間幕 その甘さを救いとする
短めです。エイルさんのお話。流血沙汰注意。
回りは敵で囲まれていた。情けないことに、油断していたのだ。まさか、こんなこと起きはしないと。もう、大丈夫だなんて。とんだ馬鹿だ、自分は。
「やってくれる」
舌打ちをしたい気分なのに、何故か体は震えるほどの喜びで満ちていた。叫び出すほどの動悸や興奮もある。血に狂った化け物か、自分は。剣を振るいたいのか、そんなに。
手の中にある剣の握りに手をゆっくりと這わせた。この興奮は、一体何なんだろう。人を傷つけるのに、どうしてこんな。
「エイル、指示」
後ろにいたプルーが声を潜めつつ、静かに指示を仰ぐ。
いつも突っ走るわりに、こういうときだけ命令をよく聞くから困ったものだ。いや、彼女が指示を仰ぐという事態にまでなっていると考えるべきか。
人の言うことなんて気かないくせに、命令したって大人しくしてないくせに、こんなときばかり命令を仰ぐ。その真っ直ぐな瞳が、今は酷く澄みすぎていて嫌だった。
「あのまま、姫様が国主だったら、こんなこと起きなかったのかなぁ、とか思わない?」
「滅多なこと、言うんじゃない。新王でなく、ティア様に殺されるぞ、お前」
一ヶ月前に、親愛なる女王は退位した。
その退位に不満があるのか、はたまた新体制が気に入らないのか、あちこちで暴動が起こっていた。そう、つい先日まで起こっていた。すでに過去形だ。
本来ならば数ヶ月、数年かかるはずだった暴動は今や全国各地で沈静化されていた。たった一人の、稀なる才能の持ち主の手腕によって。
何も考えず、退位する人ではないのだ、あの元女王は。自分が止めるからといって、責任を丸投げするような人でもない。
やるならとことん最後まで、のその信条らしくしっかりと計画書を提出していた。毎度のことながら、頭の下がる思いだ。こんな人だから、仕えたいと思ったのだった。
彼の人の計画通り、あらかじめ国中に配置されていた兵が、暴動を沈静化していく。
その中、この王都だけが、予想以上の混乱を見せていた。とはいえ、元女王の新たな策により、この王都も静けさを取り戻しかけていた。
それが先日までのこと。
その矢先に、ちょっとした暴動があったと報告されたのだ。まだ大きな暴動があるかもしれないと、精鋭部隊である黒の騎士団は動かせない。(この騎士団はいわば王都の要であるからだ)
代わりに、少数の騎士を連れて、隊長、副隊長二人で来たのだ。黒の騎士団の指揮権は、すでにアレクに預けてある。
指揮に関して、あいつ以上に役に立つ人間はなかなかいないので、その辺は心配なかった。ほんとうにいけなかったのは、小さな暴動だと思い込み、少人数しか連れてこなかったこちらだ。
完全に囲まれて、じりじりとした均衡を保っている。どちらもギリギリまで緊張の糸を引っ張り合っていた。いつ切れるかどうか分からない。
向かっていくのは簡単だが、怪我人が多く出るのは必須だ。
姫様……リシティア様のために、怪我人は多く出したくなかった。あそこはまだ新婚一ヶ月だ。しかも後処理云々で、半端なく忙しい上、批難が相次いでいたのだ。
これ以上、心労増やしてどうする。本当はこの件だって、なるべく怪我人を出さないようにとあらかじめ言われているのに。
「だってなぁ。姫様が王族やめちゃったからだろ、これ。明らかに」
おふざけ半分、本気半分。いつもどおりの口調で言った。
今回の暴動の約半数が、リシティア様の復権を願うものだった。詳しく説明はしていないが、彼女もそのことは重々承知の上だろう。
苦い顔をして暴動の沈静化について話していた。
愛されるがゆえなのか、何なのか。国民の心情は、こちらが思っている以上に複雑だ。何も、シエラ様がダメな訳じゃないのだ。
ただリシティア様のほうがいいだけ。じりじりとこちらを囲んだ人垣が、近くなっているのを見つつ考えた。この人たちも、元女王が好きだったんだろうか。
俺も、好きだったけど。
多分、姫様が王位を乗っ取るって言ったら、一も二もなく返事しちゃうくらいには、あの人の才能やら何やらに惚れこんでいた。
あの人ならやれると思うし、何よりもその方がいいと思える。
