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第3場 アンとグレンさん

 横たわる男の手を取った。

「……願いごと、ですか?」

「はい。なんでも言ってください」

 なんでも?

 わずかならず驚く。あまりにらしくない言葉だった。

「アンに……会いたい……」

 しばしの沈黙を経て、男が答えた。

「っそれは――」

「なんでもいいなら、アンがいい」

 ついこぼしたかに見えた願いは、言葉にしたことで確固たる意思を宿したようだった。

「アン……」

「……グレンさん? グレンさん!?」

 とうとう目を閉じた男に呼びかけるが、もはや反応はない。

「グレンさん……」

 体温の低下を伴なう昏睡。毒の最終段階だ。あと一時間足らずでこいつは死ぬのだろう。

 しかし俺はどうするつもりもない。

 俺達の目的のため、不測の未来を避けるために、余計な手出しは極力避けるべきだ。

『よりによって、それですか』

 ――なのに、この馬鹿は。

『忘れてくださいよ、もう……いいじゃないですか』

 いつも、何度でも。

『……ごめんなさい、グレンさん』

 間違える――。


「一時はどうなるかと思ったけど、うまくいってよかったじゃない」

 私の部屋で祝杯を挙げる。この国では十六歳を過ぎれば飲酒してもいいのだけれど、二人とも酒は飲まないからとっておきの紅茶を用意した。

「あんまり嬉しそうに見えないけど、何考えてるの?」

 おおむねこちらが望んだ通りの展開で事は進んでいるというのに。

 いきなり告白したところで、受け入れてもらえる可能性が低いことはわかっていた。最初に最大の要求を示し、こちらが譲歩すると見せかけて相手の譲歩を引き出し、最終的に友人あたりで落ち着く。初めからそういう計画だった。

 それに「友達になってください」より「一目惚れしたから付き合ってください」の方が、見知らぬ相手からの告白としては意図が明白で、勘繰られずに済むだろうとも判断した。

「形だけの友人が、役に立つのか不安です」

 ルカウドは浮かない顔で、ノアの耳の付け根を揉み続けている。

「そこはあんたが頑張るしかないでしょ」

 今回の件を相談された晩、話し合って決まった行動方針は二つ。森を探索して窃盗団の根城を見つけることと、彼がまだ本当に窃盗団と関わりを持っていないのか探りつつ親交を持つこと。

 前者はともかく、後者が難題だった。

 既に彼が窃盗団入りを果たしてしまっていた場合、それなら仕方がないと見捨てていいのなら、直接付き合う必要はないし、そもそも探る必要さえない。窃盗団の根城を通報しておしまいでいい。

 しかしルカウドはたとえ彼が犯罪に手を染めてしまっていても、できる限りのことをしたいと言った。見逃すのは無理でも、自首をすれば罪は軽くできる。とはいえ、赤の他人が自首を促すのは難しい。

 犯罪者かもしれない人間と関わりを持つのは、貴族という立場上避けなければいけない。なのでわざわざ魔法で姿を変えてから近付くことにした。

「もっと美人になれれば、都合がよかったです」

 身支度を整えながら、ルカウドが一度だけぼやいたことがある。

 ルカウドが変われるのはあの姿だけらしく、そもそも私は姿を変える魔法自体が使えないのだから、嘆いても仕方のない話だ。

 地味な黒い髪と瞳に、彫りが深いとは言えない童顔と白くはない肌――確かにアンは、この国の美人の定義に当てはまらない。だからといって、素気なく扱われる姿を見ているのは気分がよくない。

