お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~富を生む血~
こういうのをノリノリで書く、というと友人に素で引かれる。要するに、わたしには恋愛小説書きが向いてないと??
「何のためにこの時間を狙ったと思ってやがるんだ。人が少なくなると思ってたのに!!」
「離して!!」
黙れっ。
男の声に一瞬怯んでしまうことが悔しい。恐怖で声が萎えて、喉が枯れるのが分かる。男の腰に佩いてある剣に目が入ると、体が震えるのだ。怖い、怖いけど。
自分なんて、簡単に殺されてしまうのだろうと。それでも、抵抗し続けることが出来るのは、自らの中に流れる血のおかげだった。
この血があれば、簡単に殺されるわけがない。それが分かっただけでも、まだいい方なのかもしれない。
「はなっ、離してー」
「うるせぇな。これ以上騒ぐんなら、さっきの女みたいに……」
ばたばたと足音が近づいてきて、男が息を呑んだ。先ほどから、幾度も幾度も角を曲がり、入り組んだ廊下を走っているはずなのに、未だに追っ手は迫っているらしい。
「蒼のとこのぼんぼんか、はたまた黒のところの庶民か」
蒼の、ということは『蒼の騎士団』の団長でもあるアレクさんのことか。ならば黒は『黒の騎士団』のエイルさんだ。
彼らなら、簡単に逃げられるはずはない。
「はーい、そこの不審者ー? 人質離して、さっさと降伏すれば?」
後ろの方で声がして、それと同時にざっと幾人もの騎士に囲まれた。
一定の距離を保っているのは、多分わたしの安全を考えてのことだろう。その声色はふざけているように聞こえて、実はひどく真剣だ。
確かな厳しさを孕むその声は、一度しか聞いたことがないのに印象に残っていたものだ。
「エイル、さん」
「お久しぶりですね、グレイス姫。できればこんな形で再会したくなかったのですが」
にこり、と人好きするようなその微笑みは、アレクさんにもセシルにもないもので、どこか人を安心させる力がある。
そっと息を吐けば、その安堵が男に伝わったらしい。その肩が震えていた。
「う、動けば女に傷が付くぞ」
「それは困ったな。その姫君に傷が付こうものなら、俺はこの首をかけてティア姫に許しを請わなければいけない」
大して困ってなさそうだが、その瞳が鋭くなって剣に手がかけられた。
抜かないのは、抜けば男が逆上すると分かっているからなのか。相手を刺激することは、なるべくしたくないように見えた。
「グレイス姫が連れ去られると、うちの副隊長が無理しかねないんだよなぁ。それはご免被るよ。プルーがいなきゃ仕事にならないんでね」
護衛であるセシルは、毎日わたしに付いていてくれるが、大臣の補佐と言う職業も両立させなければいけないので、四六時中一緒にいることは出来ない。
加えて、ティアから命じられている調査もしなければいけないんだから、二人でいる時間はとても短い。
それでも、ティアがセシルをわたしの護衛から降ろすということはなく、代わりにセシルのいないときの護衛は、大抵プルーさんがしてくれた。
女性にしては長身で、その中性的な顔立ちはどこまでも凛々しく、ティアとは違った意味でしっかりとしている人だ。
その腰に佩く剣もよく彼女に似合っていて、はきはきしゃべる姿はいかにも軍人というイメージを持つ。
「余裕だな。人質はまだこっちにいるんだぞ」
「余裕? お前にはそう見える? 俺結構焦ってんだけど。お前を使ってるのがどこの馬鹿かは分からないし、おまけに目的も不明。さて、吐いてもらおうか。その姫君を一体どう使う?」
きらり、と鋭い視線が男を射抜く。男は怯えたように一歩下がるも、すぐに周りが囲まれていると言う事実を思い出して踏みとどまった。
じりじりとした嫌な緊張感が体を走り、抵抗することも出来ない。
今抵抗しても、逆にエイルさんの邪魔になりそうな気がして、じっと黙っていた。彼が何を考えているのか分からない。
「どう使おうが、あの方の勝手だ」
「……そうもいかないんだ。やっと追いついた」
後ろで、静かな声が割って入った。
体が震え、心臓までが震えだす。渇いた喉が僅かな声を出すことも許してくれない。だからただ、口を動かすだけになってしまった。『セシル』と。
「エイル。君は少し、早すぎる。後ろの騎士がついて来れてなかった」
「すみませんね。まだ訓練途中の使えない連中を待ってる暇はないんで」
涼しく返すエイルを人睨みしたあと、セシルはこちらを向いた。走ってきたのだろう、きちんと整えられている髪がわずかに乱れ、息も荒い。
その代わり、目は痛いほど澄んでいて、こちらを見つめている。ちらちらと、その瞳に見えるのは明らかな怒り。
「で? 君は『白の騎士団』の人間だね。お父様はちょうど数ヶ月前に亡くなってらっしゃる。お母様は、違う貴族の邸宅にお世話になっているとか」
