お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~変わらない~
「随分と、リシティア様と喧嘩したそうじゃないか」
「王女に刃向かうまねはしていません」
父にそう言いきりつつ、決まりが悪くて視線を逸らす。
ティア相手に冷静でいられないのは、もういつものことだ。アレクのことも、グレイスのことも、全て気に入らない。王族本位な彼女の考え方は、いつもぶれず、憎らしかった。
少しくらい、迷えばいいのに、彼女はいつも明確な答えをその身に宿している。
いつ何時、どんなことがあろうとも、それが崩れることはないのではないか、と思うくらい、芯が通っていた。
「セシル。ティアはね、お前が思っているほど強くもない。ただの女の子だ」
「あなたにとってはそうでしょう。僕にとっては、違う」
父にとってティアは、親友の娘でもある。幼い頃から成長を見守った、小さい女の子かもしれない。
しかし、俺にとっては彼女は王女で、幼馴染である以前に王代行なのだ。友人である以前に、彼女は王族でしかない。
「グレイスは、僕にとって王族でも何でもない、ただの女の子ですが」
「そのグレイスさんだって一緒だろう? 王族の血を引いている」
だからなんだと言うんだ。皆して。
彼女は王族じゃない。血を引いているだけで、王族として生きて来たことがないのだ。今更、その生き方を変えろなんて言える訳がない。言える訳がないのに、どうして……。
「俺は、彼女を愛してます」
「『俺は』だろ? セシル・ボールウィンはどうなんだ?」
僕じゃなく、俺が。俺が、彼女を愛している。貴族の息子としてではなく、ただのセシルが。
「残念ながら、私達はそれだけでは生きていけないよ」
「クラリス様のことをおっしゃっているんですか?」
愛しているだけでは、どうにもならない、と?
「クラリスは友人だ。親友の妻でもあるが」
ボールウィン大臣は、故王妃様に横恋慕したらしい。そんな噂を、幼い頃に聞いた。その真偽のほどは分からないが、それがずっと心のどこかで引っかかっていた。
「憧れなら、抱いた。彼女は、今まで出会ったどの女性より、美しくて、不思議だったからな。だけど、それだけだよ」
旧王都から来た姫君は、遠い王族の血を引く女性。その美しい見た目によらない行動で、どれだけ驚かされたことか。
そんなことを、父は笑いながら呟いた。
その目に、恋情はないように見える。アレクの目から、ちらちらを見える欠片さえ、父からは感じられなかった。ただあるのは、亡き友人に対する深い想いだけ。
「俺は、彼女さえいればこの家がどうなろうと知ったこっちゃない。……そう言えません。
アレクとは違いますから。だけど、初めて、家を捨てたいと思いました。彼女がいなくなるなら、未練もなくなると」
ずっと、家に縛られてきた。長男であるがゆえに。継ぐ資格がないと、言われ続けてきたからこそ。
いつでも戻れる『資格』があるアレクには分からないだろう。一度出て行ってしまえば、自分には戻る資格がなくなってしまうのだ。
漆黒の髪も、瞳も持たない自分は、ただ実力を磨くしかないのだ。高い矜持の現れである資格がない自分には、ただ家にしがみつくことでしか自分の存在意義を見出せないと、ずっと思っていた。
家だけが、全てなのだと。王族に仕え、父を助け、そうやって生きていくのだとずっと。
……そしていつか、繋がりを求めるどこかの家の令嬢と結婚し、子をなし、ボールウィン家の血を繋ぐ。ずっと、そう思ってた。
彼女に、出会うまでは。
「彼女さえいれば、自分にも他の価値が見出せるんじゃないかと、最初は思いました」
最初は、一緒にいれば『公爵家の長男』という以外の価値ができるんじゃないかと、少なくとも彼女にとってそうなんじゃないかと思ってた。見出せれば、何か変わるんじゃないかと。
「だけど、駄目ですね。俺のほうが、彼女を必要としてしまった。王族としてではなく、彼女自身を」
手に入れたいと思った。どんなことをしてでも、彼女を守りたいと思った。そのためなら、しがみついていた家でさえ、手放してもいいと持った。もう、何もいらないと。
「長男だから、そうはいかないって知ってます。アレクも、帰ってくることはないでしょうし」
アレクが、そこまでティアに執着する理由が前は分からなかった。
たった一人の王女を、王女としてみるのではなく、少女としてみる彼が不思議で仕方なかった。騎士として、彼女を守ればいいのに、アレクは男として彼女を守りたがった。
それが、不思議で、愚かで、腹立たしかったのに。今では分かってしまう。彼もそうなんだと。彼女さえいれば、他は何もいらない。そして、それを現に実行しているんだと。
「それでも彼女が、大切なんです」
「それは、本人に言いなさい?」
がたん、と父が扉を開ければ、目の前に顔の赤い彼女と、弟が。
「グ、グレイスっ」
「えっと、あのっ」
「私が連れてきました。兄さんに謝りたいと言っていたので」
懐かしい呼び名に顔を綻ばせてしまう。アレクに兄扱いされるのは、どこか慣れないけれど、それでも家族なのだと言われているようで嬉しかった。
目の前に、恥ずかしいことを言った自覚のある自分と彼女さえいなければ。
「セシル、ごめん、なさい。あの、ひどいこと、言っちゃったから。あのっ、わたしも、好きだよっ! もし、セシルが何も知らない頃のわたしを好きだったんだとしても、わたしの気持ちは変わらないよ。
それを、言ってなかったよね。ごめん。セシルの気持ちが分かんなくたって、自分の気持ちは言えばよかったんだよね」
真っ赤になって、一生懸命に言葉を紡ぐ彼女。それを見守る父も、弟も優しい目をしていた。
あぁ、そういえば、我が家はこの金髪碧眼に弱いんだった。この淡い金糸が、蒼から翠へと変わる瞳が、離してくれない。
「うん。グレイス」
俺もだよ。
「君に嫌われても、俺の気持ちは変わらないよ。君が変わったって、好きだって気持ちが変わるわけじゃないよ。ずっと、好きだよ。どんなグレイスだって、好きだ」
たとえ、王族になっても、ならなくても。もし、民のために命を捨てることになったって。嫌だけど、彼女は彼女でしかない。
ティアみたいな考え方を知って、変わってしまっても、自分の気持ちがなくなるわけじゃないんだ。
「大切なことを、伝えてなかったね。わたしたち」
「そうかも」
しっかりと抱きしめれば、抱きしめ返してくれる相手がいる。
それはとても幸せなことだと思う。もう、謀反のことも何も考えず、こうしていたかった。こうしていられるなら、ティアがどうしようが関係なかった。
言葉で、伝えればいい。自分たちにはそれが許されている。口に出して、行動で示して、伝えればいい。そうすれば、いいだけなんだ。何も難しいことはない。
「羨ましいですね……」
「じゃぁ、ティアにすればいい」
「冗談を言わないで下さい」
俺はそばに入れるだけで満足なんですよ。
アレクの笑った顔が、少しだけ悲しそうだった。
アレクの健気さに、毎回泣かされます。彼は不憫すぎる。