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姫と騎士  作者: いつき
短編
46/127

『罪』

 時間枠が少しずれます。ジークが去ったちょっと後、ティアが女王の座を降りる前、くらいです。

 ちょっと色っぽい?かな。苦手な方はご注意。ティアが王族を辞めるって決めたとき、のお話。

 正確に言えば、31話と32話の間のお話です。明記してませんが、あそこで一年弱経ってるんですよねー。(今更)


「アレク」

 彼女がこちらへ声をかけてきた。護衛役は、未だに継続中だ。ティアを何とか説得し、シエラ様の護衛役から解放してもらった。

 ジークフリートとの婚約話が綺麗になくなったのが、大きな原因ではある。

 ジークフリートが去って、今日で一週間たった。自らの謹慎(無断で行動したことへの罰)もようやく解け、今日やっと城へ来ることが許されたのだ。

 本日の仕事を追え、帰ろうとしたとき、今日一日まるで口を開かなかったティアが口を開いた。

「シエラのところへは、本当にいかなくていいの?」

 ティアがイスから立ち上がる。それはギシリ、と小さく軋み、空気を揺らした。

 ティアの瞳が照明の光を反射して、美しく光る……と同時にわずかに潤んでいるようにも感じた。蒼から翠へ、うっすらと膜のはった瞳が色を変える。

「あなたが大切だから、あえて言うわ。あなたは、シエラのところへ行くべきよ。あと一年もしないうちに女王でなくなるわたしに、あなたは付き合い続けるべきじゃない」

 扉の近くに立っている自分へ、彼女はゆっくりと近づいた。

 そして自分の制服をつかむ。その手が震えていることに気がつき、戸惑った。知らないふりをするべきなのか、心配ないよと意味の持たない言葉を言うべきか、とっさに判断できなかった。

