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4話




 翌日から、コウカの桐島家通いが始まった。平日は学校帰りに行き、休みの日も足繁く通った。休みの日には私も付いて行き、離れた所から見守った。けれど、桐島さんは会ってくれず、一週間が経過した。

 コウカは今日も学校帰りに桐島家に寄ったが、母親が出て来て「ごめんねコウカちゃん」と謝る姿をモニタリングできただけだった。二回くらいメイドのヒューマノイドが出て来たことがあっただけで、時間をループしてるような気になる。


「なかなか会ってくれませんね」

「相手の子、結構、閉鎖的になってるのかもね」

「そうですね……で。博士は何をしてるんですか」

「お茶よ」


 コウカの育児で使っていた畳のスペースで、私は正座をして白衣のままお茶を点てていた。雑用ヒューマノイドが沸かして来てくれたお湯を適度に冷まして、抹茶が入った茶碗に注いで、茶筅ちゃせんで泡立つように点てる。作法はインターネットで学んだ。


「抹茶ですか。懐かしいなぁ」

「飲んだことあるの?」

「おばあちゃんが点ててくれたのを一度だけ。アメリカのうちに来てくれた時に」

「その時、一式はどうしたの?」

「おばあちゃんから譲り受けたものを、母が持っていたので。茶釜っていうのはなかったんですけど。オレがまだ小さい時だったんですが、めちゃくちゃ苦かったのを覚えてます」

「本当の苦い思い出ね。数年ぶりに飲んでみる?大人になったから、苦味も大丈夫なんじゃない?」

「じゃあ、頂きます」


 アルヴィンは靴を脱いで畳に上がった。正座は苦手なようなので胡座で座ってもらい、点てたお茶を出した。アルヴィンは器を両手で持って一口飲んだけれど、「にがっ」と顔を歪ませ、甘いお茶菓子を一口で食べてしまった。リアクションが可愛ければ、舌もまだまだお子様なのかしら。


「わの。ふぁかせは……」

「食べ終わってからしゃべりなさい」


 私はお茶菓子を食べてから、点てたお茶を飲んだ。アルヴィンは口いっぱいのお茶菓子を飲み込んでから、改めてしゃべり出した。


「博士は、たまに()()()()()()してますよね。何か理由があるんですか?」

「うん。気分転換。コウカは別だけど、毎日無機質なものに囲まれてばかりだから、何となく形のないものに触れたくなるのよ」

「形のないもの……お茶とか習字は、形があるものじゃないんですか?」

「私は、伝統文化は人の重なりだと思うの。だからその分変化したし、触れると温かく感じる」

「温かい……」


 アルヴィンはもう一度器を手に持ち見つめると、小首を傾げた。


「私が()()()()()()()お茶を点てたり習字をするのも、非日常的である感じがリフレッシュできる要因だからかしら」

「研究室の片隅でやって、リフレッシュできてるんですか?」

「……あんまり」


 本当は日本庭園が見える本物の畳が使われた和室で、着物を着てやりたいものだけれど。私のその夢が叶うのは、コウカの行く末が安心できてからかしら。その頃には、私もすっかりおばさんよね。


「リフレッシュもいいんですけど、話を戻しますね。クラスメートの子、どうしたら会ってくれるんでしょう」


 お茶を残すのがもったいないと思ったのか、アルヴィンはポットのお湯を茶碗に注いで薄めて飲んでいた。


「心を許してくれないと、難しいでしょうね」

「『ヒューマノイドにはわからない』か……確かに今のコウカちゃんにはわからないかもしれないけど、悩みを話すだけでも状況が変わるかもしれないのにな」

「きっと、誰にも迷惑をかけたくないのよ。昔、図書館のアーカイブで読んだんだけど、子供は自分の親にすら心配や迷惑をかけたくないから、悩みを隠すんですって」

「なんかそれ、身に覚えがあります。親に余計な心配をさせたくないから、嫌なことがあっても我慢して、わざと笑顔を作ったりするんですよね。子供も案外、親思いですよね」

「私はそんなことなかったわ」

「なんかわかります」


 コウカが行動を開始してから一週間が経過し、既にかなり時間がかかりそうな予感はしていた。進展が見えないのならば、彼女には一旦諦めてもらおうかと考えていた。


 状況が急に動いたのは、通い始めて十日目のことだった。コウカがいつも通りに桐島家のインターホンを鳴らすと、母親が出て来た。ところが、いつも申し訳なさそうな母親の表情が、今日は笑顔だった。


「いらっしゃい、コウカちゃん。今日は、上がって行って」


 母親はコウカを家の中に入れてくれた。そして二階へ案内し、十日前と同じ部屋の前まで連れて来た。


「ミヤ。コウカちゃん、来てくれたわよ」


 中にそう声をかけると、扉がそっと開いた。扉の向こうには、俯きぎみの桐島さんが立っていた。

 十日前と同じ位置で二人は座った。やっぱり沈黙が流れたが、この前とは少し空気が違う沈黙だった。


「あ、あの……この前は、酷いこと言って、ごめんね」


 桐島さんは、意を決して謝罪した。


「酷いこと?」

「ヒューマノイドにはわからないって……」

「大丈夫。気にしてない」

「ほんとに?」

「うん。だって、あたしがわからないのは本当だから」


 コウカがそう言うと、桐島さんは安堵したような口元をした。会いに来たコウカをずっと拒んでいたのは、不登校の原因を聞かれるのが嫌だったこともあるだろうが、傷付けるひと言を言ってしまったことに対する罪悪感もあったのだろう。

