第4場 お見舞い
「近いです。もっと遠慮してください」
「ぎゅあっ」
私の寝転がるベッドに乗り上げ、ルカウドが強い口調で告げてきた。アンと彼のやりとりを聞くために、私が傍まで近寄るのが不安らしい。
「バレてないんだから、いいじゃないの。あとノア、あんた何しれっとそっちにいんのよ」
私が近寄るのを敬遠するような状況でも、カゴから這い出てまで覗き見ようとするのは誰だ。
「姉さんの意外な才能には驚いています。誰に習ったのかも想像がつきます。しかし気になります。これをどうぞ」
そう言ってルカウドが取り出したのは、二本の首飾りだった。
革紐と細い金の鎖の二本で、お揃いらしき濃紺の石がそれぞれに通されている。
「ヘンダフーです」
「ええっ? 高かったでしょ?」
「ここ数年のお金が、すべてなくなりました」
驚く私とは逆に、ルカウドはなんでもないことのように言い放った。
綺麗な楕円型に研磨された石は、上品な光沢を放っている。
とはいえ、ヘンダフーにとって見映えなんてものは、ただの付加価値に過ぎない。
ヘンダフーは遠く離れた相手と会話するための道具、つまり前世でいうところの電話だからだ。
「半額出すよ」
「これを買うために貯めていたお金ですから、大丈夫です」
私の申し出をあっさり断り、鎖の方を渡してきた。
「でもこれ、あんたはともかく私は使える?」
ヘンダフーはその便利さに反して、金のある貴族にさえ普及率が低い。
その稼働には、魔法と同じく、魔力と呼ばれる体力とはまた違う力を消費するのだけれど、その消費量がやたら多く、しかも会話相手との距離に比例して跳ね上がることが問題だった。
つまり個人による気軽な利用に堪えない、その一言に尽きる。
「少なくとも、姉さんが私の声を聞くことはできるはずです」
「魔力を使うのは発信側だもんね」
試しに着けてみる。鎖の長さはぴったりで、繊細な見た目の割に、それなりの強度もあるように感じた。
「いい鎖ね。あんたはいいの?」
「庶民のアンには不釣り合いなので、付け替えました。元の鎖はしまいました」
ご機嫌でヘンダフーを弄る私に、ルカウドが真剣な顔で釘を刺す。
「他言しないでください。父さんと母さんにも秘密です」
「はいはい。わかってるって」
ルカウドが疑わしげな目で見てくるけれど、いつものことなので気にしない。
「ねえ、少し使ってみない?」
「……はい。私も一度試しておくべきだと思っていました」
諦観に満ちた声音で同意したルカウドの太ももを、ノアが労わるように撫でていた。
所々欠けた漆喰の壁が立ち並ぶ労働階級の居住区画、その内の一軒の前にアンが立っている。
「今日はあの子いないのよ。風邪引いちゃったみたいでねえ、熱出して寝込んでるんだよ」
発端は一人で店に立っていたチフリーさんの言葉だった。
「家にはアリアちゃん以外いないから心配なんだけど、私も店があるし……アンちゃん、よかったら、あの子の様子を見てきてくれないかい?」
二つ返事で引き受けたアンは、こうして彼の家を訪れることとなった。
ろくな意匠もない、大きな木の板みたいな扉にかかった呼び鈴へアンが手を伸ばす。年季を感じさせる黒ずみっぷりに反して、かららーんと軽快な音が鳴った。
「はーい」
ほどなくして柔らかい返事があって、控えめな足音が近付いて来た。
「お待たせしました」
茶色の髪をおさげにした女の子が、扉を開けて顔を出した。
「初めまして。私はアン・フォークスです。チフリーさんから、グレンさんが体調を崩されたと聞きました。お加減はいかがでしょうか」
あらかじめ考えていたらしき台詞を、やや早口に告げたアンを少女が見つめる。
「あなたが……私はアリアです。お見舞いに来てくれたんですね」