だけど、そうしないあの人のことを、それはそれで好きだった。アレクが好きになったその性格が、よく分かる生き方をしている。
初めは、こんなたかがちょっと賢いくらいの王女様に仕えるなんて、絶対に嫌だと思っていたのに。思っていたのになぁ。いつ変わったんだろう。
「エイル、指示を」
プルーの声が若干大きくなる。あ、こいつも焦ってんだ。
「逃げろって言ったら聞くか?」
からかい交じりに聞いた。返事は分からない。もしかしたら、殴られるかもしれない。だけど、彼女の答えはまったく予想のしないものだった。
「お前が出す答えで、それが最善だとお前が決めるなら、私はお前に従う。お前をおいて逃げようが、一緒に戦おうが」
後ろを振り向けば、厳しい顔をしたプルーがいる。その乱れた髪に手を伸ばしかけた。触れてしまえば、自分は最善の選択ができなくなる。彼女の言う『最善』は、彼女を逃がすことではなかった。
残念なことに、この中にいる人間で優秀な戦闘能力になりそうなのは、彼女のほかをおいてない。まったく、残念なことなんだけど。
戦力を頭の中で計算しつつ、力を込めて剣に添えていた右手を握り混む。
自分はリシティア様から信頼されて、沈静化の指揮を任されたのだ。アレクも、俺だから王都の暴動を任せてくれたんだ。それを裏切るなんて、考えられない。
何より、ここで失敗することは自分自身が許さない。
「プルー。人命第一だ。できれば相手方も」
頷く気配がして、数人の騎士に緊張が走った。
「囲いを崩す。扱い慣れてなさそうなとこを突っ切れ。あとは俺とプルー、あと三人で踏ん張るからお前らは二人はすぐに応援要請。いいか、アレクに直接だぞ。
間違っても他の人間に頼もうと思うなよ。確実に、だ。時間がかかったって、確実でさえあれば文句は言わない」
合計五人でこの人数相手は、正直辛い。しかし、応援を求めないことには、助かる道はない。確実な応援要請をするとなると、やはりこの分け方が最善か。
応援要請、一人で行ってくれるとかなり助かるんだけど。でも途中で捕まったりしたときのことを考えると、二人でも少ないくらいだ。
「チャンスは一回だ。一回で確実に、輪の外に出ろ。あと、振り向くなよ」
幸い、馬はここから離れたところに預けてある。上手くいけば、少し耐えるだけで、応援が来るかもしれない。
上手くいかなければ……。考えないことにしよう。
「剣を抜くことを許す。リシティア様が悲しむような結果になったら、俺の首が飛ぶから、お前ら怪我するなよ」
こんなときでさえ、冗談めかしに言える。まだ余裕があるということか。それとも、ただの虚勢か。どちらだっていい。俺の仕事は、こいつらが安心して仕事を出来るようにすることだけだ。
「用意はいいか。一、二、三っ。行け!」
合図と同時に、走り出す。
剣などを振り上げる奴らに応戦しつつ、片っ端から腕を切っていく。再び剣を持たせるほど、こちらも余裕がある訳じゃない。
容赦なんて言葉は忘れておこう。相手を気遣いすぎて怪我をすれば、本末転倒だ。これ、他の人間にも言えばよかったかな。
あいつら真面目だから、リシティア様が嫌がると思って手加減するかもな。
「きりがない! 手加減するなよっ!!」
そう呟いて、その声がわずかに震えていることに気がついた。歓喜で震えているのか、隠しきれない喜びを感じているのか。
人を、何だと思ってる? エイル・ミラスノ。こいつらは敵でなければ、兵でもない。ただの剣を持った民にしか過ぎない。
それを、忘れるな。
「ヤバイな」
扱い慣れていないのは、みんな同じらしい。構えからしてどこか歪で、ひどく気負っていた。
中には数人使えそうな奴もいるが数は少ない。しかもその使えそうなやつでさえ、お世辞にも上手いとは言わなかった。これなら姫君の方がまだマシな構え方をする。
ぞくぞくとする快感は、忌むべきものなのにそうできない。
近づいてくる人に剣を振るいつつ、そんなことを考えていた。自分は何て、人間らしくないんだろう。指示した部下は無事に囲いを抜けたらしい。
プルーと三人の部下に目をやりつつ、今度こそ舌打ちした。数が圧倒的に多すぎる上に、死角がありすぎる。
もう結構な人数とやりあったはずなのに、一向に数は減っていなかった。一体どうすれば、こんな人数集まる?
