第13場 生還
「こうも普通に話せるものなのね」
目を瞑っての会話ならば、人と区別が付かなさそうだ。
「それは私達がかつて人に混じり生きていたからだ。同朋の多くは、人と会話さえままならない」
私とアンを背に、一角獣は妖精の森をゆっくりと進む。それにノアは並走し、後ろに大蛇が続く。
「そもそも話を聞いてやる義理もない。遭遇したのが我らで幸運だったな」
私と彼の会話に、蛇は度々口を挟んでくる。いちいち嫌味っぽいのだけれど、
「まったくだ。男どもの相手など気乗りしなかったが、君達のような麗しい乙女達に会えた。なんて幸せな夜だろう」
「どうしてそうなる。面倒が増えただけではないか」
「ならば戻って、あれらの始末だけしてくれればいい。そもそもなぜあそこにいた? お前だって今朝は森の反対側にいただろう。お前も頼まれたのか?」
「……うるさい。我がどうしようと、我の勝手だ!」
とぼけた相方のおかげで腹は立たない。この蛇は嫌な奴というより、ただ素直になれないだけなのでは――という疑いが私の中で急浮上してきた。
放っておけば延々と掛け合いを続けそうなので、適当に話を変える。
「誰かに頼まれてあそこに来たの?」
「好ましくない輩に居座られて迷惑だと、同朋から呼ばれたんだ」
「じゃあもしかして私達がわざわざ来なくても、あなた達がどうにかしてくれてたってこと?」
だとしたら危険を冒して、とんだ無駄足を踏んだことになる。
「君達がいなければ、それこそ埋めて終わりにした」
それがよかったのか、悪かったのか。詳しい説明をしてもらえていないので、まだ判断がつかない。
「私達を妖精王に報告しますか?」
不意に、アンがぽつりと訊ねた。
「あのお方は忙しい。こんな瑣事をいちいち伝えたりはせん」
「最近は特になあ。今の王に最初の子が生まれた頃あたりからか」
蛇はアンの不安をすっぱりと切り捨て、白い彼がのんびりと付け加えた。
「セラシアス様?」
「そんな名前だったか」
文武両道にして品行方正、しかも庶民相手にも配慮を忘れない人格者。そこに容姿端麗まで加わり、理想の王子様と称賛の的たるセラシアス・フォン・メルクレア王太子殿下。
彼も今年ロフに入学する予定なので、ルカウドと同期生になるわけだけれど。おかげで今年の入学志願者は例年よりかなり多かったと聞く。王太子に合わせてわざわざ入学を遅らせたとか、狙って同い年の子供を作ったなんて話も珍しくない。
たとえそんな相手であっても――、
「やっぱり男には興味ない?」
一角獣が乙女を好むという話は、癒しの力と同じくらい有名だ。反面、乙女以外には冷淡とも聞く。
「男はすべからく、臭くていけない」
「じゃあ乙女じゃない女の人は?」
「……どんなに芳しくとも、男の臭いが混じると酷い悪臭になる。男を凌ぐほどだ」
趣味嗜好ではなくて、生理的に無理なのか。
「こいつがおぬしらを気にかけるのも、純潔の女だからだ。そうでなければ見向きもせんぞ」
「意地の悪いことを言うな」
咎める声は苦かった。思うところがあると見える。
――別に、いいのに。私は白い彼の首を撫でる。
彼は私をちらりと見て、すぐまた前を見た。そして穏やかに告げてくる。
「楽しい時間は過ぎるのが早い」
その視線の先は、森の出口だ。
ようやく帰宅できた私達を迎えたのは、カンテラ片手に裏口で佇むハイトラーさんだった。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
「遅くなりました。すみません」
揃って頭を下げれば、ハイトラーさんは困ったように笑い、扉を開けて中へ入るよう促してきた。
家に入ってすぐ、こちらへ近付いてくる足音に気付く。ルカウドを見れば、硬い表情を浮かべていた。
「ルーちゃん、ナッちゃん」
駆け込むように現れたのは、予想に違わぬ黒髪の人と白い犬――私達の母メレアーデ・ノーベスとシィナだった。
「えっと、ただいま」
「おかえりなさい。遅かったけど、何かあったの?」
