除してやる!」
それはただの排斥ではなかった。小学二年生のその目には、憎悪と言って間違いないものがあることが窺えた。西銘くんはそれだけ言って立ち去った。
「何なのよあの子!毎度毎度コウカに酷いこと言ってくれちゃって!我慢の限界!今から乗り込んでくる!」
「やめて下さい博士!大人げないです!」
感情に任せて立ち上がった私を、アルヴィンは必死になって止めた。幾度となくこの光景を目撃している他の研究員たちは、もう呆れた目をしている。
「しょうがないですよ。『ジャカロ』みたいな思想を持ってる人は、今でもいるんですから。あの男の子の親も多分……」
「そのくらいわかってるわよ」
私は大きく息を吐き捨てて、椅子に座り直した。自分でも大人気ないとは思ってるけど、私が造った子を貶されるのはやっぱり許せないのよね。あの男の子が大人になったら、仕返ししてあげようかしら。
「それにしても、今回のコウカちゃんには驚きましたね。自ら積極的な効用関数の計算を行うなんて」
「そうね。最初こそ相談してきたけど、一緒に授業を受けるとか、自分を介してクラスメートとコミュニケーションを取らせるとか、あの子が自分で考えたんですもんね」
「驚きましたけど、コウカちゃんだからできたことでもありますね。初めて表情も表せましたし、この短期間で本当に予想外の成長を見せてくれましたよ」
「やっぱり、やらせてみて正解だったわ。コウカの将来性が見えてきた感じ」
「人間とAIの架け橋……本当にそんな存在になってくれるような気がします」
コウカの成長を目撃して喜んだ私たちは、彼女の将来性と、目指していた未来への展望が見えたと感じた。敢えて他のヒューマノイドと違うモデルにした意図が、意味を成し始めていた。
その後の学校生活も特に問題なく、コウカは周りと協調しながら日々を送った。コウカを貶した西銘くんは、家の事情で四年生になる前に転校して行き、桐島さんのもう一つの問題が解消され、私のストレスは削減された。
そして、小学校最後の日となる卒業式を無事に迎えた。初めて卒業式に参列した私は、ここまで立派に成長した姿を改めて見て感慨深く思い、思わず目頭が熱くなってしまった。
コウカは小学校の六年間で、表現力・コミュニケーション能力・社会性と多くのものを養い、人格を形成した。小学校入学前と比較するまでもなく、彼女は人間的に成長した。
ヌアーチュア・プラティカブル・モデルヒューマノイド、躑躅森虹花。12歳現在の体重、41.9キロ。身長147センチまで成長。
「では。小学校六年間の総括をお願いします」
「ねえ。その前に何かあるでしょ」
研究所の会議室。空中ディスプレイを挟んで座る由利に、私は不満げな態度を示した。
「何かとは」
「コウカは小学校を卒業したのよ。ご卒業おめでとうございます、くらい言ってよ」
「……は?」
仏頂面のままだけど、今、絶対に見下された気がする。
「あんたねえ。あの子が人間の子供に混ざって、無事に六年間の初等教育を修了したのよ?社会人なんだから、そのくらい適当にその場の空気読んで社交辞令でも何でも言えるでしょ」
「言う必要があるのでしょうか」
由利から吐かれた言葉が、空中ディスプレイを突き抜いて主張してきた。私がむかついて苛立ちが込められた拳を握ると、隣のアルヴィンが抑えて鎮めてくれた。そうだ、この男はこういう奴なのだからと、私は自分に言い聞かせた。
私は溜め息をついて、気持ちを切り替えた。
「……で。何でしたっけ?」
「この六年間の総括です」
「そうでしたね。データを見てもらった通りです」
室内の照明を落とし、私はちょっと無愛想に始めた。
「長期間による人間と共同の生活環境に身を置いたことで、目標としていたコミュニケーション能力の向上と、社会性や道徳性の習得に加え、表情の表現は、六年間の成果として想定していたレベルに限りなく近いレベルまで可能となりました。人格形成も上手くいき、現在では、自然な振る舞いができるようになっています」