まだ切り合いをしたいと? 上等だ。
「エイルっ」
後ろで剣がぶつかる音がする。振り向けば怒鳴られた。
「お前はっ! 馬鹿か!! こんなときまで、別のことを考えてどうする。いつかっ」
いつか、お前はそれで命を落とすぞ!
「あー、うん。ありがと」
毒気が抜かれて、先程まで力を入れていたはずの手から余計な力が抜けていく。顔の表情も、歪な笑みからいつものような顔に戻る。
今自分、プルーに見せてはいけない目をしていた。この目は、相手を殺すことに愉悦を覚えている目に違いない。なんて、愚かな。
いつか、彼女がいう通り、自分はこういう場所で命を落とすのかもしれない。何度も振るった剣が、我が身に帰ってくるかもしれない。
そう思うのに、振るう剣を止められない。何を感じているのか分からなくなってくる。今、何をして、何を感じて……何をしなくちゃいけないんだっけ。
「やっぱり、プルーに行かせるべきだったかな。応援要請」
そうすれば、最悪彼女だけは救えた。そんなことが、訳の分からない頭の中でぽっかりと浮かんできた。何も考えられないくせに、そんなことだけは妙にはっきりと頭に残る。
それが正しいかどうかなんて、自分には関係ない。
元々、命をとしてまでこの国に忠誠を誓ったつもりはなかった。ただ王に恩義を感じ、リシティア様を気に入った。
ただそれだけだ。この国云々は考えたこともなかった。彼の人のように、国と民を愛しているわけじゃない。
友人のように、大きな目的がある訳じゃない。
なら、こんな非常事態で、好きな女を優先させて何が悪い?
「私は、お前にこの身と心を預けた。全部、私が持てるだけのものを預けた。それが、私なりの信頼だ。お前はそれを受け取れ!」
プルーが受け止めるだけに留めていた剣を払った。そしてそのまま相手の腕を切る。
鈍い痛みがやつらを苛むだろう。彼女の振り方は少々甘いのだ。訓練用の剣であれば、容赦なく降り下ろすくせに。
防具をつけていても、痣になるほどの鋭さは、真剣では出てこない。自分はかつて、それが未熟だと指摘した。その未熟さが、いつか彼女自身を殺すと。
刺すような目で見つめていた彼女に、確かにそう言った。自分の剣は、人を守るためのみにあるのだと言い切った彼女に。
『そんな剣、存在しない』と。実は今も、そう思ってる。人を守るためだけにある武器なんて存在しない。どんな形であれ人を傷つけ、血に濡れてしまうのだ。
どんな使い方をしたって。国のために使ったって。だって、今この剣を濡らす血は、同じ生きているものの血だ。一体、自分たちと何が違う?
