間幕 それは遠い昔のこと 1
アレクの過去話。
彼は色々できる人ですから、それ相応の驕りとかあるんじゃないかなと思います。
ティアちゃんは、多分それを治さないまま生きてます。
もう慣れてはいたが、馬鹿にされるのは我慢できなかった。
自分はまだいいにしても、父や兄を引き合いに出されるともうダメで、何度挑発に乗ったか知れない。一年目の人間が、自分より剣を扱えるのもきっと気に食わないのだろうと分かっていた。
しかし、それを分かり、大人しくしている人間ではなかった。
自分はまだ十歳で、そこまで深く考えることもなかった。
「ボールウィン家の坊っちゃんが何しに来た? お前は当主候補だろ」
こんな僻み混じりの言葉も珍しくない。相手はすでに三年目を迎えようかという相手だったが、面倒だったので視線をずらした。
相手をするだけ無駄だ。
「おい」
「退いてください。今僕は、使いを頼まれているんです」
しかも、怖い師匠に。
ティア、いやリシティア様といた頃、剣術の基礎を教えてくれた人は、騎士を総括する責任者だった。
優しくも厳しい、そして何事も中途半端が嫌いなその人からの、大事な使いだ。半端なことをすると、剣一本で対峙させられるかもしれない。
こんな人たちが束になるより、ずっと怖いのだ。
「あー。騎士隊長様のお気に入りだもんなぁ。ボールウィン家は、騎士の地位さえ金で買うか」
「騎士の矜持は、金品では買えませんが。残念でしたね、男爵家の三男」
爵位は普通、長子が継ぐ。
我が家のような特殊な決まりがない限り、他の家も通常そうだろう。つまり、いくら貴族の爵位を持つ家に生まれても、それらの称号は全て長男が持っていくのだ。
長男でなければ、貴族としての称号は得られない。ボールウィン家のように、いくつか爵位を持つ家でもそれは変わらない。
当主が持つ爵位以外は跡継ぎに、跡継ぎが当主の爵位を次げば、それまで持っていた爵位はそのまた長男へ。
そうやって、嫡子だけに脈々と受け継がれる。嫡子が死なない限り、下の人間がその間に入ることはできないのだ。
だから、ヤンガー・サン(長子以外の貴族子弟)はこんなふうに様々な仕事につくのだ。
「貴様、年上への口の聞き方を知らないらしいな」
「礼儀知らずな年上に、使う礼儀など我が家では習いませんから」
目の前に立ちふさがっていた少年を避け、一歩踏み出す。羞恥に染まった顔を見て、ため息が出た。
今まで王女の相手ばかりしていて、人とは全員あれくらいの頭なのだと思っていた。買い被りすぎていたようだ。
実際はもっと、バカらしいことを平然とする人間の方が多い。嫌気が差して、相手をせずに通りすぎようとするが、相手は当然のようにそれを許さなかった。
馬鹿にされて黙っているような人ではないだろう、と考えていたので、別段驚くことではなかった。しかし、進路を邪魔されてさすがに苛立った。
「なら、俺が教えてやる」
悔しいことに、十歳と十三歳では、そもそも体の作りが違う。
どんなに悔しくても、その事実は変わらない。襟首を掴まれれば、自分の体など簡単に浮いてしまった。
「手を離してください。使いを、頼まれているんです」
遅れたら、一体どんな罰が待っているのか……。考えたくもない。
「来い」
後で分かったのだが、王族と血筋が近くないのに公爵という爵位を持つボールウィン家は、結構敵対する家があった。
勿論、味方する家々の子弟もいたが、大した助けはなかった。つまり、低い爵位の、しかも次男や三男などから見れば、自分は恵まれた環境から自ら飛び出した、ただのワガママ坊やなのだ。
それについては、あまり反論する気はないが。
ずるずると引きずられるように、建物の裏に連れてこられる。そこに引き倒されて、唇を噛んだ。どんなに剣を扱えても、力がこんなに違えば負けてしまうのだ。
こんなことでは、誰も守れない。
大切なものを、きちんと守りきれない。
自分は力を欲して、ここへ来たはずなのに。その力さえ、手に入っていない。
「大勢でしか、かかってこれないのか」
