お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~薔薇園での逢瀬~
逢瀬って、名ばかりですがまぁ、そんな感じ。
やっとセシルさん登場ー。この人、書くの難しい。アレクより大人のフリして、アレクよりずっと我慢できる人、みたいな。
だけど結局アレクに勝てない感じ。……まぁ、本編のヒーローを越える人物出してもねぇ。
そうするうちに、いつの間にか隣に人の気配を感じる。
アーサーが帰ってきたのかしら、そう思いグレイスは振り向いた。いたのは見たこともないような男性だった。一目で貴族だと分かる出で立ち。
しかし、数日前にあったあの男に比べれば、その雰囲気の貴族らしさはどこか薄かった。いや、あの男がどんなに貴族らしかったのかを今更になって思い知らされた。
「お嬢さんはお一人ですか?」
劇団の男と一緒ですとなんて答えたら、一体どんな顔をするのかしら。
しかしそれも思い直した。大体の淑女は付添い人がついている。それは母親であったり、叔母であったり、乳母で会ったりするのだが。
「い、いえ」
そう曖昧に答えると、そっと下を向いた。間違えて連れてこられたのに、堂々としている顔はない。しかし、それがかえって男性の興味を誘ったのか、グレイスに再び話しかける。
貴族というのはどいつもこいつも、遠慮がないらしい、とそっと心の中でグレイスは思った。
「よければ一曲、踊っていただけませんか?」
そう言うと、そっとグレイスの手をとった。
しかしそれとは違う意味で、グレイスは慌てている。お、踊れるわけないじゃない、そう思うのだが、そんなに簡単に断ってしまっていいのか分からない。が、
「おや、アルフレイド。美しいお嬢さんを独り占めなんて、抜け駆けもいいところだな」
「アル、今夜は無礼講だ。俺だって、美しいお嬢さんのお相手をしたいんだからな?」
「そうだぞ、お嬢さんだって選ぶ権利があるんだ。アルフレイド」
男性の友人だろう、三人の男性が来る。
その間にグレイスは男性の手から抜け出し、そっとその場を離れた。これこそマナー違反なのかもしれないが、もしレティーの偽者だとばれてしまえばアーサーの迷惑になるかもしれない。
「あ、危なかった……」
もしかしたら、社交界慣れしていない所為でからかわれたのかもしれない。そう思い、そっと会場から出る。ひんやりとした夜気が頬に当たり、気持ちよかった。
そして、夜空一面に散る星を見上げ、ほぅっと息を吐いた。
アーサーと一緒のときより、少々深刻そうなため息。夜気が少し冷たすぎて、震えた。しかしもう中へ入ろうなどと思えず、そっと辺りを見回した。
また同じ手合いに捕まっていたら、体力が持たないのは目に見えている。
もうあっちには絶対に帰らない、というか帰れない。上手いあしらい方も心得ていない自分なのだから、当然といえば当然か。
「あ……」
目の前にビニールで囲まれた花園がある。沢山の花を育てる、温室。そこなら暖が求められるだろうと、中へ入った。途端、花の香りが強くなった。
温室の扉を開ける前には、ふっとわずかしか香らなかった、薄い香りが一気に身体を包み込んでいく。染み込んでくる、侵食してくる。
甘い、酔いそうになる香りだった。魔のものだと言われれば、信じてしまうほど濃密な、妖しい香り。
薔薇の香りだ、グレイスはそれに気付き、改めて見回す。室内には色とりどりの花が咲き乱れていた。
本来なら蕾さえもつけぬ季節なのに、自然の摂理に反してそこだけは春のようだった。いや、わざと自然に逆らった、結果だとも言える。
人の手によって無理矢理に咲かされた薔薇は美しく、そして野生の薔薇にはある生命力のような荒々しさがまるで感じられない、儚い存在だった。
触れてしまえば溶けていき、灰になっていくような錯覚に陥りグレイスは薔薇たちに触れようなどとも思わなかった。
と、そこへ一つの声が聞こえる。
「誰かいるようですね」
忘れることなんてできない。
そんなこと許さないとでも言うような、穏やかで、激しい声。
