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第15場 雇用契約

「グレンさんを我が家で雇いたいです」

「どうしてそうなった?」

 ニコラスくんに会うと出かけたルカウドが、帰るなり宣言してきた。グレンさんに会う日を決めると出て行ったはずが、どうしてそういう話になるのか。

「ニコルがグレンさんを雇いたいと言い出しました。こちらで雇った方が彼のためになると説得しました」

「……あんたってさあ」

「はい」

「はあ……それで?」

「……駄目ですか?」

 どうしてそう極端なのか。嘆息する私を前に、ルカウドが表情を曇らせる。

「私は別にいいけどさあ……とりあえずハイトラーさんに頼みなさい。そのあたりは執事の管轄でしょ」

 いってらっしゃいと手を振るも、ルカウドは動かない。

「まだ何かあるの?」

 何か言いたげな視線を見返せば、おずおずと口を開く。

「一緒に来てください」

「一人で行け」

 すごむと、ルカウドは小さく唸り立ち去った。

「どうせハイトラーさんがあんたの頼みを断るわけないんだから」

 そんなやりとりをした翌日の夜――、

「あ、ナッちゃん」

 寝る前に歯を磨こうと一階へ下りれば、お風呂上がりらしい父さんと遭遇した。最近は忙しいようで、顔を合わせるのは五日ぶりくらいか。

 湿った茶髪はいつもに比べてくるんくるんが若干大人しく……顔には明らかな疲れが見えた。

 父さんは何も言わないけれど、忙しい理由が件の騒動であることは知っている。申し訳なく思いつつ、事情を話さず謝罪できるわけもなく、労うことも白々しくてなんとも気まずい。

「丁度良かった。新しく人を雇いたいって?」

 しんみりしているところにいきなり突っ込まれ、少々面食らう。

「うん。いい?」

「別に人を増やすのは構わないんだけどさ」

 努めて平静に返せば、私と同じ濃い碧の目がじいっと見下ろしてくる。これは、と私は身構えた。

「ヘレナの恩人なら、あっちで面倒を看るのが筋じゃないの? なんでうち? 犬を拾うのとはわけが違うよ。同情だけで動いて、いい結果になるとは思えないんだけど?」

 どうやら表向きの事情は把握済みのようだ。世間からは甘いと持てはやされる顔の眉間に、はっきりとシワが寄っている。

「つまり父さんは反対なの?」

 実のところ、父さんが難色を示すことは予想していた――ルカウドではなく、私から話を聞こうとすることも含めて。父さんがルカウドに直接物申さないなんていつものこと。難儀だ。

「ナッちゃんはどう思ってるの?」

 被害者遺族みたいな立場にしてしまった彼らをこのまま放置することは、今回の件で一番の心残りと言えた。

 だから極端と思いながらも、反対はしなかった。

「あの子が自分から他人に関わるのは、悪くないと思ってる」

「従者が欲しいなら、父さんがいい人探すよ?」

 危なっかしいルカウドに従者を付ける話は、以前から時折挙がっていた。当のルカウドが乗り気でなく、毎回立ち消えていただけだ。

「わざわざ面倒な事情がある人を選ぶ必要ないでしょ」

 すべてはルカウドがもっと面倒な子だから、と正直に言える空気ではない。父にしたって今更だろう。

 私は視線を巡らせる。父さんを説得できる言葉が思いつかない。もう少し考える時間があると思っていたのに、まさか昨日の今日で問い詰められるとは。

「でもハイトラーがすごく張り切ってて、自分の責任ですると言ってる」

 予想外の言葉に父さんを見つめれば、仕方ないと言わんばかり目をしていた。

「お礼言っときなよ」

「そうする。ありがとう」

 ほっとしたら欠伸が出た。ルカウドに吉報を知らせるのは明日でいいだろう。

 もう一度欠伸しつつ父さんを見て、私は首を傾げた。ルカウドほどあからさまではないけれど、まだ何かあるように見える。

「何?」

「いや……何かあったら言ってね。おやすみ」

「おやすみー」

 さっと離れていく父さんの背に軽く返し、私も改めて洗面所へ向かった。


「ただ今戻りました」

「おかえりなさい。どうだった?」

「ぜひ当家で働きたいとのことです。署名もこちらに」

「今回は様子見じゃなかったの?」

 とりあえずは訊ねたものの、驚きの類いはなく。差し出された契約書を受け取る。

 ハイトラーさんは今日、ニコラスくんと一緒にグレンさんの家へ行ってくれていた。

 暮らしぶりを見たいからと言いつつ、結果はこれだ。大人数で訪ねれば迷惑になると、ルカウドの同行をやんわりと止めたハイトラーさん。相手への配慮以外にも何かがあるとは気付いていた。

