『敗北の味』
可愛い幼少時代……にならない不思議。
ティアマジック、と私は呼んでます。(甘くなりそうなシチュエーションが、全く甘くならず、痛くなること)
からん、と手にした練習用の剣が地面に転がった。じりじりとした痛みが両手から這い上がり、ティアは眉を寄せる。
強い痺れは簡単には治らず、再び剣を手にすることは出来ない。それを分かっているのか、相手は突きつけていた剣の先を下ろした。
「……っ。まだっ、まだ『参りました』って言ってないっ!!」
「言ってないけど、ねぇ?」
相手――アレクが困ったように眉を下げた。
どうしよう、と助けを求めるように後ろを振り向けば、壮年の男が笑いながら落ちた剣を拾った。子供用のそれはひどく軽く、そして刃先を潰してあるので安全だ。
それでも当れば打撲になるし、ひどければ血だって出る。おおよそ『オヒメサマ』がすることじゃない、ということはこの場にいた誰もが知っていた。
知っていたが、止められないのだ。この姫君相手だと。
「姫様。あなたの負けです」
「まだ負けだと決まったわけではない!」
「いいえ。刃先を向けられた時点で、戦場ではそれが『死』を意味します」
ぐっと、ティアが唇をかみ締める。
心配そうに差し出したアレクの手をとらず、自分で立ち上がり服に付いたほこりを払う。それから剣を受け取り、腰に下げた鞘へ収めた。
明るいブロンドは邪魔にならないように結い上げられていたが、太陽の光を返す。
「お師匠様は、一番弟子が負けて悔しくないの?」
「それは、そうですね。悔しいですが、クラリス様からそろそろ姫様の指導を考える時期だと言われていますし」
ティアがひくり、と肩をそびやかした。今年五歳の自分が、そろそろ『こういうこと』をしてはいけない、という自覚はあるらしい。
それでもそれに気付かぬふりをし、『まだ大丈夫だ』と言い聞かせていたのに。
「でっ、でもっ!! 昨日まではアレクより強かったわっ!!」
「それは昨日までの話しです。あなたが数年で体得されたことを、アレク殿は一年弱で身に付けてしまわれた。
これは、男女の差も関係しますが、才能の差でもあります。明日、あさって、一週間、一ヶ月とするうちに、全く勝てなくなりますよ?」
それは、薄々分かっていたのだろう。ティアが服を握り締め、きっとアレクを見つめる。
その強い瞳は国王譲りで、時には師匠でさえたじろぐ威力を持つ。強く、鋭い瞳には、ただ自らへの腹立たしさしかない。
「安心してください。姫様。あなたは十分の強い。そして、誰よりも気高い戦士です。軍一の私が言う言葉が、信用なりませんか?」
むすっとしたティアの顔を覗き込み、師匠は笑った。
誰よりも強くあろうとする彼女は、どの分野でも自分より上に人がいるのをよしとはしない性格なのだろう。安易に想像が付いて、アレクは少しだけ笑ってしまった。
「何笑ってるのっ?!」
「いや、どうしてティアはそんなに強くなりたいんだろうなぁ、と思って」
彼女は国で唯一の後継者だ。それゆえに護衛は山ほど付く。
本来ならば、剣さえ見たこともないお姫様に育っても不思議ではないのだ。それなのにティアは見るどころか、触るどころか、立派に剣を操っている。
いったい、どこにそんなものが必要な要素があるんだろうかと、アレクはそっと心の中で思っていた。
「そんなのっ! 自分の身を守るために決まってるでしょう?」
「でもティアには、たくさんの騎士が付くじゃない?」
何をそんなに求めているの? 君の求める強さは君じゃなく、君の騎士に求めるべき強さだ。
そう言うと、彼女は何か不本意なことを言われたような顔をして、眉を寄せ、鞘から剣を抜き取った。そしてそれを、全く無防備なアレクの眉間に突きつける。
姫様、と後ろで師匠が言うのにも一切耳を貸さないつもりらしい。
「守られるだけの姫君が、そんなにいいの? アレク」
