お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~叶わない約束~
切ないのかどうなのか。
セシルさんはよく分かりませんが、関係のない女の子の扱いに慣れてそうだなぁ。
「今日の装いも綺麗だね」
『も』というのが慣れている人間らしくって、少し嫌だった。自分がひどく馬鹿にされている気がした。チラリと衣装を見ると、息を吐きセシルに向かって笑った。
「衣装『は』の間違えですよ」
その言葉を聞き、セシルは驚いたように『え』と言った。
セシルの周りには謙遜こそしても、否定する人間なんていなかったから。大抵は頬を赤く染め、『セシル様はからかっていらっしゃいますのね』と柔らかく言うのだ。
それから言われ慣れていない所為だろうと思い直し、違う話題に移った。
「今夜は星が綺麗だ。ほら、あの一際明るい星の名を知ってる? あの星には、逸話があるんだ」
星、神話、リッシスクの歴史、世界史、宮廷史、王族のこと。
始めは貴族の子女が喜ぶ話をしようとしていたが、だんだん話の内容は高度になっていく。こんな話が好きだなんて、まるでどこかのお転婆姫のようだ、とセシルはそっと思った。
グレイスはだんだんと生き生きし始め、セシルの話すことを熱心に聞いていた。
「こういう話のほうが好きなんだ、グレイスって」
セシルの口調が崩れていくのも、中々おもしろくて、グレイスもいつの間にか笑っていた。
「大好き。すごく。わたし、こういうの知らないこと多いし」
グレイスの口調も崩れている。
知らないことが多すぎて、でも知りたくて……。知りたくてたまらなかった。いつも、いつももっと知りたかった。
「じゃぁ、今度何か本を持ってこようか? 僕の家、そういう本が多くってね」
その言葉を聞いて、グレイスは一瞬固まった。
そうだ。この人は、また会えると思っている。貴族の令嬢ではなくても、このパーティーに呼ばれているということは、そこそこの家柄ということだ。
きっとパン屋の仕事も社会学習か何かだと思っているのだろうか? それとも家の手伝いか。どちらにしろ、教会で育てられた孤児だなんて、夢にも思っていないだろう。
そう思うと、自分がまるでセシルを騙しているような錯覚に陥って。
いや、セシルが知らないことを知って、黙っているのだから、騙しているのと同じか。グレイスはそっと紅を刷いた唇をかみ締めた。
「ご、ごめんなさい。わたし、わたし……本当は」
本当のことを言おうとして、でも何故かその言葉は出てこなくて。しかし、意を決して口を開く。そこまで言ったとき、温室の扉が開いた。
「グレイス!!」
アーサーだ。
「アーサー。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、俺は危うくマザー・アグネスにどやされるところだった」
その言葉に今度こそ固まった。
「マザー?」
セシルが不思議そうに聞く。グレイスは口を開き何か言おうとしたが、結局口を閉ざし、アーサーに向き直った。
「そうね、分かったわ。ただ少しだけ、この方とお話したいから先に行っててくれるかしら? すぐ行くから」
そう言うとアーサーは一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、やがて納得したように頷いた。足早に温室の扉の前に行き、扉を開ける。
そして何も言わずに出て行った。
「分かったでしょう?」
グレイスが口を開く。
「わたしは、あなたの思っている通り、貴族のお嬢さんなんかじゃない。しかも、あなたが思っているような、そこそこの家柄でもない。ただの町娘。いいえ、ただの、でもないかもしれない。だって、わたしは…………」
「グレイス?」
柔らかい声が耳朶をかすり、グレイスは涙をこぼしそうになった。
何でもないのに、どうしてこんなに胸が痛むんだろうと自問自答する。
どうしようもないこの身分の差が、今まで気にも留めなかった自分の生まれが、妙に憎らしく、理不尽に思えてきて――、そう思うグレイス自身が嫌になってくる。
「わたしはね、今日の主役だった、劇団の女優さんと間違われてきたの。そうでもなくちゃこんなところ、一生来れなかった」
それでも、セシルの前でそう見えることだけは避けたかった。自分を卑下する姿なんて、見せたくなかった。だって、この人は身分や、生まれに負い目なんてない人だから。
だって、卑下すればするだけ自分が情けなくなるのは目に見えていたから。
「騙すつもりはなかったけれど、結局はあなたを騙していたんだわ」
できるだけ冷静に、できるだけ普通通りに、できるだけ自分が傷つかないように。
浅ましいぐらい、愚かなぐらい、でもいっそ清々しいほど自分勝手な――想いなんだろう。
「さようなら、もう二度と会うことはない、セシル・ボールウィン様」
いつの間に、わたしは。この人に負い目を感じるようになっていたんだろう。
この感情は一体何なんだろう。わたしには、それを知る術はない。そう思うとなお自分が惨めに思えてきて、グレイスは俯いた。
逃げるように、温室の扉から外へ出る。これでもう終わりだ。
まるでシンデレラのような、でもシンデレラみたいに幸せになれない……そんな出来事。くしくもそのとき、一二時の鐘がなった。
ゴーン、ゴーンと体を揺さぶるような音。そのときだった。
「今度、また。話せる時を楽しみにしてる。今度は本を沢山持っていくよ」
優しい、でも自分とは一線も、二線も別れた声。絶対に交わるはずのない、それはねじれの線。
グレイスは振り返ることもなく、声を上げることもなく――。だけど流れ出そうになる涙をこらえるのに必死になりながらパーティー会場へと走った。
シンデレラは魔法使いと、ガラスの靴のお蔭で幸せになった。不幸だった少女が、一国の王子のお嫁さんになるのだ。
でも、わたしは。もう十分幸せだから。
もうどうやったってこれ以上の幸せなんてないと思うから、自分はシンデレラのような幸せは望まないから。
でもね、叶うはずもない願いが叶うとき、わたしは少しだけ、本当に少しだけ思ってしまうかもしれない。
どうか、どうか。シンデレラのようになれますように……、と。
でもね、叶うはずもない願いだから、私は少しだけ、本当に少しだけ思ってしまうかもしれない。
よかった、よかった。もう、こんな苦しい思いをしなくてもすむ、と。
これを何と言うのか未だ知らない。知るにはまだ心は幼く、そして相手が遠すぎたから。
これを書き始めたの、実は続編書く前なんです。……だから文章が、口調が、おかしい。
まだ続編の構成も考えていないころなんで、正直ティアとアレクがこれからこうする~とか、ああ思う~とか考えて書いてないんです。
だから、いずれ最大の矛盾が生じそうな気がします。