『ハンカチに愛を込めて』
初!アレクのカッコいい場面、を目指しました。剣を振るう描写があまりにも少なく、かつ彼のかっこよさが書ききれてない気がしてたんで、こういう話を書きました。
カッコいい彼、だと思うんですけど、やっぱりティアに甘いですねぇ。
「許しません」
厳しい一言が降って来て、アレクは首を振る。
かしゃりと甲冑が鳴って、ティアが眉をひそめる。まるで無作法者を見るようなその目は、どこまでも厳しく自然と背筋が伸びるようだった。
「わたしは騎士道に従った『愛』が欲しいわけじゃないから」
美しいドレスはまるで女王の頃に戻ったようだ。幼さをも含むその顔は、そのときより一層美しくなっているけれど。
「しかし」
「まだケンカしてんのか?」
ひょいっと、向こうのほうから声がして、男が顔を出した。
今年先代の王、デルタからその位を譲られた、ジークフリートだ。先日戴冠式を終えたばかりの彼がどうしてここにいるのか。
答えは単純明快。
『アレクと決闘がしたかったから』だ。それも正式な申し込みの手順をもってだ。
「ジーク。帰ってちょうだい。そしてもう二度と、わたしたちに構わないで。わたしはもう女王じゃないし、王族でもない。あなたたちと何の関係もない、ただの女です」
「そんなこと分かってるさ。でも、それがアレクと決闘しない理由にはならないな」
ふふん、と小馬鹿にしたような笑いにティアは眉を寄せ、それから緩く首を振った。
「どうして、今更そんなこと言うの?」
あなたは自分の望んだ王位につき、この周辺一の軍事力を持っている軍の大将でしょ?
「それがどうして、アレクに決闘を望むの?」
決闘、それは騎士だけに許された正式な儀式だ。騎士としての誇りや名誉をかけて戦う、一対一の儀式。
それゆえ、正式な手続きに則って申し込まれた場合、受け入れなければいけない。
断ればそれは、恐れて逃げ出したのだと非難され、騎士としての資質まで疑われる。決闘の持つ意味は様々だが、この場合、非常に重要な意味を持っていた。
「俺は、俺が唯一負けた相手に勝ちたい。それだけだ。ティアが元女王だとか、アレクが近衛隊の隊長だとか、そんなことはどうでもいい。ただ誰にも邪魔されず、こいつを打ちのめしたい」
ぎらり、と鋭い目がティアにではなく、アレクに注がれる。
それからアレクを守るように、ティアが立ち上がってジークフリートに向き合った。こちらも、厳しく鋭い光を湛えており、一歩も引く気はなさそうだった。
「断る、なんて言わせない。そうだろ? アレク」
「決闘を申し込まれた以上、断る理由はありませんから」
「アレクっ!!」
ここで決闘の話を断れば、『光国―リッシスク―の騎士隊は大したことはないらしい』という噂が広まるだろう。
そしてアレクは前女王に仕えた騎士だ。逃げるなど、許されるはずもなかった。
「ここであんたが反対しても、あんたの不名誉に繋がるだけだ。それは国を危うくするかもしれないんだ。それくらい、『賢い』オヒメサマは分かってるんだろ?」
ぎゅっと、ティアがドレスを握り締めた。
「わたしの、不名誉一つでアレクの命が救えるなら……、それはわたしにとって痛手ではありません。わたしの不名誉が、国を危うくするなんてことも、ありません。この国の王はシエラです。わたしではない。
わたしはもう、アレク・ボールウィンの妻です。……白薔薇姫では、ありませんから」
はっきり言い切れないのは、彼女の弱さだ。はっきり断言できないのは、未だ王族であることを心のどこかで自覚しているからだ。
それを分かっているのか、アレクはふわりと笑った。そして彼女を抱き上げ、イスに座りなおさせる。
その隣には心配そうな顔をしたシエラもいて、エイルもプルーも立ったままだ。
「エイル。頼んでいいか?」