強く、強く、今にも殺してしまいそうなくらい近くに剣が突きつけられたアレクは、呆然とティアを見つめる。
「自分のために人が死ぬのは当然だと、そう思う姫君が欲しいの? アレク」
それは幼い彼女から出る言葉ではない。
「わたしはね、騎士のプライドで人の命は背負いたくないのよ。
自分の命を捨ててまで、守ってくれる騎士はたくさんいるかもしれないけれど、『自分の命を捨てることでしかわたしを守れない』騎士に、守ってもらおうなんて、思わない」
それならば自分で守る、と。
「わたしが背負うのは、この国を守るためになくなっていった、尊い命。何よりも大切な、愛しい、わたしの民の命。自己満足や偽善、欺瞞のために『捧げられた』と言われる命じゃない」
ぴたり、と眉間に刃先が当った。
「王族は、守られるものじゃないの。守るものよ。民を、国を、この国の全てを」
だから、わたしは剣を始めた。この手で守れるものなんて、少ないのかもしれないけれど。せめて近くにあるものは守りたい。
「ティア。剣をおろして」
柔らかな声は、ティアの決意を揺らめかす。
「ティア。大丈夫、おろして? ティアに、悪いことを言ったのは僕だから、怒ってないよ?」
ティアがゆっくり剣をおろす。そして小さく、『やりすぎた。ごめんなさい』と謝る。
不本意そうなのは、責めるべき理由を謝られて、もうアレクを責められないと分かっているからだ。自らの過ちを謝った彼と対比して、自分がいかに幼いか思い知ったのだ。
「でも、ティアはお姫様だよ。みんなが、幸せを祈ってるお姫様。
傷一つつけたくなくて、みんなが守ってるお姫様だ。君がどう思おうと、みんな君のためなら死ねるんだ。……それを、自己満足だなんて言って、切り捨てないで」
君の代わりに、俺が君の剣になるといったら、怒る?
「僕は、自分を犠牲にしてまでティアを助けない。死なないように強くなって、守るよ。
ティアが、僕の命を背負わなくてもいいように。だから、剣術はもうやめようか。そろそろ六歳だ」
負けず嫌いな君は、多分いくら負け続けてもその剣をおろそうとしないだろう。だから。
「君の剣は、僕だよ。ティア」
君の盾になろう、剣になろう。
何者からも守ろう。たとえそれが、彼女の愛す民自身であっても。
彼女を傷つける全てのものから、彼女を守ろう。
彼女が自ら剣を手放しても安心できるように。『死ぬことでしか彼女を守れない』騎士に任せることがないように。
彼女はきっと、怖いのだろう。自分のせいで、誰かが死ぬのが。
自分を守って民が死に、そして自分が生き残ることが。
「君はみんなのお姫様である前に、僕のお姫様だよ? ティア」
そう、だからその体に傷一つつけたくないんだよ。白い肌に剣の傷は目立ってしまうから。
君なら、その傷さえも『国を守った証だ』と言って、笑うのかもしれないけれど。
「わたしは、何も知らないオヒメサマじゃないわ」
「知ってるよ。だから師匠も、大臣も君を大切に育ててるんだ」
頬を、撫でる。白い頬は上気していたが、風に晒されて少しだけひんやりとしている。
「師匠も、大臣も、君だから自分たちの持つ出来る限りのことを教えるんだよ」
師匠は剣術を、大臣は政治学を、彼女だから、だ。
優秀で、将来を嘱望されている姫君だから皆期待する。
「ティアは何より大切な、この国の宝だよ。だから、ねぇ、自分を傷つけるようなことはしないで。僕は君の剣となり、盾となり、君を泣かせずに守るから」
このときは、そう思ってたんだよ。ティア。
君を二度も三度も泣かせるなんて、思わなかったんだよ。
だけど、何度でも言おう。
俺は君の剣で、盾だ。どんなことがあろうと、君を守るのを止めたりしない。
だって、君はこの国の至宝だから。白い花弁をもつ薔薇に模られた、美しい玉だから。
……誰が泣かせない、と宣言したんだ。とつっこみつつ書きました。
結局泣かせてるじゃん!!