気づけば回りは、年上の少年ばかり。出る杭は打たれるとは、こういうことか。
確かに、色々目立ちはしたが。悔しさや情けなさを圧し殺し、声を出す。その一言で、先程の少年が激昂した。
「こいつっ!」
ここへ来て、何度殴られ、殴り返しただろう。
そのたびに、怖い師匠から指導を受けるのはどうにかしとほしい。そう思いつつ、少年の手を避け、足を払った。
あっけなく転がる体を、無感情に見た。別に剣が楽しいとか、思ったことないし。むしろ面倒だとさえ思う。こんな体力の無駄遣い。彼女を守るために必要だから、身に付けるだけ。
彼女を守れるから、騎士を目指しただけ。その他に、理由なんてない。
「手加減してやれば、ふざけやがって!!」
束になってかかってこられるとさすがにやっかいだった。
一人の足を払いつつ、もう一人の攻撃を避ける。そのまま数歩下がってから、 相手の顎を蹴り上げた。
右手で相手の拳を受け止めるようにして、威力を殺さず回して引き倒した。慣れてきてるな、と他人事のように思う。
手慣れてきて、始めの頃は毎日傷だらけだったのに、今やすっかり無傷ですむようになった。それがいいことだとも思えず、眉を寄せた。
時間の無駄だと思うのに、こういうことに度々巻き込まれている。
「調子に乗るなよ」
一度引き倒したくらいでは、懲りないらしい。
これだけ人数がいるのだから、いざとなれば勝てると思っているのだろう。確かに、この人数差は厳しいものがある。どうしたものかと辺りを見渡しても、役に立ちそうなものはなかった。
じりじりと下がりつつ、逃げる機会を窺う。
卑怯な人間たちに、わざわざ付き合ってやる謂われもないし、第一、騎士の矜持云々も持ち合わせてはいないのだ。
逃げ出したところで、傷つく何かもない。逃げるが勝ちだ。矜持を語る前に、使いを済ませないとだめなのだから。
「こいつっ!」
その手にはどこから持ち出したのか、木製の練習用の剣が握られている。
さすがに青アザとかでは、済まされないかもしれない。降りかかる剣を一歩下がることで避け、相手の懐に一歩で踏みいる。
師匠に教えてもらった通りの足運びは、予想以上に相手に接近できるのだ。剣をとっさに扱えないくらい早く。
が、後ろからの気配で頭を下げれば、上を剣が通った。死者でも出すつもりなんだろうか。逃げよう、と走り出せば、すかさず足を打たれた。
「つっ」
痛さで顔が歪む。さすがに木製の剣もどきでも、痛いものは痛かった。
もう少し、機会を狙うべきだったかと考えると、目の前で気味の悪い笑顔を浮かべた人がいる。足のしびれがわずかに体の自由を奪う。
喧嘩中にそれは、結構致命的だ。
大体、丸腰の後輩相手に木剣を使うとか、卑怯以外の何者でもない。剣で勝負したいのなら、こちらにも剣を渡すべきだ。
しかし、そんなことを思っても、この人たちには関係ないことだ。どうにかならないかと思ううち、四方八方を固められた。
そのとき、場に不釣り合いな声が聞こえてきた。まるで楽しいものを見つけてきた、子供のように無邪気な声。その声を確かに知っていた。
「何面白いことしてんの? 先輩方」
声がした方を一斉に見る。見慣れた同期がいて、あのバカ、と小さく呟いた。
「エイル、お前いつから?!」
「先に来たのは俺、後で来たのがそっちですよ。やだなぁ、人を覗き魔みたいに」
木の上にいたそいつは、訳の分からない反論をする。そんなことしてる場合じゃないだろ。
しかし、本人は全くどこ吹く風。木の幹に寄りかかったままふわりと欠伸をした。ふてぶてしいと有名なその態度は、今も健在だった。
「先輩十人がかりで後輩いじめですか?」
「なっ」
事実だから、あえてつっこまない。
痺れがわずかに取れたので起き上がった。このままエイルに任せていいだろうか。そう思いつつ、上を見上げる。帰りたいのは山々だったが、ここで帰るのはさすがに良心が痛む。
第一、ティ……リシティア様に顔向けできなくなる気がした。
「降りてこいっ」
そう言って、一人が木に体当たりする。