「いいけど……お前が離婚したいとは初めて知ったな」
「離婚したいわけじゃない。だけど……ティアが侮辱されたんなら、黙って引き下がれない」
ひゅう、とエイルがわざとらしく口笛を吹く。それがひどく似合っていて、ティアもプルーも不快そうに眉を寄せた。
「ふぅん。今まで一度として決闘を応じなかったアレクが、ねぇ」
そう、今まで一度としてアレクは決闘に応じようとしなかった。『決闘』には、だ。それで彼の資質が疑われなかったのは、訓練中の一騎打ちで一度も負けたことがなかったから。
『決闘』になれば、勝者は敗者にいうことを聞かせることが出来る。
それが嫌だったアレクを、『甘い』と責め立てる大臣たちもいたが、訓練中に挑むならばどんな試合でも勝つと聞くと黙るしかなかった。
「騎士の名誉はどうでもいい。大事なのは、姫様の名誉、ってこと?」
「そうゆうコト」
にこっとアレクが笑った。それからティアの前で跪き、腰に下げていた剣をおいた。胸に手を置き、絶対の忠誠の礼をとる。そして安心させるように微笑んだ。
「俺は君を守る。そう言ったよね? その約束を違えるつもりはないよ。ティア。自分が傷ついて、ティアを泣かせるつもりもない。
『お姫様、もし私めが勝ちましたら……、姫のミンネをいただけますか?』」
かっとティアの顔が赤くなった。それは幼い頃読んでいた小説の一節だ。
素敵な騎士が姫のためにどんな苦難をも乗り越えてゆく、自分が読んだたった一つの恋愛小説。大昔の騎士制度に胸を躍らせたのは、自分ひとりだけの秘密のはずだった。
そしてそのセリフは、姫のために決闘をするときに口にしたセリフだ。
「やるねぇ」
「バカ。口を出すな。エイル。アレク様に殺されたいのか」
からかうように笑うエイルを一睨みして、アレクはティアの耳元で淡く笑う。
「ミンネの証をいただけますか? 姫」
「だっ、騙されないわ! 誰が決闘を許したというの? ミンネというならば、あなたはわたしに仕える騎士。わたしの命令を無視することは許されていないはずよ」
ミンネの証……その人に仕え、その人のために戦っていると示すために身につけるその貴婦人の袖などだ。今はもうほとんど廃れてしまった習慣だが、アレクはそれを欲しているらしい。
「俺はティアの剣となり、盾となると決めた。そこに君の意思はあんまり関係ないんだ。俺が好きでやってるだけだから。『麗しの我が姫、ミンネは確かに受け取りました』」
はっとしてアレクの手元を見ると、いつの間にか一枚の布が握られていた。
「それっ、わたしのハンカチっ」
「ティアの肌を他の男に見せるわけにはいかないから、これで我慢しておくよ」
ふわり、と頬へキスを一つ。
「さて、ジークフリート様。騎馬戦からでよろしいか?」
次にジークフリートに見せるのは、どこまでも厳しい表情。
近衛隊隊長然とした表情は、ティアが滅多に見ないものだった。漆黒の髪と瞳は何にも屈しない、孤高の証。それを改めて感じ、握っていた手に力を入れる。
「姉様……」
「アレクが、ああ言うのです。騎士として恥じない決闘なんでしょうね」
泣いて引き止めてでも、危険な目にはあわせなくなかった。自分のために、戦うなんてこと一生して欲しくなかった。
「わたしの行為は、アレクの矜持を壊すことでしかないのかしら」
シエラに笑いかけるその瞳はわずかに濡れていて、シエラはそっと思う。いつから姉は、こんなに弱くなってしまったのかと。
「いいや。騎馬戦はいい。どうせやったって、槍が折れるだけだ。始めからこっちでいいだろう?」
にやり、とジークフリートが笑う。自分と互角のものを組み伏せる瞬間を想像し、愉悦に浸っているかのようなその表情には確かに覚えがあって、ティアは身を振るわせた。
