『毒』
「グレイス。本当に大丈夫? 嫌なら断っていいんだよ。次期公爵夫人なんだから、それくらい許されるし」
「そんなこと言ったって、どの道嫌味は言われるのよ? それなら行く。セシルは行くんだし」
誰が好きこのんで、貴族の貴族による貴族のためのパーティーに行きたいと思うだろう。
貴族の血が流れているにせよ、つい数年前まで庶民として暮らしていた自分にとって、それらは苦痛でしかない。
しかし、それを言うと目の前の人物は悲しそうな顔をして謝るから、結局何も言えない。自分の夫にそんな顔させたくはなかった。
「グレイス、俺は君を守ると約束した。どんなときでも君を傷つけないようにって、決めてる。
だから他の人から何て言われようと関係ない。俺は俺が守りたいと思うものを守る」
結婚するときも、確かそんなことを言っていた。
誰もが反対する中で、彼が『彼女以外と結婚するくらいなら、公爵家を捨てるほうがマシ』とまで言ってくれた。生まれも、育ちも大したことではないと、言ってくれた。
「大丈夫よ。それとも、信用ない? わたし」
にこっと笑ってみせる。
もし、わたしにできるとしたら、彼が安心するような笑顔を浮かべるだけだと思った。『あの』元王女様には敵わないけれど。それでも、彼が少しでも心配しないように。
「行くの?」
「行かない理由がどこにあるというの?」
ふわり、と髪を掻き揚げる。今日はどこぞの道楽貴族のパーティーらしい。
物好きなその道楽貴族は、正確には貴族階級にいないわたしたちを招待した。……思惑なんて分かってはいるが、少々楽しくない。
「俺はいいけど、ティアは行かないほうがいいんじゃない? 色々言われるだろうし」
「今さらだわ。そんなの」
とっびきりの笑顔をのせて、鏡の中の自分に微笑んでみせる。なかなかいい出来。
ドレスだって、髪だって、大丈夫。まぁ、『オヒメサマ』時代と違うのは、色んなことに気を遣わなきゃいけないということ。
あの頃は少々装いが地味(だって、そんなところにたくさんのお金使うのって、無駄でしょ?)でもよかったが、それは間違いらしい。
流行、形式、色んなものがあって貴族の子女は大変そうだ。
「それともアレク。あなた、わたしが蝶よ花よと育てられたお嬢様方に、負けると思ってるの?」
「……いや、どっちかと言うと、その『お嬢様方』の方を心配してるんだよね」
失礼な。何を心配することがあるというのだ。まさか泣かせようなどと思っているわけでもないのに。
セシルに言ったことを撤回してもいいのだろうか。今すぐにでも帰りたい。いや、馬車から即刻逃げ出したい。
「大丈夫?」
「――大丈夫、じゃないっ、かも」
やっぱり、と隣でそっと溜息を吐かれる。
それから手袋に包まれた手を握ってくる。淡いクリーム色のドレスと同じ手袋は肘まであって、まだ少し慣れないわたしにはごろごろする。
「帰る? って、またそんな負けず嫌いの目をしない。誰だって怖いよ。周りが敵ばっかりなんて、俺だって嫌だ」
セシルが苦く笑って、髪を崩さないように注意しながら頭のてっぺん辺りに口付けを落とす。
相変わらず、さらりとそういうことをしてくるので、肩をそびやかせると『ごめん、驚かせた?』と笑われる。
「帰らない、というかここまで来て帰ったら絶対何か言われる。お母様にも、言われる」
最後までわたしたちを許しはしなかった気高い貴族の奥様。
今でも十分怖いが、セシルの弟であるアレクのところに『あの人』が嫁いでからは少し緩和された。セシル曰く、裏で彼女とアレクが色々やったらしい。怖くて方法は聞けない。
「あ……。そういえば、来るらしいよ。ティアが」
「えっ。何で、ティアが来るの? だって、ティアって」
彼女は、元光国女王であるリシティア・オーティス・ルラ・リッシスクは先日王族を辞めたばかり。
そして、アレクと結婚したばかりだったはずだ。しかもアレクが貴族の地位ではなく、騎士の地位なので、この場に招待されていない、はず。
「う~ん、まぁここの当主、物好きって言うか、ティアが一番嫌いな人種なんだよね」
つまり権力にものを言わせて、そのわりに大した仕事はしない税金泥棒というわけだろうか。
「でも、王族を辞めたとはいえ、彼女が貴婦人たちの中で一番地位は高いんだよ。
それに見合うだけの立ち振る舞いもあるし、だからだろうね。呼ばれたのは。ついでに彼女の噂話の一つや二つ、彼女の耳に入れたいんじゃない?
