第2場 前世の記憶
私達には前世の記憶がある。日本と呼ばれる島国で生きていた記憶だ。
記憶が蘇ったのは、今から十七年前――生まれたばかりのルカウドを見た直後だった。
これだけでも驚きだけれど、時同じくして両親も前世を思い出した。前世の両親は、今世でも変わらず両親だった。ならばと様子を見ること三年、ルカウドも思い出してくれた。
ようやく家族が揃ってやり直せると喜んだものの、まったく問題がないわけでもなかった。
『ひかルーに出てたキャラなの?』
『ゲームでは立ち絵もなかったけど……ツカミンさんの落書きで見た覚えがある』
光のルース、通称ひかルーは日本で発売したパソコンゲームの名前だ。剣と魔法のファンタジーな世界で、プレイヤーは主人公の少女を操作し、攻略対象と呼ばれる男性キャラクターとの恋愛成就を目指す――いわゆる乙女ゲームと呼ばれるジャンルの一作。ツカミンさんというのも、ひかルーのキャラクターデザインをした人だったはず。
そんなひかルーにこの世界がそっくりだと告げられたのは、私が九歳でルカウドが五歳の時だった。本当に覚えていないのかと少し恨めしげな目で、ルカウドは幼児では知りようがない知識を披露し、未来まで次々と言い当てて見せた。
つまりゲームのシナリオ通りの彼の死も、今私達が生きる現実で起こりうるということだ。
『死因は?』
『窃盗団の一員として捕まって獄中で自殺』
『……自業自得じゃない?』
『でも時期的に、まだ今なら窃盗団に入ってないかも……』
『それで?』
『窃盗団に入るのを防げたら……手伝ってくれない?』
『そもそもなんで窃盗なんて』
理由によっては、一時しのぎにしかならない。
『そのあたり、明言されてないんだよね。早くに両親を亡くしてから、ずっと一人で病弱な妹さんを養ってて、その子のためじゃないかと思うんだけど……』
同情の余地はあるけれど、それだと根本の原因を取り除くのは難しい。
魔法の存在が広く浸透している世界であっても、病気や怪我を癒やす力は特別だ。貴族の私達でさえ、病気にかかれば自己治癒力と医者に頼って治す他ない。
『具体的にどうするか、プランはあるの?』
『手伝ってくれるの?』
『手伝うにしても、反対するにしても、詳しい話を聞かないことにはね。で、どうなの?』
『……窃盗団を捕まえようと思ってる』
ルカウドは硬い肉でも咀嚼しているかのような顔をする。
『もちろん自分の手でなんて考えてないよ。窃盗団の拠点近くで不審者に襲われたって通報するの。ただ知ってるのは大まかな場所で、範囲も広すぎるから、そのまま通報しても結果は期待できないと思う』
『大まかな場所って?』
『フェデーラ森林のどっか』
『マジか。本当にめっちゃ広いな』
広い森で襲われたと通報しても、速やかに結果が出るような人数と労力をかけてもらえるかは怪しい。捜査中の一言で適当に流され、ほとぼりが冷めた頃に捜査打ち切りを告げられておしまいなんてことすらありえる。
『父さんの手前、まったく人が出ないなんてことはないはずだから……場所さえはっきりしてれば、ただ行って見てくるような形だけの捜査になっても、なんとかなる……と思う』
『まどろっこしいけど、何も知らない第三者を動かすならそれくらいよね』
ひかルーについては、二人だけの秘密にしている。
両親にも一応話してみてはどうかと提案したけれど、ルカウドは難色を示した。
この世界がゲームと同じだなんて、ひかルーをプレイしたことも、ゲームや漫画のオタクだったわけでもない両親には話したくないと譲らなかった。
どの道ルカウドがへそを曲げて沈黙すれば、ひかルーのシナリオがわからない私や両親にはどうしようもない。私は頑固者の説得を早々に諦めた。
『わかった。協力してあげる』
『……いいの?』
『私が協力しなくても、どうせあんたは手を引く気ないんでしょ?』
『それは……うん』
無茶をするなとは言わない。とはいえ、完全に放任して行動をまったく把握できないのも心配だ。幸い今の私は長期休暇中で時間もある。
『もう明日から動こうと思うんだけど』
『早速ね。なら今夜中に話詰めないと』
『……うんっ』
「あなたが好きです。私と付き合ってくだひゃっ……ぃ……」
勢い余って舌を噛んだらしい黒髪の少女は、耐えるように顔を歪め、彼女に相対する青年もまた、眉間のシワを深めた。
近くに潜み、彼の休憩を今か今かと待っていた小柄な少女。昼時を大きく過ぎ、ようやく屋台から離れた彼を呼び止めての告白だった。
「……誰だ?」