ジークフリートが鞘から抜き去る剣でアレクを指し、ティアに向き直った。
「ミンネの証が血で染まらぬことを、祈っておくことだ。ティア姫」
機動力を重視する寒国式の決闘は盾を使わない。ゆえに、純粋な『剣』の技術の勝負になる。ジークフリートの笑顔を見たティアは、思わず席を立ち上がり、ジークフリートへ近づいた。
「わたしの騎士が、負けるとお思いですか?」
精一杯の虚勢は、女王の頃より遥かに弱いけれど、それでもそこには十分すぎるほどの力が込められていた。
「あなたが声を上げて、制止する瞬間が楽しみだ。泣いて請えば、傷は負わせぬし、勝者の権利も破棄するが?」
「バカなことを。あなたがそういう人ではないことを、知っています。
……それに、わたしは自分の騎士が『負けない』と言ったのですから、それを信じるのみ。他に何があります?」
口を開けば開くほど、心配だと声に出したくなる。それも出来ないから、せめてもの虚勢を張るのだ。
『信じてる』
『心配してない』
そんなこと、ありはしないと分かって入るくせに。
「んじゃぁ、まあ。俺が掛け声かけるかー」
緊張感のない声が割って入って、ティアを後ろへ押しのけた。その肩をそっと掴むプルーを見て、ティアは大人しく自分のいるべき場所へ戻る。
「騎士の名誉にかけて、正々堂々の一回勝負だ。二人とも、覚悟はいいな。
ルールは説明しない。それぞれ、自分の騎士道をもってすればいいだけの話。立会人はエイル・ミラスノとプルー・ハリルだ」
かしゃん、とアレクとジークフリートが剣を合わせる。交差したその剣の輝きがまぶしく、ティアはつい目を逸らしてしまいそうになった。
自分の覚悟のなさが、後悔を呼ぶと知っているからこそ、決して目を晒さないと決めているのに。
「目を、逸らさない」
自分に言い聞かせるようなその声は軽く、ティア自身にも届かなかった。
「始めっ」
その掛け声が、何か恐ろしいものの始まりだとでも言うように、ティアは硬く手を握る。
「余分な騎士を持たぬ貴国が、どうして我が国に勝てる?」
「騎士を持たぬことが、恥にはなりません。軍力に頼らずとも、我が国は豊かになってきているのだから」
耳障りな金属音の中で、二人の声は周囲に届かない。ただ二人が剣をはじきつつ、それでもまだ会話できる余裕があることくらいは周囲にも分かっていた。
「それはお前たちの言い分だろう? 戦慣れしていない騎士どもが、我らに勝てると思っているのか、と聞いているんだ」
ガキン、と一際大きい音がして、アレクは眉を寄せる。組み合ったまま動かないのは、二人の力が均衡しているからだ。それでも、アレクは体ごと前へ進んで、ジークフリートの剣を押し返した。
「勝てますよ。あなたはティアを侮辱した。俺にとって、戦う理由はそれだけだし、負けるわけにもいかない」
自分が侮辱されるのならいい。
事実自分は戦いを好まない腰抜けだし、怪我してティアが泣くくらいなら、怪我をしないように過ごしたい。
それを別段恥ずかしいと思わない時点で、自分は騎士として相応しくないのだろう。
「お前の騎士の矜持など、どれほどのものか」
「どれほど、もないでしょうね。俺がこうしているのは全て、ティアのためですから」
アレクが剣を水平に凪ぐ。ジークフリートが小さく舌打ちして、剣でそれを受け流した。
それでもその瞳に、自分と対等に戦える相手を見つけた嬉しさがにじむ。その手ごたえを、貪欲に求めていた。
「どうして、決闘したかったんです?」
「決着をつけたかった。前はまんまとやられたからなぁ。俺は自分より強い人間を見ると、どんなことをしてでも勝ちたくなる……という性質ではない。
同じ力量の奴を倒したほうが、自分の力になりそうだろう?」
その瞳に、口元に、浮かぶ喜色はどこまでも戦いを好む粗野な笑い。
