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第31場 執事ハイトラーの昔話・後

 ルカウドは故意に酒をかけたとして、テッフェン伯爵をかなり強く非難した。

 しかもその理由として、同年代ながら自分より評価の高い父を妬んでいること、かつて言い寄るも母からまったく相手にされなかったこと、他にもいろいろ並べ立てたらしい。

 苦情を言ったとは聞いていたけれど、実は煽っていたのか。……ずいぶん無理をする。

「ハイトラーさん一人の謝罪で終わらせないよう、わざと騒ぎを大きくしたってとこかな」

「おっしゃる通りかと。……長らく秘密にしておりましたこと、どうかお許しください」

「いいの。話してくれてありがとう」

 ハイトラーさんの心情を慮れば、なるほど確かに父さんとルカウドが口を閉ざしても仕方のないことだった。

「ルカウド様は私の過去をご存知でした」

 たぶんゲームの知識だろう。

「私はあの方を止めるべきだったのでしょう。ですが、私は止められませんでした」

 最初は止めようとした。でも、ルカウドは言ったという。

「あの時のルカウド様の言葉、今も一語一句覚えております」

 あなたの苦しみは消えないと思います。あなたの痛みは消えないと思います。あなたの憎しみは消えないと思います。しかし、少しはマシになるかもしれません。試しませんか――と。

「結果はアナベル様もご存じの通りです。ルカウド様はかすり傷一つ負うことなく勝利なされ、私の前にあの男を跪かせた」

 私は決闘に立ち会っていないから、その場面を直接見れたわけではないものの。私が見た限りルカウドは出かけた時と変わらない姿で帰ってきた。

 ルカウドが立ち会いはお互い一人だけと希望を出し、自身はハイトラーさんを指名した。むこうはテッフェン伯爵を指名して、それに審判役が一人――このたった五人だけの場で決闘が行われた。あ、あとノアも付いていったかな? どうでもいい。

「テッフェン伯爵は驚いていましたよ、なぜ使用人などにと。謝罪をと言っても、相手が自分とは一度も言っていない。そう、ルカウド様はお答えになりましたね」

 ハイトラーさんは懐かしむように目を細め、口の端を小さく上げる。

「ルカウド様のおっしゃった通り、大きな変化はありませんでした。ですが……何かをしようとする度に湧き立つ不安も、ふとした瞬間に感じていた息苦しさも、以前より軽くなりました。朝目覚めた時、以前よりもずっと、気分がよいのです――」

 深く息を吐くように、ハイトラーさんは言った。

「私の人生はマシになりました」

 ですから、と穏やかに告げてくる。

「マシになった残りの人生は、あの方のために使うと決めたのです」

 もっといい方法があったのではないかと言う人もいるだろう。

 決闘で相手に謝罪させたところで、完全な正統性が認められるわけでもない。少なくとも今のこの国ではそう。

 そんな時代にそぐわなくなった古い法がいまだ残される理由は、その制定に妖精王が関わったからだという。

 ……そう、妖精王だ。あらゆる特権を一瞬でひっくり返す、権力者ほど触れたがらない超法規的存在。

 だから貴族社会的には、あまり意味がないどころかいっそ眉をひそめられてしまう覚悟さえ必要で、実際にふっかけた側であるルカウドは勝者らしからぬ腫物扱いを受けている。

 ただ今回に限れば、ルカウドはそれでよかったのだろう。第三者にどう思われるかは二の次で、テッフェン伯爵から謝罪を引き出せればよかった。

 ハイトラーさんの顔を見て、私も思う。もっといい方法なんてもの、他でもないハイトラーさんが否定するに違いない。

「グレイス・スヴィー」

「っはい」

 厳しさを孕む上司然とした呼びかけに、話が重くなってからこっち息を潜めていたグレンさんが、弾かれたように返事をした。

「あなたの妹は、以前のままの彼女に会えると信じているようですが……普通に考えれば、彼女がまったくの無事である可能性は低い。あなたとあなたの妹では、彼女との関係性が違う。そこに抱く感情も当然異なるでしょう」