「エイル、私はお前が思っている以上に、お前を信頼してる」
背中にぬくもりを感じた。こっちは背中を預けるつもりなんかなかったのに、彼女は何でもないようなにやってのけた。絶対の信頼を寄せられていて、少し笑った。
あぁ、お前はいつだってそうだった。馬鹿らしい信念を掲げて、ありえない想いを抱いて、そうやってこちらにそれを押し付ける。
払い落とせないくらいの優しさで。
「背中、預けて大丈夫?」
「当たり前だ」
目の前に迫る敵の剣を弾き飛ばす。力任せに振るっていたさっきが馬鹿らしくなった。
「じゃ、プルー。俺もお前に最大の信頼を」
本当はね、プルー。少し安心さえしていたんだ。
お前の甘さに。真剣で人を傷つけるとき、ひどく躊躇するそれに。いつか、プルー自身を傷つけるかもしれないその甘さが、ひどく心地よかった。
見ていて安心した。自分が好いた相手は、とても優しい人間なんだと。
人を傷つけるのに、相応しくない人間なんだと。鋭さのない剣に、拙さに、言いようのないものを感じていたんだ。上司失格だけど。
お前がいつか、怪我をして、悪かったら命を落としてしまうかもしれないのに。
お前が戦いに向いていないというその事実が、ひどく嬉しかったんだ。助けになっていたんだ。救いなんだよ。
「プルー」
「次の指示か?」
「俺、お前が思っている以上に、人でなしだ」
「それは相当だな」
短く答える彼女には、もう余裕が戻ってきていた。剣をほとんど使うことなく、相手を気絶させていく。相変わらずの甘さだった。
剣の柄で相手を殴り、鳩尾を蹴る。その軽やかな動きは、重力さえ感じさせない。
「その甘さに、救われてんのかも」
人の血を見ても、もう特別な感情は浮かんでこない。今はただ、一刻も早い応援を求めていた。できるなら、誰も傷つかない方法がいい。
そう思えるのも、彼女のおかげか。
「不謹慎だけどさ」
「うん?」
「俺、お前が好きだよ」
「そうか。そこまでお前は職務怠慢が好きか」
プルーの声が低くなった。あ、怒らせたかも。
「不謹慎だって、予告したじゃん。しかも見る限り死者出てないし」
「帰ったら、アレク様に切られてしまえ!! 馬鹿!!」
怒鳴られて、最もだなと思った。彼女のいうことは正しい。だが、言葉を翻すつもりは毛頭ない。
事実だし、それを言う場所もちゃんと考えた。だって帰ってから言うのとは、またちょっと違うだろ。
「もしかして、恥ずかしい?」
「お前は一度、その頭を見てもらった方がいい。隊のためにも。黒の騎士団のためにも。ひいては、この国のために! シエラ様のために!!」
プルーが相手の剣を弾いた。怒りが剣に響くのに、手加減し続けるなんて器用だよな。こちらはもとより使いなれていない人間相手なので、剣を取り上げた後に、鳩尾を蹴った。
どっちが相手のためにいいんだろうな。それはプルーには聞けなかった。
聞けない間も、意識をそらしつつ相手に向かい合ってる間も、目は彼女の動きを追っていた。力勝負では勝てないので、彼女の剣は軽くて早い。
また、笑ってしまいたくなるくらい、基本に忠実だった。構えも、いくつかの型も、お手本になるくらい忠実で、乱れがない。
その剣さばきは単調であるがゆえに迷いがなく、わずかな隙さえ見つからない。結構実践的で、型なんかはすでに気にしていないので、最初の頃はよく驚いてた。
よくここまで綺麗な型で、一切崩さず戦えるものだと。
「ま、いつも驚かされっぱなしだけど。全部預けられるなんて、思ってなかった」
「信頼の仕方を、他に知らないんだ」
彼女が剣を薙いで言った。敵わない、といつも思わされる。思わされ続けるんだと思った。
遠くの方で、馬が嘶く。優秀な指揮官のおなりだろう。
きっと怒られるに違いない。いや、その前にやつは自分の甘さを責めるだろう。どいつもこいつも、自分が反省すればいいなんて思ってて嫌になる。
少しくらい、他人にその責任を押し付ければいいのに。
「アレクもな、責任感じすぎだよなぁ」
「お前はもう少し、責任感を持ったほうがいい。とりあえず、書類の面において」
剣を払った彼女がにやりと少しだけ笑い、制服を引っ張ってきた。
「顔貸せ。私の信頼をあんな言葉で裏切ったんだ。一発や二発、覚悟してるだろう?」
そう言って怒りを顕わにする彼女へ、どんなお礼が相応しいだろうかと考えた。その甘さを、救いとしている人間がここへいるだなんて、彼女は知らないだろうけど。
エイルさんの過去も書き足りない。