第25場 劇場にて
帰り支度を整える途中、そういえばと声をかける。
「母の友人のサハリスさんから招待され――」
「サハリス? マレッデ・サハリスか? ならゲルードの灰色だな! 行く!! いつだ!?」
横から平然と私のカバンへ煙幕玉を突っ込んでいた先輩が、勢いよく身を乗り出す。
「明日です」
「明日? つまり初回公演だな! っしゃあ!!」
「……サハリスさんって、どんな人なんですか?」
ポリーちゃんの質問に私が口を開くより早く、先輩が割り込んでくる。
「彼女を知らないのか? 情感溢れる演技力と歌唱力だけでなく、蜂蜜の髪に白桃の肌と称賛される美人女優だぞ! しかも今回の演目ゲルードの灰色は、幅広い作風で鳴らす巨匠タイラン・ジェバの二年ぶりの新作にして、初代女王アイーシャに婿入りした北の小国ゲルードの王兄メオルトを題材とした意欲作! おまけに――」
「ポリーちゃんと教授はどうですか?」
「前から予定があって……すみません」
「明日かあ……」
教授も乗り気ではないようだ。
「……他には、誰が?」
「ええと……いない、かな」
「あ、じゃあ二人だけか」
気にする風もない先輩の一言に、室温が下がった気がした。正確には、ある一方向から寒風が吹いたというか……。
「やっぱり私も行こうかな!」
ポリーちゃんより吹き荒ぶ風に教授が翻るまで、そう時間はかからなかった。
興行を始めて間もないという劇場は、華やかさより落ち着きに寄せた意匠で、伝統的な建築様式を踏襲しているように見えた。堅実な仕事は好感が持てるものの、目新しさには乏しい。
仕事に関しては妥協しないサハリスさんが、設計者のことを新進気鋭の建築家と褒めていたから少し意外だった。内装も外観の印象から離れることはなく、やはり首を傾げたけれど。席に着いたあたりで、私はとうとう気が付いた。
空調がすごい。暑くも寒くもなく、乾きすぎず湿りすぎずと絶妙。なのにこもっている感じはまったくしない。エアコンなんてない世界だ。チェーレだろうけれど、この広さにここまでの効果となれば、相当量の魔力を消費するはずなのに。その割には観劇料が安すぎる。
「いい席だな」
「あのカプロ、もしかしてウーべスさんのか?」
静かに驚く私の横で、先輩は興奮を滲ませ、教授は備え付けの照明に目を留めて瞠目した。
「それはちょっと私じゃわからないですけど。でもその人なら、演出に協力してるって聞いた気がします」
「あの人もう六十過ぎてんのに……新しいことに手を出しちゃうかーそうかー」
がぜん興味が出てきたようで、教授も嬉しそうに座席へ腰を下ろした。
教授の研究分野は魔力の放つ色彩や光量にその変化、そしてそれらの利用技術。研究者になる前は、関連の深いカプロの職人として働いていた時期もあったらしい。
「服は悪くないのになあ……やっぱ痩せた方がいいですよー?」
教授の少し出っ張ったお腹を見て、先輩が残念そうに言った。
普段は派手めの服をそこそこ着崩している先輩も、今夜は黒を基調とした正装ですっきり纏めている。
「考えとくよ。ほら、そろそろ始まるみたいだ。君も早く座りなさい」
教授から軽くあしらわれた先輩が座ってほどなく、照明がすっと落ちる。
そして、舞台の幕が上がった。
外で迎えを待つ私に、先輩と教授も付き合ってくれるらしい。
劇場の入口すぐの広間には、主を待つ使用人らしき人々の姿が散見していた。一応と見知った顔がないことを確認してから外へ出れば、雪がちらついていた。
劇場の壁を背に並び、私達は談笑する。話題はもちろん、今しがたまで観ていた舞台について。先輩は想定通りとして、教授も楽しそうに話している。
みんなには心配をかけてしまったから、楽しんでくれたならよかった。ポリーちゃんへの埋め合わせはまた何か考えよう。そう胸を撫で下ろしていれば、突風に襲われた。
雪混じりの冷たい風に会話が途切れる。先輩は身を震わせ、教授は襟元を押さえた。
私も顔を背ければ、建物の隙間の暗がりが目に留まって。
――。
「先輩、私に隠してることがありますよね」
口にしてから、しまったと思った。ずっと気になっていたことをうっかり零してしまった。
サハリスさんが是非にと勧めてくれただけあって、演技も演出も素晴らしい公演だった。問い質す好機であることは事実ながら、それを嫌なもので終わらせたくなかったのに。
……とはいえ、言ってしまったものは仕方がない。切り替えの早さには自信がある。
「いきなりなんだよ。意味がわからん」
こちらを向いた先輩の顔を見て、ああ、やっぱりと。
そのまま黙って見つめ続ける。先輩も目を逸らさない。
「知らない方が幸せなこともあるぞ」
先に顔を逸らしたのは先輩で。はあ、と息を吐き、丁寧に整えただろう髪型を荒っぽく掻き乱す。気乗りしない時の先輩がよくする癖だった。
「あの子みたいなこと、言わないでくださいよ」
「……弟か? 紳士で結構じゃないか。そのまま弟に任せとけよ」
「性別は関係ないです」
「でもお前だって、ポリーがいたら訊かなかったろ?」
「性格は考慮します」
ポリーちゃんは潔癖で繊細な子だ。
……あの子と少し似ている。
「もう忘れろ。お前は無事だったんだ」
「無事じゃない人もいたんですね」
「……あいつら、若い女のいるとこばかりに入ってたらしい」
そんなことだろうと、薄々は気付いていた。
怖がりなあの子が、危険な妖精の森入りを強行してでも終わらせるべきと判断したほどの理由だから。