そこまで戦いにこだわる理由は何なのだろうと思いつつ、アレクは剣を振るった。自分も所詮、こういう人間と一緒なのかと思いつつ。
「あの姫の、どこがそんなにいいんだ? 確かに賢いし、強い。一国の主として相応しいのかもしれない。だけど少なくとも、妻にしようとは思えんぞ。いくら美人でも」
あんなのを妻にした日には、自分はそのうち国を乗っ取られかねない。
「そう見えるあなたの瞳は、節穴なのですね。彼女が強くて賢い、白薔薇姫としか見ない人に、彼女の魅力は分からないでしょう」
彼女のどこに惹かれたのかと問われれば、『全て』と言うしかない自分がいる。
どこが、とはっきり言えないのは非常に口惜しいけれど、どこか一つに限定することは出来ないのだ。自分は『ティア』という存在自体に惹かれ続けているのだから。
「こんなときにノロケかよ。タチ悪いやつ」
ジークフリートが不機嫌そうに吐き捨てた。しかしアレクにはそれが負け惜しみのようにしか聞こえず、くすりと笑う。
「彼女が欲しかったのならば、そういえば言い。渡すつもりはないけど、今更『結婚した気が知れない』と負け惜しみを言われても困る」
にこっとアレクが人の良さそうな笑みを浮かべて、剣を振り下ろす。かろうじでそれを受け止めたジークフリートがぐっと不快感をあらわにして、唇をかみ締めた。
「そういうことじゃない。あいつと結婚しようものなら、俺は今の地位にいられなかった。負け惜しみでもなんでもない」
「あなたがティアをどう思っているのかは分かりませんが、あなたがどう思っていようと、俺の妻を侮辱して言い理由にはならない」
冷たく光る瞳には、確かな怒りが込められていて、ジークフリートの背筋がひやりと冷えた。
今まで戦場で感じたことのないその感覚は確かに、『殺気』と言われるものなのだろうが。明らかに何か違う気がした。
「怒ってるのか?」
「そう見えるんでしたら、俺もまだまだですね」
怒ってますよ、とっても。ティアをあなたに泣かされるなんて、非常に不愉快だ。
「おいおい。泣いたのはあっちで、俺は関係ないだろう。謂れのない罪だ」
「ティアの表情を変えるのは、俺だけで十分なんです。あんまり邪魔されるようでしたら……」
ふんわりと優しく笑うその笑顔は、とてもとても彼女を愛しているということが分かる顔。
しかしどこからどう見ても、腹黒さが滲み出していて、あぁこいつも宰相の息子なのだな、とジークフリートは思う。
「姫君の顔が歪むのが楽しみだっ」
伊達にこちらも戦神と呼ばれていない。負けられない。軍事国では、一騎打ちで負けたことがそのまま不名誉に繋がる。
ひいては国の主としての資質さえ疑われる。小国の、たかだか近衛隊長には負けられないのだ。
「あなたは、忠告を聞かない方でしたね」
「余計なお世話だ」
剣から伝わるのはひたすら純粋な感情。戦場に出たことがないとでも言うような、そんな鮮烈な印象。自分にはもう既にない感情を、付き突きつけられているような気分になって苛立った。
そこに込められているのは、彼女への忠誠心か、愛情か。それとも騎士の誇りか。
「奇麗事で済めば、この世に戦は起こらない。そうだろ? ご立派な騎士様」
「ご自分たちが外交が下手だからと僻まないでください。……それと、俺は戦いに出たことがある。綺麗事でないこともよく分かってる。だから嫌いなんだ。この決闘だって、それと変わらない」
瞳が剣呑に潜められ、押していた剣が押し返される。身を引けば目の前すれすれに剣が通り、相手が本気なのが分かった。
「一瞬でも気を抜けば殺されそうだな」
「あなたを殺すことはありません。あなたのために、ティアから離れるなんて、利益と不利益が釣り合いませんから」
そろそろ終わりにしますか?