「私はアン・フォークスです」
笑顔を作り直した少女を、彼が好感触とは言い難い目で見下ろしている。
「いきなり好きとか言われたって……初対面だよな?」
「はい。初めて話します」
「じゃあ好きとかおかしいだろ」
「一目惚れしました」
青年の眉間のシワが深まる。
「俺はお前と付き合う気なんてないし、貴重な休憩時間を潰されるのも迷惑だ。いたずらならよそを当たってくれ」
冷たく言い捨て、そのまま振り返ることもなく彼は立ち去った。
少女も右目を片手で覆って小さく息吐くと、足早にその場を後にした。
「失敗しました」
ひんやりとした空気が流れる冬の森。その端で私と顔を合わせるなり、少女が開口一番に告げてきた。
「見てたから知ってる。お疲れ様。諦める?」
少し疲れた顔の少女は、足に擦りつくノアを抱き上げる。
「まだ頑張ります」
顔を緩ませるノアの背を撫でながら、柔らかく目を細めた。
「そう。まあ、無理しちゃ駄目よ?」
「はい。ありがとうございます。では着替えますので、後ろを向いてください」
「はいはい」
背後でごそごそと動く気配を感じながら、大人しく待つ。
「大丈夫です」
振り返れば、先ほどまでアンと名乗っていた少女は消え失せ――彼女の服を畳むルカウドがいた。
アンの正体は、魔法で姿を変えたルカウドだ。
「お待たせしました。行きましょう」
服を鞄に詰めたルカウドに促され、改めて森の奥へ視線を向ける。
冬でも葉の落ちない木が多く、鬱蒼としていて見通しが悪い。普段は厭うものでもない静けさだって、どこかで犯罪者が息を潜めているのかと思えば不気味に感じてしまう。
「どうかしましたか?」
不安げに問われ、私は答えるより先に腰を上げた。
「少し寒いなって思っただけ。お尻もすっかり冷えちゃった」
軽く返せば、ルカウドも雰囲気を和らげる。
「次は何か敷いたらいかがでしょうか?」
「そうね。ノアでも敷こうかしら」
「ぎゅ!?」
私だって本当は不安だ。でも私が不安がって見せれば、ルカウドまで余計に不安がるだろう。
「ま、歩いてる内にあったまるでしょ」
ならば私は姉として、胸を張って――見栄を張るまでだ。
「こんにちは。羊を一本お願いします」
あれからアンは毎日、決まった時間に店を訪れている。串焼きを一本買い、店の横で食べる。その間、彼との会話は特にない。笑顔で注文し、食べ終われば会釈して去る。その繰り返しだ。
変わり映えのないやりとりに転機が訪れたのは、店に通い始めて六日目のことだった。食事を終えて去ろうとするアンを、とある人物が呼び止めた。
「ちょっと待って、お嬢ちゃん」
相手はいつも彼の横に立っている、店主と思しき女性だった。
驚く彼に店番を言い付け、アンの傍へとやってくる。
「よかったら、私の休憩に少し付き合ってくれないかい?」
アンが頷くと、女性は嬉しそうに広場の方を指した。
「私はアン・フォークスです」
「あたしはキャレル・チフリー。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
大股で歩くチフリーさんに、早足で付いて行くアン。その背中を私もひっそりと追いかける。二人は途中の店でパンを買い、広場の長イスに並んで腰かけた。
逡巡の末、私も二人の真横の長イスに座り、ノアの入ったカゴも脇に置く。横目で隣りを窺えば、チフリーさん越しに顔を強張らせるアンが見えた。心の中で軽く謝りつつ、視線を前に戻す。そして耳に意識を集中する。
「美味しいです」
「あの子並に愛想のない店主だけど、腕はすごくいいんだよ」
そうしてしばらくは他愛のない世間話をしていたけれど、不意にチフリーさんが切り出す。
「ところで、あの子に一目惚れしたって本当かい?」
「はい」
アンがやや緊張した声で答えた。
「つまり、顔かい?」
「いいえ」
清々しいほどの即答だった。
「じゃあどこが?」
「……少し前の話なのですが」
「うんうん」
「噴水に落ちかけた妊婦の方を、助けるところを見ました」
その情報は私も初耳だ。
作り話だろうか。いや、本人に確認すればすぐ露見するような嘘を吐くとは思えない。
「そうかいそうかい、それはそれは」
チフリーさんは声だけ聞いても嬉しそうで、ちらりと覗き見た顔も満面の笑みを浮かべていた。
「明日も来るね?」
「はい」
「ふふ、待ってるよ。あの子と一緒に」
別れ際も、チフリーさんは意味ありげに笑っていた。
翌日にアンを待っていたのは、苦い顔をした彼からの「友人でいいなら」という申し出だった。