 グレンさんが口を引き結ぶ。

「もしまた彼女があなたの前へ現れた時どういう態度を取るか、あらゆる可能性を考慮し、心づもりをしておきなさい。中途半端な態度こそかえって相手を傷付ける」

 俯いた彼の拳は握り締められ、震えるほどだ。

「あなたがどのような決断を下そうと、ルカウド様は責めたりなどなさらないでしょう。私にも、そうであったように」

 見開かれたグレンさんの目を真正面から見返しながら、ハイトラーさんは諭すように告げた。

「俺は……」

 言葉は途切れ、続かなかった。

 少し間を置いて、ハイトラーさんは悔しそうに唇を噛むグレンさんから、壁にかかった時計へ視線を移す。

「そろそろよい時間ですね。グレイス、休憩にしましょう」

「え、あ……はい! 失礼します」

 グレンさんはぺこりと頭を下げた後、そそくさと応接室から出て行った。

「素直ねえ」

「私達の前だけならばよいのですがね。淹れ直しますか?」

「ありがとう。でも大丈夫」

 私は残り三口分ほどだった紅茶を飲み干した。そして、おもむろに訊ねる。

「変な方に誘導してなかった?」

 自分の後釜にというのは、つまり内実ともに自分の後継として? だとしたら少々……いやとてもよろしくない気がする。なんというか不健康だ。

 まあ隠れて推し進めることもできるのに、こうしてお伺いを立ててくれる(・・・・・・・・・・)あたり、温情なのだろうけれど。

「将来的にそういうのを見据えてなかったとは言わないけど、さすがにさ、前提に持ってくるのはかわいそうかなーって……そういうの、あの子は嫌がるでしょうよ」

「肝に銘じております」

 わずかな沈黙を挟み、先に口を開いたのはハイトラーさんだった。

「……私がルカウド様とあそこまで長く話したことは、あの時が初めてでした。初めて、あの方の考えを、あの方の口から聞いたのです。ルカウド様は自らが周囲にどう見られているか、これからどう見られるか、正しく理解しておいででした。その上で……私の行く末を、私自身よりも憂いてくださった」

 小さく左右へ首を振り、恥じ入るように目を伏せて。

「幼い方なのだと、思っておりました。つまるところ侮っていたのです。だから私はあの方と向き合うことを怠ってしまいました」

 ハイトラーさんばかりが悪いとは言えない。

 そもそもが、ルカウドの他人から理解されようとする意欲の乏しさに起因する。

 はっきり言って、よくないと思う。人間関係どうにもならないことは多々あれど、それにしたってあの子は頭から無理だと決めつけるところがある。それが、あの子自身を追い詰めている気がして。

「彼には私と同じ轡を踏ませたくありません。コヨーテ・サリバンの時は失敗してしまいましたが――」

「え、あいつ?」

 思わず訊き返せば、あっさりと肯定される。

「手遅れとなる前に、態度を改めた方がいいと忠告したのですよ。あの性格では、聞かないこともわかっておりましたが。案の定、ルカウド様に屠られて出荷されていきましたね」

「あいつ牛なの?」

 コヨーテに関しては、あまり気にしている風でもない。

 気持ちはわかる。あのしたたかな男を、心配するだけ無駄というものだ。

 私は小さく笑って――、

「ルカウド様は、時折酷く疲れた顔をなさる」

 気が緩んだところへ差し込まれた言葉に、目を瞠った。

「生まれた時より存じ上げておりますはずのかの方の言動が、私は不可解でならないのです。しかしお三方は、まったく疑問を抱かず受け入れていらっしゃるご様子。これは私の存じ上げないルカウド様についてのなんらかの事情を、お三方はご共有なさっているからでございましょう?」

「……それは」

「よいのですよ。むしろ今教えていただいても台無しですから」

「台無し?」

「ルカウド様からお話しいただけなければ意味がございません」

「……普通に訊いても、教えてくれないと思うなあ」

「そうでございましょうね。心から守り通したい秘密ならば、そうすべきです」

 私がそっと漏らせば、我が家の優秀な執事は当然と頷きつつも、ですが、と続ける。

「最期なら。いつか訪れる最期の時に訊ねたのならば、教えてくださるかもしれない」

 死人に口なしと申しますでしょう、とハイトラーさんが冗談めかして笑う。

「……そうね。もしもその時が来たら」

 あの子は選択を迫るかもしれない。他の人がいたら無理かもしれない。

 それでも、ルカウドたった一人さえいればいいと、覚悟できるなら。

 きっと、あの子は応えるだろう。

「あの子の言うことがどれだけ意味不明で、どれだけ信じられないようなことでも……信じてあげてね」

「もちろんでございます」

 心から嬉しそうに、ハイトラーさんが目尻を下げる。

「なんだか、その日が楽しみとすら思えますね」

 二人とも、もっと欲張ればいいのに――素直に頷くことはできかねるものの。

 彼の穏やかな笑顔に、私はいつか二人の出す答えが良いものであるよう願った。

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