第1話『その名はテオ』
…………夢を見ていた。
俺が立っているのは闘技場の客席。割れんばかりの歓声が周囲に飛び交っている。オーディエンスの熱視線は闘技場の中心で睨み合うふたりの武人に注がれていた。
どうやら俺は良い席を取ったらしい。剣を携えた二人の様子がはっきりと見てとれる。向かって右の人物は、麗しい女騎士だった。
豪華な装飾が入った鎧を頭部以外の全身に纏う姿はまさに騎士。プラチナブロンドの長髪が風にたなびく。その顔立ちは彫像を思い起こさせる美しさだ。
女騎士が口を開いて何か言ったようだが、観客席にその声は届かない。彼女は剣を抜いた。
対する男もまた、自身の得物を抜く。格好を見るに、剣士のようだ。身軽さを求めたのか、女騎士と比べれば彼は相当な軽装備だった。
金属製の胸当てと籠手。鉢金を着けているからか、その表情は見えない。剣士の防具はそれくらいのものだ。
俺の隣にいた観客が呟く。魔鉱の剣士だ、と。俺は何故かその単語に聞き覚えがあった。なんだ、この感覚は……?
女騎士が持つ剣の周囲に、強風が巻き起こった。対する剣士が何か呟くと、剣は熱したような真紅に彩られた。俺はこんな剣の使い方を知らない。
超常の力を振るう二人が剣を打ち合うと、衝撃波が観客席を襲い、俺は意識を引き戻された——
◇
目が覚めて最初に目に飛び込んできたのは、無限に広がる荒野だった。
歩いても歩いても、生き物の気配は全く感じられず、緑だってどこにもない。
つい、いつもの癖でスマホを取り出して画面を開いた。圏外。
当たり前だ、電波塔がないんだ。荒野を抜ければ繋がるか?と聞かれたなら、ありえないと答えるほかない。
ここは俺が生まれ育った世界ではないのだから。俺は事の経緯を思い出す。
◇
俺のかつての名前は沖野ハヤテ。日本で暮らす25歳の、ごく普通の詐欺師でしかなかった。
ここへ来る転機となった場所は、仕事帰りの駅のホーム。
何か特別なことが起きた訳じゃない。たまたま酔っ払いに突き飛ばされただけ。
迫る列車の前に投げ出された俺は、死の間際、人を騙しに騙し続けたツケを払う時が来たんだな、と考えるくらいの猶予しか与えられなかった。……のだが。
まさに列車に轢かれるその瞬間、世界が止まった。
モノクロに反転した静寂の中、投げ出された俺の体は貼り付けられたかのように、宙に吊られたままだった。
固まる俺の脳内に声が響いた。
女神エスメラルダ、と名乗るその声と俺は会話したのだが、これは割愛しよう。
交わしたのはひとつの契約。
死ぬところだった俺は、他の世界へ行って第二の人生を送る。
力を失いかけた女神は、俺の目を通して世界を見る。
拒否する理由はなかった。どうせ死ぬ運命だったんだ。レールが他の世界へ移り変わっただけ。
話を聞くに女神の力だけでは転移が出来ず、召喚能力を持つ者が俺を異世界へ招くらしい。
そこに召喚者の意思は無く、半ば無理やり、能力を利用して転移するのだとか。
これにも俺は納得した。むしろ転移させてくれるのならどうでも良い。その能力、ありがたく利用させてもらおう。
向こうの世界へ行くにあたり、女神は目指すべき指標を示した。
まずは召喚者を探しなさい、異邦人テオ——
女神のその言葉で俺は意識を失った。
◇
俺の第二の人生が始まった。テオ。俺に名付けられた、新たな名前だ。
……どのように生きるべきか、どんな生き方が一番後悔せずに済むか。ゆっくり考えよう。
困ったことに、人生の開始地点は荒野だった。最悪の状況かもしれない。
せっかく歩み始めた第二の人生が、早速干からびて終わりを迎えてしまいそうだ。
最初、俺はどこかの街に転移するものだとばかり思っていたんだが……想定が甘すぎた。
そのうえ俺を召喚した人間も分からない。転移した時点で近くにいるはずだと思っていた。
思い込みってのは恐ろしいね。当面の目的は人探しになりそうだ。
まずは荒野を抜けて、話の通じる人間を探さなくては。そう思い、一歩を踏み出したその時。
「よう。兄ちゃん」
俺は、生き延びるという事がどれほど難しいか、その身で思い知る事となる。