彼女の声は弾んでいるように聞こえた。
「兄さん、すごく喜びますよ。どうぞ」
「失礼します」
アンは招かれるまま、家の中へ入っていった。ここからはヘンダフーから聞こえる音声だけだ。支障が出ない限りずっと聞えるようにしてくれるらしいので、遠慮なく拝聴させてもらおう。
「いつも美味しいお弁当ありがとうございます。ずっとお礼を言いたいと思っていたんです」
「……どういたしまして」
素直な感謝に、アンが抑えた声で返した。これは照れている。
「ちょっと様子を見てきますので、少し待っててもらえますか――大丈夫そうです。どうぞ」
「……よお」
彼がアンにかけた第一声はとてもぎこちなかった。
「お加減はいかがでしょうか?」
「頭が痛い」
「何か食べられますか?」
「……食欲がない」
「そうですか……お水はいかがでしょうか?」
「飲む」
傍に水差しがあったのか、水をやりとりする音。そしてしばしの沈黙。
「では――」
「もう帰るのか?」
「いいえ。台所をお借りします。市場のみなさんがいろいろ持たせてくれました」
「そうか……」
「元気になったら、グレンさんもみなさんに感謝を伝えてくれませんか?」
「わかった」
「ありがとうございます」
いつになく素直な彼に、アンも嬉しそうだ。
この日を境に、二人の関係はまた少し変化した。
「おかえり、兄さん」
「ただいま」
「おかえりなさい、グレンさん」
「……ただいま」
アンはアリアちゃんの心を掴んだ。
昼前にスヴィー家を訪れ、グレンさんの帰りを待つようになった。
「ここまで懐いてもらえたことを、私も驚いています」
森を歩きながらの雑談で、ルカウドが不思議そうに漏らした。
「やっぱり家にいつも一人っていうのは、寂しいんじゃないの」
「……彼女も犬を飼えばいいです」
しんみりしたかと思えば、名案を思いついたと言わんばかりだ。
「まあ、それもありかもね」
「ノアみたいな子が一緒なら、寂しくならないです」
「きゅっ」
「はいはい」
どこまで本気なのか。いつものことと聞き流していれば、
「きゅ? きゅ……きゅあ!」
ルカウドの胸に収まり、ご満悦だったノアが、突如もぞもぞと動き出した。
「きゅあ!」
ルカウドはノアの顔を自分の胸にそっと押し付けて黙らせると、窺うように周囲を見回す。
そしてある方向で視線を止めたかと思ったら、勢いよく私へ振り向いた。
「見てきます。ノアと待っていてください」
胸に押し付けられたノアを反射的に受け取れば、ルカウドは身を翻した。その背中があっという間に遠ざかっていく。
「きゅー!」
ノアが勢いよく私の腕から飛び出し、ルカウドを追いかけた。
「あーもうっ」
私もノアに続いた。ここで迷えば容赦なく一人取り残されるのは骨身に染みている。
とはいえ小さくても四足歩行の獣は速い。しかも木が障害物になって走りづらく、地面の状態も良いとは言えない。
ルカウドに追いつくより、ノアを見失うのが先かもしれない。そんな危惧が実現する前に、木々の隙間を抜けてこちらへ戻ってくるルカウドが見えた。何か大きなものを担いで走ってくる。
むこうも私達に気が付いたようで、大きな声で叫ぶ。
「戻ってください!」
ルカウドの背後に見える黒いもの。猛然と迫るそれは、大きな熊だった。
私の足で逃げ切れるとは思えないし、正攻法でやり合うには軽い武器しかなくて心もとない。
最善の選択――私は腰のポーチに手を突っ込む。目当ての物を掴み取ると、狙いを定めて投げつけた。卵大のそれは熊の首あたりに命中し、砕けて周囲を赤黒く染める。途端に熊は激しく咳き込み、悶絶する。
以前護衛に雇っていた男から貰った煙幕玉の威力は絶大だった。
「姉さん」
隣りまで来ていたルカウドと頷き合い、私達はその場を後にした。