お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~躾~
グレイスも、セシルもお互いに告白をきちんとしていないと言う事実に最近気付いた作者……。(ダメすぎる)
急遽そのエピソードも追加する事態になりました。5、6話後ですが、よろしければ頭の隅にでも置いてください。多分その頃には予約掲載に切り替わっていると思います。
「落とすな」
ぴしっと空気が固まる。お姫様の一言だ。
「は、い」
恐る恐る返事をすると、はぁとため息を疲れた。
わたしの頭の上にあるのは薄い本一冊。体の重心を動かさずに歩く練習、らしい。本当にこんなことするのね、貴族の令嬢様は。
「するわけないでしょう。このくらいの年齢になれば自然と歩けるようになるのよ。小さい頃から教えられるから」
あなたの場合、こうでもしないと直らないでしょう? だからよ。
「ご令嬢がこんなことしてて花嫁修業、とか言ってたらわたし笑うわ」
ここはリシティア姫の私室。
いつもは与えられている仕事部屋で仕事を済ませるらしいが、わたしがここにいると聞いて帰ってきたらしい。
わたし付き(リシティア姫の命令で)の侍女さんが、恐る恐る理由を聞くと『楽しそうだから』と何とも簡単に笑われた。
「セシル。甘やかさないでやりなさい」
「分かってるけど」
こればっかりは一朝一夕じゃないからね、とセシルのフォローもフォローに聞こえない。
……すみません、下町育ちをコレといって恥じないで。わたしには、そこまで怒られるほどの立ち振る舞いじゃないと思う。
が、この人たちから見て、わたしの行動はさぞかしがさつに映るんだろう。セシルには、あまり見て欲しくないと思ってしまう。
「ごめんなさい」
「別にグレイスを責めてるわけじゃないよ。そのままでも十分可愛いから」
「惚気るなら他でやりなさい。わたしも暇じゃないのよ。――それとも、わたしが教育してあげましょうか?」
にっこり、と笑われて、慌てて首を振る。そんなの怖すぎる。
「ほら、ティアが性格悪いことばっかり言ってるから、グレイスが怖がってる」
「そう? グレイス」
ぎゅーっとわたしを抱きしめてセシルは笑った。
彼は、本当に王女様が嫌いなんだろうか。だって、とても自然に話している。幼い頃から知っている友人に話しかけるように、彼は彼女と話す。
だけど、どこか一線を引いているようにも見えた。仲はいいように、だけど決して行き過ぎないように。それは見えない白い線。王族と貴族を分ける、明確な線。
それが彼女も分かってるんだろうか。
「グレイス、本」
「えっ。わぁっ」
本を落とすまいと重心を落とすと、高いヒールがぐらりと傾いた。
履き慣れないそれをコントロールするのは難しく、変な格好で受身を取ろうとした。それでも体は傾き続けて、地面が目の前に迫った。
目を、瞑った瞬間、ふわりと体が浮いた。
「随分と、面白い練習ですね。グレイスさん」
「さすがアレク。手を出して固まってるセシルとはえらい違いだわ」
「悪かったね。抱きとめようとして弟に掻っ攫われて」
まるで荷物か何かを持つように、アレクさんはわたしの腰を掴んでいた。
まるっきり、なんと言うか照れも何も含まれていない。わたしは、どきりとしたのに、この人にはそんな感情ないらしい。
会ったときから思ってたんだけど、この人はあまり感情を表にしない人らしい。鉄面皮、とリシティア様が言っていた。
「あ、あのっ。ありがとうございました」
「いえ。部屋にはいったら、あなたが向かってきたので」
失礼だと思いましたが、顔がぶつかるよりはいいかと思いまして。女性の体を触ることは不敬ですね、すみません。
感情の一切伴わない言葉がその口からあふれた。よくよく見ればセシルと似ている顔立ちなのに、その配色ゆえかまったく似ている印象を持たない。
配色以上に、その顔に映す表情が原因かもしれないけれど。
「アレク。女性に対してその態度はないわ。もう少し笑いなさい? ほら、『寒月の君』? わたしのために笑って頂戴?」
戯れごとを、とアレクさんは言った。
『寒月の君』というのは、アレクさんのあだ名、らしい。城の女性達にそう呼ばれているんだ、とセシルに聞いた。
その無表情で端正な顔立ちは、まるで冷たい月のよう。何をも拒絶して、寄せ付けない。
それをリシティア様は揶揄して笑うのだ。わたしのためなら、笑えるでしょう、とまるで試すように。
それでも、彼は淡く笑った。彼女にしか見せない、笑顔なのかも知れないとぼんやりと思う。笑えば印象は柔らかく、セシルより年下なのにも頷けた。
よくよく見れば、その顔はまだ年若く、幼ささえ含んでいるようにも見える。
もっと笑えば、年相応に見えるかもしれないのに、この人はどこまでも大人びた表情をして彼女に付き従っている。
「それより、ティア。そろそろ戻る時間のはずだけど? 約束、したよね?」
口調が、少しだけ幼くなった。拗ねているような、約束を破ったリシティア姫を責めるような言い方。
「もうそんな時間? あぁ、そうね。悪かったわ。ついつい楽しくてね。あなたも少し見ていかない? 思い出すかもしれないわよ。小さい頃のわたしを」
「あなたのほうが酷かったですよ。それはもう、礼儀作法の先生が頭を抱えるくらいには」
そんなこと信じられない、という顔をするわたしに、アレクさんは笑いかけた。
「今では信じられないでしょうが、この人は昔、相当なお転婆姫だったのですよ。剣を振り、俺を負かしたことだってあるんですから。今では信じられないでしょう?」
「昔はよく、悔しがって家で練習してたよね」
セシルが笑って答えた。それから、リシティア姫に向かって言う。
「もう帰ったほうがいいだろう。ティア。大臣に嫌味を言われるよ? まだグレイスのことは伏せてるんだろう?」
勘のいいやつは気づいてるけどね。まったく、面倒なことだ。
「あぁ、帰るわ。だけどこの子は連れて行く」
ひょいっと、アレクさんがわたしを抱き上げて、ティアは笑う。
「荷物扱いは謝っておくわね。何せアレク、お姫様抱っこの居心地が悪いらしいの」
その実、リシティア姫にしかしたくないんじゃなかろうか、と思ったのはわたしだけだろうか。間違ってはないと思うんだけど。
お姫様抱っこはティアちゃんにしかしない、そんなアレクが好きです。