 実物を見て、必要ならば早々に話を纏めてしまうつもりだったわけか。

「これが彼にとって最良の道であると、私は確信しております」

 ハイトラーさんは目尻のシワを深め、穏やかに言い切った。

 彼はその昔、今は亡き祖父とまだ少女だった母に拾われた人だ。

「彼と会った感想は?」

「率直に申し上げますと、いささか頼りない印象を受けました。私といたしましては、ルカウド様の従者は社交に長ける者を望ましく思っておりましたが……腹芸などこなせるようには見えませんでした」

「なかなかの酷評ね」

 しかし私も概ね同意見ではある。

「ですがルカウド様のお望みとあらば、私の持てるすべてを注ぎ――必ずやあの方を支えるに足る者へ、育て上げてご覧にいれます」

「たぶんルカはそこまで考えてない……」

 感謝より先に申し訳なさが湧く。

 ハイトラーさんの口振りを聞く限り、自分の後継者に据えることまで折り込んでいる。彼の年齢を考えれば、そう考えてもおかしくはないのにまったく気が回っていなかった。半生を懸けた仕事を譲るなんて相当の覚悟だ。

「ルカウド様がどちらにいらっしゃるかご存じでしょうか?」

「あー……ルカなら――」

「姉さん」

「ぎゅーう」

 噂をすれば、ルカウドが大きめのカゴを手に、ノアを連れてご機嫌な様子で部屋へやって来た。

「会心の焼き上がりです! あ、おかえりなさい。どうでしたか?」

「彼と雇用契約を結んでまいりました」

「正式な話は、日を改めてではなかったのですか?」

 ハイトラーさんの報告に、ルカウドが目を瞠った。私も契約書を渡す。

「事後承諾になってしまい申し訳ございません。ルカウド様のご入学までに日がなく、一日でも早く準備を始めるべきと判断いたしました」

 表情を曇らせるルカウドへよどみなく告げ、ハイトラーさんは恭しく頭を下げた。

「わかりました。私のわがままでご苦労をおかけしますが……よろしくお願いします」

「わがままだなんて、とんでもございません。ルカウド様のお役に立てるならば光栄です」

 微笑むハイトラーさん。

 ルカウドはカゴに満載された物の一つを掴み取った。

「どうぞ。焼き立てです。お気を付けください」 

「ありがとうございます」

 ハイトラーさんは剥き出しの芋を嬉しそうに受け取り、つられるようにルカウドも微笑み返す。

「せっかくですから、紅茶を淹れてまいりましょうか?」

「あら、ありがとう」

「みなさんの分もお願いできますか。一緒に配りたいです」

「かしこまりました」

 ルカウドの頼みを快諾したハイトラーさんは、一礼して部屋を出て行った。

「急展開です」

 契約書へ視線を落としてほどなく、ルカウドがぽつりと漏らした。

「不満なの?」

「……心の準備が足りないです」

 辛気くさい横顔だ。

「言い出しっぺでしょ」

 要領がいいわけでも、下地があるわけでもない相手に、伯爵家の嫡男が連れて恥ずかしくない教養を仕込まなくてはいけないハイトラーに比べれば、私達の負担なんて微々たるものだ。今からこれでは先が思いやられる。

「みんな協力するって言ってくれてるし、私だってできる限りはやったげるから。大丈夫よ」

 世間話ついでに、母さんや他の使用人達にも話は通してある。あのニコラスくんが丸投げするつもりとも思えない。ざっと見積もって両手の数ほどの人が支えてくれることに、ルカウドはもっと自信を持っていい。

「……どうしたの?」

 ふと気付けば、ルカウドが書面を見つめながら固まっている。

『あめーじんぐ』

 ぼそりと呟いて、私に契約書を見せてきた。長い指が示す先には、少し拙い字でグレイス・スヴィーと署名されている。

「……知らなかったの?」

 ルカウドがこくりと頷く。

 私はともかく、ずっと一緒にいたルカウドがそれはどうなのか。お互いに本当の名前を知らず、二人は付き合っていたということか。なんだかとてもしょっぱい気分になってくる。

 本当に大丈夫だろうか。私まで不安な顔をしてはいけないと思いつつも、懸念せずにはいられなかった。

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