最初から知っていたわけではなかっただろう。それなら絶対に私を関わらせなかったはずだ。いつから抱え込んでいたのか、考えるだけで苦い。まったく勘弁して欲しい。
「いろいろ杜撰な割に露見しなかった理由がそれだよ。何もなかったって、今も証言を拒んでる人が結構いる。証言すれば補償が受けられるって話もあるのにだ」
今も、という言葉は少し違うように思う。今だから……いや犯人一味が壊滅した今となっては、身を切ってまで協力する意味は限りなく薄い。
「全部終わったんだよ」
終わらない。事件そのものは終わっても、被害者の人生はこれからも続いていく。
「……お前が無事でよかった」
たぶん先輩もわかっている。その上でやるせなさはすべて飲み込み、言葉を選べる人だ。
「まあそういう事情だから、君の証言は解決に貢献した。未来の被害者を減らしたはずだ」
話の収束を感じたのか、ずっと黙っていてくれた教授が口を開いた。
「やっぱり教授も知ってたんですね」
「そこそこ相談されてた。ニィクはな、本当は君も被害にあったんじゃないかってずっと心配してたんだ。必死に情報を集めたのも、何もせずにはいられなかったからだよ」
「そこはご安心を。弟と犬も一緒でしたから」
はっきり返せば、教授も笑顔で頷く。
「信じるよ。君の弟はあのキース・テッフェンに勝ってるわけだし」
朗らかに笑い合う私と教授へ、横からふてくされたような声がかけられる。
「なんで俺が隠してるってわかったんだよ」
「理由はいくつかあります。まず昨日くれたあれ、結構な高級品のですよね」
先輩が許される限りのお金を観劇に注ぎ込んでいることは知っている。それでも、望む舞台すべては観られないことも。
あれ一つの値段で、一番いい席が買える。それを考えない先輩ではない。そこをおしてもそうすべきと先輩が思い至った理由、無駄遣いではないと考えるだけの何か。結果が目的通りであったとすれば、私とポリーちゃんに煙幕玉――護身用の道具を渡したかったということになる。
「男からの贈り物の値段調べるとか、淑女のすることじゃねえ」
「弟がたまたま知ってたんですよ」
私は美人の金持ちだから、よろしくない輩にろくでもない絡まれ方をした経験はそこそこあるし、そのことを先輩も知っている。
なのになぜ、今回は大枚をはたいたのか。しかもポリーちゃんの分まで用意して。先輩から聞いていた話だけでは動機として弱い気がした。
先輩は動機に足る何かを隠している……たとえば、私がなんとなく察していたことを、先輩がしっかり情報として知っているなら? 悪くない推理に思えた。
「自分に都合よく考えすぎだ。そんなただの辻褄合わせ、他じゃ通用しないぞ」
しかしかいつまんだ説明を聞いた先輩の感想は辛口だった。
「そこは一応自覚してましたし、確信してたってほどでもなかったんですよ。ただ別に間違ってたからって何か失うわけでもなし、強気にいっちゃえって」
失敗しても危険はなく、成功すれば見返りは大きい。今夜こそ遠慮するつもりだったけれど、どのみち明日になれば躊躇はしなかっただろう。
「君は本当に思い切りがいいなあ」
「教授も、黙ってないで助けてくれてもよかったんすよお?」
「学者の端くれとして、知りたいという気持ちは否定できない」
今度は教授に絡み出すも、すべて涼しい顔で返される先輩だった。
仲のいい二人を眺めていれば、長い外套を纏う人影を視界の端に捉えた。目深に被った頭巾で顔は見えないものの、横に並んだ白い犬の存在で誰かは明白だろう。
「お待たせしましたか?」
「ううん。丁度よかった」
時間的には、約束より早いくらいだろう。
「シィナも、来てくれてありがとう」
「ぎゅ、ぎゅーっわ」
シィナを撫でれば、不遜な声が。
外套の胸のあたりが妙に膨らんでいたから、そうだろうとは思った。しかし顔も見せないくせに、寒い中来てやったぞ感謝しろよとは恩着せがましい。
「シィナいるし、今のあんたは本当にただの手荷物じゃ?」
「ぎゅ!?」
ルカウドの外套が大きく波打つ。
風は変わらず冷たいまま。けれど私と外套のふくらみを見る他三人の視線は生温かかった。
二人と別れての帰路半ば、不意にルカウドが私の服を引いた。
「寄り道をしたいです」
「ん? いいよ。どこ?」
そして角を曲がるやいなや、私にノアを押し付け、外套を素早く脱いだ。
現れたのは紺色の襯衣に黒の袖なし胴着と、機動性を重視するルカウドらしい格好で。
「話す時間はありません。ここで待っていてください」
私の耳元で囁くと、さらには前髪を掻き上げ、綺麗な顔を見せることもそこそこに建物の陰から飛び出していった。
「非常事態ってことでいいんだよね?」
「ぎゅ」
やや不満そうながら、ノアに追いかける様子はない。
……そういえばシィナもいない。はぐれたとも、勝手にいなくなったとも考えづらいから、たぶんルカウドと一緒なのだろう。
「仕方ない、待ちますかあ」
寒がりなノアを外套で包み、私は壁に背を預ける。そうしてしばらく待てば、ルカウドとシィナが戻ってきた。
どちらも怪我などはなさそうでほっとしたものの、硬い顔をしたルカウドは、細長い紐のような何かを手にしていて。一拍置いて、理解の及んだ何かの正体に私は固まった。
「……ドゥムジェさん、でしたっけ?」
問えば、頭と尾を掴まれた小さな灰色の蛇は、あからさまにうねうねしたのだった。




