お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~罰の重さ~
今回切りどころに迷って、いつもより少し長めに載せました。次は短めになるかと思います。
次はティアとアレクがメイン。その次はグレイスとセシル、かな。
ティアはアレクさんから剣を無理やり奪い取ろうと、手を伸ばす。
しかしアレクさんはその手をそっと掴んで、自分の剣を自らに引き寄せた。まるで、ティアにはその必要がないとでも言うように。
「渡しなさい、アレク。これは、わたしの仕事だわ」
「あなたが、血を被る必要はどこにもない。もちろん、グレイスさんにも。……俺がやればいいだけの話だ」
苦い声がアレクさんの口から零れて、それに否を唱えようとする。
しかしその前に体が浮いて、次の瞬間にはティアもアレクさんも見えなくなる。真っ暗になって、声だけが耳に届いた。
誰かが、わたしの目を塞いでいる。
見る必要がないのだと、言外に言われているようで、悔しくてその戒めから逃げようとする。わたしは、何も知らなくていいともう思えない。
自分の血が、どんな結末を呼び寄せるのか確かめなければいけないのだ。
「止めて! お願いだから止めて!!」
「優しいのね、グレイス」
その優しい、はどこまでも嘲笑の色を含んでいる。その優しさは、間違っていると、そう言いたいのか。
「その甘さが、今回のことを招いたと、そうは考えないところがあなたらしいわ」
再び、この男がこんなことを企まないと、一体誰が保障してくれるというの?
「こんな男のために、わたしは自分の血族が何度も命の危機に晒されるなんて嫌だわ。そして、自分の大切な友人が、自らを責め続けるのを見るのもご免だし。だから、刻んでおくの」
優美に笑っているとは、もう思えない。その声には確かな怒気が含まれている。『わたし』への。
確かな苛立ちがはっきりと示されていて、抵抗する気が萎えた。この人は、分かっているんだ。今回の件でセシルがどれほど傷ついたか。
「それでも……殺すなんて間違ってる」
「そう? そう思いたいなら、思えばいい。この男の一族に、刻んでおくのよ。王族に手を出したものが、どんな末路をたどるか」
言っておくわ、とティアは冷たい声で男に伝える。
「グレイスも、王族よ。あなたより血の近い。だから、これも立派な謀反だって、きちんと言えば分かってもらえる?」
「馬鹿馬鹿しい。この前まで孤児として育てられた、ただの街娘だ。あなたが、執着する意味がない」
冷静さを取り戻した男が、苦く言った。わたしより、自分が相応しいと。
「あの娘は王族ではない! そうでしょう?! ただの謀反人の娘だ。生きていても、何の役にも立ちはしない」
ぐっと、わたしの目を塞ぐセシルの手に力が入る。その手を掴んで、握り締める。
彼が何かを仕出かすんじゃないかと不安になって、放さないと精一杯の力を込めた。わたしに出来ることは、すごく少ないけど、これくらいならできる。
「そうね、役に立つかどうかはわたしにも分からない。……それに、あなたを殺す気はあまりないのよ」
力を抜いて、ティアが言った。残念だ、と言うように息を吐くと、場の空気が一瞬にして柔らかくなる。
先ほどまでの冷え切っていた空気がゆっくりと温度を取り戻し、緩やかに元通りに戻っていった。
「たくさんの騎士を無断で投入した時点で、大臣達からかなり非難を浴びてるしね。これ以上勝手なことをすると、大臣達がそろって会議に出席しなくなるかもしれない。
王に、このことを知られるのも厄介だし」
すっと、わたしの目から覆いがなくなる。後ろを向けば、セシルがほんの少し困ったように眉を寄せていた。
「ただでさえ、グレイスのことがばれ始めているのに、事を大きくすると面倒が増える。それは出来るだけ避けたいから、そうね」
今回はこれで許してあげるわ。
にっこりとティアが笑って、懐から小剣を出す。そしてアレクさんが止める間もなく、男に振りかぶった。
ダン!! と大きな音が聞こえて、その場にいた全員が息を呑む。両手で小剣をもったティアは、何の迷いもなく、床に剣を突き立てていた。
男の髪が切り離され、細く赤い線が男の頬を彩る。
