お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~色の証明~
一週間に一度は更新すると言いつつ、これを忘れていました。
待ってる方はいるんでしょうか……。主役カップリングがほとんど出てこず、本編ヒロインがドSの役目を担っているお話。
でももう少しお付き合いください。
「さて、何から説明しようか」
足を組む仕草も、髪を掻き揚げる仕草も、少しだけ見慣れたもの。だけどその中に、この前は見なかった苛立ちを見る。
グレイスは、彼が怒ってるんだなと直感的に分かった。
「グレイス?」
「怒ってるの? セシル」
多分、彼は怒っている。何か、に。それが何なのかわたしには分からないけれど、わたしがこの城へ来たことが原因だろうということくらいは分かった。
わたしが、ここにいることが、彼を苛立たせているんだろうか。
グレイスは首を傾げつつも、そう思う。それくらいしか、理由が見当たらない。
「怒ってる? あぁ、怒ってる。あの姫に」
ぎりっと、唇をかみしめて悔しそうに眉を引き上げた。
その顔は、少しだけアレクと重なり、怖く思える。貴族の顔というよりは、とても人間的な顔だった。いつものように、穏やかに目を細めるのではない。
その口角に、怒りを含ませるのではない。
数回、たった数回会っただけなのに、この人の全てを知っている気になっている自分を嘲笑いつつ、それでもこの人がそういう人だと疑いもしなかった。
弟さんも、やっぱりこの人も、貴族なんだなと思ったのはつい数刻前なのに、とグレイスは思う。
「グレイスの命と自由を引き換えに、ここへ入れた彼女を、俺は心底憎んだよ」
ごめんね、グレイス。
「セシルの、せいじゃないよ。ううん、王女様のせいでも、ないと思う」
多分、誰のせいでもないと思いたい。そう思うのは、甘やかされて育ったからか。
絶対的な愛を、知っているからか。
「グレイスは、優しいね。俺には、彼女を許すことはできないよ」
セシルが、『俺』というのは初めてで、少しだけ驚いた。
だけどそれは意外にもセシルに似合っていて、彼だって普通の男の人なんだと思わせる。淡い髪の毛がサラリとゆれ、次いで明るい碧眼がグレイス自身を映し、グレイスは慌てて目を逸らした。
知らない、男の人を見るみたいだった。
貴族然とした彼ではなく、まるでこちらを射るかのようにまっすぐ見つめている一人の男の人。
「グレイス、こっちを向いて」
そっと、頬に手を添えられる。その手に逆らえず従うと、にっこりと微笑まれた。
あぁ、でも彼は彼なんだとグレイスはやっとのことで笑い返す。慣れない場所で、慣れないなりに、自分なりに彼を安心させたいと思いつつ。
「君が大切だって、言ったね」
頷く。確かに、セシルはそう言った。
どういう意味かは分からずとも、どういう意図かは知らずとも、それが自分を害さないということくらい、グレイスは認識できているつもりだ。
たとえ、その『大切』が自分と一緒ではなくとも。
「その気持ちに、偽りはないよ。君が、大切だ。リシティアに、逆らうくらい、君が大切だ。誰にも、傷付けられたくない」
城は、恐ろしい場所だよ。
セシルの顔が歪む。苦しいのか痛いのか、分からず動揺する。それだけ、この城が恐ろしいということか。それとも、別の理由があるのかグレイスには分からない。
「優れているものには、何もかも与えてくれるけど、一瞬にして奪うところでもある。どんなに、一生懸命やったって、彼女たち王族の一言で無駄になることだってある」
彼は、王族が嫌いなんだろうか。
いや、違う。リシティア様が嫌いなんだろうか。
グレイスにはその理由が分からず首を傾げた。聞くには、少々複雑すぎる内容だろう。彼女自身、王族を無条件に好いていたから。
