5話
次の日。ランドセルを背負ったコウカは、朝から桐島家を訪れた。予告をされていなかった桐島さんは多分、前髪の下で目を丸くした。
「躑躅森さん、どうしたの?学校は?」
「桐島さんがまだ学校に行けないなら、あたしもここにいる」
「え?どういうこと?」
「一緒に授業を受ける」
それが、コウカがまず考えた、桐島さんの人見知り克服プランだった。桐島さんは何がなんやらといった様子だったが、もうコウカを受け入れ始めてくれていた彼女は承諾してくれた。
一時間目の授業が始まる前に、二人は二階の部屋でオンライン授業の準備を始める。桐島さんはタブレット端末とイヤフォン付きウェアラブルグラスを用意し、コウカはタブレットだけを準備した。
「躑躅森さんは、ウェアラブルグラスは着けないの?」
「あたしはいらない。両目のカメラで映せるから」
普段はコウカのインターネット接続は制限してあるが、桐島さんと一緒にオンライン授業をしたいと言われて、それなら協力しない訳にはいかないので、いつも学校にいる時間帯だけ制限を解除した。
コウカが教室に設置されたオンライン授業用カメラに接続すると、桐島さんの部屋の中を映す映像に、教室の液晶ディスプレイが映し出されたウインドウが開かれた。
「目がカメラなんだ。便利だね」
「桐島さんも、カメラにする?」
「えっ!?し、しない!しないよ!」
その日から、コウカと桐島さんは一緒にオンラインで授業を受けるようになった。慣れない状況で初めのうちは人見知りの桐島さんもぎくしゃくして、沈黙も多く、会話もそんなに弾まなかった。しかし、必然的にお互いが話し相手となることで、会話の回数も少しずつ増えていった。授業でわからないことがあれば教え合い、好きな教科の話をした。
時間の経過と共に桐島さんの心の壁はなくなっていき、コウカの顔を見て話をしてくれるようになった。やがて仲良くなった二人は、「ミヤちゃん」「コウカちゃん」と呼び合うようになっていた。
昼休憩の時間も、二人は部屋で過ごした。桐島さんがメイドヒューマノイドが作ったオムライスを食べている間、コウカはいつものマイクロマシン入りのカプセルをひと飲みして、食後の時間を持て余していた。
コウカは、人間が食べている様子をよく見つめている。嗅覚は備わっていても味覚の習得はできないのだが、咀嚼回数や食べ物を切る時の箸などの入り方を記録し、食材がどの程度の固さかを計算しているのだろうかと思う。一日の終わりにニューラルネットワークの入出力の回数を確認すると、時々やたらと計算した形跡がある。自分が習得できないとわかっていても、学習を繰り返しているようだ。
「コウカちゃんて、インターネットに繋がることができるでしょ。なのになんで、普通に授業受けてるの?インターネットで調べれば、何でもわかるのに」
「それじゃあ、意味がないから。あたしは人間とは違うけど、ミヤちゃんたちとは同じ。そこは、違っちゃダメ。あたしがあたしじゃなくなる」
「コウカちゃんじゃなくなるの?」
「うん。だから、学校にも行く。お母さんにも、ちゃんと勉強しなさいって言われてるから」
「コウカちゃんて、お母さんいるの?」
「人間が言う『お母さん』の意味とは違うけど。あたしを生んだ人だから、『お母さん』て呼んでる」
「ふーん。コウカちゃんて、他のヒューマノイドと結構違うんだね」
部屋の扉がノックされた。桐島さんは食べ終わった食器を持って扉を開け、廊下で待っていたメイドヒューマノイドに渡した。
「あたしからも、質問いい?」
「なに?」
「前に、本当は学校に行きたいけど、怖いからまだダメって言ってたよね。怖いって、なんで?何が怖いの?」
「それは……」
「人見知りと、関係ある?」
コウカがそう聞くと、桐島さんは無言で一回頷いた。
「なんでか、聞いていい?」
桐島さんは少しの間沈黙すると、不登校が始まり、行きづらくなってしまった原因となる出来事を話した。
「……あのね。三年生の一学期の時ね、初めて話しかけられたクラスの男の子に、『お前、目が怖い』って言われたの。私いつも俯いてて、話す時に上目遣いになるから、他の子から見たらそうなのかなって、それから気になり始めちゃって。みんなのこと、怖がらせちゃってるのかなって思って。自分でも、自分の目付きがだんだん怖く見え始めて。そしたら、余計に人の目が見れなくなって……」
「その出来事があったから、ミヤちゃんはクラスメートとのコミュニケーションの取り方が、余計にわからなくなったの?」
「うん」
子供というのは、純粋で悪戯好きな生き物だ。でもそれは、時に刃となる。それを知らないのは、子供の罪ではない。しかし、心のケアの判断を簡単にすませるのは手抜きだ。ケアができるのはAIではなく、人間の心だ。
コウカはAIの側。けれど、人間に近い存在だ。彼女は、合理性を重視したりしない。彼女は、どうすれば相手に寄り添えるかで物事を考える。
「怖くないよ」
「……え?」
桐島さんは、コウカの言葉に顔を上げた。
「ミヤちゃんは、怖くないよ。多分、表情を作れてないあたしの方が怖がられてると思う」
「そんなことないよ。コウカちゃんのこと、怖くないよ。確かに最初は、表情がないし、しゃべり方もあんまり感情がないから、怖いのかなって思ったけど。でも、話してたらそんなこと気にならなくなったよ」
「……本当に?」
「うん!本当!だから今は、友達になれたらいいのにって思ってるの」
「友達……」
コウカは桐島さんから視線を外して、黙ってしまった。
「あ。ごめんね。急に言われても困るよね」
「違う。“友達”は、まだよくわからないから」
「そっか……じゃあ。私が学校に行けるようになったら、友達になってくれる?」
「ミヤちゃんと“友達”になったら、“友達”が何かわかる?」
「きっとわかるよ」
「……じゃあ、考えておく」