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第10場 妖精の森

 妖精の森へは、拍子抜けするほど簡単に入れた。

 危険性こそ広く知らしめられてはいるけれど、立ち入りに罰則があるわけではなく、柵で囲まれてもいなければ、見張りも立ってはいない。

 庭へ入る者が客と侵入者のどちらか、決める権利は我のみにある。囲いも見張りも不要、我は家畜に非ず――だったか。昔母が出演した歌劇に、大体そんな内容の台詞があったと記憶している。確か劇名は妖精王と銀の騎士だ。

 気紛れに人を試し、時に助け、あるいは裁く妖精王のお伽噺は、このメルクレア王国内全土で語られ、本だけでなく歌や舞台にもなっている。とにかく数が膨大な上に、同じ話でも諸説あったりと、真実はそれこそ妖精王のみぞ知るところだろう。

 劇の台詞が実際の言葉かはわからない。しかし森から帰ってこられなかったとなれば、妖精王の不興を買って裁かれたと見なされることは事実。悪くなかったら生きて戻れるはずとか、なんて魔女裁判なのか。

 つまり公的な救助は期待できない上に、もしも妖精の森で死んだ事実が発覚すれば、残された家族まで白い目を向けられることとなる。

 消息不明で叶わぬ望みを持ち続ける方とどちらが楽だろうか。私は今とんでもない親不孝をしている。

 ともあれ、私達は森を進む。冬だというのに、立ち並ぶ木々は月の光もろくに差さないくらい葉が生い茂っており、そのくせ決して暗くはない。地面や岩を覆う苔、散見される謎のキノコだけでなく、そこらの木や草花まで淡い光を纏っているからだ。

 外からでも光自体は見て取れるので想像はしていた。でも実際中から見た光景は私の想像なんてはるかに超えており、魔法というかつてはファンタジー極まりなかったものさえもはや日常になった今の私からしても、胸躍る幻想的な空間だった。命を懸けるにはささやかだし、親不孝してまで求めるには足りないけれど、得るものは確かにあったなと思えたほどだ。

「それにしても、なんであいつ無事なのかしら」

 妖精王があの男を裁いてくれていれば、話は済んでいたのに。他力本願ながら思わずにはいられない。人外の物差しが人と違っても不思議ではないけれど、これで私達だけ襲われるようなことがあったら業腹だ。

 額に浮かんだ汗を拭う。湿った肌着が気持ち悪い。緊張もあるけれど、この森は外よりだいぶ暖かい。吐く息も白くならない。

「うん?」

 足を止めたノアに従い前を見れば、木々の隙間からアンと男が見えた。息を整えながら慎重に近付く。木の影からそっと様子を窺えば、二人以外にも三人の男を視認できた。

 丸く開けた広場のような場所で、たき火を囲んで座る三人の前にアンが立たされている。

「もっとマシなのいなかったのかあ?」

「かわいそうなこと言うなよ。こんなのでもグレンの女だぜ?」

「うっわーあいつ優しいねえ。俺こんなの連れ歩くとか無理だわー!」

 アンの様子を窺えば、なんとも居心地が悪そうに男達を眺めている。

 一見当然の反応と言えなくもないけれど、場所と面子を考えれば、普通の少女なら恐怖で震え上がっている方が自然だろう。アンはある意味で落ち着いている。

「あの……私に何かご用ですか?」

 ようやく口を開いたアンに、男達は虚を突かれたように沈黙したものの、すぐににたにたと嗤い出す。

 聞きようによっては、能天気に聞こえなくもない台詞であったし、現状を把握できない頭の鈍い娘とでも思ったか。

「友達が困ってるってのに、あいつ話もろくに聞いてくれなくさあ。薄情だよなあ?」

 件の男が発した芝居がかった台詞に、他の男達もそうだそうだと便乗する。

 友達どころか、昔から陰湿な嫌がらせばかりしていたと、アリアちゃんが泣きながら吐露するのを数時間前に聞いたばかりだ。

「彼女なら、あいつを説得するのに協力してくれよ」

 そう言って、男はアンを突き飛ばした。

 他の男達は膝をついたアンを押さえつけ、その服に手をかける。

「あいつとはもうやったのか?」

「意外と胸あるな」

 アンはささやかな抵抗を見せつつ訊ねる。

「これで全員ですか?」

「なんだよ、四人じゃ足りないってか?」

「すぐ増えるよ。とりあえずはグレンだな」

 そこで男達の動きがぴたりと止まった――露わになったアンの肌へ目を留めて。

「……気持ちわりい」

「これあいつ知ってんのかよ?」

「いや知らねえんじゃねえの? 知ってたら付き合わねえだろこんなの」

「やる気ねえなら代われよ」

「相変わらず節操ないなあ」

「うるせえ。穴さえあればいいわ」

「そういってさあ、あんたすぐ顔とか殴るもんなあ。俺鼻潰れた女とか無理なんだけど」

「ぎゃーぎゃーうるせえ女は、殴って黙らせるのが一番なんだよ」

 彼らの中でも一番大柄な男が、アンの前に陣取り覆い被さった。その横で、平然と雑談を始める男達。

「そういえば、あいつの妹どうだった?」

「兄貴と同じでさえねえガキだよ。まあでもコレよりはマシ――」 

「ぐあああぁぁぁっ」

 不愉快な会話は、野太い叫びによって遮られた。断末魔と呼ぶにふさわしい絶叫を上げたのは、アンに覆い被さった大男。

 勢いよく身体を起こしたアンが、立ち上がり様に大男をぶん投げる。二人が巻き込まれ、そして三人が倒れるより早く、難を逃れた一人の前に立ち、その両腕を取っていた。ただそれだけで男は仰け反り、今度は叫び声もなく倒れた。

 残りの二人へ、アンが顔を向ける。

「離せよ!」

「自分だけ逃げる気か!?」

 大男は退かせたものの、立ち上がった一方が、這いつくばったままのもう一方に足を掴まれ揉めていた。

 私は腕を伸ばして男達へ向ける。

「《集めて》」

 意識を集中した掌が、魔力の顕現である朱い光を纏う。

「《束ねて》」

 力を人差し指の先へ集束させる。豆粒ほどまで凝縮された光はより強く、色濃く煌めく。

「――《放て》!」

 光球は音もなく射出され、私と男の間を一閃する。

「ぎゃあっ」

 狙いに違わず、光は男の手に命中した。

 男は手を離して悶え、急に解放された男も倒れ込む。

「ふふん」

「ぎゅーう」

 得意になる私を、ノアが呆れた目で見てくる。

「これ以上嫌なもの見せたくないじゃない」

「ぎゅ」

 率直に告げれば、それ以上の追及はなかった。

 その間にもアンはまた一人沈め――残された最後の一人は、奇しくもアンをここへ連れてきた男だった。

 立ち上がることもままならず顔を引き攣らせる男へ、アンが歩み寄る。肌蹴た服の胸元を片手で押さえ、頼りなげな童顔からは表情が消えていた。

「っ……いやだ、助けてくれ!」

 アンは屈んで、振り回される腕をあっさり掴んだ。

 途端に男の口から絶叫が迸り……ほどなく途絶えた。

「女性達も助けを求めたでしょう。あなたはどうしましたか?」

 もはや答えられる者のいなくなった場で、アンが深く深く息を吐いた。

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