「まさか、バカを言うな」
アレクが鬱陶しげに剣を振るう。まるでこの行為自体無意味であると、宣言しているようだ。
一際大きな音が響いて、ジークフリートの顔が歪んだ。それと同時に、剣が鈍い音と共に宙へ舞う。
……二本の剣が、太陽の光を反射しつつ、誰もいない方向へと沈んだ。
「両者の手から剣が離れた……引き分け、ということでよろしいですか? ジークフリート様」
剣を跳ね飛ばしたのはアレクだから、アレクが勝ったとも言える結果だったが、アレクはあくまで微笑んだままだった。
「わざとか?」
「まさか。俺もあなたに負けようなんて思いませんよ。どうせなら勝ちます」
そんな引き分けなんて生ぬるいことをするはずがないだろうと、アレクは笑った。
「何だよ。引き分けかよー。つまんないな」
「エイル。ちゃかすな」
「いいだろう? 決闘といえば、決着がつきもんなんだから」
その脇を掠めるように空気が動き、小さな影がアレクへと突き当たった。
「ハンカチっ!! 今すぐ返してっ!!」
その一言にアレクは小さく笑みをこぼし、ひょいっと軽々と抱き上げてからジークフリートへ向き直る。
そしてティアをしっかりと抱きしめた後、ジークフリートに向き直ってティアに見えないように笑顔を作った。
「俺のですから」
「何のこと?」
「騎士の誇り云々のことですよ」
片腕でティアを支え、懐から薄桃色のハンカチを出しつつアレクが笑いかけた。
そしてそのハンカチをティアの前で掲げて、それに口付ける。ティアがまるで自分にされたかのように頬を赤くしているのを、アレクは満足げに見ていた。
「ティア」
優しく呼んで、ティアを下ろす。そしてさっきやったように、再び跪いてハンカチを掲げた。
「あなたの愛が私を守り、命を救ってくれました。ハンカチを、お返しします」
我が姫、と甘く囁かれれば、ティアは顔を赤くしたまま、『姫なんて身分じゃないわ』とそっぽを向きつつ、その手からハンカチを受け取る。
そして渡したときのままのハンカチを見つめてから、やがて淡く笑った。
「残念でしたわね。ジーク。このハンカチは血に染まることなく返ってきました。
……わたしの騎士も、傷一つなく帰ってこれたようですわ。お互いこの辺でよしとしません? わたしの名誉も、あなたの名誉も守られたことですし」
その笑顔はあの頃のまま。ジークフリートは、見事に二度目の敗北を味わったのだった。
「どうして知ってたの。『騎士物語』」
「知ってるよ。ティアがこっそり読んでたのも、その騎士に憧れていたことも」
その騎士に、こっそり嫉妬していたということは内緒だけど。
「さぞかし馬鹿にしたんでしょうね。『ミンネ』まで出して」
「そうそう。引き分けなんだから、当然ティアはくれるんだよね、ミンネ」
ミンネ、と一言に言っても、作品、時代背景、シチュエーションなどによって、示す意味が微妙に違っている。
ティアの読んだ物語で言う『ミンネをいただけますか?』という言葉は、プロポーズとしての意味をも含んでいた。
「さて、何のことかしら? 『勝ったら』よね。わたしが見たところ、あれは単に勝っても負けてもない、という感じだけど?」
最後の悪あがきだと笑ったら、また怒るんだろうなぁ、と思いつつ、ティアをまた抱き上げた。
身長差があるせいか、彼女が細身なせいか、こうして抱き上げてもいまいち実感がない。それがときどき、不安になるんだけど。
「負けてないってことは、勝ったってコト」
「勝ってないってことは、負けたってコト」
こつん、と額を合わせてから、ティアは笑う。
「アレクはわたしに、ミンネを捧げるの?」
「『ミンネ』というよりは、全てを、かな」
君になら、全て投げ出せる。君以上に、大切なことなんてありはしないんだから。
