第6場 暗い森
背後で変身を解くルカウドに問いかける。
「どうしてあんな物あげたの?」
「護身用です」
二人でグレンさんを待つ間、アンはアリアちゃんに煙幕玉を贈った。
煙幕玉が余っているなら欲しいと言われ、残り二つの内の片方を渡したけれど、まさかアリアちゃんに渡すとは思ってもみなかった。
「いざという時に、選択できる行動は多い方がいいでしょう?」
私は前置きがあったのでわからなくもない。しかしアリアちゃんからすればいきなり何を渡してくるのかとさぞ驚いたことだろう。実際煙幕玉を差し出されてから受け取るまでに微妙な間があった。
「無暗に投げるような子ではありません。きっと大丈夫です」
すぐ後ろまで来た気配は、そのまま私を通り越して前へ進む。
「行きましょう」
早足でルカウドの横へ付き、そのまま並んで歩く。
「そういえば……私達も熊に逃した獲物扱いされてたらどうしよう?」
ふと思い付いたことだった。
追い回されては面倒だし、純粋に探索の邪魔だ。倒すにしても、武器が軽めの突剣二本では心許ない。真剣に考えていれば、ルカウドが気まずそうに口を開く。
「……普通に迎え撃ってはいけないのですか?」
「ちょっと待って。手に負えないからから逃げたんじゃないの?」
「いいえ。目撃者がいる状況で倒したくなかっただけです。ヘンダフーを使わなかった理由も同じです。そもそも、手に負えない相手なら姉さんとノアのいない方へ行きます。変に思われようがヘンダフーで警告します。対処できる相手だから無理して連絡はしませんでした。離れるよりいいと思ったから戻りました」
淡々と述べ、さらに駄目押ししてくる。
「カバに勝つ私が、熊に負けると思いますか?」
「そういえばそうだった……じゃあ煙幕玉は無駄打ち?」
「いいえ。姉さんも抱えて熊から走って逃げる自信はないです。しかし戦うとあの人に手の内を晒さなければいけません」
真面目な顔で力説するルカウドに呆れる。
「あんたは一体何と戦ってんのよ……」
「用心に手を抜きません」
「あんたは自分が世間からズレてることを、もう少し認識した方がいいわ」
大丈夫ならそれでいい。面倒くさくなった私はそう結論づけると、あとはささいな忠告だけに留めた。
「誰かいます」
「アタリかしら」
茂みに隠れ、私達は囁き合う。
視線の先には古ぼけた森小屋がある。
「とりあえず、耳をよくして中の会話を聞きます」
「了解――あ」
不意に小屋の扉が開いて、中から一人の人間が出てきた。町の不良青年といった風情で、ふらふらとした足取りで手近な木に歩み寄る。そしておもむろに腰紐を緩めた。
静かな森に、じょろろと水の音が響く。
視線だけ移して横のルカウドを窺えば、とても渋い顔をしていた。
「耳をよくしますから、声を出さないでください」
男が鼻歌を歌いながら小屋の中へ戻ると、ルカウドが覇気のない声で改めて宣言した。邪魔な髪を耳にかけ、やや俯く。
その間、私は余計な音を立てないよう身じろぎ一つさえ抑えて待った。
「どうだった?」
しばらくして顔を上げたルカウドに早速訊ねれば、硬い声が返ってくる。
「アタリだと思います。中にいるのは五……六人くらいで、かなり飲んでいるようです」
「気楽なもんね」
普通に働いているならば、今の時間は紅茶で一服入れるくらいが妥当だろう。
「お手柄です」
「きゅふっ」
発見者のノアはルカウドに褒められて得意満面だった。
「で、どうする? すぐ通報する? それとも明日にしとく?」
「明日にする理由がありません。酔っていることも都合がいいです。すぐに通報しましょう」
頷き合い、急いで取って返す。
あとは予め決めておいた通り事を進めるだけでいい。私は逸る気持ちのまま前だけを見ていた。だから考えもしなかった――ルカウドの心変わりなんて。
ルカウドの青ざめた顔色を察するには、この森は少し暗すぎた。
「ノアをお願いします」
急な申し出に立ち止まったのは、もうすぐ森を出られるというところだった。
「ん? 別にいいけど」
眉間にしわを寄せるノアを受け取る。
「後ろを向いてください」
「はいはい」
一体なんなのかと思いつつ、さほど考えもせず従う。
「ノアをしっかり持っていてください」
「はいはい」
とはいえ生き物を力の限り締めつけるわけにもいかない。
落ち着かなげにもぞもぞと動いていたノアは、私の肩に顎を置いてルカウドの方を見た。
「きゅ?」
「そんなに見つめないでください、ノア」
