お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~邂逅~
『悔しいので』第二弾。
セシルとグレイスの出会い編。乙女街道まっしぐら。王道で始めたんです。王道で。始まりだけでも、せめてラブコメっぽく、と思って撃沈しました。
すみません。
勿体無いので、ちょっとだけ載せさせてください。
「マザー・アグネス。わたし、ちょっと出てきますね」
「グレイス、少しはおしとやかにしていなさい」
元気そうな少女の声に、落ち着いた柔らかい声が重なる。このあたりで一番大きな建物である、聖クロレス教会。その扉から少女が一人、走り出てきた。
淡い色の金髪が宙で跳ねる。ふわん、と綺麗に纏められた髪に光が反射し、少し弱い桃色に変わった。少しくすんだドレスが翻り、風と同時にひらひらと舞う。
澄んだ翠色の瞳は美しいものしか映していないように、あちこちを動き回る。くるくると変わる、豊かな表情を映し出すような、鏡のような瞳。
今日も何か楽しいものがないか探すように、彼女は外へ出てきた。
「夕方までには帰りますから」
シスターに向かって叫ぶように声を出す。少女を追うように出てきたシスターに言い終わると、くるりと向きを変え走り去った。シスターの言いつけなど、始めから聞いていないらしい。
「まったく、あの子は……」
黒と白のシスター服に身を包んでいるのは、五〇歳を少し過ぎたような、それでもまだ若々しい女性だった。立ち姿もすっと背筋を伸ばしていて美しい。
言葉とは裏腹に、その顔は笑みが浮かんでいる。神に仕えるもの特有の美しく、穏やかな笑顔。神に何もかも捧げた、純粋な笑顔。マザー・アグネスと言われる、この聖クロレス教会に派遣されたシスターは、グレイスの育ての親でグレイスをとても可愛がっている。
「我らが御神よ、どうぞあの子をお守りください」
ここでいう“神”とは全ての神をつかさどる、ノル神のことだ。大陸にはいくつかの国があるが、一つの国を除き全てこの神をまつるノル教を信仰している。
その神に祈りながら、マザー・アグネスはそっと息を吐いた。それから首から提げている、ノル神の象徴である五芒星をきゅっと握ると足早に教会へ入っていった。
シスターの胸で五芒星がきらりと光って、一度二度揺れた。
「お、グレイスじゃねぇか。どうした? またシスターに、黙って来たのか?」
「ええ、そうなのよ。だからこのことは内緒ね? ハイ、注文のパン」
威勢のいい声は大きくて、普通の人なら逃げ腰になるところだが、グレイスはニコリと笑うと男に紙包みを渡した。その中には焼きたてのパンが入っているはずだ。
「グレイスもなぁ、ちゃんと言えばシスターは分かってくださるよ。あの方は優しいお方だからなぁ」
いかつい顔が、少しだけ柔らかくなった。シスターは誰にでも優しく、そして誰からも好かれる。この町の皆は、シスターが大好きだ。だからこそ、そのシスターが大切にしているグレイスを過剰に心配するのだ。
いっそ過保護なくらいに。
「分かってるよ。ただマザーは心配性なのよ。わたしがお転婆だからかな?」
クスリと笑うと、幼い顔が一層幼く見える。それはまるで何をそんなに皆が心配するのか分からない、とでも言うような仕草だった。今年一八歳になるはずなのに……恋の『こ』の字も知らない。
これなら、そこらにいる一〇歳の少女の方が余程大人に見えてしまう。そう思うのも無理はない。彼女はあまりに何も知らなさ過ぎる。それは育ての親が、穢れを知らないアグネスだからなのか。
「そらぁ、そうだよ。まっ、あんまり心配かけるんじゃねぇぞ。ほら、じゃあ、もう行きな。配達中だろう?」
ごつい腕をふり、グレイスに言った。グレイスは頷くだけでそれに答えると、手を振って走り去る。
男はそれを見送ると、ふーっとため息をついた。さっきの豪快さが嘘のように、刈り上げた後頭部を撫でる。やれやれ、と首を横に振った後、苦く笑った。
「グレイス。今年で、もう一八になんのか。そりゃぁ、シスターも心配だよなぁ」
その呟きはグレイス本人に届くはずがなかった。
「すみません。パン屋のものです。お届けに参りました」