「成長過程を気持ち悪がられたりしませんでしたか?」
「それは私たちも心配しましたが、大きな問題とはなりませんでした。寧ろ興味を抱かれた程です」
「ヒューマノイドが自分たちと同じように背が伸びるなんていう現象は、受け入れ難いように思いますが」
「ヒューマノイドに慣れ親しんだ大人の中だったら、奇怪千万な受け入れ難い物体だったかもしれません。実際、最初は教師から不評でした」
「では。子供の方が難なく受容できたその理由は、なんですか」
「自分と他人の区別が付く前に、時間を共有させることができたからではないでしょうか。小学生低学年は、先入観も差別意識もありません。“クラスメートだから仲良くする”という、幼稚園で教えられた和の基本が生きているので、他のヒューマノイドと違っていても、友好的な関係が築けたのではと推測します」
「では。子供の精神的な未熟さがプラスに作用し、NPM-0001の成長の助長にもなったと?」
「失礼します」
そこへ、三人分のマグカップを持ったコウカが行儀良く会議室に入って来た。
「由利さん。コーヒーどうぞ。お砂糖とミルクはいりますか?」
「……はい」
コウカはナチュラルな表情と口調で由利に聞いて、コーヒーと砂糖とミルクを置いた。コウカと六年ぶりに再会した由利は、あどけなさを残しつつも少し大人びた彼女の顔を、いつもより少しだけ目を開いてまじまじと見た。
「お母さんはブラックで、アルヴィンもお砂糖とミルクだよね」
「ありがとう。コウカちゃん」
「お母さん。由利さんに飲み物くらい出してあげなよ」
「こんなやつに飲み物なんて出す必要ないわよ。どうせすぐに帰るんだから」
「お母さんて本当に由利さんのこと嫌いだよね。由利さん。こんな母が相手で苦労すると思いますけど、これからも宜しくお願いします」
コウカは礼儀を交えた雑談を表情豊かに短くすませると、私たちの邪魔をしないように「失礼しました」と出て行った。由利は2~3秒、閉じられた会議室の扉を見つめた。
「……今のが、現在のNPM-0001ですか」
「そうよ」
「見違える程成長した姿に、目を疑ってしまいました。なるほど。自然な表情を表現できていますね。データの通り、諸々が養われたことも了解しました」
「表皮は人工多能性幹細胞を使用しているからより人間ぽく見えて、ヒューマノイド感が薄れているんですよ。実際、ヒューマノイドだと意識しなくなったという声もありますし」
コウカの好感度が悪くないことに、少し嬉しそうにアルヴィンが言った。
「百聞は一見に如かず。貴方も一度は現場を見学するといいのよ」
「それは結構。日々のデータで十分です」
「あ、そう」
データを見れば全部理解できると思ってるところが、また腹が立つ。毎日蓄積されるデータを私たちが精査・管理しているおかげで、ちゃんとしたデータが提供されていることを、微塵もわかっていない。
喧嘩を吹っかけても暖簾に腕押しなので、私は話題を変えた。
「それから、ちょっと気になることがあって」
「何でしょう」
「最近、コウカが自分の設計データにアクセスしていた形跡が見つかったの」
「設計データに?」
「ですが安心して下さい。厳重なセキュリティシステムで守られているトップシークレット部分には、侵入されていません」
アルヴィンが問題はないと言うが、由利は僅かに眉頭を寄せた。
「何故そんなことを」
「わからないわ。けれど一応、今後も注意しておきます」
「お願いします。ではこれで、パーソナリティ・テストは終了となります。次回からはいよいよ、共生試験となりますので宜しくお願いします。中学校側との調整が付き次第、またご連絡します」
コウカのテストはまだ終わらない。彼女はようやく、人間と対等に付き合えるようになったばかりだ。世の中には、彼女が知らないことがまだたくさんある。人間と対等な存在になる為にありとあらゆることに直面し、習得しなければならない。コウカの学習は、これからも続いていく。