 どちらが正解なのかわからず、ティアの顔を覗き込む。

 つい一週間前、自分たちは世間で言うところの『告白』をしたはずではなかったか。それともあれはただ単純に『好きだ』という事実を伝えただけだというのか。

「ティア。いきなり、どうした? 俺はティアの護衛だから、ティアに命令されるまで自分からはどこへも行くつもりはないよ」

 ティアの顔が歪む。幼い頃に見た、泣き出す寸前の顔。しかしあの頃と同じように、泣くことを嫌う彼女は唇を噛んでそれを耐えていた。

 桃色の小さな唇が、色を失くして真っ白になっていく。

「今から、わたしは、一番重い罪を犯す。一番、してはいけないことを、する」

 その瞳には、はっきりとした軽蔑と嘲笑が混ざる。

 彼女自身へのものだと気づくより早く、彼女は掴んでいた制服を下へ引っ張った。そして彼女は爪先立ちをする。目を見開く暇もなく、互いの唇が当たった。

 目の端で彼女の涙が流れていることに気がつき、肩を掴んで引き離す。はっと、彼女の口から熱をはらんだ吐息が漏れる。

「ティアっ!!」

「ごめん……。わたしの馬鹿な考えにつき合わせて。ううん、アレクが、許してくれるって勝手に信じてて」

 ティアの手が制服の襟元にかかる。

 慌てて手を掴むと、ティアが泣きながら笑った。きらり、と涙が光をはじきながら落ちてゆく。痛い、と自覚する暇もなく彼女を抱きしめた。

 ここは執務室ではないので、もうきっと誰も来ないだろうと、自分に都合のいい考えばかりが浮かんで嫌気が差した。

 彼女を抱く手に少しだけ力を加えると、ティアの喉から声にならない吐息のような音が漏れた。

「本当に、どうした? さっきから、変すぎる」

 ティアが涙を呑もうと息を詰める。そして背中に手を回して、抱きしめ返してきた。ふるふると、何のためにか震える手を感じる。

 彼女にこうさせるものの正体が何なのか、考えるかなにも浮かばず途方にくれる。

「アレクが、好きだって自覚してから……心が、痛い。何をしてても、痛いの。

アレクを想うときの痛さじゃない、もっとひどい痛みを感じる。裏切っている自覚があるわたしを、愛してくれる民の心が、痛くて、痛くて堪らない。

もう何も言う資格なんてないのに、まだ女王なんて名乗っていると思うと、手も、足も震えて、声なんて出てこなくって……。

そういう自分が一番嫌いで、ちゃんとしようと思うのに、ぎゅって締め付けられるように胸が痛くなる」

 なのにもう、アレクをどうにかして離さなきゃいけない、なんて思えず辛い。

 彼女が息を吐く。やっと涙が止まったようで、顔を見せてくれた。涙の残る眦は少しだけ赤くなっていたが、いつもどおりの彼女だ。

「王族をね。辞めようかと思ってる」

 その口から、一生でないであろう言葉が出た。

 驚いて彼女を見つめると、彼女は小首をかしげる。そして首へ抱きつき、自分を落ち着かせるように息を吐き出しつつ、先ほどの続きを口にした。

 「わたしがいたら、シエラに迷惑かかるだろうし」

 罪悪感がひしひしと伝わる、とても辛そうな声が耳元へ降り、どうしようもなく悲しくなる。

 それと同時に、喜んでいる自分もいることも事実で、それが腹立たしくなる。一瞬胸に宿った『彼女を手に入れられるかもしれない』という希望は、消せそうになかった。

 彼女が王族を辞めてしまえば、民のことを考える必要もなくなるのではないか。

 誰よりも、王族らしくなければいけなかった彼女でいる必要なんて、どこにもなくなるんじゃないか。

 そんな馬鹿らしい……浅ましい考えばかりが出てきた。

 最低だと我が身を叱りつつ、どうしてもその可能性を考え、胸躍らせずに入られなかった。軽蔑されても仕方がないな、と思う一方、当たり前なのかもしれないとそっと自己弁護する。

