6話
二人でオンライン授業を受ける日々が暫く続いた、そんなある日の帰り、コウカは来週から来ないと桐島さんに宣言した。その代わりに月曜日は、HMDを準備して朝から待機していてほしいと、時間まで指定してお願いした。
そして翌週の月曜日の朝。言われた通りにHMDを準備して、桐島さんは待っていた。指定された時間の7時45分になると、登校中の筈のコウカから電話が来た。
「もしもし」
「コウカちゃん。おはよう」
「おはよう。ミヤちゃん、準備はできてる?」
「うん」
「じゃあ、HMDを着けて」
「わかった────着けたよ」
「じゃあ、オンラインにして」
桐島さんは、HMDをインターネットに接続させた。真っ暗な視界にインターネット接続中の案内が表れ、その文字が消えると、暗かった視界が再び明るくなった。すると外の映像が映し出され、搭載されたヘッドフォンから音声も届いた。
目に映ったのは、制服を着たたくさんの子供たちがランドセルを背負って歩いている風景。桐島さんがその風景を見るのは、一ヶ月半振りだった。
「コウカちゃん。ここ……」
「うん。学校だよ」
間違いなく小学校の校門前だった。桐島さんの視界の奥には、グラウンドや校舎が見える。
聞こえなくなった蝉の声。残暑が過ぎて長袖を着始めている児童。緑色だった葉を少しずつ変色させている桜の木が、時間の経過を教えていた。
「もしかして、コウカちゃんが見せてくれてるの?」
「そう。あたしのカメラとインターネットで繋いだ、リアルタイムの映像。ちゃんと見えてる?」
「うん。見えるよ」
「よかった。じゃあ、校舎に入るね」
「え。コウカちゃん、このまま行くの?」
「うん。ミヤちゃんはこれから、あたしと一緒に登校するんだよ」
登校すると言われた桐島さんは、急に緊張し始めた。リアルな映像とクリアな音声が相俟って、自分が本当に学校にいるような感覚になり、怖くなって、反射的にHMDを外そうとした。でも彼女は、思い留まった。
コウカは昇降口を通り、三年生の教室に入った。女の子たちはみんな友好的に「おはよう」と挨拶するが、いじわるな男の子は「ようロボット女」とからかってきた。コウカは「差別発言だよ」と言うだけで全く気にしてないけれど、私は毎回その子たちに仕返ししたくなって、その度に堪えている。私の隣でモニタリングしているアルヴィンは、そんな私を見て毎回ハラハラしている。
コウカの視界を通して登校した桐島さんは、そのまま授業を受けたりして、久々の学校生活を送った。昼休みになると、コウカは回線で桐島さんに話しかけた。
「ミヤちゃん。久し振りの学校はどう?」
「最初は緊張してたけど、だいぶ落ち着いたよ」
「よかった。じゃあみんなに、ミヤちゃんが家で見てること、言っていい?」
「えっ……う、うん」
折角緊張が解れたのに、桐島さんはまた緊張し始めた。でも音声は繋がず、一方的に相手の声を聞くだけだ。コウカはクラスメートの女の子たちに事情を話し、家にいる桐島さんにメッセージを送ってほしいとお願いした。
「躑躅森さんすごいね。そんなこともできるんだ」
「なんか、ヒューマノイドってこと半分忘れちゃうから、時々驚くよね」
「コウカちゃんの目を見て話せばいい?」
「うん」
最初に、四人の子が一人ずつ、コウカに向かって話しかけた。
「桐島さん、元気ですか?桐島さんの前の席だった加藤です。この前席替えして、今は隣の席だよー」
「久し振り。一緒に花壇のお世話した矢作です。元気してるー?」
「宇佐美でーす。桐島さんが来なくなって、みんな心配してるよ」
「あんまり話したことないけど、私も心配してます。あ。森でーす」
コウカに向かって手を振ってしゃべっている姿を見て、他の女の子も興味を持って寄って来た。すると、女の子たちが群がっているのが気になった男の子たちも近寄って来た。事情を聞いたそのクラスメートたちも、コウカに向かって一人ずつ桐島さんに温かいメッセージを送った。まるでその場にいるような感覚の桐島さんは、クラスメートたちの言葉を直接受け取っている気持ちになったに違いない。