すかさずルカウドから柔らかい声がかかった。
「だそうよ。ほら、大人しくしてなさい」
抱き直そうと腕を緩めた瞬間、
「ぎゅわ!」
ノアがまたもや飛び出した。しかも今度は踏み台よろしく私を蹴り飛ばしていった。
「そろそろ本気で締めたろか?」
顔をしかめつつ振り返る。
少し離れた所に、ノアを抱くルカウドという見慣れた光景があった。
「しっかり持っていてください」
「私より、ノアに大人しくしてるよう言い聞かせた方がいいんじゃないの」
「……今度こそよろしくお願いします」
「ええー、また?」
「ノア、いい子で待って――」
言い終わるより先に、ノアがルカウドの腕から抜け出した。危なげなく着地し、ルカウドの足下に落ちた何かを拾う。
「何それ」
ノアが咥えたのは小振りな短剣だった。木漏れ日を受けた刃がきらきらと光っている。
ルカウドが目に見えて慌て出した。
「置いてください」
ノアは短剣の刃を咥えたまま、手を出しあぐねるルカウドを見上げる。
「ね、いい子ですから……」
ゆっくりと手を伸ばすルカウド。ここへ乗せてと言うように掌を見せる。
「え……」
「うん?」
ノアはあろうことか、ルカウドを避けて私の方へ来た。
「むっぎゅ!」
前足で私の足をペチペチと叩く。
私がしゃがめば、さあ受け取れと短剣を差し出してくる。とりあえず手に取って立ち上がれば、ルカウドがすぐさま距離を詰めてノアを抱き上げた。
「どこか切れていませんか?」
ルカウドがノアの口を覗きこむ。
今度は一切の抵抗なく身を委ねるノアに、ハンカチを噛ませたりとひとしきり検めて、ルカウドはようやく安堵の息を吐いた。
そろそろいいかと思い、私は短剣を軽く掲げた。
これには見覚えがある。持ち手の塗装がやや剥がれながらも、刃こぼれひとつない。これといった特徴のないありふれた既製品なのに、持ち主の性格をよく表している。
「これ、あんたのよね?」
ルカウドの物が、ルカウドの近くにあったとしてもおかしくはない。
ただどうして抜き身で落ちていたのか、そしてノアがルカウドでなく私に渡した理由もわからない。
「説明して」
ルカウドは答えない。
「説明して」
より強く問えば、ルカウドはようやく口を開いた。
「腕を切っておこうと思いました」
「は?」
「傷があれば、より危機感を煽れるでしょう? 増員でもしてもらえたら、より確実な検挙を期待できます」
「はあ?」
ルカウドの言いたいことがわからないわけではない。しかし納得できるかは別問題であり、やけに冷静な態度も癇に障った。
「刺しませんし、切り落としません。少し切るだけです。それで二人を助けられるなら、採算は取れます」
…………………………………………………………………………………………うん。
私は大股で歩み寄ると、ルカウドの外套を捲った。
「これどこ?」
肩と腰に固定された武器は一本二本の話ではなく、平凡な短剣一本ごときで騒ぐのが馬鹿馬鹿しくなる品揃えだ。
「右肩です。鉈の上です」
「ん。ここね」
言われてみれば、固定された鞘の一本が空だった。短剣を収めてしっかり固定する。
「よし。じゃあ帰ろ」
ルカウドの右腕を抱き込めば、それを見たノアも自分を抱く左腕にへばりついた。そのまま引き摺るように歩き出した私へ降り注ぐ視線。見上げずともわかる物言いたげなそれに、少しだけ溜飲が下がる。
「こうすれば、刃を向けられないでしょ?」
私達の引っ付く腕に刃を向けて、傷付けてしまう危険を冒してまで強行はしないと踏んだ。それどころか刃物を取り出す時点で躊躇するとさえ思っている。その気持ちを半分でも、自分へ向けてくれないだろうか。
「ここで悠長にお説教してる場合じゃないってのは、私も同意見だからね」
楽しくもない課題を突き付けられた気分だけれど、すぐにどうこうできる話でもない。なら長期戦を厭わず、この件を片付けてから腰を据えて当たるべきだろう。私達には時間がある。
「きゅわっ」
「はいはい。あんたは大人しくそっちの腕を押さえててちょうだい」
「ぎゅうう」
そこからは本当に予定通りだった。
私達から報告を受けた母さんとハイトラーさんはすぐ父さんへ連絡を入れ、飛んで帰ってきた父さんと話をして。翌朝には窃盗団捕縛の一報を受けた。
ただ、仕事が速いと感心してばかりもいられなかった。
忙しい父さんが直接赴くわけにはいかず、森に派遣された人員は中堅一人と新米六人だったらしい。結果捕縛できたのは四人。
ああ――足りない。