第7話 『訪れを知らせる音』
「姫様っ!!」
「何?」
ばたんと、侍女のイリサが珍しく慌てたように扉を開く。
「それから、イリサ。その“姫様”ってやめてちょうだい。 大臣たちに怒られるのよ。わたしが」
いつものイリサなら信じられないような行動に、ティアは驚くことなくイリサに言葉を発した。その間、目は書類の文字を追っていてイリサに向けられることはない。
「それがっ。寒国―ロッラール―の王子が明日来るそうです」
「……え??」
ティアの返事が一瞬遅れた。
次いでティアはやっと書類から目を離し、イリサに目を向ける。書類に集中しすぎて、聞き間違いをしてしまったような顔をした。
蒼とも翠ともつかない瞳が丸く見開かれる。
「王子って、第一王子よね。あそこ、一人息子だし」
ティアがゆっくりと聞き返す。寒国は息子が一人で、あとは全員王女だった。その確認に、イリサはこくりと頷くだけで答える。この際、不敬とかいう問題は彼女たちの頭にない。
「はぁ」
ティアが小さく息を漏らす。そして手身近にあった小振りなベルを鳴らした。チリリンと可愛らしい音が鳴るのと同時に顔見知りの女性が入って来た。
「ティア様?」
「プルー。エイルに伝言をお願いしたいのだけど、いいかしら?」
彼女……警備隊の副隊長で、本来王族の護衛ではないのだが、騎士隊唯一の女性ということで、女王の護衛によくなるのだ。
本来彼女は町の治安を守る人間だが、ここ最近問題もないので城で警備隊の隊長と共に事務方の仕事をしていた。
「なんなりと」
「ありがとう。えっと。『北のバカが来るらしい』って」
優雅に、それはそれは絵画に出てくるような笑顔で発する言葉は、予想をはるかに超えるもので、言われたプルーは一瞬ぽかんと口を開く。
「えっ?」
腰に佩いた剣がカシャンと鳴る。ティアはその反応にくすりと笑みを返しながら、プルーにもう一度告げた。
先程よりもずっと笑みを深くして。髪をかきあげるように手を当ててから、イスから立ち上がる。
「北のバカ。ジークフリートがこちらへ向かっていると今報告が入った。至急準備を、と」
「あ、はい」
プルーが部屋から出るのと同時に、アレクが入ってきた。小さく苦笑いしつつ入って来るのを見ると、先程の発言は全て聞かれていたらしい。ティアも苦笑いで返しながらイスに座りなおした。
「寒国の王子が何をしに?」
「さぁ。あのバカの考えは分からないわ。父親であるデルタ様でも分からないんですもの」
寒国現王――デルタ王を父に持つ王子、ジークフリートは正真正銘の次期国王だ。
軍事国家で名高い彼の祖国どおり、端整な顔立ちからは想像できないくらい剣術に秀でており、戦好きだという噂だ。
“美しき戦神”と呼ばれるとおり、彼が戦で負けたことはない。
それもあるのだろうが、自由気ままで好き勝手な行動が多い。それに意見する人間もいない。彼に逆らうことはそのまま死を意味する。
「わたしの戴冠式にも来ないんですもの。今更、何をしに来るというのかしら」
そしてその身勝手さは国交の域にもまで反映されている。
隣国の王が変わるのに、その戴冠式に次期王が来ない。それはその国の王として認めていないということになる。
下手をすれば即戦争となってもおかしくない事態だったが、デルタ王が詫びを入れたのでティアが折れたのだ。
寒国―ロッラール―と光国―リッシスク―。
軍事力でこそ圧倒的な差だが、それ以外なら光国が勝っていることのほうが多い。
貿易、国交、歴史や文化といったものがこの光国には溢れている。寒国と光国は長い間お互いを牽制しあっていた。
しかしジークフリートが次期王として国の政へ口出しするようになってから、その関係は微妙に変化しつつある。軍事力でものを言わせるようになってきたのだ。
「顔は見たことないけど、美形なんて嘘ね」
同じく“大陸の才女”、“怜悧な白薔薇姫”と言われて大陸中に知られる美貌を持つティアが笑う。その笑顔だけで婚約話が五万と来ることを自覚しているのかと、アレクはそっと思った。
「どういうことですか?」
イリサが首をかしげるのを見て、ティアはいたずらを思いついたような顔で笑う。口元だけが意地悪そうに歪む。しかしそれさえも美しく見えてしまうのだから不思議だ。
「美形は仕事も出来なきゃ、ただの人間よ」
愚かな王子は為政者でもなんでもなく、ただの傀儡だとティアは笑うのだ。これを聞いたら、本人はいったいどんな反応を示すのか、アレクもイリサも心の中で思う。
「出迎えましょう」
先触れもしないバカを。
「承知しました。女王陛下」
それが何を意味するのかも知らず、ティアが美しく口角を上げた。