お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~花祭り~
再会は早目がいいのです。胸の動機が収まる前に会うのが理想だと思います。……ええ、恋愛経験希薄なわたしが語りますとも。
「マザー、何ておっしゃったの?」
「せっかくの花祭りですもの。行ってらっしゃいと言ったのよ?」
地味で、動きやすそうなドレスからエプロンを剥ぎ、まとめている髪をほどく。振り返ればマザー・アグネスは優しく笑い、そっと仮面を差し出した。
「今日だけは身分も何も関係ない楽しいお祭り。ただし、相手の顔は見ないと言う条件でしたね?」
確かめるような口調で言い、春らしい明るい色の仮面を差し出した。
花をモチーフにした仮面は可愛らしく、鼻から上を覆い隠す。花祭り、その名の通り花々の美しさを祝い、春を祝う祭りだ。
元は隣の国の祭りだが、今ではすっかりこの国になじんでいた。人々はこの日、相手の顔も身分も知らず、ただただ春の精に踊らされるように舞う。
音楽にあわせ、ステップを踏み花々の可憐さを褒め称える。
若い少女らが楽しみそうな行事だが、大抵の場合は声と雰囲気で相手を知ってしまう。それでも時々いる、息抜きをしに来た貴族の子息を一目見ようと乙女たちは毎年必死だった。
「でも、私、今日は一日中花配りの仕事が」
若い少女たちはほとんど祭りに出てしまうので、こういうときの仕事は賃金がいいのだ。美しい花を配り、色とりどりのリボンを、紙吹雪を撒く。
それだけでいい賃金が払われるのだから、しないわけにはいかない。
「いいのですよ。私がしますから」
そう言われて、その仮面を受け取った。
そして押し切られるように、外へと押し出される。戻ろうと振り返ると、マザー・アグネスは笑って一着のドレスを差し出した。
普段着なさそうな、パステルカラーがふんだんに使われているドレス。ピンクの花をモチーフに、まるでドレスの裾は花びらなのではないかと疑うような形をしていた。
幾つもの布が使われており、それでも正式なドレスとは違い裾が短い。前の裾よりも後ろの裾の方が長く、腰の後ろで括られているリボンが一体となった作りになっていた。
「これ……」
「可愛らしいでしょう?」
ウフフ、とマザー・アグネスは優しく笑う。そして、グレイスの手を握り、何かをグレイスの手に押し込んだ。
「この髪飾りは、私からの少し早いプレゼント」
そう言うと、今度こそパンタと扉を閉じられてしまった。
グレイスは仕方なく、自分の部屋に戻ろうと踵を返した。こつん、こつん、と階段を上るたびに靴がなった。規則正しく、永遠と続くのではないかと思うくらい……。
手を開くと、柔らかい赤い髪飾りが出てきた。あまり派手過ぎない、しかしドレスに似合いそうな髪飾り。ほんの少しだけ、気分が晴れる気がした。
このところ、塞ぎこんでしまっていたのかもしれない。それなら、マザーに気を使われたのだ、そうグレイスは思い落ち込んだ。
それと同時に、もうこうしてはいられない、元気にならなければ、と決意をする。
「よし。頑張って今日は元気に過ごそう!」
そう言うと同時に、階段を上る足に力を込めた。コツコツコツ、軽快なリズムで階段が鳴る。それだけで、胸が躍る気がした。
「そこのお嬢さん!! 美しいネックレスはどうだい?」
「お花を買っていってちょうだいな、そこのお嬢さん」
次々にかけられる声に手を振って答えつつ、足は街の中心部へと向かう。
確かあそこでダンスは始まるのだ。踊るつもりはない。だけど、踊っている人を見ればきっと幸せな気持ちになれる。そう、思っていた。
回りは皆仮面だらけ。それが面白くって、ついつい笑いをかみ殺す方へと神経を向けていった。
あぁ~、あれ花屋のセリちゃんだ。あっ、あの男の子とついに踊るまで発展したんだ。一四歳なのになぁ、まだ。あれは、ご飯所の若奥さん。この前結婚したばっかりで、まだ仲いいなぁ。