「ごめん。ルカが具合を悪くして、少し休んでた」
「そうだったの……大丈夫?」
ルカウドに近寄った母さんが、ごく自然な仕草で手を伸ばす。シィナも主人の足にそっと擦りつく。
「熱はなさそうね」
母さんの手が、長い前髪を潜ってルカウドの額に触れる。されるがままのルカウドを見つめ、深く深く安堵の息を吐いた。
「本当に……よかった……」
酷い疲れを滲ませた呟きに、罪悪感がじくじくと胸を苛む。
「夕食はシチューなんだけど、食べられそう?」
「食べる」
私の即答に、母さんがはいはいと頷く。
「準備してまいります」
「ありがとう。でも私一人で大丈夫だから、あなたはもう休んでちょうだい。明日の朝はいつもより早いんでしょう?」
「……それでは、ご厚意に甘えさせていただきます」
ハイトラーさんは少し迷ったようだったけれど、素早く切り替えて感謝を述べた。
「何かございましたら、遠慮なくお呼びくださいませ」
そして最後に就寝の挨拶を告げ、ハイトラーさんは私達の前から下がった。
「すぐ出せるから、二人は座って――」
『ごめん、なさい……』
目許を押さえるルカウドの声は震えていた。
母さんは目を瞠り、ルカウドに寄り添う。ノアとシィナも、心配そうにルカウドを見つめている。
『具合が悪かったんだから、るーちゃんは何も悪くないでしょ? なっちゃんも一緒だし、きっと大丈夫って思ってた。ああ――こういう時、電話がないと本当に不便だよねえ』
何も知らない母さんが無邪気に慰め、ルカウドはとうとう嗚咽を漏らし始める。
立ち尽くすルカウドを優しく見つめながら、母さんはずっとその肩と腕をさすっていた。
妖精の森から生還して、早六日が過ぎた。
あの後すぐ、ルカウドが本当に熱を出して寝込んだりもしたけれど、我が家はおおむね平和だった。
動けないルカウドだけでなく、私も外出を控えてのんびりと過ごしていた。だからそれを知ったのは、そろそろ本業に戻ろうとマフの研究室へ顔を出した、生還四日目の昼だった。
「このまま放っておいて大丈夫かしら」
「大事になりました。接触は危険です」
――大事に。まったくその通りだ。ため息が出る。
マフの先輩が顔を合わせるなり振ってきた話は、私達にとって頭の痛い内容だった。
妖精の森のすぐ傍で倒れる、四人の男達が発見された。全員いずれかの手足が欠けたような酷い状態で、正気も失っていたらしい。男達は聖域を侵した不届き者と見なされ、ろくな治療も受けられないまま……ほどなく命を落としたそうだ。
たとえ真相究明のために延命されたとしても、行き着く先はどうせ処刑だっただろうし、過程で苛烈な尋問だって受けたかもしれないので、最悪の末路だったとは必ずしも言えないあたりが恐ろしい。あの森へ入ったことは、やはり私達だけの秘密にしておくべきだと改めて思った。
しかし話はそこで終わらない。男達がどこの誰で、どうして危険な森に入ったのか。別件で手配されていたことなど余罪が判明する中、とうとう彼らの一人が最後に接触したとおぼしき相手、グレンさんとアリアちゃんにまで捜査の手が及んだ。
市場の人達がこぞって証言してくれたらしく、グレンさんの潔白は認められ、私達の苦労も報われた。あとはもっともらしい理由でアンがグレンさんへ別れを告げて幕引き――そのつもりだったのに。
「まさかこんな方向に話が転がるとはねえ」
嘆息する私の手に、シィナが顔を擦り寄せる。
「ありがと」
あの晩以来、シィナはずっとルカウドの傍にいてくれている。
最近は母さんの近くに控えていることが多いシィナだけれど、以前はルカウドに付き従っていた。後進に譲ってそこそこ経った今も、何かあればこうしてルカウドの許へ戻ってくる。
「アンは妖精の森で死んだ。予定と違いますが、すべてが悪いことはありません」
一目惚れから始まった少女の恋は、悲恋に終わった。私達の与り知らぬところで話が進み、気付いた時にはそうなってしまっていた。