「女王の座を退いた後、何をしていいのか、何もわからない。シエラの負担にならないように、ひたすら静かに口を噤みつつ暮らすことも、きっとわたしには難しいでしょう。

この責務の多い座に疲れてるって思いながら、辞めれば辞めたで、やるべきことが山ほど見えてしまう。口出しすれば、大臣たちも、シエラも戸惑うだろうし。

それに、王族は――」

 王族は、自分の意思で結婚相手を選べないから。

「ずるいって知ってる。卑怯だって、分かってる。だけど言うよ。アレクのために、王族を辞めたい。とりあえず、辞めたい」

 アレクのせいだって言いたくなかった。

 そうティアが言った。

 『アレクを言い訳には使いたくなかった』

 自己嫌悪するようなその声に、彼女も自分と同じ気持ちなのではないかと少しだけ自惚れてみる。

「いつもみたいに、しっかり考えたわけじゃない。この前のことで急に、その考えが浮かんできた。アレクとは、何が何でも絶対に離れたくないって」

 そっとティアが顔を近づける。音を立てて、口付けてきた。

 額にひとつ、瞼にひとつずつ、頬にも、鼻の頭にも。そして最後に唇へひとつ。再び抱きしめなおすと、背中にあった手に力が入れられた。

「俺のために、王族を辞めるの?」

「……アレクのためだって言いながら、この重い責任から、逃げ出そうとしているってとってもらって構わないわ。

アレクのためだって、思いながら、王族をっ、辞めたいって。すべての責任が、重すぎるって」

 ティアが言葉を詰まらせたのも、責任が重いと言ったのも、全部が初めてだった。

 『重大だ』という意味ではなく、『重苦しい』と吐き出した彼女を初めて見た。

 強い彼女が音を立てて崩れていく。民衆と大臣の求める“リシティア”姫が弱く、脆く、なくなろうとしていた。

「ごめん、アレク。道連れにして。責任を、押し付けて」

 ティアがまた制服へ手をかけようとする。その手をとり、反対に床へ押し倒した。ティアが驚いたように目を見開く。

 ティアの両手を掴み、顔はキスする寸前のように近い。

「もし……。もし俺がそれでもいいって言ったら、ティアは泣くよ。

 ティアが誰よりも王族らしく振舞おうとしていたことを、俺はよく知ってるから。ティアがあとで悔いることを、俺は知ってる」

 彼女はきっと、後悔するだろうと思う。

 自分たちの間に、これ以上何かあれば、彼女は彼女の望む『立派な女王』ではいられなくなる。もっと、ずっと、民の前に立つことが苦しくなって、息ができなくなるだろう。

 それは彼女が望まないことだとよく分かっていた。そう言った瞬間、ティアは眉を寄せた。今から泣くと、安易に分かる表情だ。

「もう、ダメなんだよ。わたしはもう、わたしの望む王族ではなくなった」

 彼女が、自分の体の下で首を振る。はらはらと透明な雫は、何も映すことなく横へと飛び散った。

「最近ね。頭の中で響く警鐘が聞こえなくなっていくの。

王族として、やってはいけないことしようとするときに、いつも鳴っていたはずなのに。――もう、アレクを抱きしめても、鳴らないんだよ。

四年前には、ちゃんと鳴ったのに。アレクが刺されたときには、泣くなって、ちゃんと、鳴ってたのに」

 本当は、アレクを想うこと自体、警鐘が鳴ることなんだって、最近気がついた。

 彼女の声はすでにくぐもり、聞き取りにくかった。彼女が泣き止む方法が見つからず、先ほど彼女がやったように額へ、頬へと口付ける。

 これにももう、警鐘が鳴らないんだろうか。そう思いつつ、顎の先へと寄せていた唇を喉元へずらした。

「どうすれば、ティアは幸せになるのかな。民と国の安泰だけが、ティアを幸せにすることができるのかな」

 自分にできることはあまりにも小さくて、少なくて、彼女を幸せにすることはできないのだろう。

 だから、どうなっても彼女の傍にいることだけは許してほしかった。他の誰に許されなくても、彼女にだけ、許してほしかった。

「ティア。俺たちはこれ以上、先に進めない。進んでも、悲しくなるだけだ」

 不意に、虚しいと感じるときがある。

 意味なんて、ないのかもしれないと思うときがある。

 この想いも、行動も、すべて皆に祝福されないものだから。それを知っていてなお伸ばす手や想いは、もしかしたらこの先もっと彼女を苦しめ、傷つけるのかもしれない。

「アレク」

 彼女が下から手を伸ばし、首筋をなぞっていた俺の頭を抱きしめた。

「ごめん、悲しくてもいいの。苦しくても、辛くても、誰にも祝福されなくてもいいの」

 それでも、彼女と自分はこの繋がりを断ち切れはしないのだ。

 今までがそうであるように、これからがそうであるように。断ち切ってしまえば、一人っきりで立てなくなってしまったことを、否応なしに突きつけられるから。

 自分たちはもう戻れないから、無理やりにでも、傷ついてでも前に進まなくてはいけない。

 立ち止まることさえ、自分たちはもうできなくなってしまったのだ。幸か不幸か、それはまだ分からないけれど。

「ティア」

 ならば自分はもう悩めないし、迷えない。彼女がそう思うなら、自分にはもう選択肢はない。

 はじめから、なかったのかもしれないけれど。自分にできることは、彼女と同等の罪を背負うこと。ただそれだけしかない。

 するりと彼女の手をとる。左手を強く握り、彼女が彼女である証明であるような指輪を隠した。女王が、女王である証を、強く握って、その手から外す。コトリと床に置くと、カーテンの隙間から入ってきた月明かりがそれを照らした。

 嫌味のようにその光は強く、美しく、彼女に似ていて目をそらす。

 もっと遠くへ投げればよかった。

「これから、罪を犯すのは俺だ。ティアじゃない。

ティアが俺を道連れにするんじゃないよ。俺が、ティアに自分の気持ちを押し付けただけだ。そう言っても、ティアは自分を責めるだろうけど、よく覚えていて。

俺たちは今から、同等の、一番重い罪を背負う。

ティアが重いわけでも、俺が重いわけでもないんだ。そう思えば、ティアは、少しだけ普通の女の子になれるだろ」

 彼女の手をもう一度掴む。押さえつけるように握ると、ティアがそっとその手を握り返した。

 指を絡めると、力を込められる。深い不思議な色合いの瞳とぶつかり、笑いかけると彼女の表情が少しだけ緩んだ。

「いまさら怖いなんて、言わないでよ」

「言わないわ。もともと始めたのはわたしよ。アレクがこうするのも、わたしは分かっていたわ。そろそろいいように使われてるって、気がついたほうがいいわよ。アレク」

 それが彼女の強がりで、精一杯の感謝の表れだ。

 

 瞼にひとつずつ、キスを落とす。

 彼女の映す景色が、少しでも優しくなるように、と。

 耳には、彼女の耳に入る報が少しでも明るくなるように、と。

 額には、彼女の考えることが少しでも幸せであるように、と。


 願いを込めてキスをした。数え切れないほどたくさん。

「いいよ。俺もティアを利用してるようなものだろうし。大臣たちからしたら」

 一年後、彼女が本当に王族を辞める気があるのなら、大臣たちを全員敵に回すことになるだろう。

 自分たちはたくさんの非難を受けるだろう。しかし、本当に彼女がその気なら、二年後自分たちは幸せに暮らしているんじゃないかと思う。

「夜、だから。今のわたしは、わたしだから。リシティアの、『女王』のわたしも、やっぱりあるかもしれないけど」

 昔考えていたことがあった。

 もし彼女が『王族』でなかったら。もし、普通の貴族か、もしかしたら街娘だったら。自分たちは今よりずっと、楽に一緒に入れるかもしれない。

 だがすぐに気がついてしまった。出会わないのだ。自分たちは。

 王族として育ったからこそ、王族であったからこそ、出会えたのだ。王族のティアに、惹かれたのだ。

「俺は『リシティア・オーティス・ルラ・リッシスク』を愛してるよ」

 深く深く口付ける直前、彼女は“うん”とだけ頷いた。

 それがどんなに嬉しかったか、彼女は一生分からないだろう。どんなに幸せであったかは、これから少しずつ伝えていけたらいいと思った。


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