 この前と様子が変わった桐島さんに、質問に答えてくれるかとコウカは聞いた。その時のコウカは、ただわからないことを知る為に質問した時と違い、相手の気持ちを窺うような配慮があったように聞こえた。桐島さんは、少しだけ間を空けて頷いた。


「桐島さんは、なんで学校を休んでるの?」

「馴染めない、から……」

「なんで馴染めないの?」


 相変わらず俯いたままだが、桐島さんはコウカの質問に答えてくれた。


「何を話したらいいのか、わからないの……私、昔から人見知りで、話しかけられるとおどおどしちゃって、上手く話せなくて。折角話しかけてくれても、変な目で見られて逃げられちゃうの。だから、幼稚園でも友達ができなくて……」

「うん」

「それに、全然目も合わせられないし……コミュニケーションの取り方が、わからないの」

「うん」

「小学校に上がってからも、人見知りが直らないし。仲良くなったと思ったら、クラスが変わっちゃったし。だからまた、振り出しに戻って……」


 声の様子から、桐島さんはコミュニケーション能力にだいぶ自信をなくしているようだった。人見知りだと、友達を作るのにそんなに難儀を極めるのだろうか。残念ながら私には理解できないけれど、桐島さんを見る限り、小学三年生にはその障害を乗り越えるのはまだ困難なのだろうというのは、容易に見て取れた。

 聞いた話を一度自分の中で整理したコウカは、また違う質問をした。


「質問。仲良くなった子に、会いに行かないの?」

「行ったけど、他の子と仲良くしてたから、声かけづらくて……」

「仲が良い子なのに?」

「知らない子がいるから無理だよ」

「桐島さんは、馴染めない。だから話せる子がいなくて、一人になるから嫌?」

「……うん」


 人見知りとは、相当厄介らしい。さすがに、今日一日でどうにかできる問題ではない。コウカもそう計算しているのか、説得する選択は取らなかった。


「それじゃあ、オンライン授業を続ければ?それなら、このまま不登校を続けても、勉強に関しては問題ないと思う」

「そうだけど……でも、私、このままでいいのかな。躑躅森さんは、どうしたらいいと思う?」


 桐島さんは、コウカに助けを求めた。コウカの言うように、不登校でもオンライン授業を続けていれば問題はない。一年の時から事情があって登校できず、ずっとオンライン授業をしている児童もいる。そんな子でも、成績は他の児童と変わらないと聞いた。桐島さんにも、同じことが可能の筈だ。

 コウカは質問に答えようとして、沈黙し始めた。「どうしたらいいと思う?」という漠然とした入力を、これまでの学習を元に最適解で出力しようとニューラルネットワークを働かせる。


「……躑躅森さん?」

(やっぱり、こんなこと相談しても……)


 急に黙ってしまったコウカを見た桐島さんは、問題の解決をちょっと諦めかけていた。私はモニター越しに、もう少し待ってあげてと心の中でお願いした。

 コウカは一分くらい考え、彼女なりの出力こたえを伝えた。


「何を話したらいいのかわからないは、それは問題ない。話題は毎日変わるし、その日にならないと何を話すのかわからないから。だから、最初は積極的に話に加わらなくてもいいし、相槌だけでもいいと思う」

「相槌だけで何とかなるかな」

「それだけじゃ不安なら、その時に思い付いた話題を話せばいい」

「話題かぁ……」

「観たテレビ番組の感想とか、趣味とか、好きなことの話とか」

「テレビなら、アニメが好きだよ。マンガも読むし、ゲームもする」

「なら、その話をすればいいんじゃない?」

「で、でも。同じ番組を観てるとは限らないし。知らないって言われたら、そこで終わっちゃうよ」


 自信がない桐島さんは、どちらの案も否定した。性格の影響か、どうやら前向きな意志も欠けているようだ。

 二つの提案を却下され、コウカはまた考える為に沈黙する。これは、ただ原因を聞いてアドバイスするだけではダメそうだった。桐島さんの不安の根源を絶たないと、どうにもならないかもしれない。


「……質問を変える。桐島さんは、もう学校に行きたくない?」


 コウカは解決の為の提案をやめ、切り口を変えた。すると、聞かれた桐島さんは少し間を置いて、首を横に振った。


「ううん。行きたくない訳じゃない。本当は行きたいって思ってるの」

「じゃあ、人見知りは、克服したい?」

「できればしたいよ。でも、今はまだだめなの。()()()()


 ただ馴染めないという理由で登校を拒否しているのではなく、“何か”を恐れていることがわかった。桐島さんが克服しなければならないものは、二つ。どうやら人見知り以外のもう一つの原因が、あのクラスにあるようだった。




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