 アンは架空の存在ではない。その姿は、前世そのままだ。そう、前世のルカウドは――弟ではなく、妹だった。


 友人として受け入れてもらえたとはいえ、急に二人の距離が縮まったりはしなかった。

「今日は寒いです」

「そうだな」

 交わす会話が一つ二つ増えただけであり、彼から話かけてくることもない。

 そんな二人の関係に目新しい変化が訪れたのは、なんともルカウドらしい思い付きがきっかけだった。

「じゃあな」

「待ってください」

 休憩に入り、さっさと立ち去ろうとした彼を、アンが呼び止めた。

 彼が休憩時間に必ずいなくなるのは、妹の様子を見るために一度自宅へ戻っているかららしく、事情を知っているアンには珍しい行動だった。

 不承不承といった様子で立ち止まった彼へ、アンはようやくそれを差し出した。

「よろしければ、妹さんとお召し上がりください」

「……お前が作ったのか?」

 白い布の包みを見つめ、彼は怪訝そうな顔をする。そして、

「いらな――」

「よかったじゃないか!」

 すかさずチフリーさんが割って入ってきた。アンの手から包みを取り、彼の手に押し付ける。

「あんたとアリアちゃんの好物は、あたしが教えてあげたんだよ。だから……わかってるね?」

 威圧感たっぷりの笑顔を向けられ、彼は顔を引きつらせた。

「味の感想、明日教えとくれ」

 更に宿題まで言い付けられた彼は、最後の抵抗とばかりにアンを睨む。そして盛大に舌打ちすると、逃げるように去っていった。

「ごめんねえ。素直じゃなくて」

「いえ」

 嘆息するチフリーさんに、アンは柔らかく返した。

「一度失敗したくらいで、いつまでいじけてる気なんだか」

 チフリーさん曰く、グレンさんは酷い女に引っかかったことがあるそうだ。

「それだけ本気だったということではないでしょうか」

「アンちゃんはいい子だねえ」

「……いえ」

 アンは微笑むも、結局はどこか居心地が悪そうに顔を伏せてしまった。


 翌日の彼は妙にぎこちなかった。

「こんにちは」

「……おう」

 視線を泳がせる彼を、チフリーさんが肘で小突く。

「休憩行っといで」

 なんとも温い表情と声だった。

 普段とは違う空気にアンが不思議そうな顔をしている。

「場所変えるぞ」

 そのままアンと目を合わせることもなく、彼はすたすたと歩き出す。アンは小走りで彼の背を追った。そうしていつぞやの広場に着くと、長イスにどっかと腰を下ろす。

「お前も座れよ」

 アンは逡巡する素振りを見せた後、彼から子供一人分くらい離れた場所に腰かけた。

 口を引き結ぶ彼の横顔をちらちらと窺いながら、アンは辛抱強く待った。そしてついに、

「……卵が甘かった、けど」

 ぽつりと投げかけられた言葉に、アンが明らかに身構えた。

「すいません。お口に合いませんでしたか」

「いや……」

 そこでまた言葉を詰まらせた彼の気まずそうな顔を見て、アンがおずおずと問いかける。

「美味しかったですか?」

「ああ――」

 思わずといった様子で同意しかけて、勢いよくアンを振り向いた。

「いや、俺じゃなくてアリアが、妹が気に入ったみたいで……っ」

 慌てて言い訳する彼を、アンがじいっと見つめる。

 とうとう彼はアンの視線から逃げるように俯いてしまった。

「……何入れたんだ、あれ」

「砂糖です」

「他にも何か入れただろ?」

「あとはブロールくらいでしょうか」

「ぶろ……なんだそれ」

「北の国の香辛料です」

「なんでそんなの持ってんだよ」

「知り合いのお土産です」

「……そうか」

 彼が目に見えて肩を落とす。

「また作ってきましょうか?」

「いや……」

 煮え切らない彼へ、アンがわずかに詰め寄る。

「他にも何か好きな物はありましたか。一緒に作って来ます。教えてください」

 いつになく強気のアンに、彼はそんなに言うならと頷いた。

 それからアンは毎日お弁当を作り続けている。

 こうも尽くされれば、さすがに絆されてくるものらしく。差し入れを始めて一週間も経った頃には、逢瀬の時間が近付くと、アンの現れる方角へ視線を向けるまでになっていた。そのくせいざアンの姿を見つければ、慌ててよそを向く。

「今日は肉団子です」

「……そうか」

 お弁当を受け取る彼の顔からは、以前はあった険がすっかり消えていた。それどころかアンを見つめる目には、親しみのようなものまで感じられる。

「じゃあ、もう行くけど」

「はい。さようなら」

 名残惜しそうに振り向く彼を、アンは小さく手を振って見送った。

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