第27場 妖精犬シィナ
こだわりの寝具、特に高級毛布がもっとも輝く状況とは?
暑いのはもちろん、寒すぎてもいけない。つまり今日のようなほどよく肌寒い朝とか最高。いつまでも寝ていられ――、
「ぎゅっふぇっふぇっふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ……」
何か聞こえた。
「ぎゅう!」
とすとすとすとすとす!
額に打ちつけられる何か、もしくは突くかのごとき連打?
しぶしぶ瞼を上げると、ふんふんと鼻息の荒いノアがこちらを見下ろしていた。
朝からなんて鬱陶しいのかしら。半開きの視界いっぱいに広がるノアの顔を見てじみじみと思う。おやすみなさい。
「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ!」
べちべちべちべちべち!
「やめい!」
仕方なく身体を起こしたところで、ルカウドとシィナが顔を出した。
「姉さんにいっていきますを言っていましたか?」
「断じてそんな可愛げのある挙動じゃなかった」
ニコラスくんから持ちかけられた、プラリオ領へ向かう商会の馬車に同乗しないかという申し出。
この時期のプラリオは年に一度の花祭りで盛り上がる。その名に恥じず、街は色とりどりの花が溢れて人で賑わう。
最初ルカウドは難色を示したけれど、私やハイトラーさんの勧めもあり申し出を受け入れた。
ただ問題がないわけでもなかった。誰がルカウドと一緒に行くかだ。
「希望のお土産はありますか?」
「任せる~」
しっかり旅装を着込んだルカウドとその横にぴったり寄り添うシィナ、あとやり遂げた顔のノアに付いて、一階へ下りる。
まっすぐ向かった先の台所には母さんとハイトラーさんがいて、母さんは私を見ると小さく笑った。
「あ、起きられたんだ?」
「起こされたの」
私は参加したいマフの実験があって、母さんは演劇関係者との会食の約束、父さんは例のごとく仕事。
かといって、グレンさんの指導をしなければいけないハイトラーさん以外の使用人という選択肢は……ルカウドにはない。それでは息抜きにならない。
なら友人を誘って……ニコラスくんしかいない。しかし産後間もない妻子を放って私的な旅行なんてする彼ではないし、ルカウドだって断固拒否するだろう。
おかげで母さんは会食を断るべきかかなり悩んだようだけれど、主催者のサハリスさんの顔を潰してしまってはいけないと、当のルカウドから諭されて留守番を決めた。
結果、ノアだけが残った。
狂喜するノアをよそにシィナも連れて行ったらどうかと提案すれば、逆に私の方が外出時はなるべくシィナを連れて行くよう言われてしまった。
「あまり遅くまでは出歩かないようにね? 明るい時も、なるべく人通りが多い所を歩くんだよ?」
いまだ心配そうに、母さんがルカウドへお弁当を手渡す。
まあプラリオ最大の街コルデイは治安がよく、初めて行くわけでもない。祭りの間は人の出入りが増えていざこざも増えるものの、警邏だってかなり増える。
だから実態はどうあれ、外見は高身長の成人男子であるルカウドなら、怪しい場所さえきちんと避ければ一人でもさほど心配はいらないだろう。
加えてニコラスくんの招待だ。道中も宿泊先も万全を期してくれているはず。
「いってきます」
「ぎゅうう~!」
ルカウドとノアを乗せた馬車が見えなくなるまで見届けて、私達はしめやかに中へ戻った。
最近大変だったし、これからまた大変になるだろうからめいっぱい楽しんできて欲しいな。
「ご報告いたします。ヴィカルバス家からの使者がまた現われたようです」
交代の時間にはまだ早く、新人教育中であるはずのハイトラーさんがグレンさんを伴ない現われた。
「あー……やっぱり来たの」
我ながらうんざりとした声が漏れた。
「新人ならば買収も容易いと考えたのでしょう。かのご老公はお変わりないようにございますね」
表面上は穏やかなハイトラーさんの後ろで、小さくなっているグレンさんへ声をかける。
「結構いい額言われたんでしょ?」
「え、あ……はい。でも、何も言ってませんよ。怪しいし……契約書にも、ここのことは外で話すなって書いてありましたし」