身体にしみこんでくるような、それはさっきの薔薇のように妖しい声。もう、三回目だ。そう無意識に数えていた出会いにグレイスはそっと目を伏せた。そして確かめるために、向き直る。
「おや、またあなたですか? どうやら僕たちは縁があるらしい」
にこっと笑ったようだったが、グレイスのほうからは逆光になっていて顔が良く分からない。
うっすらと、顔の輪郭が分かるが、それだけだった。少しだけ、寂しそうな色合いが混ざった気がしたが、それも月の光のせいにして、見なかったことにする。
それとは反対に、相手には自分が良く見えるのだと自覚して、再び目を伏せた。化粧をし、美しいドレスで着飾った自分が、急に滑稽に見えてきた。
「セシル、様、でしたね」
それだけで答える。無駄なことは聞かない。
何か言わなければいけないのか、それとも黙った方がいいのか、それも分からない。それを聞くと、セシルは残念そうにため息をついた。
「その“様”っていうのを、やめてくれない? あまり好きでないんだ」
乱暴にそう言って、セシルは髪を掻き揚げた。
貴族らしくない、少し長い前髪が額にかかっていた。きちんと固めていなくて、本当なら眉を寄せられるような仕草でも、セシルがするとどこか洗練されたような雰囲気が出る。
「えっ、でも」
次期宰相の息子を敬称なしで呼ぶなんて、礼儀に疎いグレイスでもそれが罰せられるくらいの罪だと言うことは分かった。そしてセシルの要求を突っぱねるのもまた、礼儀知らずだ。
それを分かっていて、セシルは、この公爵家の長男は言っているのだろうか。
「今夜は、無礼講のパーティー。貴族だけが呼ばれているのではないし、身分の違いも今夜だけはなくなっている。そう思わない?」
言い聞かせるような声。いや、説得するような声だった。それと同時に暗に、あなた貴族階級ではないでしょう? そう言われた気がした。事実、そうだった。
それにセシルはボールウィン家にパンを届けに言ったグレイスに会ったのだ。貴族階級の人間がそんなこと、労働階級の人間のすることなど、するはずもない。
全てを見抜かれている気がして、ジリっと下がりそうになる。しかしセシルはそれよりも早く、足を前に進めた。
少しだけ縮まった距離にグレイスは驚き、慌てて下がろうとする。この国では未婚の女性に、三歩以下の距離で話すなんて非常識なのだ。
「で、では、なんとお呼びしたら?」
今まで同じような年頃の男性と話すことなんてなかったので、異様に緊張している自分がいる。
そう自覚しながらも、それを止める術を知らない。知るはずもない。
「そうだな」
う~ん、と迷うようにセシルが右手を口元に持っていく。
そんな姿でさえ、どきりとしている自分にグレイスは焦った。セシルは視線をさまよわせると、ふぅと息を吐いた。
「セシル……と呼んでもらいたいな」
何の迷いもなく、セシルは言い切った。思いついたら、もう悩まないたちなのかもしれない。
「そ、それは」
「できないと、言うの?」
できません、と口を開こうとしたグレイスの言葉をセシルは遮った。貴族でないあなたに、それができるの? と。
拒否を許さない、先程とはまるで違う貴族らしい振る舞い。これこそがこの人の正体なのだろうか、そう思うとグレイスの心が冷えた。
いくら優しそうでも、こんな人間にまで優しくても、この人は紛れもなく貴族の生まれなのだ。人を支配し、操る――そう言う人たちだ。
貴族という生まれだけで、無条件に与えられる、その資格。
「今夜だけ、いや、ここにいる間だけでも」
すがるような声に驚き、思わず頷いた。するとセシルは綺麗に笑い、薔薇園の中にあるイスに座った。そして隣を示すと、座るように促した。
「どうぞ。できれば、お名前を教えて欲しいけど、ダメかな」
「グレイス」
セシルの問いに、グレイスは小さく答える。意図的に苗字は言わずに、答えた。
「グレイス……、いい名前だね。綺麗な、名前だ」
呟くようにそう言うと、改めてグレイスを見る。そして目を細めた。
難しいー。口調分からんー。
あと三話くらいで、きっとティアちゃんが出てくるはず。その前にアレクくんが出てくるはず。
……アレクとセシルの会話は腹黒いし、何か嫌だなぁ。