正確には、周りの人間があまりにも自然にそうであったから、そうならざるを得なかった。
マザーは、どうだったんだろうと今更ながら考える。
「俺は、彼女が嫌いだ」
はっきりと、セシルは言う。
「リシティア・オーティス・ルラ・リッシスク。彼女が、心底憎いよ」
その声は確かに彼女を憎んでいた。だけどそれと同じくらい、好きなんではないだろうかと思わせるくらいの執着をも含んでいて、それが少しだけ複雑だった。
好き、だから。
「セシル。彼女が……本当に、憎いの?」
本当に、彼女を心底憎いと思っているの? あなたは、そこまで他人に激しい感情を向ける人? そんな印象、今まで受けなかったよ。どうして、そこまで彼女を憎むの。
いくつもの疑問が浮かんでくるのに、結局何一つ言葉には出来ない。何一つ、言葉にしてセシル自身には問いかけられない。
聞くことが、悪いことのようにグレイスには思えた。
「グレイスは、何も知らないんだったね。俺と、アレクと――それから、ティアのことを」
『ティア』と王女の愛称を何気なく呼んだ彼にどきりとする。
そこには隠し切れない親しさと愛情が見え隠れした。『ティア』とたった一回呼んだだけなのに、それだけでグレイスには分かってしまった。
彼が心底彼女を憎んでいるだけではないことを。
むしろ、心から大切に思っているのではないだろうかと思ってしまう。それくらいの、『何か』をセシルは王女に持っていた。
「昔話、しようか。すっごく、昔の話。それと、叶うはずもない、弟の恋の話も」
それは、弟の話だけですか?
昔々、それはもう、随分と昔のこと。
弟が目を輝かせて帰ってきたことを、今でもはっきりと覚えている。父が弟を連れて城へ行ったのを、自分は勉強が終わった後に知った。
別段、傷つくこともなかったように思うが、今思えば少し拗ねていたようにも思う。
どうして父は、自分ではなく弟を選んだのかと。……選ばれても、文句は言えないのだけれど。
だって、彼は自分とは違うから。自分には、ないものを持っているから。選ばれて、当然なんだ。
「どうして?」
目の前の少女は、小首を傾げて聞いてきた。
その顔を彩る色彩は、確かにリシティアに似ていて、どことなく顔の作りも似通っているようにも思える。だけどその顔に映る表情はどこまでも無邪気で、何も知らないように思える。
つい最近まで、王族であることも何も知らなかったんだから、当然だろう。
セシルはそんな言葉で、似ている、という事実を否定したかった。何より憎いと自分に言い聞かせている王女と、何より愛しいと思い始めている彼女が似ている、なんて事実。
「ん?」
「どうして、仕方ないと、思うの? セシル」
始めは戸惑っていたのに、今ではすっかり板についた口調が聞く。あぁ、彼女は自分の持つ髪と瞳の色の意味を知らないのか。
知るはずも、ない。
そんなこと、知っているのは貴族だけだから。グレイスとは今まで無縁のことだったのだろう。それを嫌だとも思えないけど。
「あぁ、知らないんだったね。グレイスは。俺……いや、僕の髪と瞳のこと」
俺という一人称を慌てて僕に直す。自分の弟には似合っていると思う自称も、自分が使うとどこかわざとらしい気がする。
……いっそずっと俺で統一してしまおうか。いや、うるさい大臣方にまた何か言われるか。
相手に批判されるところを、作ってはいけない。セシルは知らず、手を握り締める。
「セシルの、髪と瞳?」
きょとん、として、次いでこちらへ手を伸ばす。
そっと遠慮がちに触れてくる手が心地よくって、その手を握り締めた。握り締めていた力を解き、先ほどまで自分の手のひらに食い込むほど力を入れていたその手に、彼女の手を乗せる。