手には大きな包みを抱え、グレイスは裏門の戸を叩く。大きな、そう聖クロレス教会よりも大きな家だった。その家を所有するのは次期宰相と名高いボールウィン大臣。
しかし、この家は城から近い別邸でしかなく、本当の家はもっと大きいというのだから……。とグレイスは息を吐いた。貴族というものはどうしてこうも大きいもの、贅沢なものを好むのか、とグレイスは呆れた。
裏門から出てきたのは二人組みの門番だった。
「おい、時間はとっくに過ぎてるぞ?! 何してたんだ?!」
突然出てきた一方の男がグレイスの腕を掴む。有無を言わせないような、人を威圧するしかないような声。他人を圧する事に慣れ、いや、それしか知らないような態度だった。
がっしりとしたその体に似つかわしい力で掴まれたグレイスがぎゅっと眉を寄せた。
「え、そんな……。五分じゃないですか。しかもきっかりその時間に来るなんて申しておりません」
掴まれた腕を引き離そうともがきながら、グレイスは言った。男の目を見て、はっきりと。そのぐらいの時間にお伺いします、とは言ったもののぴったりなんて一回も言っていない。
失礼なのは、一体どっちだ、という意味を込めて睨み返す。こちらは何も悪いことはしていない。怒鳴られる筋合いなんてないのだ。……たとえそれが、次期宰相サマの門番だろうが、なんだろうが。
「おい。お前、口答えする気か? こっちは客だぞ?! しかもここは、公爵であらせられるシルド様の別邸だ。生意気な口を利くでない」
男の力が強まり、グレイスは“痛っ”と小さな悲鳴を上げた。しかし、許しを請うような気も起こらなかった。そんな力を楯にしている人間に謝罪するような心はマザーから教わっていない。
正しいことは正しい、と間違っていることは間違っているのだ、と小さい頃から受けてきた教えだ。
「わ、わたしはお客様がどのような身分でも、どんなお仕事をしていらしても、お客様として接しているつもりです。離してください」
泣きそうになる自分を叱咤し、それでも気丈に男を睨む。もう一方の男も『もうその辺にしとけよ』と声を掛けた。確かに、大臣の門番が民にヒドイ扱いをしたなんてことがばれた日には、どうなるか分かったものではない。
それを知らないらしい男は、苛立ったように手を離す。
「ちっ。偉そうにしやがって、ただの庶民のガキが……」
そう言うと男はドン、とグレイスを押した。“きゃあ”と悲鳴を上げるグレイス。その力に耐え切れず、グレイスの体はぐらりと揺れ、雨上がりのぬかるんだ土の上に落ちるはずだった。しかし。
「騒がしいと思ったら……。こんな女の子にそんなことして恥ずかしくないのか?」
背中から腕が伸ばされ、グレイスの体はその男の腕の中に納まった。ただでさえ小柄なグレイスはすっぽりとその腕に納まり、抱きとめられてしまう。一瞬、グレイスは息を止めた。
男たちのしわがれた声とは違う、若い男の声が聞こえる。凛としているとは言えないけれど、優しい響きだった。訛りの一切ない、洗練された言葉。それは中流階級以上の人間だということを表していた。グレイスの背中に手をやり、支えた人間の声だ。
「「あっっ」」
男たちが声を合わせて絶句する。グレイスはその意味が分からず、男の手から逃れた。
「す、すみません。ごめんなさい。わたしが悪かったんです」
公爵家に仕える人間が、市井の者に強く当たっていたなんてことになったら、きっと大変なことになるんだろう、と思いグレイスは慌てて謝った。
「ありがとうございました」
男に向き直り、頭を下げた。そしておずおずと頭を上げる。顔がまともに見れず、下を向いたままだった。
「いや。お礼を言われるようなことはしていないから」
その声に誘われるように男の顔を見た。煙るような薄い黒色の髪に、息を呑むような明るい碧眼。冷たい印象さえ与える瞳だったが、優しげに細められていることにより緩和されていた。
と、そのとき先程まであった夕陽がなくなっていたことに気付き、全てのことが頭から吹っ飛んだ。
「あ、もうわたし、帰らなくちゃ……。本当にごめんなさい。えっと、ありがとう、ございました」
最後にもう一度だけ頭を下げると、グレイスは一目散に逃げ帰った。
出会いは唐突なもの。縁は奇なもの。そして恋は。
書いてるとこまで載せてみようかなー。