前々から『白の騎士団』を警戒していたのだろう。
セシルはこの男を一目見ただけで、名前、出身地、家のことをつらつらと話し始める。全てを覚えていたかのように、いくつもの情報が彼の口から出た。
「セシル大臣補佐、さすがですね。それ、もしかして全員分覚えてたわけですか?」
「ここ一年で入って来た新入りだけだよ。何年も入っている人間は、さすがにうちの姫君の怖さを知っているだろう?」
確かに、とエイルは笑って、その答えに応えた。
「姫様を敵に回す度胸はないな、さすがに」
「俺もないよ」
二人で笑い合って、男を見つめた。
「さて、君がどこの貴族に使われているのかは、分からない。綺麗に痕跡が消されている上に、お母様を預かっている貴族にさえ確認が取れない状態だ。
そこの家の人間が一概に犯人だとは言えないし、その貴族もいいように使われているだけかもしれない。
ティアが今、自分に仕えている幾人かの者に確かめさせているけど、断定は難しいだろう」
でも、とセシルは怖い顔をして一歩踏み出した。
「我らが王女を舐めてもらっては困るよ。彼女は、やると言ったら絶対やるし、言わなくてもやりそうだな、と思ったことはやる人だ。
今回の事件について、彼女は『絶対に許さない』と言っていた。この意味、分かるかい?」
一歩、また踏み出す。『動くな!!』という怯えた制止の声に、立ち止まることもない。
「君は、いや君たちはこの国で一番敵に回してはいけない人を敵に回したんだ。特に、今回のティアは怖いよ。王族だと分かって手を出したんだ。……死ぬだけじゃ、済まないだろうね」
それは、どこかに預けられている男の母親までも巻き込もうと言うことか。
「母には、手を出させない。それが条件だ」
「だろうね。君はお母様をことの他、大事にしているらしい。この事件の首謀者はそこに目をつけたんだろうけど」
「悪いが、そんなもんで手加減できないんだ。情量酌量の余地もない。まぁ、姫様に刃を直接向けなかっただけマシか。
アレクの前でそれをしたら、お前そこで即死だぞ」
微妙に哀れんだ声が聞こえて、男がついに大きく震えだした。
当然だろう、この人たちはわたしが人質に捕らえられたと言うのを逆手にとって、彼の母を人質に取ったのだ。『王女』というティアの立場と恐ろしさを使って。
「今もし、すぐに降伏する気があるんなら、お母様の命の交渉はできると思うけど?」
「……そんなことで、俺がこいつの手を離すと?」
男が怯えたように声を出した。もうさっきまでの威勢も、恐ろしいほどの大きな声もない。
ただただ、まだ話したことも、近くで見たことさえない王女を恐れていた。彼も聞いたことはあるのだろう。冷淡な白薔薇姫が、国のためならどんなことでもすると。
「強がったって、恐ろしいだろう?」
「そんなことはっ!!」
ぐっと体を下ろされて、すぐさま首元に剣を突きつけられた。肌に当たるその感触は冷え冷えとしていて、体の芯から熱を奪っていく。
少しでも力を入れれば、それはいとも簡単にわたしの命を奪うだろう。
「彼女の体は、巨万の富を生む。それなのに、傷つける気かい?」
「己の命には代えられまい。もちろん、母の命にも」
ぐっと再び首元に強く押し当てられる。エイルさんも、セシルも何も言わずにこちらを見る。セシルの瞳から、一切の感情が抜け落ちた。
その顔は、驚くほどアレクさんと似ていた。仕事中の、無表情のアレクさんに。
「あの方が、この女をどうしようが知ったこっちゃないが、生きてさえいればいいんだろう? ならば、少々の傷は許容範囲のはずだ!!
さっさと道を開けろ! ほら、女の首に傷がつく前に」
容赦のない言葉だったが、それは紛れもない事実で何も言えなくなる。目的は分からないが、命さえあればいいなら、ここで少々傷がついても関係ないはずだ。
この血さえ必要なら、少しの切り傷は大したことではなくなるだろう。
「あんたたちだって、分かってるはずだ。この女は争いの種にしかならない! 謀反人の娘をどうして守ろうとする?! この血は、争う以外のことは生まない。平和も、幸福も、何も生むわけないんだ……」
やめて。そんなこと、分かってるから。声に出して言わないで。全てを、否定しないで。王様のおかげで、やっと受け入れようとしていたのに。
この血を、運命を、生まれを。――父を。
「や、め」
「うるさいっ。お前がいなければ、あの方だってこんなことを俺に頼むことはなかったんだ! 母を人質にして、『母君は守ってあげよう』なんて善人面して」
お前さえ、いなければ。
やはりわたしは、争いの種にしかならないのか。
「お前の意志の弱さをグレイス姫に押し付けるな。騎士団の団長にでも、アレクにでも相談できただろう?
