第24場 先輩、後輩、そして教授
メルクレア・マフの敷地内に並び立つ白い研究棟。その一角、もとい端っこに私が所属する研究室がある。
「おはようございまーす」
私の入室に応え、並んで着席する二つの人影が動いた。
「おう、久しぶりー」
気安くひらひらと手を振る焦げ茶の髪の人は、私より一つ年上のダグラス・ニィク先輩。
「おはようございます」
ぺこりと頭を下げた金髪の女の子がポリー・セイゴンちゃん。私より一つ下の後輩だ。
「……何並べてんですか」
定位置の二人、普段なら私も同じく席に着いたものだけれど。
「煙幕玉だよ。投げると割れていろいろ楽しいことになる」
教卓に置かれた箱の中身、ぎっしり詰まった綿に黒っぽい球体が六つ。既視感を越えて、もはやおなじみとなりつつある気がする。
「なんだよーその顔。煙幕玉は嫌いか?」
強いて言うなら、それが私の人生で急に台頭してきたことが不思議なだけだ。
「好き嫌い以前の問題だと思いますよ。急にそんなの見せられても、普通は戸惑います」
「え、アナベルって普通だったの?」
今回ばかりは何も言えない。
「それで、どうしたんですか。何かの実験にでも?」
「お、訊いちゃう? 実は――」
「ただの無駄遣いです」
「そっか」
「あっさり納得しすぎだ! 違うから! 聞けって!」
「ならもったいぶってないで早く話してください。教授が来ちゃいますよ」
騒ぐ先輩を見るポリーちゃんの目は冷たい。
「そんなの鍵かけとけば大丈夫だろー」
「教授を締め出すことの何が大丈夫なんだ?」
先輩が軽口を叩いた直後、我らが研究室の主トルネウス教授が呆れ顔で登場した。
「間が悪い!」
「私じゃなくて君がな。それで、私に聞かれちゃまずい悪い話ってなんだ。不祥事とか勘弁してくれよ」
マフとロフを合わせると結構な人数の教授がいるけれど、その中でもトルネウス教授は二十人足らずしかいない三十代。なお二十代はたったの三人、十代は一人もいない。
十分優秀な人ではあるものの、なんとか学の権威やなんちゃら研究の第一人者などが数多ひしめくここでは隠れがちで、立場も決して強くはない。
「不祥事といっちゃ不祥事かもしれませんけど、俺は直接関係ありませんよ。あるのはこっち」
先輩が悪びれることなく私を指すと、教授は苦い顔をした。
「あの件か」
教授は事が妖精の森に及ぶ前、フェデーラで私が暴漢から襲われたと知らせを受けた時点で、休暇中は研究室に直接来なくてもいいよう取り計らってくれた。
……まあ当の私はといえば、教授の気遣いを嫋やかな顔で受け取りつつ、裏では引き続き事件に首を突っ込んでいたわけだけれど。
「何か進展があったんですか?」
「いや、捜査そのものに大きな進展があったわけじゃない。ちょっとした追加情報だな」
私の質問と先輩の答えに、教授が疑問を呈する。
「……そもそも進展なんてするのか?」
「教授正解。もう後処理の段階に入ってる。関わる人は減る一方で、今度の入学式あたりには幕引きって感じですよ」
「そりゃ……すっきりしないなあ」
教授の気遣わしげな視線が少々心苦しい。
すっきりしないのは事実ながら、それはあくまで顛末の後味の悪さからくるもの。捜査終了に関してはむしろほっとするくらいだ。真相に辿り着かれても困る。
「そういうわけで、俺もこのへんで手を引くつもりだ。これ以上掘っても面白い話は出てこないだろうし」
軽い調子で宣言した先輩へ、ポリーちゃんが疑わしげな目を向ける。
「その追加情報っていうのは面白い話なんですか?」
先輩はにんまり笑った。
「ああ、面白いぞ。実はこの煙幕玉こそ、アンが連中との繋がりを疑われた理由の一つなんだよ!」
「……行方不明の子ですか」
わずかな逡巡を見せ、ポリーちゃんが返した。