彼、リシティア派だったし。悔しいでしょう? 普通に考えて。
ずっとティアを押してたのに、彼女、するりと辞めちゃうし。だからその憂さ晴らしをかねて、ってところかな。馬鹿だよねー。
返り討ちにされることくらい、考えてもいいのに」
セシル、今すっごく機嫌悪いよね。何かいつもより黒いよ。
お父様に似てきたよ。容赦ない分、お父様よりひどいかもしれない、とか言ったらまたあの笑顔で『そんなことないよ』とか言うんだろう。
「ま、だから多分助けてくれるんじゃないかーって勝手に期待してる」
「まるでわたしだけじゃ負けるって言いたそうだね」
不満げにもらすと、彼はふわりと笑ってぎゅっと抱きついてくる。
それからポンポンと背中をたたき、耳元で囁く。彼は気に病んでるけど、彼の淡い髪の色が実は結構好きだったりする。アレクとお父様の色は、少しだけ怖い色だから。
真っ黒で、何にも染まらないで、いつまでもそこから動けない色。動くことを許さない色、自分を縛り付けて、優秀な『貴族様』でいなければいけないような色だから。
「違うよ。君は彼女と違ってか弱いってコト。彼女と比べたら、うちのお母上もか弱くなるけどね。
ティア、容赦ないからなぁ。ことにあの手の大臣方には。直接攻撃するのは、ご令嬢方かもしれないから、面白いものが見れるかもよ?」
ご令嬢たちの真っ青な顔。さながら、地獄絵図だよね。見てみたいなー。
「……アレク、今日は目が離せないわね。ティアから」
「え? いいんじゃない? たまにはストレス発散しないとやってられないよ。グレイスもしていいんだよ? 大抵のことは許される身分だから、試せばいいのに」
にこり、と笑われて、へらりとしか笑い返せない。だって、怖くて想像できない。そんなことしようものなら、貴族子女総出で袋たたきだろう。
ティアには出来るかもしれないが、わたしにはできない。貴族たちの恐ろしさを、つい数年前知ったばかりなのだから。
「……なんだか変な感じ。いつも、王族としてきてたから」
普通に馬車に乗って、美しいドレスを着て、にこやかな笑顔を貼り付ける。それは変わらないはずなのに。
「出たくないの?」
「まさか。今日はグレイスも来ているんでしょう? なら出るに決まってる。ちょっと『お嬢様』たちの動向も知りたいし。何より主催者が主催者だから」
久しぶりに、何かが起こる気がしない?