それをひぎりに次々と木へぶつかっていった。エイルもさすがに降りる気になったのか、はたまた落とされたのか、バランスを崩しつつ着地した。
丁度自分のすぐ隣だった。淡い色の髪がさらりと動き、そこからにやりとした笑みが覗く。一筋縄でいかないんだろうと、勝手に決めつけた。
多分、まともに顔を見たのも初めてだ。しかし、彼も自分と同じように浮いた存在だったので、名前だけははっきりと覚えていた。
エイル・ミラスノ
平民階級からここへ入った、特例中の特例だ。大体、ここは平民出身者が多いことでも知られる第三部隊やその精鋭部隊である紅の騎士団を養成するところではない。
ついでに言えば、多分白の騎士団に入る人間もほとんどいないから、ここにいるということはすなわち、第一部隊か第二部隊へ入る予定だということになる。
平民が騎士の称号を得ることさえ意味嫌う、貴族階級やそれに近い生活をしていた家の子弟が集まるここは、さぞかし居心地が悪いだろうに、彼は実にうまく過ごしていた。
まぁ、嫌味やその他もろもろはあるらしいが、自分のように頻繁に呼び出されることはないらしい。
でも普通、公爵家の次男坊を呼び出した挙げ句、殴る方が危ないとか考えないんだろうか。のちのちバレたときのこととか。
さすがに、政治にまで影響はしないが、親の交遊関係には、必ず支障をきたすと思う。特に母にバレたら。
「アレクくん、だっけ?」
「アレクでいい、同期だし。実戦形態の試合では、今年一番の実力者だろ? エイル」
今年、入ったばかりのときに抜き打ちで、実力を問われた。
実戦形態のものに、そこそこの自信を持っていたが、隣でやっていた彼の剣を見て、思い直したのだ。
特例はやはり、何かが違うらしい。そう考えざるを得ない剣さばきだった。
「アレクが何でここにいるのかは分かった」
手伝った方がいい? と彼が聞いてくる。
わざと聞いているようにしか聞こえないのは、気のせいだろうか。
「答えたら、手伝うのか? こんな面倒ごとを?」
「楽しいことには参加する趣味だから。アレクを手伝うのは、その過程で恩を売れるから」
随分正直に語ってくれる。その正直さ、もとい強かさは嫌いではなかった。
媚びへつらわれる前に、利用されると知っていたら、腹もたたない。
「じゃあ、手伝ってくれ。頼む」
「断られたら、落ち込むとこだったよ」
その会話はわずかな時間だったが、確かに共犯相手に笑う楽しさがあった。
二人で目配せして、一気に形勢を逆転させようと動き出した。もともと、いざとなれば一人でも同じ行動をとっただろう。
それくらい自然に体が動く。向かい合った相手の手首をつかみ、素早く引き倒す。膝で相手を押さえつけ、手から木剣を奪ってから振り上げた別の相手の剣を叩き落とした。
この数年で慣れた、練習用の刃を潰したものよりまだ軽い。なにより、相手は傷をつけてはいけないお姫様ではない。
この点において、自分は有利だった。
あそこを狙っちゃダメ、怪我させちゃダメ。そんな制約ないのだから、手加減する気は端からなかった。共犯者はどうだろうと見ると、こちらも容赦する気はあまりないように見えた。
足元を狙う剣をきれいにかわし、逆にかがみかけていた相手を踏んで固定する。その間もかかってくる人間の胸をつき、肩を叩き……こっちよりやりすぎじゃないか?
「エイル、手加減しろとは言わないけど、叱られるのか覚悟してるか?」
「覚悟してるからできるんでしょ。同じ怒られるなら、二度とかかってこないように打ちのめした方がいい」
いやー、俺も何回か呼び出されたんだよねーと、共犯者は明るく笑った。
確かに、呼び出しはあると聞いてたけど。
「楽しいことは参加する主義だけど、別に苛められたくはないんだよね。この噂が広がって、そういうの減ればいいなぁって」
「そういう、ことか」
恩を売るなんて、とんでもない。
こいつ、がっつりこっちを利用する気だ。容赦なく年上をうち据えて、こっちにもやらせて。それで、その噂を盾に面倒な呼び出しを阻止しようと?