なんて、仮面をつけていても分かってしまう。分からない人なんて、ほんの数人。だからだろうか。グレイスは気付いてしまった。
あの人も、ここにいることを。
逃げようと思ったのに、その途端音楽が始まり人の波に流されていく。身動きが取れないような流れなのに、周りの人は皆そんなこと気にしていないように、手と手を取り合い踊っていた。
「え、ちょっ。やっ」
グラリ、と体が傾いた。慣れない、高い靴の所為でバランスがとれず、踏み止まることもできなかった。そのまま、人の波に……。
「大丈夫ですか?」
流されることはなかった。倒れそうになっていたグレイスの手を引いてきたのは一人の男だ。一番会いたくなかった人だった。
「グレイス?」
半信半疑で訊ねられた瞬間、グレイスは手を振り切り走り出していた。
本当ならあそこでしらばっくれればよかったのに。それなら、花祭りの礼儀でお互い名前を明かさずに分かれられたのに。これでは、肯定しているのと一緒だ。
なんて馬鹿なことをしているんだろう。
高い靴を気にすることなく、しかし走りにくいので脱ぐ機会を図っていた。
それなのに、背中で聞こえる足音は中々消えてくれず、むしろ近づいてくるのを感じる。幾つもの裏道を通っているのに、中々撒けない。
どれだけ街に下りてきているんだと、グレイスは心の中で突っ込んだ。
目の前に階段が見えて慌てて方向転換を試みるが、あいにく左右共に人だかりができていて通っていたら掴まってしまう。しかし、目の前の階段をヒールの高い靴で上る自信はない。走っている何秒かで考えたが、仕方なく階段を上ることにする。
走っている間も、何故ばれてしまったのかと疑問に思った。グラリ、また足元が揺れる感覚がした。
『もう、高い靴なんて嫌い!』なんて叫んだが、そんなこといってもしょうがない。あっという間に自分の体重が後ろに移るのを感じる。悲鳴も口からは零れなかった。
「グレイス!!」
その声が妙に切羽詰って聞こえたのはきっと気のせい。落ちる時に仮面が外れる。
温かな風が仮面を剥ぎ取り、向こうの彼方に飛んでいってしまう。桃色や黄色の花がモチーフの仮面が風に舞う。
自分の髪がバサリと翻った。ポスンと、何かに包まれた気がした。温かい柔らかな腕だった。
「グレイス!!」
もう一度呼ばれた。知らず、涙が一筋だけ零れた。会っては、いけなかったのに。
もう、気持ちを自覚するのも時間の問題だと確信してしまった。もう一度会ってしまったら、自分の気持ちに気が付くのは分かりきっていたのに。
彼が、彼のことが、いつの間にかこんなに……。
「あ、ごめん、なさ……」
「あんな靴で走るなんて、一体君は!!」
穏やかな話し方をする人だと思っていたのに、何でこんなに怒ってるんだろう。
「大体、何で逃げるんだ。確かに名前を聞いてしまった僕も悪いけど」
涙を拭く機会さえ見失って、涙はこぼれるままだった。
「あ」
ボロボロと制限無くこぼれる涙を拭こうとして失敗した。
この人とは、顔を合わせてはいけなかった。ゆっくりと、仮面を取り去る。以前見た、貴族然とした整った顔立ちが現れる。薄い黒髪も、明るい碧眼も、見るべきではなかった。
「グレイス?」
ケガでもしたの?
優しく聞かれて、グレイスはただ首を横に振るしかできなかった。
「大丈夫?」
「大丈夫……ですから、お放しください」
懇願するようにグレイスは言った。
しかしセシルは少しだけ眉を顰めて、抱きとめた腕に力を入れた。
『イヤだ、って言ったら君は逃げる?』
そう言われてしまえば、グレイスに逃げ場は無かった。
「少しじっとしててね」
セシルはそう言って、落ちていた仮面を拾いグレイスに渡す。そして自分の仮面も広い、すばやく身に着けた。
「顔が見られたら厄介なんだ。ちょっと今日は特別だし」
そう言った途端、少女が一人こちらへ歩いてきた。
次話で真相の一片が明かされれば……いいね。
続きをそろそろ書き足さないと長期連載ストップになりかねない。