「あ、ちゃんと読んだんだ」
本音を言えば、少し意外だった。彼のような生粋の労働階級は契約書に馴染みがないせいか、安易に署名しがちだ。
「いえ、よく読みもせず署名しようとしたところを、グリぺ様がご忠告なされました。どれだけ急かされても、読解の済んでいない契約書に署名してはならないと」
「急かしたの?」
「まさか、そのようなことはいたしません」
「そう、ならいいの」
脅すような下手は打たないだろうけれど、潔癖なルカウドが関わっている件なのだから、細心の注意を払ってもらわないといけない。
「少し早いけど、そろそろ交代しましょうか」
「かしこまりました。グレイス、アナベル様のお心遣いに感謝なさい」
「っはい! ありがとうございます!」
「それでは、失礼いたします」
グレンさんを残し、ハイトラーさんが退室する。
規則正しい足音が遠ざかり、聞こえなくなるとグレンさんはようやく脱力した。
「大変だったね。ヴィカルバス家の話はどこまで聞いた?」
「そこの当主がルカウド様をとても気に入って、ルカウド様を婿にできたら、遺産の半分を渡すなんて言ったから……ルカウド様に付き纏う人が現われて、迷惑したって」
「そうそう。父が直談判してからはずいぶん大人しくなったんだけど、いまだにこうして探りを入れてきたりね」
「なんで、そこまで?」
「バウルゥ――妖精犬は知ってる?」
「……名前くらいなら」
「うちのシィナは、その妖精犬の血を引いててね。犬は飼い主に似るなんて言うじゃない? でも妖精犬は主人に由るって云われてるくらいで、とにかく主人と定めた相手の影響を強く受けるの。強い主人を持つ妖精犬は強く、美しい主人を持つ妖精犬は美しく、賢い主人を持つ妖精犬は賢く育つって具合に。うちに来たばかり頃は、シィナももっと地味な子だった」
ルカウドのためにと父さんが貰ってきた仔犬。最初は小さく弱い彼女に不安を覚えていた。
「妖精犬の祖は王家が妖精王から賜ったと云われていて、王家から認められた家しか大規模な繁殖や飼育ができない決まり。ヴィカルバスはその中でも特に歴史のある大家よ。で、そのヴィカルバスのご当主がシィナに一目惚れした」
「一目惚れ……ですか」
「大体の人は父似だって思ってるけど、そこはさすが大家ね。つまり正確にはルカじゃなくて、ルカの影響を受けたシィナが欲しいわけ。シィナだけって言わないのは、主人とその周り以外には懐かないとか、主人から無理に引き離したら弱ったりとか、妖精犬の特性を気にしてでしょうよ」
ここまでなら、受け入れるかはまた別としても、一定の理解を示すくらいはできなくもなかった。一族全体で取り組む、代々受け継いできた事業を最優先する。是非はともかく、ありえない心理だとは思わない。しかしこの話には続きがあって――、
「ただ、ねえ。シィナの母親は妖精犬だけど、父親は普通の犬だから、ヴィカルバス家にとっては意味がなくて。交配は純血が基本だし。つまりシィナを欲しがるのは、歴代当主の中でも一際犬狂いと名高い老人の個人的なわがままね。ただの、わがまま!」
私の敵意溢れる総評を聞いて、グレンさんも嫌そうな顔をした。
「そもそも長男を婿にって、どう考えても無理じゃないですか? 平民ならまだしも……」
「うちは貴族といっても、名誉貴族だからねえ」
名誉貴族は能力と功績を称えて個人に与えられる一代限りの爵位。だから万一父さんに何かあれば、私達は平民になるわけで。
「まあそれにしたって、我が家を軽んじた失礼な話には違いない。もし誘惑に乗ったら、即切るからね?」
「乗りませんから!」
契約書には彼が半生くらい懸けても払い切れるか怪しい、超高額の賠償金がしっかりと明記されていた。
ルカウド様を裏切りさえしなければ、何も問題ございませんでしょう――ハイトラーさんが笑顔で押し切り実現した項目だ。
「そういえば……もう片方は?」
「ノアはうちの門前で行き倒れてたのをシィナが見つけた子だから、種類とかよくわからない」
グレンさんは今日一番の腑に落ちた顔をした。さもありなん。