「フェデーラでの捕り物だけど、連中が煙幕玉を投げたんだ。この不意打ちのせいで全員捕縛に失敗したわけだ」
「そうなのか?」
「初耳です。父からは結果だけしか聞いてませんでした」
気にはなっていたけれど、もう手を引くつもりだったし、それを私が知ったから何かが変わるわけでもない。疲れている父さんに追い打ちをかけてまで、掘り下げる必要もないと判断してのことだった。
「しかしこんなの一つでどうにかなるか? 新人がほとんどだったとはいえ、訓練された集団だぞ。相手は所詮素人だったんだろ?」
「いや、四つ投げたらしいですよ。そんで煙だらけの敵味方しっちゃかめっちゃかな状態に」
「馬鹿じゃないですか」
「窃盗団なんてやってる時点で相当だろう」
呆れ顔のポリーちゃんに、先輩は笑って返した。
「もっと人手があれば、結果もまた違ったんだろうに」
「いやあ無理でしょ。あの時点じゃただの不審者くらいの認識だったろうし。むしろよく七人も出たって感じじゃないですか? それでーですね。アンも恋人の妹に煙幕玉をあげてたみたいでさ」
「……なんでこんな物を?」
「そうなんだよ。なんでそんなの持ってんだって話。意味わかんないだろ?」
酷い言われようだ。とはいえ、立ち位置が違えば私も心から頷いてしまった気はする。
「とにかく煙幕玉が脈絡なさすぎて、みんな困惑したわけだ。煙に巻かれたんだな、煙幕玉だけに!」
「先輩、結局それが言いたかっただけでしょう?」
一人楽しそうな先輩に、ポリーちゃんがことさら冷たく言った。
「流行に敏感な俺としては、この機会に実物を見てみるかーってなってさ」
「変なところだけ行動的ですよね。あと別に流行ってはないと思います」
「店のお姉さんが商売上手で、美人だった!」
「……やっぱり無駄使いじゃないですか」
「そんなこと言うなよー好きなの一個やるから。ほら、これなんかどうだ。可愛い袋もあるぞ」
「共通点に意味を見い出したわけか」
「わからないままは気持ち悪いですからねー」
ポリーちゃんに煙幕玉の説明をしながらも、教授の独り言めいた感想にもきっちり返す先輩。
「偶然の一致もありえなくはないが……私達は答えを出さなきゃいけない立場でないから、悠長に言ってられるというのはあるな」
いつもの私なら、教授や先輩のように自分の見解を述べているだろう。正解を知っている身では、議論を楽しめず少し残念に思う。
「……結局なんだったんでしょうね」
先輩から押し付けられた、やたらと可愛いふりふりの巾着袋を眺めながらポリーちゃんが呟いた。
「難しく考える必要なんてないだろ。悪い奴らは全員死んで、アンは巻き込まれただけで一味の仲間じゃないし、実は目撃されてすぐ逃げ遂せてて無事――なんてどうだ?」
「どうだって……」
「これなら騙された可哀相な男はいないし、殺された可哀相な女の子もいなかったってことになるだろ?」
「ただの希望じゃないですか……でも生きてるなら、なんで出てこないんですか?」
「あんな大騒ぎになったんだ、出るに出られなくても不思議じゃないって」
「そんなの酷いですよ。心配してる人がいるのに……」
「他人にはそれぞれ事情があるもんだ。俺が思うに、アンは結構いいとこのお嬢さんっぽいしな。親に止められてるのかも。あ、親に秘密の付き合いだったのがあれでバレて、引き裂かれそうになってるとか? そしてある日男の許に手紙が届くんだ、私と一緒に逃げ――」
「劇の見すぎですよ」
先輩は学業よりも演劇鑑賞に情熱を注ぐ、自他ともに認める道楽息子だったりする。
「あーところで君達? そろそろ学生の本分を思い出さないか?」
「賛成です」
「へーい」
教授の提案に二人はあっさりと雑談を止め、私も定位置に座った。
口元が緩む。ようやくいつもの日常に帰ってきた気がした。




