5:わたしは友達
「なっちゃん。ちょっと一年生の教室行ってくるね」
「なんかあんの?」
「バレンタインの時にのんちゃんとゆっこがチョコくれたんだけど、わたし用意できてなくてさぁ。今日お返ししようと思って」
「誰だっけ、それ」
「委員会の後輩」
「あー、あの子達か。モテるねぇ、江藤先輩」
「うふ、それほどでも。ちゃちゃっと行って参ります!」
「いってら〜」
なっちゃんに手を振って廊下に出た。いつもより早くお弁当を食べ終わったおかげで、まだ時間に余裕がある。
胃がモヤモヤするのは朝から変わらないが、花田と話す時間がほとんどなかったおかげで落ち着きを保っていた。
花田は休み時間を使って、お返し渡しの旅に出ている。
今のところ坂本くんが言った『いい感じのお菓子』は登場していない。
花田のことだから、大勢の前で告白して好きな人を困らせるようなことはしないはず。きっと放課後にでも人目につかない場所で会うのだろう。わたしは花田に「頑張れ」と「おめでとう」が言えれば百点だ。まあそれが、難しいんだけど。
一人悶々としているうちに、目的の教室に着いた。しかし、非常に入りづらい。
他学年の教室に入るのは、どうしてこんなに勇気が必要なのか。せめて窓が開いていればよかったのに。うー、入らなきゃ。のんちゃんがいますように……。
おそるおそるドアに手をかけた時、耳元で低い声が聞こえた。
「江藤、何やっとん?」
「ひゃうっ」
驚いて変な声が出た。反射的に振り返ると、唇を噛み締める花田と目が合った。
「お、驚かさんでよぉ」
「す、すんま、せん」
「めっちゃ笑うじゃん」
人の気も知らずに、なんて男だ。そう思うのに、彼の笑顔を見るとキュンとしてしまうのだから、どうしようもない。
「花田お返しに来たん?」
「んーん。直斗の付き添い。待っとったら江藤が見えたから来た」
そう言いながら花田が隣のクラスを指差す。教室内がやや騒がしいのは、奥村くんがいるからか。
「江藤は?」
なぜここにいるのか、とキョトンとした顔で聞かれる。
「のんちゃんとゆっこにバレンタインチョコもらったんだけど、わたし用意できてなかったんよ。だから今日お返し渡そうと思って」
「ほお、委員会の子か。懐かれてんね」
なっちゃんにしたのと同じ説明だが、後輩のニックネームだけで花田には伝わる。後期も一緒の委員会だから。
「入る?」
「う、うん」
頷くと花田がドアを開けてくれた。先程までの入りにくさが嘘のように、あっさりと。
中から「んえぇ、花田先輩だ」「やば」「誰、チョコ献上したん」「おい女子、俺らの時と態度違いすぎんべ」「これがイケメンの日常か……」と様々な声が聞こえる。ごめん花田。そして後輩ちゃん達。用事があるの、わたしなの。
花田の後ろから教室を覗くと、すぐに会いたかった後輩が気付いてくれた。
「あ! 凛ちゃん先輩!」
「のんちゃん、ちょっとこっち来てくれる?」
ちょいちょい、と手招きをすると、のんちゃんがすぐさま立ち上がった。そのままパタパタとスリッパを鳴らしてこちらに向かってくる。
「ほんじゃ、俺直斗んとこ行くね」
「うん。来てくれて助かりました」
「お役に立ててよーございました。じゃ、また後で」
花田が去って後輩達がガッカリするかもと心配したのだが、どちらかと言うとホッとしたような顔に見える。
先輩が教室にいては落ち着かなくても無理はないか。目立つ花田なら特に。
「のんちゃんお昼休みにごめんね。バレンタインのお返し持ってきたの」
「んへぇ、嬉しいです! 家宝にします!」
「できれば食べてほしいかなぁ」
「では男子に見せびらかしながら食べます」
「あははっ」
なんだか恥ずかしいのだが、そんな風に言ってもらえるのは素直に嬉しい。
「そっちの袋って、ゆっこのですか?」
「うん。今から渡しに行こうかと」
「それがですね、昨日からインフルで休みなんですよ」
「え、大丈夫なん?」
「熱はそんなに高くないらしいです」
「そっかぁ」
出停ならしばらく会えそうにない。お返しはゆっこが元気になってから別のものを渡そう。
「じゃあこれは、奥村くんにでもあげようかな」
「え、花田先輩じゃないんですか?」
「花田は、ちょっと……」
さすがに今朝の話を聞いた上で花田に渡す勇気はない。
「あんなに仲良しなのにですか?」
「同じクラスってだけだよ。あ、『無理男』とか呼ばれてるけど花田面白いからね! 怖くないよ!」
後輩からの印象が悪くなっては花田が可哀想なので、面白いことだけは伝えておく。
「花田先輩が素っ気なく振ってたのって、わたし達が入学するより前の話ですよね? 今はめっちゃ優しく断るらしいですよ」
「……そうなの?」
あの花田が? わたしに無理と言い放った花田が? 全然知らなかった。
「まあ『気になる人がいる』とか『好きな人がいる』って言って、完全防御はするみたいですけど」
「好きな人、か……」
昨日までのわたしなら「そんな嘘つくなんて珍しいな」とは思っても、それが事実だとは考えもしなかっただろう。
けれども今は違う。花田に好きな人がいると知ってしまったから。
「花田先輩の好きな人って凛ちゃん先輩じゃないんですか?」
「それはないねぇ」
「どうしてですか?」
「んー。花田のことだから、わたしからは話せないんだよねぇ。そんなに知らないし。ただ、好きな人がわたしじゃないことは確か。多分そのうちわかると思うよ」
へらっと笑って返したつもりだが、上手く笑えたかはわからない。
だってわたしは、今朝振られたようなものだ。花田からのお返しが、他のクラスメイトと同じキャンディーだったのだから。まさか同じ人を相手に、二度も失恋するなんて。気を抜いたら泣きそうだ。
「でも花田先輩、凛ちゃん先輩といる時すっごく楽しそうですよ。いつもより優しそうに見えますし」
「花田が楽しいと思ってるかはわからないけど、優しいのは……そうだねぇ」
知ってる。花田は優しい。
さっきだっていきなり後ろから現れたのは、わたしが教室に入るのを躊躇っていたからだ。
告白を断る時にはっきりと突き放すのは、相手が未練を残すことなく次に進めるようにするためだ。
普段の花田は人を傷つけるようなことを、絶対に言わない。同じクラスで過ごして、彼の優しさがわかるようになった。だから余計に、嫌になる。
どうして優しくするの。
どうして楽しそうに笑ってくれるの。
どうしてわたしが飲んだジュース覚えてるの。
どうして好きになっちゃうようなことするの。
どうして花田の好きな人は、わたしじゃないの。
美味しいものを半分こにする約束、有効期限はないって言ったのに。ジュースをかけた問題、いくらでも出すって言ったのに。次もあるみたいな言い方、したくせに。
彼女ができたら、わたしはそんなこと頼まないよ。
「花田がわたしに優しいのはね」
わかってる、ちゃんとわかってる。花田の中でわたしは『女の子』じゃない。だからわたしは『無理』なんだよ。
花田にとって、わたしはただの――
「友達だからだよ」