ちょうどこの前蒼と白とで合同練習があったんだし、アレクは身分やそんなもので話を聞かないような奴でもない」
お前が相談しなかったのは、お前が弱いからだ。
「それと、うちの姫様を信じてないからと言うのが一番の敗因だな。
アレクに相談さえすれば、姫様に直接話が行く。あの姫様が見捨てるわけもないのに、どうせ身分が低いからと切捨てられると思って」
それはお前の責任であって、その子の責任じゃない。その生まれも、血も関係ない。
「あまりの情けなさに、大臣補佐殿は声も出ないらしい。……セシルさん、あの、手を振り切らないでくださいね。頼みますよ、いやあの目が笑ってないのが怖いんですけど。
俺、こう見えてもアレク恐怖症で」
ぎゅっとセシルの手をエイルさんが捕まえ、離さない。
多分、そこは騎士であるから抑えられているのであって、すごい攻防戦があるんだろうと思った。セシルの、顔が怖い。怒っているのがすごく分かる。
今にも、こちらに来てしまいそうで、すこしだけ眉を寄せた。今来たら、セシルに怪我をさせてしまうかもしれないのに。
「手を、離してくれるかな。エイル」
「そうですね、あの男を殺さないとおっしゃるなら考えますけど」
「殺すなんてしないよ。首謀者を吐いてくれるまでは」
不穏な会話が繰り広げられる。そのとき、ピーという高い音が響き渡った。
細く、遠くまで届きそうなその音は、聞いたこともないくらい鋭いものだった。エイルとちっと舌打ちをして、剣を抜き放つ。
「何の合図だ? これは俺達の合図じゃない。なら……」
お前達のだろ? と剣をこちらに突きつけて問うた。気付けば男の震えは止まっていて、その顔には再び余裕が戻っている。
「茶番は終わりだ」
そう言って、男はわたしの首から剣を離す。
それを狙っていたかのように、周りの兵が一斉にこちらへと向かってきた。中でもエイルとセシルが一気にこちらへ来た気がして、手を伸ばそうとする。
が、いち早く男に腰を抱かれて、窓の方へと突っ込んでいく。ここは何階だろう、と思う間もなくすさまじい音がして、ガラスが割れた。
その音を、どこか遠くで聞いている。
ぱらぱらと、落ちるガラスの破片は美しくも恐ろしい。男はそれからわたしを守るように抱き込むと、窓の外へ走り出た。そして息をつく間もなく体が宙に浮いた。
「あっ」
手を伸ばして、あと少しでセシルの手に重なろうと言うときに、一気に下降する感覚が身に降った。
息も出来ないようなそれに耐えようと、自然に手は強張ってセシルの手から離れていく。ちらり、と見えた彼の顔は、絶望に染まっていた。
「グレイスっ」
飛び降りようとするセシルにダメだと伝えたいのに、見る間もなく遠くなる。エイルが何とか止めているのが見えて、伸ばしていた手を元へ戻す。それと同時に、ぼふりと何かに突っ込んだ感覚がした。
「お疲れ様」
「助かりました。カーライスさん」
転がったままのわたしへ、手を差し出す人がいる。逆光になってよく見えないが、立派な身形をした人であるということは分かった。
それを掴むのが嫌で、自分の力で起き上がろうとする。しかし落下の衝撃が思いのほか強いらしい。
かくん、と膝が折れて、そのまま這い蹲るような形で膝をついた。地面についている手も震え、足が上手く動かない。
上で何か騒がしくなり、急にその男の人に抱えあげられた。立派な身形の、細いと思っていた体なのに、しっかりと捕まえられる。
「帰して下さい。か、えらなきゃ。セシルがっ」
「残念ながら、もう少し一緒にいてもらおうかな」
『もう少し』? それって、わたしはどうなるって意味? そう聞き返そうとした瞬間、口元にハンカチが押し当てられて、急に息が詰まる。
甘ったるい匂いを自覚する前に、抵抗しようとしてあげた手が垂れ下がる。
脳からの伝令が、完全に断ち切られたみたいに体が動かなくなり、意識もぼやける。こんなところで、気を失うわけにはいかないのに。
帰らないと、セシルが。セシルが、傷ついちゃうのに。
「か、えして……」
「無理だよ。死んでもらわなきゃ」
ぽつり、と男の人が呟いた。ぞくりと背筋が凍るようなその声に、返す暇もなく意識を手放した。
ごめん、セシル。傷つけちゃうかもしれない。深い、傷を残したまま帰れないかもしれない。一生手が届かないと分かっていたら、昨日もっと言ったのに。あなたが、誰よりも好きですって。
ぎゅっとしがみついて、一晩中離れなかったのに。あなたの背中に張り付いて、朝が来るまで、喉が枯れるまで紡ぎ続けたのに。
「ごめ」
もし、分かっていたら。
ここで捕まっては話が進みませんのでー。
とか言いつつ、セシルとエイルがいる時点で逃げ切れないんじゃない? と思ったのも事実。アレクが出てこないのは、また次話くらいで説明できたらなぁ。