美しい笑みは、王族のときのもの。誰もが認める美しさと聡明さを表に出しているが、その実、裏に隠されているのは獰猛なまでの闘争心。
獲物を狙う、美しい肉食獣のような気もする。
「まさか令嬢だけでなく、大臣も敵に回す気なの? ティア、一応行っておくけど君は」
「もう王族でもない。貴族でもない。一介の騎士の妻、でしょ」
知ってる。とティアが笑った。
今度は柔らかく、優しく、何よりも美しく。本当に分かっているのかどうか分からない。しかしティアの笑顔に絆されていると自覚しつつ、アレクは笑い返した。
少しだけ、疲れそうだとは思う。
それでも彼女がそういうなら、何とかなるのだろう。
つい最近まで『王族』をしていた彼女は、こういう場をどういうように切り抜ければいいかをよく知っている。いわば専門家だ。
ある意味、よく舞踏会に出る令嬢より精通していると言える。
どちらかと言えば、男の立場で、だけど。
令嬢方は政治に関心があまりない。彼女らが知りたいのは流行と、優秀な旦那様候補の情報。
それから証拠も何もない醜聞。ティアと自分のことは、一番最後に入るんだろう、と何となく分かった。
悪者は公では自分だけど、こういう場合においてはティアにされてしまうのが定石だ。さて、彼女たちがどんな話をするか、自分は興味がないが、ティアにはあるらしい。
気に病んでいるというようには見れない。ただ、まぁ……敵の正体を知りたがる姿勢は尊敬に値するだろう。
「無理しないでよ。厄介なことにだけはしないように」
「いざと言うときは、おじさ……いえ、お義父様がどうにかしてくれるでしょう? 可愛い娘のためですもの」
父がティアに甘いと言うこともよく知っているので、それ以上何も言う気になれなくなって、アレクはため息をついた。
「淑女らしい姿が数分見れるだけで満足することにするよ」
仮面をかぶった美しい淑女。
その淑女の仮面の下は、男顔負けの政治才能を持つ元王女様。
何て厄介な人物を愛してしまったんだと思う一方で、そうでなければ自分は彼女をただの『王女』としか見ていないかもしれないと思う。
「楽しみね、アレク。グレイスとわたしを一度に攻撃しようだなんて。……わたしを敵に回すとどうなるか。大臣はお知りでないようだから、しっかり教えて差し上げるわ」
セシルには黙っててもらうから、と笑った。つまり、手を出すな、と言いたいらしい。
手を出すな、黙ってみていろ。自分が敵に回した相手が、どれだけの人間か思い知らせてやる。
聞きようによっては、悪役のセリフにしか聞こえない。と、いうか、高飛車で嫌味な女王のセリフだろうと思う。
「ティア?」
「何? アレク」
それでも、笑うその笑顔は、毒を一切感じさせない。
柔らかく、美しく、誰もが認める『白薔薇姫』がそこにいる。目を離すことさえ許されないその笑顔で、今夜、初心な貴公子たちを何人惑わせるのか。
「あまり、かっこいいことしないでね。夫よりかっこいいと、立場ないから」
くすくすと分かってる、と笑った。そしてドレスをひらりと翻す。
チラリと下から靴が見えて、淑女らしくないステップを繰り返される。それではしたなく見えないのは、多分ティアだからだろう。
「見てて、アレク」
騎士の妻の品格を、見せてあげるから。
「どの貴族令嬢より、淑女だって言わせてみせるから」
誰よりも、何よりも優雅に、たとえ貴族の階級になかろうとも、その心自体が気高い白薔薇だから。
「白薔薇姫、らしいからね」
「怜悧で、冷淡な白薔薇姫?」
それは国民と国が求めてきた女王像だけど。
「本当のティアは、俺だけが知っていればいいから」
柔らかく笑う顔も、少しだけ意地悪そうな顔も、『アレク』と呼ぶ声も全て。
彼女の、『ティア』の部分は自分が知っていればいい。他の人が知る必要などどこにもない。誰にも見せて欲しくない。
「だから、白薔薇姫として、振舞っておいで」
自分の元へ帰ってくるとき、『騎士の妻』であればそれでいい。他は何も望まない。
ただ帰ってきて、『アレク』と呼んでくれればいいのだ。いつものように笑って、頬へ口付ければはにかんで……それでいい。
「行ってらっしゃい。ここで、待ってるよ。あまりティアがかっこよすぎると、落ち込むからね」
その後、大臣および貴族令嬢が惨敗を喫したのは言うまでもない。
何せ相手はあの『リシティア』なのだから。始めから、敵うはずもないのだ。後に残されたのは、今にも泣き出しそうな令嬢の山と、呆然と立ち尽くす大臣だけだった。
そして……、上機嫌な顔に少しだけ口角を上げ、意地悪そうに微笑む彼女が一人、意気揚々と帰っていく。
しっかりと旦那様の腕に自らのそれを絡ませて。もう一人の少女の青い顔を気にしないまま。
ティアが何をしたのかは、ご想像にお任せします。書くと長くなりそうなので、さらりと割愛。
皆様なら、きっとすごい想像をしてくださると信じてます。(笑)