桐島さんの代わりに声を受け取るコウカは、回線を通して彼女に聞いた。
「ミヤちゃん。みんなの声、聞いてる?」
「うん」
「誰も、ミヤちゃんが怖いって言ってないよ」
「うん。言ってないね」
「少しは安心した?」
「うん……ありがとう、コウカちゃん」
この擬似登校を暫く続け、桐島さんは少しずつ環境に慣れていき、前向きな気持ちを取り戻していった。コウカはタイミングを見計らい、自分を介してクラスメートとの会話もさせた。そのおかげで、閉ざされていた桐島さんの心は開放されていった。
そして、秋が深まってきた11月下旬。うろこ雲もない、よく晴れた朝。登校するコウカの隣には、桐島さんがいた。
「ミヤちゃん。緊張してる?」
「ちょっとだけ。でも、コウカちゃんもいるから大丈夫」
冷たい風を寄り添って凌ぐように二人は一緒に校門を潜り、教室へ向かった。コウカのあとに桐島さんが入ると、彼女の姿を見つけたクラスメートたちは即座に反応した。
「あ!桐島さんだ!」
「本当だ!久し振り!」
「学校、来られるようになったの?」
「う、うん……」
数人の女の子が駆け寄って来て、桐島さんを迎え入れた。擬似登校で慣れたとは言え、桐島さんはクラスメートのリアルの反応を心配していた。だから教室に入った瞬間は身体を固くし、戸惑った様子だったが、思っていたものと違う反応が待っていたことで安堵し、次第に身体の力は抜けていった。
夏休みから使っていなかった自分の机も、ちゃんとそこにあった。彼女の机がそこにある。ただそれだけで、彼女は最初からクラスの仲間だと証明されている。
コウカも、桐島さんの隣の自分の席に着いた。
「ミヤちゃん。来てみてどう思った?」
「なんか、来てみたら意外と心配してることってなくて、思い込みだったんだなって思った」
「ミヤちゃんは、もっと顔を上げるといいよ。そうすれば、思い込みも勘違いもなくなる。あと、前髪を上げれば、視界がよくなるよ」
コウカは、桐島さんの長過ぎる前髪を上げた。
「ほら」
そうした途端、彼女の視界は広がった。それまで前髪で遮断していたように見えていなかったものまでも。コウカの顔も、初めてちゃんと見てくれた。
「……コウカちゃん。かわいいね」
「ミヤちゃんも、かわいいと思う。あたしはヒューマノイドだから、基準はよくわからないけど」
桐島さんは照れながら「ありがとう」と言った。褒められたと判断したコウカも、無表情で「ありがとう」言った。
するとコウカは、答え合わせの為に桐島さんに聞いた。
「ねえ。ミヤちゃん。あたしがミヤちゃんにしたことは、合ってた?」
「一緒に授業受けたり、みんなと話をさせてくれたこと?」
「うん。あたしは、ミヤちゃんが学校に行かない原因を知って、どうしたらミヤちゃんがまた学校に行けるようになるか考えて、やった。でも、何が正解かわからないから、ミヤちゃんに聞きたい。あたしの行動は、ミヤちゃんの為になった?」
自分の行動に確信がなかったコウカは、心なしか少し不安げな声音で聞いた。モニタリングしていた私はもう何となくわかっていたが、桐島さんの優しく綻んだ表情で安堵させられた。
「うん。なったよ。また学校に来られたのは、コウカちゃんのおかげ。私の為に色々してくれて、ありがとう」
困難を一つ克服した桐島さんは、初めて見せてくれた笑顔でお礼を言った。それが、今回の入力に対するの自分の行動の出力だと、コウカは理解した。
「そうだ。コウカちゃん。学校に来られたから、私の友達になってくれる?」
「うん。約束だから」
コウカが約束を了解すると、自分の意志で初めて友達を作れた桐島さんは小さく喜んだ。嬉しそうな桐島さんを、コウカは見つめた。それまで目の前で何が起きても無表情だった彼女だが、桐島さんの喜びを目の当たりにして、口元を緩めて目を細めた。この日、コウカは初めて、微笑みを表情に表した。