第8話 『才女』
「リシティアという女王はどんな人ですか?」
「わしらでは敵わん相手だ」
一番尊敬している父にここまで言わせた女を見たいと思った。それが始まりだ、
「ジーク! 何故逃げ出したっ?! この不肖息子がっ」
張られた頬の熱さを感じて眉をしかめた。久々に、殴られた。
今日は隣国、光国の女王の戴冠式だった。弱冠十七歳で王位についた元王女は、十六になる前から王代行として政に参加していたらしい。
王が死ぬ前から代行し、一ヶ月前、ついに王が亡くなってからは本格的に王としての仕事をこなす。
自分より四つも若い小娘に務まるのなら、自分でも出来るのではないかと思う。
「別に……。興味がなかっただけです。たかだか十七の小娘が王冠をかぶるのを見たって、面白くもなんともない。わざわざ戦場から呼び戻しておいて、用事がこれとは――がっかりです」
しかもたった四年間の王だ。
何でも弟が十六になればあっさりと身を引くと宣言しているらしい。くだらないと思う。一度王位についたなら、その座を手放したくないとは思わないのだろうか。
「お前の、その身勝手な行動が国交を危うくしていると気づかないのか」
「へぇ、十七の娘が怒りでもしましたか?」
肘掛においた腕に寄りかかりながら父王を見る。そしてくだらない、と呟いた。小娘が、四年間の中継ぎの王が、敵うはずもない寒国へ何を言ってきたのか、聞く義理もない。
それで怒っている父にも落胆した。国交? そんなものは対等の国とすればいいだけの話だ。
「リシティア殿は怒らなかった。わしが、詫びを入れた」
父の口から信じられない言葉を聞く。
父が、大陸最強と言われ、恐れられている軍を持つ寒国の王が、詫びを入れた? たった一国、しかもほぼ軍事力を持たない弱小国の女王に? 自分の子どもより若い娘に?
「父上が?」
「そうだ」
思わず聞き返すが、返ってきた答えは先ほど聞いたとおりだった。
「何故?」
正直、裏切られた気分だった。最も尊敬している父が、詫びを入れたのだから当然と言えば当然だろう。
「わしらはやはり、五百年にも満たない歴史しかない国の王なんだよ」
父がふぅ、と疲れたように息を吐いた。
そして左手を額へやり、何かを思い出すように目を瞑る。眉間に皺がより、老練そうな顔がわずかに翳った気がした。何を思い出しているのだろう、と思う。
「初めて会ったのは、彼女がまだ幼い頃だったか」
ゆっくりと、話し始めたそれは、女王との記憶だろうか。
「あの頃から彼女は、『王女』であり『次期王』だった。人を従わせる何かを持っていた。生まれながらの“王”とはこんなものなのかと、ひどく納得したよ」
「そんなの」
思わず、口をついて出てきそうになる言葉は父によって阻まれた。
「千年以上続くその血が、そうさせるんだと実感させられるような瞳だった」
――わしらでは敵わんよ。
いくら国の名を変えようと、国土を奪われようと、その血がある限り彼女らは王なんだ、そう父は呟いた。力だけではどうにもならないものだと、軍事国家である国の王が言ったのだ。
国を奪われても、血さえあれば王である?? そんなこと、ありえないと思った。奪った相手こそ、王になるはずだ。王であるはずだ。しかし父はそうでないと言う。
「彼女を敵にだけは回したくないな」
父にそこまで言わせる相手に興味を持った。
戴冠式に出なかったことを小さく悔いる。一目だけでも見て帰ればよかった。
噂で聞くと、随分な美人だと言っていた。『リシティア』と言う名に興味を持った途端、噂話が一気に思い出される。
美人だと聞いた。才女だと聞いた。類まれなる政の才能を持つと言う。彼女に笑いかけられれば、どんな人間だって見惚れると言う。そんな女に興味を持った。
「そこまでの、女ですか?」
「お前の嫁にほしいくらいだ」
ふざけたように笑って父は言ったあと、急に真剣な目をする。
「本当に、お前の嫁ならわしは今すぐにでも退位してお前ではなく、彼女に王位を譲るだろう」
お前が敵に回した相手はそういう相手だ。
「お前が十年たって王になったとして、敵う相手ではない」
二十年以上王位についている、そして民から賢王と言われているわしでさえ、彼女を相手にするなどとできない。せいぜい軍事力の力で対等になろうとしているだけだ。
ぞくりと、背筋が粟立ったのは事実だった。