「決闘なんて」
ぽつり、とティアは呟いて、次いでゴツっと痛そうな音がする。
それと同時に、頭が揺れて、ああ頭突きされたんだな、と分かった。なかなか痛くて、じんわりと涙が浮かんだ。地味に痛いよ、ティア。
「次にやったら、こんなもんじゃ済まないから!!」
顔を上げたティアの額も赤くなっていて、今の自分たちはひどく滑稽なんだろうなと思った。
「こんな疲れること、二度も三度もやりたくない」
「わざと引き分けにするのも大変だから?」
「あ、ばれてた?」
勝ちたかったわけじゃない。ただ彼に仕返しがしたかった。
自信ありげな彼が焦るのを見れたら満足してしまって、国王の座に坐る彼の不名誉を作るのも得策じゃないだろうと思っただけ。また突っかかって来られたら嫌だし。
「ティアを侮辱するんだから、最初の一回で剣を飛ばしてやろうとか思ってたんだけど、なかなか手強くってね。
少し手合わせしたら落ち着いてきて、こんな大勢の前で恥かかせるのも可哀想だと思ってさ」
アレク、顔がお義父様に似てきてるわよ、とティアが突っ込む。あんなのと一緒にして欲しくない、と反論すれば、『だって、今すごく似てたもの』と小さく笑われた。
自分がまさか、父に似ていると言われるとは思わなかった。
「次に、反省せずやって来たら、遠慮なくするけど」
「アレクが言うと、ちょっと冗談に聞こえないわ。ダメよ。
あなたの不名誉は、わたしの不名誉に繋がるかもしれないけれど、大したことじゃないんだから。だけどジークの不名誉は、大きな戦にもなりえるのよ」
分かってるよ。一度崩れた『軍事大国の戦神』の話は瞬く間に、大陸中を駆け巡るだろう。
そしてその衰退を待ち望んでいた国が一斉に仕掛けてくる。そうした場合、その不利益は光国にも及ぶのだ。
「でも、ジークと互角のアレクがいるってだけで、うちの国は近隣諸国に恐れられるかもね」
わたしの不名誉どころか、すごい名誉なことじゃない? とからかうように言うティアの顔に怒りはなく、少しだけ安心した。
「ティア、怒ってない?」
「今更聞くの? ……怒ってる、って言ったらどうする」
「ごめん」
こればっかりは言い訳できなくて、素直に謝ると『嘘よ』と笑った。
「怒ってたけど、アレクが決めたことだから仕方ない。アレクとわたしは夫婦だから、お互いの意見ははっきりと言わなくちゃいけないんだって思い出した。だから、反対はするけどね」
「離婚されるかと思ったよ。ついでに『王族に復帰する』とか言われると思った」
自分が何より恐れていることは、彼女が自分から離れていくことだ。それが何より怖くて、恐ろしくて、どうしてでも阻止したい、
「そうすると思った?」
「平手は覚悟だった」
真面目に返すと、ティアは楽しそうに笑って、『平手だけじゃすまないかもよ?』と抱き上げられたまま答えた。
そうかもしれない、と思いつつ、そうなったら自分はさぞかし情けない顔をするんだろうと思った。
「アレクは、わたしの騎士になりたいの?」
「ずっとそうだよ。ティアを何者からも守る騎士になりたかった。全てのことから守って、傷一つつけないようにしたかった」
わたしは、騎士になって欲しいと思ったことないのよ? とティアは言う。
「わたしはね、ずっと側にいて欲しいだけだから」
どんな形でもよかったと言えば嘘になる。
だけどそれを口に出すのは憚られるから、『どんな形でもいい』と言っていた。もし本当のことを言っていいなら、『騎士』ではなく、『最愛の人』として彼女のそばにいたいと思った。
か、かっこよかったですか?? いまいち自信ないんですけど、アレク男前度増量計画。
やっぱりチビアレクのかっこよさには敵わないなぁ。チビアレクは制限なく甘いから。