「感謝して。これはグレイスの慈悲よ。でなければ、大臣たちのことも考えず、『わたし』があなたを殺してた。
アレクでも、セシルでもなく、このわたしが同じ血族のあなたを殺してたの」
二度はないと思いなさい。再び愚かなことを考えれば。
「半年前の二の舞になるわよ」
半年前、という言葉にその場にいた全員が固まる。わたしには分からなかったが、半年前に何かあったのだろうか。
「ノルセス大臣のことか」
「あら、分かってるなら話は早いわ。わたしはもう二度と、自分の騎士や自分の友人を危険に晒すつもり、ないのよ」
自分の騎士、はアレクさんのことか。半年前に何があったのか気になったが、聞いてはいけないことのような気がして、そっと口をつぐんだ。それは後でセシルに聞けばいい。
「エイル。適当に連れて帰って。処分はあなたに任せる。貴族様方に批判を受けない程度にやってちょうだい。セシル。あなたはグレイスを連れて速やかに帰りなさい。
後で約束を破ったことについて殴らせてもらうから、そのつもりで。
グレイスの護衛についても話があるし。……アレク、そんなに怒った顔でこっちを見ないでちょうだい。大丈夫だから」
それぞれに指示を出し、ティアがこちらへ向かってくる。そして手に持っていた小剣をしまう。
「グレイス」
「――はい」
返事に戸惑ったのは、その声に怒気を感じたからだ。先ほど同様、彼女はわたしに対して怒っている。
「今回の件、あなたを危険な目に遭わせたこと、心から悪いと思っているわ。許して。マザー・アグネスにも本当に申し訳ないと思っている。今後二度とこんなことがないように、気をつける」
すっと王女が滅多にとらない、謝罪を示す礼をとる。そのことに驚いて、慌てた。セシルに助けを求めるように視線を送るが、セシルは何も言わずにこちらへ近づいてくる。
「あなたは、何を考えてる? ティア」
「さぁ。あえて言うなら」
これからしようとしていることへの謝罪かしら。
小さく呟いて、ティアはアレクさんの腰に佩いてある剣を抜いた。全く想像もしていなかったらしいアレクさんは、エイルさんとの今後の打ち合わせをしていたせいで、反応が遅れる。
「さて、あなたにも罰を」
剣の刃先はしっかりとぶれることなく、わたしに突きつけられた。
「今まではマザーに守られて、これからはセシルに守られて――グレイス、あなたは本当に幸せで愚かな人ね。
王族らしくもない。そのくせ、人の命は無責任にも守ろうとする。王族としての覚悟がないなら、今ここでセシルのために死んでちょうだい?」
言われている意味が理解できず、一歩下がった。殺気は感じられない。あの男に向けられた剣に怯えていたのに、ティアの剣からは逃げる気すら起こらない。
殺されないという保証はないのに、そこからもう一歩も後退できなくなる。
「ティア!!」
「分かってないようだから、教えてあげる。王族はね、民のためなら死ねるの。この命を、差し出せるの」
だけど、あなた違うのね。
「あなたが守りたいのは、セシルだけなのね」
それが悪いことだと思えず、素直に頷く。
嘘じゃない。本当のことだ。隠す必要もない。わたしは、セシルさえ無事なら、後はどうなったっていい。民だろうが、国だろうが、わたしには余りにも遠い世界の話しすぎて実感がわかない。
「あなたは、王族よ」
知らない。王族の血は持っているのかもしれない。
だけど、わたしは『王族の覚悟』なんて持ち合わせてない。そんなもの、誰も言わなかったし、必要だと思ったこともなかった。
「どんなに忌もうと、どんなに否定しようと」
その事実が、変わることはない。
「だから、義務が発生するの。当然ね。あなたがどう思うか以前に、決められていることなの。それから逃げることは、許されない」
いいえ。ティアが首を振ってその言葉を否定する。
それから手に持っている剣の刃先をわたしの首に食い込ませた。息が止まる。しかし体は動かない。恐ろしいというよりも実感がわかなくて、後退することさえ出来なかった。
「逃げると言う概念も、王族は持たないはずなのよ」
許す、許されないという問題ではないのだ、とティアは言う。その瞳に、怒り以外の感情を見出そうとして失敗した。