自分でも驚くほど優しくその手を握り締めていて、セシル自身が一番驚いた。
初めて見たとき、とくりと知らず心臓が鳴った。どんなことに対しても高鳴らなかった心臓が、驚くほど自然に早くなった。
偶然に再会しても、その胸の高鳴りは収まりきらず、しかし彼女がどんな家の生まれか、どういう身分の人なのか怖くて聞けなかった。
多分、と自分で自分を笑う。
初めてあったその瞬間から、恋に落ちていたのだろう。自覚すると驚くほどその考えは腑に落ちる。
リシティアに指図されて気分が悪かったのも、遥か昔の恋かどうかも知れぬ感情を思い出したのも、全て彼女に対する想いが『本物』だったからだ。
一人でそう考えて、笑い出したくなるほど嬉しくなる。セシルはこみ上げてくる笑いを、苦笑いにとどめた。
「髪の色……、綺麗だと思うよ?」
「そう? 俺は――もう俺でいいよね、俺は、アレクの髪色の方が好きなんだ。というより、俺の一族全員が、好きなんだ」
え? とグレイスは訳が分からないというように、首を傾げた。
一族全員? と不思議そうに言う。当然だろう。彼女は何も知らない、大切に育てられたお姫様。純粋さだけなら、自分の仕えているお姫様に勝っているはずだ。
そういう点で、我らが姫君は強かで、彼女よりずっと穢れを知っている。
それは、『王族』だからだろうか。
「俺の家、結構な家柄だろ? 昔から、こいう家柄なんだけどさ、代々の当主は皆、アレクみたいな漆黒の髪と瞳を持ってるんだ」
漆黒、とグレイスの口が動く。それと同時に目を細めて、なにやら思い出しているらしい。多分、アレクの容貌を思い出しているのだろう。わずかに寄せられた眉と、わずかに突き出された唇。少しだけ、不機嫌そうな顔。
「そう。あの人みたいな、真っ黒な髪と瞳が、セシルの家の色だったんだ」
ふるり、と体を震わせて、『わたし、あの色あんまり好きじゃない。ごめんなさい』と謝ってくる。
「謝ることないよ。確かに、漆黒の髪と瞳は人好きするようなものじゃないのかもしれない。グレイスの髪は金髪だし、瞳だって……」
あの人にそっくりだ。憎々しいほど美しい、あの人に。
思い出して、セシルは眉をひそめる。
「セシル?」
「ん? あぁ、でも、漆黒は誇りの色なんだ。何色にも染まらないあの色は、どんな不当な権力にも屈しないっていう我が家の矜持が反映されているんだって、皆信じてる。
俺たちが唯一膝を屈するのは、王族だけだって意味」
そう、だからこそ、ボールウィン家は長い間王家の信頼を保ち、今こうして政の中枢にいる。その髪と瞳を持つものは誰よりも気高くいなければいけない。不正など、その血が許さない。
だから、ボールウィン家の当主はみな、揃ってあの髪と瞳を持つ。
代々言われ続けていた言葉に、ちくりと心が小さく痛んだ。今更何を、と思いつつセシルはその顔に平常心を表した。
自分が、ここでそんな顔をしてはいけない、と思いながら。
グレイスにだけは、そんな顔、見せたくなかった。自分が嫌いで、卑屈になって、独りで膝を抱えていたあの頃を、知られてはいけない。
ティアに、馬鹿らしいと鼻で笑われた、あの頃の自分を見せたくはない。だって、彼女の前ではいつだって、『セシル・ボールウィン』でいたいから。
貴族然とし、欠点なんてないかのようなそういうセシルを、セシル自身が望んでいた。
セシルさんはカッコつけだと思うのです。彼女の前では、いつだって冷静な自分でいたい、みたいな。
格好悪いところを見せたくなくって足掻く、彼はとても人間らしいと思います。……何だかティアちゃんたちが人間じゃないみたいな言い方だなぁ。
あと一話はまた二人の会話で、その次はまたティアちゃんVSセシルの構造になるかと。
とりあえず、セシルとティアちゃんの会話は楽しい。