「やってくれるな、エイル」
「いいじゃん? アレクも呼び出し減るよ」
ありがたいが、ここまで騙されて利用されるのは悔しい。
「エイル。お前、明日から訓練は俺とペアな」
「え、やだよ」
嫌だよ、と断られても、撤回するつもりなどない。
むしろしつこく詰め寄る気満々だ。是が非でも組んでやる。
「いや、絶対組む」
「えー。楽できないじゃん」
できなくて結構。楽をするためにここへ来たわけじゃないんだから。
「暇、しないだろ?」
「確かに。鈍ってたところだよっと!」
会話途中にも関わらず向かってくる人間に回し蹴りを喰らわしつつ、エイルはにやりと楽しそうに笑った。
まるでこの状況を目一杯楽しんでいるようだった。何がそんなに楽しいのか理解できなかったが、こちらも剣を受け止めつつつい笑みを浮かべた。
狂気なのか、単純に仲間に対する笑みなのか。
「お前ら、化け物か」
「冗談はよしてください、僕はただの一期生ですよ。あいつは知りませんけど」
「いや、俺もアレクと同期だし。すでに様々な分野で大人顔負けの知識を披露した挙げ句、先生を泣かしたやつの方がよほど化け物でしょ」
残った人間相手に二人で笑う。全員気絶させては意味がない……というか、発見が遅れてはやばいので残しておくことにした。
しかし、エイルの言い方ではまるでこっちだけが化け物みたいなんですけど。
「エイル、行くぞ」
「どこへ」
「……しばかれに」
この前注意受けたばかりなのに。
「え、自己申告?」
「当たり前だろ、放っておいてもすぐばれる。三期生を叩きのめす一期生が、何人もいるわけないだろ。自己申告しなきゃ、あとで何されるか分かんないんだよ」
あー、できればティアに報告されなければいい。こんな情けない話、彼女の耳に入れたくない。
彼女の脳内にいる自分は冷静で、こんな挑発に乗る人間ではないから。
「アレクー。今、誰のこと考えてた?」
「別に」
「嘘だぁ。めちゃくちゃ優しい顔してた!」
鋭い突っ込みに、うっと詰まる。しかし、素直に言うことはしなかった。誰が言えるか、そんなこと。
「アレク?」
「何でもない」
「お前、意外に隠し事下手なんだな。印象と違う。何でもないそつなくこなすのかと思ってたら。それとも、その子絡みだと全部そう?」
黙秘権を行使することにする。下手なことを言えば食いつかれると、本能が言っていた。口を割らないと決めて、そっぽを向けば本格的に探られた。
「アレクが言いたくないなら仕方ない。騎士隊長に聞くよ」
「なっ!」
「どうせあの人は知ってるだろ。どうする? 敬愛する師匠からばらされるか、自白するか」
なんでそもそも、あの人に聞こうとするんだ。聞くまでもなく分かっているだろう。あの人には、自分が家を出たわけも、騎士になりたい理由も見破られているはずだ。
高尚な思いも、矜持もなく、たった一人のために行ったこの行為を、賛成してくれるとは思っていなかった。
もとより誰かに認められたくてやっているわけではないから、悲観することでもないけど。
「アレク、どっちがいい?」
「卑怯だぞ」
「結構! 知りたいのは事実だし」
潔く認められて、二人して師匠の執務室へ向かう途中で唇を噛んだ。
今まで同世代にここまで追い詰められたことがなかったので、悔しくなる。いつもどおり冷静になりたいのに、頭に浮かぶのは、守りたい人の泣き顔だけだった。
あの顔を、二度と見たくなくて自分はここへ来たのだ。
「幼なじみ、だけど」
「へー。どんな?」
さらに突っ込む気か。もういいだろうに。それ以上聞いたって、分からないんだから。
「どんなって、普通」
「はぁ、馬鹿だな。アレク。それとも貴族様方は、好きな女の子の話が禁止なわけ?」
禁止というか、見破られたくないだけだ。知らせたくないだけだ。自分の弱点を。
「容姿は? 髪の色、瞳の色、顔立ち」
こっちの主張に耳を傾ける気は、まったくもってないらしい。人の言い分も聞かず、質問を重ねる。逃げる方が面倒になってきて、ため息を一つついた。
それでもやはり素直に言う気分にはなれず、モゴモゴと口の中で数度躊躇した。
「髪は、ブロンド。金糸って表される、きれいな金髪。
瞳は蒼っぽいけど、日の光が反射すれば淡く翠の色もまじる。顔立ちは、幼い、な」
国の至宝と囁かれるその容姿を説明するには少々言葉足らずではあったが、全て伝える気はなかった。
誰がエイルに。
「性格は?」
「性格は……」
彼女の性格は、一言ではまるで表現できずに言葉に詰まった。何と言えば、エイルは納得するんだ。
「負けず嫌い、かな。一言で言うなら」
優しかったり、ワガママだったり、王族にふさわしい気高さだったり、それとは逆の脆さだったり。色々あるけど、それは自分だけが知っていればいい事実だった。
あえて他人に言いふらす類いのものではない。自分の心の中で、そっと隠していればいい。
「ふぅん。随分ご執心なわけだ」
ませてんな、アレク。
そう言う自分はどうなんだ、と噛みつこうとした瞬間、近づいていた師匠の部屋の扉が大きく開いた。