全ての感情がない交ぜになっていて、わたしにはうまく判別できなかった。何が彼女をそうさせるのか、見当もつかない。
「わたしは、王族の覚悟を持ってないから、逃げたいと思うし、大切な人を守りたいと思う。大切な人さえ無事なら、後はどうなったっていいと思う」
「だから、死んで? セシルのために」
表情を緩めているはずなのに、彼女の声は先ほどの男に対するものとほとんど変わらない。死を覚悟しろと宣言した、あのときの声のままだ。
わたしに、死を覚悟しろと言っているのか。
「あぁ、言い方が悪かったわね。死んで、なんて」
血『は』惜しいの。
「ティア!!」
セシルが声を上げてわたしとティアの間に入ろうとする。しかし素早く動いたアレクさんが、セシルの腕を掴んでその場に引き倒した。
声を上げそうになったが、首に冷たい感覚がして、思わず動きを止める。動かすことはしない。
それは逆に言えば、わたしが下手に動いても、ティアは剣を引かないということだ。下手に動けば、首を切られてしまいそうだ。
「ティア、止めてくれ。……頼むから、止めて」
「あなたに、懇願する資格は与えられていない。あなたは、せっかくの機会を自ら手放した。大人しく、無理やりにでも連れて行けばよかったのに。
そうすれば、こんなことを言わずに済んだのに」
冷たい声は、遠慮も知らずにセシルへ突き刺さる。床へ倒されたセシルを無感情に見下ろして、ティアは剣をずらすことなくそう言った。
殺しはしない。だけど、罰は与える。そういう、ことだろうか。
「グレイス。よく覚えておきなさい。あなたへの罰は」
自分以外の誰かが傷つくことよ。そう言って、ティアは自らの手に剣を当てて引いた。呆気ないほどのそれに、わたしはおろかセシル、そしてアレクさんでさえ息を呑む。
ただ一人、エイルさんだけが遠くからその様子を冷静に見ていた。
「ティア!」
アレクさんが焦ったように呼んで、その手から剣をもぎ取る。セシルがノロノロと起き上がって、わたしに近づいてきた。
呆然と、その様子を見ることしか出来なくなり、その場にへたり込んだ。
……これが、罰?? わたしへの? わたしでも、セシルでもなく、ティア自身が傷つくことが?
「あなたは、優しいから。これで十分でしょう?」
ポタポタと血が滴るのもそのままに、ティアが笑った。
「最初は、セシルにしようかと思ったけど、セシルがその傷で『贖罪』をした気持ちになられたら困るから、わたしにしたの。
これは、あなたとセシル、両方への罰よ。だから、セシルを殴るのも止めておくわ」
帰りなさい。最後の機会よ。
その言葉を聞いたセシルが、喉を鳴らす。それが何から来るのか、全く分からなかったけれど、立ち去るわけには行かなかった。
「ティアっ」
駆け寄ろうとするが、それは今度も許されず、そして今度こそ無理やり部屋の外へ押し出された。
「俺が、傷つけばいいと思ってたことが、ばれてたんだね。俺を、傷つければいいと思ってた。剣で、刺されれば、それでその痛みが贖罪になると思ってた。
グレイスと、ティアに対して」
それは、わたしもだよ、と途切れるように返す。
わたしが、傷つけばいいと思った。ティアに切り付けられれば、今回のことについて『償ったつもり』になれると思っていた。
セシルを傷つけたことも、ティアに迷惑をかけたことも、傷を作れば許されると、そんな甘えたことを考えていた。
それを見抜いたティアは、それを許さなかった。それこそが、罰なのかもしれないと今更ながら思う。
「ティア、自分の身さえ道具に使うんだね」
あまりにも、呆気なかった。自らの体を傷つけるのに、微塵の躊躇いも見せなかった。
それが悲しくて、悔しかった。自分の身でさえ、他のものと変わらないんだ。傷つけることにも、無頓着なんだ。
そう思うと、何も言えなくなった。
王族とは、そういうものでなければいけないのか。
ちょっと分かりにくくてすみません。でもティアちゃんはこういう人だと思ってます。簡単に許しを与える人じゃないって言うか。
目的のためなら自分の体さえ道具として使っちゃうというか。
……道具としての自分の価値を知っているのが、余計性質が悪い。アレクさんの心労が思いやられます。